第七節 部活動④...最初は些事だった
「あ、あのね、姉様っ!」
俺の質問に目を泳がせて、両手の指を合わせたり、交差させたりと動きっぱなしして、露骨に動揺した姿を見せる。
「分かってほしいってゆーか...全員が全員で、皆が聞き分けっ...って違くて、その...
あ、頭が固いっつーか、ゆー奴も居ってさぁ、見せしめっ...のつもりじゃなくて!ちゃんと後で弁償するつもりだし―、話し合いにチラッと力の差を見せつけッ!みたいなっ?
分かってほしーのにー、話聞いてくれなくてさ~。そんでカッとなっちまった?って感じ?けどワンチャンありなヤツっでー、燃やしっちゃったり...やっちゃったりして~?」
「リアルにやっちゃった!と。」
「あー!後で弁償するつもりだったんだよ、秒で弁償!これ、マジっ。
ってゆーつもりだったんだけどー、そんでも話聞いてくんなくて、ぎゃーぎゃーおこっばっかして...
そんなら、こっちもほーちぃ...すいません。」
「最後に謝ったから、やり過ぎた自覚は一応あるって事でいいんだよね?
そう考えていいよね?」
「反省はしてるっすよ、マジのマジマジ!アハハハァ...」
「......」
「すんません。」
はぁ...とりあえず、雛枝には一般常識がある、と安心していいだろう。
しかし、「本性を見せ合う」と俺が言った所為なのか、雛枝の言葉遣いがどんどんおかしくなっていく。笑い方も少し下品になっていくような気がする。
コレを個性と取るべきか、もっと酷くなる前に姉として指導すべきか、迷い所だな。
「雛枝。」
俺は一旦組んでいる足を崩して、両肘を机の上に載せて、両手の指先をくっ付けた。
「悪いと思っているその行為。雛枝は今まで一度しかして来なかったのか?」
「えっ、姉様?」
「素直に答えて。
言っておくけど、たぶん私、正解当たってると思う。」
「...こんな...アリなの?」
暫く俺の目を見つめた後、雛枝は大きなため息をついた。
「複数回...たぶん十を超えてないけど、やりました。すみません。」
「ふむ。」
「また『ふん』っ!完全『予想、当たりっ!』って顔してるしっ。
姉様、やっぱ心読めたりする系?」
「読めないって。
自分が未熟で、読めやすい顔をしていると思いなさい。」
「そんな事、ないと思うんだけどなーー。」
そう言いながらも、実に分かりやすい不満げに満ちた、ぶすーっとした顔をする雛枝。
可愛いなぁ。
なんだか今、奈苗を可愛がるお父様の気持ちがすごく分かる。
俺も将来、父親として娘が欲しいなぁ...永遠に叶わない夢となったけど。
「正直、雛枝がヤった事を同意すべきじゃないと思うわ。けど、似てると思わない?」
「似てるって、何とすか?」
「私の嘘。」
「あーっ!」
正しくないと知りながら、やった方がいいと思い、その「悪」を行う。
人だからできる愚行、というべきだろうか?
「え、うそっ!マジ同じなんだけど?
えっ、どゆこと!?あたしって、姉様と同じ事してるってこと?
ヤッパ!マジヤバいんだけど!えっ、マジで?マジで!?超ヤバげーなんだけどっ!」
椅子を倒すほど勢いよく立ち上がる雛枝。何がそんなに嬉しいのか、挙動不審に動き回った。
「そんなにテンションが上がるような事なの?」
「だって、ふつーありえなくない?あたしら、知らないで同じ事しちゃったって事じゃん!ヨユーでテン上げなんだけどっ!
姉様はしないの?」
「事にもよるでしょう?
今の、喜ぶような事?」
「そんなテン下げな事をゆーなぁって、姉様ぁ。
あたし、姉様と同じって、めっ沸いてんのに~~~。」
「はぁ...」
この歳頃の女の子って、みんなこうなのか?
Sクラスで偶に絡んでくる風峰ちゃんが「貴族お嬢」って感じだから、そっちは絶対違うと思うけど、雛枝もなんか違う。
「やっぱ双子のシンパシーって奴ですかねぇ?エモい...」
ようやく落ち着いたのか、雛枝が椅子を起こして、俺の近くに座った。
「...近くねっ?」
「えへへ~、姉様ぁ~。」
「まだ笑顔のまま...喜んじゃいけない事なのに...」
他人の不幸が蜜の味。だか、それも限度があるでしょう?
雛枝との価値観の違い...しかも、今ので聞けることを全部聞いた。
これ以上雛枝を知るにはまた新しい情報が必要だから、仲良し会話はここまでにしよっ。
「そろそろ元の目的に戻ろっか。」
「元の目的?」
「...私達、何の為に喰鮫組支部へ来た?忘れたの?」
「い、今っ!思い出した...
けどー、姉様と離れたくないんだけど~。」
「離れる?いや、離れないよ。
離れたら私、どうやって喰鮫組の人達と話せばいいの?」
「いやね~、リアル距離って話っすよ!」
急に腕を組まれて、更にくっつける程に雛枝の顔が寄せてきた。
「考えてみれば、あたしらって双子じゃん?こんくらいの距離ってふつーじゃん!」
胸、くっ付かれてる!腕に柔らかい...って感触がない!?
あっ、俺の体にある胸とくっ付いているだけか。暖かさはあっても、あまり柔らかさが感じられない。
...っといっても、ヨコチチがくっ付いていると想像すると、心臓が勝手に鼓動を速める。
くっ、俺もまだまだだな。未だに「女の子」に成りきれていない!
男と違って、女の子はこのくらいの距離が普通っ!体が馴染んだ相手に「体質」を言い訳にできない!俺って奴は本当、いつまで自分の事をまだ男だと拘ってんだ?
男と死んでもくっ付きたくないが、いい加減「女同士」の距離感に慣れろっ!
...普通、だよな?
「そだ!千草をこっちに呼べばいいじゃん!」
「チグサ?」
「組長代行の矢野 千草。今この支部にいるはず。」
「組長代行!?」
聞いた事のない「肩書」を耳にした俺はすぐに先程の動揺を抑えて、冷静に慣れた...と思う。
組長代行って、なんかすっげぇ偉そうな肩書に聞こえるんだけど。
雛枝が「こっちに呼べば」って言ったけど、いいの?雛枝が気楽に呼び出していいレベルな人なのか?偉い人じゃないのか?
「ねぇ、雛枝。その人、偉いの?」
「母様が用事ある時の代わり。つまり、母様の次に偉いだよ~ん。」
「...そう、なんだ。」
やっぱり偉い人じゃん!
そんな人を呼んだら...
「ちょい待てね、姉様。」
そう言って、雛枝が一枚の紙とボールペンを自分の物入れ結界から取り出して、その紙に何か文字を書いた。
「こういう字。」
...ミミズにしか見えない。
「ごめん、雛枝。私、文字が読めないの。」
「え~~~、マジ~~~~~~~?」
「うん。しかも同じ人が同じ文字を書いても、それを別々の形に見えてしまう。
まるで読めないように、脳が形を覚えられても、理解できないようにされてたみたいに、ね。」
「うっそ!そんなあり?」
いずれ消える文化だとお母様は言ったが、文字が読めないのはまだ不便だ。
それを同情した雛枝は何故か段々と怒りの相貌を呈していた。
良い子だな、雛枝は。ちょっとその機嫌を取ろうか。
「文字自体を憶えているから、口で説明すれば分かるよ。」
「えっ、そう?」
「うん、教えて。」
「そうすね~...矢野は弓矢の矢で、野原の野。んで、千草は千本の草と書いて、千草。
あっ、踏める草ね。」
踏める草とか...教え方が酷いなぁ。
けど、かわい...
「ちょい呼んでくるね。」
雛枝が手を上げて、自分の耳に当てる。
「ねぇ、千草。こっちに来て。」
それだけを言って、雛枝は手を下ろした。
その行動、俺は雛枝が可愛いと思おうとしたのをやめた。
...理解した。
人の名字を俺に教える時といい、今その人を呼びつける行動といい。昨日の憎達磨や御隠居様は別として、恐らく雛枝が今の喰鮫組の中で一番偉い。
「...雛枝、とりあえず、さっきの喋り方は他人の前ではしないでくれない?」
「えっ、解禁じゃっ...」
「してない。マジでその喋り方を直せ。」
虎を飼う場合、大きくなっても食い殺されないよう、まだ小さいうちにきちんと躾けて、自分が上である事を教え込まなければいけない。
...雛枝と姉妹になるなら、もっと用心しなきゃ。
「...姉様って、喋り方で人を決めつけ系?」
「...いいえ。」
「変な間があったんだけど?」
偏見を持っているより...前世の事を思い出してしまうから、嫌なんだよ。
妹の為に生きると決めた次の日、記憶がはっきりしない状態で、しかも女の子になって目が覚めた。誰からも何の説明もされないまま、自分自身の事も分からないままで一時「女の子」として生きていた。
記憶が戻った後も、性別の不一致感に苛まれて、女として生きる覚悟を決めるのに、それなりの月日が掛かった。お父様の気遣いで回りが女性のメイド達に囲まれていたが、逆に理性を保つ為に、守澄メイド隊と微妙な距離を置いた。
高校に入ったすぐの時期も、結局女子同士の付き合いが分からず、恐らく俺をグループに入れようと話しかけてきた風峰ちゃんに不愛想な態度を取ってしまい、一匹狼みたいな女子高生になってしまった。そのくせ、男とはよく話をするから、クラス内女子達に嫌われてしまった。
女子との付き合いがなく、男子とも普通の友達に成れない。そんな感じで日々を過ごし、友人関係でずっと選ぶ側の前世とのギャップ...考えないようにしていたが、たぶん、辛かったんだ。考古学部に関して、お父様の話に乗ったのも、頻繁に合宿を考えたのも、寂しさを紛らわす為だったかもしれない。
なのに、今の雛枝が偶然にも前世の妹と似たような話し方をする。全然似てないのに、妹の面影と重なってしまい、忘れかけた前世の記憶を引き出されてしまった。
元の世界に戻りたいと、考えてしまいそう。
...ホント、厄介な妹だ。
「......」
「じっとあたしの顔見て、黙ってるとか、どーしたの、姉様?
ちょっと怖いよ。」
「...あぁ、またか。
こめんね、雛枝。これは私の悪い癖だ。
なかなか直らなくて、私も困っているよ。」
「姉様の、癖?」
「他人にとって、不快と感じる癖は誰にもあると思うわよ。
だけど、一度『癖』となったモノを直すのも大変よね。今の私のように。」
「姉様は、その...じっと人を見つめる癖を治したいの?」
「実際、『怖い』と言われたばかりでしょう?」
「あっ、あたしはそんなつもりでは...でも...」
「雛枝の言葉遣いが嫌いという訳ではないが、万人向けの言葉遣いではないのでしょう?
カメレオン族の『種族魔法』が使えるのなら、もちろん外見だけではなく、言葉遣いも相手に合わせて変えられるでしょう?
辞めろとは言わないわ。でも、直す努力くらいは続けなさい。
今のように。」
「うぐっ」
雛枝はこの世界では「天才」というレッテルを貼られた人間だ。普通の人々ができない事を容易くできるのが特徴。
今の俺の言葉遣いを難なく真似したように、言葉遣いを変える事なんて、できない筈がない。
その時、トントンとドアを叩く音がした。
「来たみたいですね。ちぐっ、...いや、矢野さんが。」
微笑みを雛枝にみせる俺。
なんとかタイミングよく、俺の番で「お喋り」を終える事が出来た。
ぷーっとちょっと怒った顔を見せるも、雛枝は小さな声で「姉様、ずるいっ」と言って、すぐに感情のない声で「入れ」とドアの向こうの人に声を掛けた。
...ホント、偉そうだな、雛枝が。
「お久しぶりです、雛枝お嬢。そして、お初にお目にかかります、お嬢の双子の姉、守澄様。」
一礼をしながらそう言って、ドアから入ってきた男性は目を開けて俺達を見た。
しかし、彼が着ている服装は極道としては全然相応しくない、執事服だった。
えっと、キャラ作りしているのかな、この人?嫌に似合っているのがムカつく。
顔付きも凶悪さより、優しそうな感じなカッコいい男。その外見、表現するのも癪なので、一言でいうと知性派みたいなイケメンだな。
まったく、何でこの世界の人達がみんな顔面偏差値の平均値が高いのだろう?ふざけんな!っと考えてしまったが、女の子の方も美人ばかりなので、文句を口に出さないでおこう。
「えっと...」
矢野さんは目だけを動かして、俺達二人の顔を見比べた。
そして、少し視線を下に向いた後、「流石双子ですね。顔付きの微妙な違いに気が付けなかったら、見分けも出来ませんでした。」と言った。
いや、嘘つけ!胸見て判断したんだろうか。
そして、流石女の子。どうやら雛枝も俺と同じくそれに気づいた。
「千草。あたしには嘘つかないって、言ったわよね?
何で嘘をついた?」
「おや、バレちゃいましたか。」
「あたしに隠し事ができると思っているの?」
「そんな大層な事を思っていません。
小生はただお茶を濁したいだけです。」
悪びれもせず、けれど低姿勢で、矢野千草は俺を見て微笑んだ。
これが大人の余裕、か?
けど、同じ笑みでも、望様と比べると、彼の笑みが何となく凶悪で下品な感じがした。
「改めて、自己紹介とさせていただきます。
小生の名は矢野 千草、喰鮫組では本部長と組長代行、そして分家舎弟頭の位を預けられた者です。
以後、お見知りおきを。守澄奈苗お嬢様。」
そう言って、矢野さんは俺にわざとらしく深い一礼をした。
スラっとした長い手足、細長い体形、前髪が刈り上げられた翠色の髪の毛、少しだけ尖った両耳、整った顔に、黒いフレームのメガネとその奥に潜む藍の瞳。
この、己の素性を見せない神秘さが彼の魅力となり、普通なら胡散臭さに疑わずにいられない筈の俺だが、何故か今はそこが良いと思ってしまった。
「まるで森の妖精を統べる妖精王だね。」
つい、そんな事を口に漏らしてしまった。
「お褒め頂ぎ、ありがとうございます。
されと、大層な位を預けられているものの、小生は貴嬢より下にいる者。
どうか、小生の事を千草と呼び捨てでお願いいたします。」
そう言って、矢野さんは背を伸ばして、まっすぐに俺を見つめた。
「なぁ、雛枝。矢野さんっていつもこうなの?」
「いや、姉様、アレはキャラを作っているだけですよ。
アイツはただ昔の文人に憧れているだけで、その真似をしているバカだよ。」
「バカって、君なぁ...」
結構偉い人みたいなのに、まさかの罵倒だよ。
「お嬢も相変わらず容赦がありませんね。
ですか、流石に『バカ』と呼ばれるのは傷つきます。憧れているからこそ、同じように振舞い、やめられないのです。
守澄お嬢様、猿真似しているに過ぎないのは承知の上ですが、どうか小生の事をバカ呼ばわりしないで、千草とお呼びください。」
そんなに呼び捨てされるのが好きなのか?それとも、単純に俺が雛枝の姉だからなのか?
まぁ、俺もいくらなんでも他人の事をいきなり「バカ」と、口で呼べないな。
「分かりました。
では、千草さんと呼ばせて頂きますわ。」
「いいえ。是非、千草と呼び捨てください。」
「?」
一応年上だから、「さん付け」で呼ぶ事にしたのに、なぜ千草さんは「呼び捨て」に拘るのか?
蝶水さんの時は「さん付け」に反対しなかったのに、彼女より偉い千草さんはなぜ「呼び捨て」を俺に強要する?
「千草さん、すみません。
親しくもないのに、呼び捨てするのは少々抵抗あるわ。
どうしても呼び捨てされたいのなら、もう少し親しくしてからにしましょう。」
やれっと言われたら、逆に絶対にやらない、反抗期の少年少女!
そう。今の俺は反抗期ど真ん中だ!はっはっはっ!
「っ...かしこまりました、守澄様。」
ほんの一瞬、千草さんの顔が強張っているように見えたが、次の瞬間、彼はさっきと同じ微笑みを見せた。
気のせいなのかな?
いや、やはりいつも通りの警戒強めでいこう。
「それでは、お嬢。わざわざ喰鮫組分家本部に足をお運びし、小生を呼び出した理由をお伺いしましょうか。
またどこかへお遊びに行きたいのですか?」
「いや、今回は...」
「待って、雛枝。」
素早く雛枝の口を封じる俺、敢えて千草さんにも聞こえるように言葉を紡ぐ。
「ここは一旦、私にやらせて。」
まるで自分の方が上であるかのように見せて、雛枝以外の人にもそう印象付ける。
姉思いの雛枝ならここで折れると思うか。もし、彼女がここで折れなかったら、彼女と今後も付き合っていくかどうかを考え直さなければならない。
どうか、ここは折れてくれ、雛枝。俺はお前と仲良し姉妹になりたいんだ。
「............解りました。
後の全てを、姉様に任せます。」
「いい子ね。」
俺は雛枝の頭を撫でた。
権力争いにも思われかねない俺の行動、雛枝が素直に引き下がった。
その理由は彼女がまだ十五未満の少女だからなのか、姉思いの妹だからなのか...とにかく、姉妹喧嘩にならなくてよかった。
「すみません、千草さん。実はちょっと聞きたい事があります。」
「あっ、はい!何でしょうか、守澄様?」
「あー...その前に、『様付け』は止めてください。
私は雛枝の姉であっても、別に喰鮫組の人間ではありませんから。ただの守澄でいい。」
「そうおっしゃられましても、小生にとってはやはり軽々しく口を聞けないお方。
敬称なしでの呼び方は出来かねます。」
「あははっ、気持ちの理解はできるけど、時代遅れですよ、『小生』さん。
苗字での呼び捨てが無理なら、『さん付け』でも『ちゃん付け』でも、自由に選んでいいよ。『様付け』だけは止めて、くすぐったくてしょうがありません。」
「...では、守澄さんと呼ばせて頂きます。」
「うむ!」
妥当な選択だな。
俺の場合でも、例え「様付け」をやめてもらえても、苗字とはいえいきなり呼び捨てされるのは嫌だな。
敢えて「さん」と「ちゃん」の二択選択させたが、もし「ちゃん」が選ばれたら、それはそれで嫌な気分だ。
だから、千草さんが「さん付け」を選んでくれたのは喜ばしい。作為的にそうしたとはいえ、別の呼び方を提案されたらどうしようと心配でしょうがなかった。
例えば、「守澄嬢」とか...考えるだけで寒気がする。
「では、お聞きしますか。
千草組長代行は最近、お忙しいのではないでしょうか?」
「仰った事がよく分かりません。何について『忙しい』のでしょうか?」
「もし忙しくないのなら、正直...なんと言いましょうか?
...心配ですね。」
極上な笑顔を見せて、俺は千草さんを挑発した。
何となく腹の探り合いをされている気分で、気持ちが悪い。
「失礼致しました。
実は少々困った事がありまして、確かに最近は少し忙しいのです。」
「やはり忙しいのですね。
大変な時期にお邪魔して、申し訳ありません。」
「いいえいいえ、こちらこそ。
些細な事なので、組長に報告するまでもないと小生が勝手に判断し、上告を疎かにしておりました。
ご容赦ください。」
「では、その些事について、今『報告』してくれませんか?私と雛枝がきちんとお母様に伝えておきますので、処罰が下さらないように、うまく説明しておきます。」
「......」
無言、けれど保たれていた、作り笑顔。
道理で望様の笑みと違うなと感じられた訳だ。
矢野千草。
どうして雛枝が彼の事をバカだと思ったのかは分からないが、恐らく学がないだけで、頭が切れる人だろう。
「最初は、確かに『些事』だったのです。」
諦めたのか、千草さんは作り笑顔を止め、壁に背を預けた状態で「些事」について話し始めた。
「けど、日に日にその『些事』が増えて行き、いつの間にか『大事』になっていた。」
「氷の国の半分を掌握していると言っても良い喰鮫組にとって、『大事』はきっと沢山あると思います。
ですが、私達が知りたいのは一つだけ、それ以外の大事に興味はありません。
ソレだけを教えてくれませんか?」
「これはこれは...守澄さんも意地が悪いお人ですね。
この質問はただのクイズですか?それとも、小生が組長代行として相応しいかどうかのテストでしょうか?」
「深読みしなくでいいです。
私はただ自分のやりたい事をしたいだけ。他の事に興味もないし、耳にしたくもありません。」
次の言葉を発する前に、俺は雛枝から離れ立ち上がってから、千草さんに向かってゆっくり足を動かした。
「他の事に興味ありません。ただ、『子供の誘拐事件』だけを教えてください。」
千草さんの前に着き、俺は頭を上げて、まっすぐに彼の藍瞳を見つめた。
「『国の半分を掌握』に何の反応も見せなかった組長代行様なら、何件起きているのかくらい、分からない訳がないでしょう?」
お父様の仕事を手伝ったお陰で、俺は何人の奸商をも目にする事ができた。小物なら俺でも一目で分かるが、老獪な方だとなかなか本音を語ってくれない。
そういう奴を相手にする時、お父様も少々時間を掛けてようやく言いくるめられるが、俺にはまだそれができる自信がない。
千草さんって、何となくそういう人に腹の底を読ませないタイプな人っぽいので、今の俺は彼と深く関わりたくない。
なので、一つだけ正直に教えてもらう事にした。
学生であるうち、まだまだ遊びたいし、な~。
「あのニュースを見た時に目を疑ったか。なるほど、末恐ろしい少女だな。」
千草さんは一度目を閉じ、偽の笑みを仕舞うと、自分の物入れ結界から一枚の紙を取り出して、俺に見せた。
地図だ。
何処の地図かは分からないが、このタイミングで他国の地図を取り出す訳がないだろう。
「これは貴嬢が仰った『子供誘拐事件』の大まかな場所をマーク付けしたこの国の地図です。一度机のところへ戻りましょう。」
「まさか、氷の国全国に発生しているのか?」
「そのまさかです。」
全国範囲...流石に予想外だ。
俺は千草さんの言う事に従い、一先ず雛枝のところへ戻って、椅子に腰を掛けた。
それを見届けた後、千草さんは壁から背を離れ、机にさっきの地図を広げた。
「見ての通り、四十七区のほぼ全部の区に誘拐事件が発生しています。しかも、一つも記録から手掛かりが見つかっていません。
解決数ももちろん、ゼロです。」
「ゼロ...本当に一つもないのか?」
「ゼロです。
一人でも失踪者を見つけられれば、突破口も見つかると思いますが、力不足で。」
いや、それはどうだろう?
ほぼ全国で発生する誘拐事件なら、模倣犯が出てくるのもあり得る事。
だから俺は「本当に一つもない?」と訊いたのだが、返ってきた答えが「ゼロ」。すべてが完全犯罪という事になる。
そうなると、犯人は同じ人か、一つの組織に絞られ、模倣犯がいないと考えられなくもない。その理由はやはりこの世界の特殊性故の事だと思う。
人を誘拐するメリットとデメリットの高低差が、俺の前世の世界と全く逆だからね。多発したからって、模倣したがる人がいないのだろう。
...いや、決めつけは危険だ。
模倣犯がいる可能性が極めて低い!の辺りに留めておこう。
「『ほぼ全部の区』って事は、誘拐事件が発生していない区があるって事ですよね。
そちらはもう調べ終わっていますか?」
「残念ながら、そちらも調べ済みです。
そして恐らく守澄さんが今知りたいと思う事もお伝えしますが、その数区が全部、我が喰鮫組の支配下にある訳ではありません。」
「『お飾り区長』の区も、実際に氷の国政府が統治している区も、誘拐事件が発生していない区がある、か。
そうなると、この国に第三勢力が存在する事も考慮に入れなければならなくなるな。」
「仰る通りです。
漁夫の利を狙う他国の仕業は既に議論にあがっていました。
けれど、何分最初の誘拐事件が起こってから、まだ二ヶ月も経っていない為、他の四国についての調べが始まったばかりです。」
「...待て、二ヶ月も経っていない?」
「はい。つい最近です。」
氷の国全国範囲で発生している子供誘拐事件が恐らく四十件以上あるのに、二ヶ月も経っていない!?
大規模で、短時間で、更に完全犯罪?しかも、理由が不明!
「...犯人からの『脅迫状』とか、ないのか?」
「ありません。」
「ですよね。」
理由不明な犯罪行為...捜査する側にとって、これ以上厄介な事件もないのだろう。
「姉様、大丈夫?」
気が付くと、雛枝が心配そうに俺の顔色を覗き込んでいた。
いつの間にか、左手も恋人繋ぎにされていた。全く気が付かなかった。
「あぁ、大丈夫だ、雛枝。」
「本当に?」
「予想以上の大事件にびっくりはしたが、雛枝のお陰で落ち着く事が出来たよ。
ありがとう。」
「いいえ、あたしこそ。
これ程の事が起こっていたのに、転移魔法を使えるあたしが全く気づきませんでした。自惚れていたよ。
姉様に心労を掛けてしまったようで、心苦しいのです。」
「いや、雛枝の所為ではないわ。」
問題は発生期間の短さにあるのだと俺は思う。
千草さんの話によると、この事件は、最初は些事なのに、いつの間にか大事になっていた。その為、組長への報告が疎かになっていた。
そして、恐らく現喰鮫組組長であるお母様がちょっと頼りない感じがしたのも理由の一つだと思われる。
何せ、娘の雛枝に泣きつくような母親だ、娘の奈苗に恨み言を口にするような母親だ。どっちも外部に知られていない秘密だとしても、普段の態度や行動から、頼りがいのない人物だとバレているかもしれない。
そんな人に報告したところで、問題が解決できるのだと、誰も思わないだろう。
「雛枝の所為ではないんだ。雛枝はよく頑張った。
だから、もう自分を責めないで。
姉さんと一緒に、今から頑張りましょう。」
「っに...姉様!」
雛枝を慰めながら、俺は心を落ち着かせた。
落ち着かせて、もっと早く訊くべき事なのに、無意識に避けて訊かないようにしていた事を千草さんに訊ねる。
「千草さん、分かる範囲でいいから、教えてください。
...喰鮫組が把握している『子供誘拐事件』の数は、何件だ?」
「............千五十七件です。」




