06 詰み
●○●○●○●○●○●○
「コトハーっ!」
僕は大声で屋敷を走り回る。こんなに広い屋敷なのに、使用人は誰もいない。普段から研究員が屋敷の中をうろうろしているから必要ないそうだ。僕は久々にくる屋敷に右往左往しながら、漸くにしてコトハの部屋を見つけた。屋敷の最奥。入口から一番遠い東方の窓側の部屋だ。しかしそこだけ3部屋ぶち抜きという形をとっており、広さ的にはこの屋敷の中でも1、2を争う大きさはある。
『コトハの部屋』と書かれたプレートを発見して、ドアの前まで駆けつけて深呼吸を二回ほどする。心臓が爆音を鳴らして鼓動を刻んでいる。さっきの研究員たちのことを思い出すと、目頭が熱くなる。
行くぞっ!
僕は決心して、ノックもせずにその部屋へと入る。
「コトハっ!」
叫びなれたその言葉を、喉が裂けそうなくらいの大きさで今一度轟かす。扉を開くと女子感あふれる小物の数々と色彩に彩られたベッド、ピンク色の絨毯、魔法のステッキなどいろいろなものが乱雑に、かつ整理されて置いてあった。いたって平均的な、生活感漂う女子の部屋だった。
その奥で僕は、椅子に座ったまま細目でこちらを見ているコトハを見つけた。
「コウ……キ……ね」
口からはか細い声が弱弱しく聞こえる。
一見してみると何も変わったところはなさそうだが、しかし細かいところまで見ると所々やつれている。
「だいじょうぶか!? コトハ!」
舌が縺れて言いたかったことが言えたかどうか少しばかり怪しい。言葉より体が先行して、コトハの頭の後ろに手を添える。
「はは……体が意志を聞いてくれないわ……声だって……もう」
「そんな……なんで! 勇者がここに来たはずじゃ!!」
もう喋るな、とか言ってあげるべきだったかと思いなおす。混乱しすぎて、そこまで考えきれていなかった。こういう時にするべき対処を、僕は知らない。
「私はさっき……歴史を見たわ……。……本物の魔王が――覚醒する瞬間を」
そこだけ力が籠っていた。コトハにとって、歴史学者の娘として自身が歴史に立ち会えたということに喜びを感じているのだろうか。その真意は僕にはわからない。
だが。
ここで命を失ったら、なにもかもおしまいだぞ。
あんなに楽しく話していた時間から、まだ24時間すら経っていない。
なんでこんなことが僕たちに襲いかかっているのだろうか。
――とんだとばっちりだ。
だが、同時に。コトハにとっては報いなのかもしれないが。
『研究レポート シュレスティーン・コトハ
規模縮小魔王復活による実験と考察』
研究室と思われる部屋で、同時にこんなファイルも見つけてしまった。
読まなかった。
正確に言うと、読めなかった。
怖くて。恐ろしくて。
体が情報の入手を拒んだ。
だが、紛れもなくそこにサインされていたのはコトハの筆跡だったし、いつも使っているコトハのサインだった。
ああ確かにこれは僕の予想だ。
この事件を、この厄災を、この最悪を。
コトハが引き起こしただなんて、考えたくもない。
「魔王が言っていたはずだ! 何か『奇跡』が起これば、コトハを救えるって! コトハは何か知らないか!?」
「……そう、ね……。知らないことは……ないけど……」
「教えてくれ! 何をすればいい!?」
「……まおう、を、討伐して……魔王は、今生きている……方。つまり、元勇者……」
僕は唖然とした。
「再び……魔王を討伐、すれば……」
不可能だ。
できるはずがない。
コトハは途切れ途切れの言葉を呟くように僕に教えてくれたけれども、要点だけを掻い摘んでいて、それはあまりにもわかりやすく、簡潔に理解することができて。婉曲的な表現がない分、その難易度の高さを如実に表していた。
「じゃあ…ね」
コトハは眼を閉じた。
「コト…ハ?」
僕にできることは、ない。
あるとしても、少なくともこの部屋のなかではなかった。
「嘘だろ……おい、コトハァ!」
それでも、僕の瞳からは涙が出てくる。握りしめていた手がコトハの肩にかかる。
そこに、幽かな声が聞こえた。
信じてるよ……。
そう、聞こえた気がした。
気のせいなのかもしれないし、そうじゃないのかも知れない。
その言葉を切欠に、口から嗚咽が漏れる。涙腺はその機能を維持しなくなった。正面だけ雨が降ったかのように濡れている。
ああ――人生でこれほど泣いたことがあっただろうか。
知っている。
いくら信じられたところで、僕はあの勇者の――魔王の、実力を知っている。
無理だ。無理だ。
うじうじ悩んでいたところで、解決策なんて見出せる筈がない。だが、むやみに突っ込んでいったところで勝てるはずなんてない。
今僕にできることは、何もない。
既に詰んでいるのだ。
踏まれるのを待つだけの蟻のような存在。
酷く虚弱で生殺与奪のすべてがない。
最強だと思っていた味方が、実は最強のラスボスとか。この絶望感たるや、何物にも代替不可能だ。
「それでも――」
そう。それでも。
僕は呟く。
コトハが目を閉じて、言葉を話すことを止めたその部屋で。生命すら存続しているのか分からないコトハの前で。内心穏やかじゃない。穏やかになれるとしたら、それは少なくとも友達ではない。
「行かなくちゃな。魔王を倒しに」
勇者が勇者でないならば、誰が勇者になるのだろうか。誰がこの世に君臨する邪悪の塊――魔王を斃すと言うのだろうか。
答えは簡単。魔王を倒したものが、勇者として後世に語り継がれる。
ならば、僕が勇者になればいい。
気がついたら地面に泣き崩れていたその体を起こし、覚悟を決める。
魔王を倒すにはどうすればいいのか。
考えを逡巡させる。
圧倒的な強さ、惹かれるまでの正義、迸る情熱――今から装備とかを整えたところでコトハを救えるだろうか。
そう考えて、僕は横に頭を振る。
どう考えたって短期決着だ。
なにか策はないのか――もしコトハが、此処に居てくれたのなら、素晴らしいアイデアを提供してくれたに違いない。コトハを見やるも、その姿はさながら死体のように動かない。首は項垂れて、それでもなお優雅さを感じさせる体勢で眠っている。
下で見た研究者のように、コトハもなってしまうのだろうか。
想像したくもない。
だから僕は、行かなくてはならない。
この手で――魔王を倒すために。
僕はそう決意したあと、下の階に下りて、さっき見たコトハのレポートを見る。
何かヒントが書かれていないのか。そう思ってレポートを凝視する。
『研究レポート シュレスティーン・コトハ
規模縮小魔王復活による実験と考察
今迄の研究結果で、魔王になる素質、条件が解明されてきた。圧倒的な力を持つものが魔王となるのではなく、魔王になりたいと願うものが魔王になれる。』
僕はそう書いてある前書きをペラペラめくり、重要そうなページを探す。この場合の重要そうなページとは結論が書いてあるページのことだ。
『魔王になるためには、強い力を願う心が必要だ。今回の実験ではそれ自体を願う感情が足りないのか、或るいは別の感情が必要なのか完全に結論を出すことはできない。憎悪、嫉妬、畏怖、そのような負の感情が世界から定められるための力となる可能性もある。この研究が、世界の平和に対する研究の礎となることを願って。 シュレスティーン・コトハ』
厚く纏まっていたレポートの結論だけをざっと読んでみた。
脳内で、書かれている言葉がコトハの声で再生される。
だが、書いてあることが難解で、僕には分からない。ヒントにはなりそうもないと思いつつ、頭の片隅にだけ置いておくことにする。
こんなことならもっと真剣に勇者学を学んでおくべきだったと、今更ながらに僕は後悔した。