03 魔王
天から与えられた才能で天才。
ああ、こんな質問を考える奴は馬鹿なんだろう。
天才に何てなれるわけがない。
圧倒的な差が、そこにはあった。
越えられない壁は抽象的なものでも何でもなかった。確固たる存在としてここに君臨していたのだ。
朝起きると空が青い。
見慣れた天井、体を起こすと見慣れた景色に晴れた青空、視界がどこまでも広がっていくような錯覚と、そこはかとない睡眠欲に襲われる。
昨日のことがウソみたいに思える。
居間に行って、テレビをつけるとニュースが報道されていた。だが、あまり驚かない。そのニュースを僕はもう既に知っていた。
『魔王、現る!』
新聞の一面見出しにもこの言葉は飾られていた。
今まで実感がなかった魔王という存在と勇者という存在が、一気に現実味を帯びて僕の周囲に突如として出現した。
なんとなくテレビをつけながらソファーに座ってぼうっとしていると、ニュースが切り替わり、この街の様子が空中から中継されていた。
……なんだ?
『御覧ください! この街に建てられた巨大な屋敷の一角から黒煙が上がっております! 専門家によると、火事あるいは魔王による邪気である可能性が高いということです! 近隣の避難は現在続行中です! 中には住人と思われる数人がいると思われ、安否の程は不明となっております』
レポーターが風の吹く音に負けじと声を張り上げながら中継をしている。
それを見て僕は呆然とする。
空から見た屋敷は、僕でなくともこの街に住んでいる人なら誰だってわかっただろう。いわんや、僕も。
白く塗られた荘厳な屋敷。昨日訪れたそれと完全一致。
――コトハの家だ。
「コトハ――ッ!!」
逃げ惑う人々の奔流に逆らうようにして僕はコトハの屋敷に駆けた。
火事ならまだしも、魔王による邪気ってなんだよ!!
昨日までは笑い話で済ませられていたようなものを、今となっては真剣に考えている自分がいる。ポーションにでも縋りたくなる。普通のおいしいドリンクではなく、何か効果が本当にあったりするのだろうか。それとも、単に勇者の好物だったりするのだろうか。
ポーションにすがったところで、魔王はいなくならないだろうし、この状況が解決されるわけでもないのだろうが。
屋敷の前には、マントをはためかせ仁王立ちをして立っている人物と、腰に刀を差しているいかにもな人物の二人組がいた。
昨日とは恰好が違うけれど――片方は確かに勇者だ。
「おう、少年。また会ったな」
「はい……これは」
「危ないから逃げた方がいいかもしれないよ」
もう一人の男が僕に向かってそう忠告する。
ただ、僕はその忠告を無視してただ勇者の方だけを見て質問の答えを待つ。
勇者は、やれやれ、といった風に一回ため息をついた後、
「魔王の君臨だ」
「榊原! こんな一般人の子に何を言っているんだよ!?」
「紹介するよ。こいつは剣闘士、ソリュードだ」
隣にいる男の風貌は、勇者と打って変わって年相応に老けている。というか、勇者の全盛期から20年も経つというのに、その顔というのが異常なくらいなのだ。
ソリュードは呆れたように勇者を見て、それから僕に向きかえって、よろしく、と握手を求めてきたので、僕もそれにならって返す。
「とりあえず、様子見で俺はいったん行ってくるわ。危険がありそうだったら帰ってくるから」
「僕も……」
僕がそう言いかけようとした瞬間には勇者はもうその場にはいなかった。
代わりに、そこにいた剣闘士ソリュードが言葉を返してくれた。
「やめた方がいいよ。普通の人間なら、あの邪気に飲み込まれて心がおかしくなってしまう。君はここに来たということは、きっとこの家の人たちと親交があったんだろうね……でも……」
「やめてください!」
僕は出会ったばかりだというのに、大声でソリュードさんの言葉を制止した。
「……そうだね。済まない」
ソリュードさんはそう言ってから、
「勇者のパーティの後二人がもうすぐ来るから、それまで待とう」
と、言うようなことを言っていたのかもしれないが、僕の頭には何も入ってこなかった。
邪気にやられたら頭がおかしくなる?
なんだよそれ。
くだらない。
取るに値しない。
考える価値もない。
信じる価値もない。
信じられない。
嫌だ。
信じたくない。
昔なら――昨日の俺なら、そんなこと一笑に付していただろう。
だが、今も目の前で広がる光景――煤煙のような何かが屋敷から立ち上っているところを見ると、とても否定できない。
火事ならいいのだけれど、その煙はある一定の高さまでたどり着くと、今度は下降を始める。やがて、煙幕がコトハの屋敷を取り囲むようになり始め、視認が難しくなってきた。
もう、あれは火事ではないことはだれが見たところで自明の理だった。
「だめなのかな……」
僕はそう呟いた。
すると、唐突にソリュードさんは言葉を発した。
「天才になるにはどうしたらいいと思う?」
聞いたことがある。
いつだって忘れたことがない。
なぜだか印象が強かったこの質問。
「ソリュードさん……この質問は?」
「昔私が勇者パーティで戦っていたころに抱いていた疑問さ。榊原は一番後にパーティに加わったんだけど、それまでは私がパーティーの先陣として動いていたのさ」
嫉妬心ゆえだったのかな、とソリュードさんは呟く。
「榊原は才能人でね。彼曰く異世界人らしいけど、ものすごい跳躍力、攻撃力、俊敏性、知識、戦略、あらゆるものを持っていたよ。魔王討伐の第一陣としてこのパーティはあったから私たちは当然彼を歓迎したよ」
コトハは大丈夫なのだろうか。この絶望感で心が壊れそうになっている今でも、しかし聴覚だけはしっかりとソリュードさんの言葉を離さない。
「剣士に剣闘士、違うように見えるのは名前だけさ。そして、私は思ったのさ。『天才になりたい』ってね」
その気持ちは分からなくもない。
あんな化け物みたいな強さの人の隣で、比較されながら生きていくだなんて、平々凡々なメンタルでは耐えられないだろう。
「ああ、これを聞いたことがあるということは、きっと私は君にも聞いていたんだね――今から12年前か。さぞ若かっただろうに。申し訳ないことをしてしまったね」
「――で、まあ、私としてはその答えが今では出たつもりだよ」
「勇者と対をなすのは、『魔王』しかいないだろう? 少年よ。安心しろ、家の者には手出しはしてないさ、多少の瘴気に触れただけで『奇跡』でも起こればどうにでもなるさ」
「――へ」
刹那、僕の50センチメートル隣で、爆発的な暴風とともに、邪悪が姿を現した。
邪悪。
悪鬼羅刹。
それを形容した様な、フォーム。
地獄を現世で僕は今、見ている。
こんな醜悪が、存在していてもいいのか。
どんな前情報を持たない一介の学生であれ、その恐ろしさには身動ぎもできない。
「簡単な話さ。『魔王』になってしまえば、あの忌まわしき勇者とも対等に渡り合える。そういう理論なんだろう――異世界から来た勇者、とやらよ」
さっきまでのソリュードさんの口ぶりとは打って変わって、魔王の風格が言葉端からも感じられる。言葉が言葉として機能している――重みが、威圧が、単語の切れ端から滲み出ている。