番外編 打ち切りエンド
「仕方ない、か?」
深呼吸を繰り返し、脳に酸素を送り込む。
「責任の押し付け、やめてもらえます?」
まっすぐ望様の目を見つめ、自分の意志を見せる。
酔いの勢いに乗って、俺に顔を近づく望様、俺に睨まれて冷静になったのか、体を起こし、俺から離れた。
しかし、俺を覆い被せた体勢をやめてくれなかった。ちょっと怒った表情で、無言で俺を睨み返した。
望様は「紳士」だから、俺の言いたい事を理解してくれると思っていたか...どうやら、それは俺の勘違いのようだ。
「盗人にお金を掏られて、その盗人に『お前がお金を持っているから悪いんだ』と言われたら、望様はその人を許せますか?
殺人鬼にナイフで刺されて、その殺人鬼に『偶々お前がいたから悪いんだ』と言われたら、望様はそれで納得できますか?
条件が揃えば、罪を犯しても構わないなんて理屈はない!襲われても仕方ないなんて、思う訳がない!
女の子がどんな場所にいようとも、どんな姿をしていても、それはその女の子の自由です。誰にもそれを制限する権利はありません。
誰かさんと一緒に居て、その誰かさんがどんな状態だとしても、それに気を遣う義務はありません。
それでも...それでも気を遣われてんだよ!男が、女の子に!
人の多い公な場に露出の少ない服装を身に着けてるとか、出来るだけ男と二人きりな環境にいないようにとか、無闇に男の体に触ったりとか、極力男と触れ合わないように距離を取ったりとか...色々と気を遣ってやっているのです。
その気遣いを怠ったら、『警戒心無さすぎ』と責められたり、『簡単にヤれる』と勘違いされたり、自分勝手な事ばかり考えて、女の子側で物事を考えた事がありますか?しようとしたことがありますか?
何で女の子が性別が違うだけで、男の為に必死で気を遣わなければならない!?
身体能力を決める一番の要素が『種族』であるこの世界でも、何で女の子が男に怯える日々を過ごさなければならない!?
不公平すぎませんか?理不尽すぎませんか?」
誰にでも優しく、しかし誰にも紳士的に接して、一緒に居て居心地が良いと感じる完璧な男性。それが、望様。
二人きりでも安心できる人。それが、望様。
だが、お酒を飲むと人格が変わり、女の子に積極的に攻めていく女たらしに堕ちる。己の欲望を理性で抑えられないプレイボーイに堕ちる。
...結局、俺の憧れた「望様」もどこにでもいるような、一人の男でしかない、という事か。
「失望しましたよ、望様。『信じています』という言葉を取り消させて頂きます。
酔うと自分を制御できないと知っている感じでしたから、『だったら飲むな』と言わせていただきます。」
俺のように、生涯お酒を飲まない誓いでも立てておけ!
「お酒のせいとか、都合のいい環境のせいとか、お互い薄着だとか...責任の押し付けをやめなさい。
見苦しい!」
「分かったような口を聞くな!」
「っ!」
初めて聞く望様の怒鳴り声。
口で「失望した」と言ったが、あの優しい望様が自分に怒りを見せた事、またもショックを受けた。
「何かのせいにしなきゃ生きていけない人間の気持ち、『お嬢様』の君に分かるものか!」
「っ、その言い訳...」
――努力しなくても、何でもできる天才に、凡人の気持ちが分からない――
とっくの昔に聞き飽きた八つ当たりの文句を、また聞く事になるとはなぁ。
「...自分の生まれを選べるのなら、俺だって選びてぇよ。」
苦虫を噛みつぶしたような気分を味わい、俺は呟いた。
凡人と自称するお前達と俺は、一体何が違うんだ?見た目から、俺と何の変りもないというのに、何でしつこく俺を「天才」と蔑む?
なぜ俺に簡単にできる事を、お前達は努力しても出来ないのか?どういう努力をしてきたんだ?それはどれだけ辛いものなんだ?
授業を聞き、知識を「創った」人の考えを理解すれば、自然と脳がそれを覚えてくれる。覚えた事を試験問題に正しく当て嵌めれば、満点取るのも当たり前になる。
それだけの事をどうして「無理だ」と言い張る?「理解できない」とは、一体どのような感覚なんだ?
...期待されない「凡人」に、生まれたかった。
「その減らず口を、塞ぐ必要があるよね?」
「ふぇ...っ!」
気がつくと、俺の唇と望様の唇がぴったりくっついていた。突然の出来事に、俺は驚くあまりに、頭が真っ白になっていた。
ようやく頭が再起動した時、まず「やめさせなきゃ」と思い、力いっぱいに望様を押し退けようとしたが、力が足りない上に、全身に力が入れず、されるがままだった。
押し倒された時から、この状況にならないように気を付けていたのに、ちょっとした油断で、唇を奪われてしまった。
舌までは入れてなかった。けど、男にキスされた事実は変わらない。
なのに、心の中で少しだけ、「嬉しい」と感じる自分がいる。
俺が男にキスされて、嬉しいと思うはずがない。なのに、嬉しいと感じたって事はつまり、今の俺の体、元の持ち主である守澄奈苗という女の子は、こうなるのをずっと前から望んでいたと。俺がこの体の制御権を得る前に、彼女は「望様とキスしたい」と望んでいたと、そういう事になる。
だけど、その「嬉しい」という感覚の中に、少し不自然な「悲しい」という感情が混ざっていた。
俺は男にキスされた事に怒り心頭なのに、この嬉しさと悲しさの二つの感情が、まるで体の外から俺の脳に侵入し、心をかき乱してくる。
涙が...俺の制御を振り切って、あふれ出てくる。
「...ななえちゃん。」
ようやく俺から離れて、少し酔いも冷めたのか、望様は申し訳なさそうな表情で俺を見つめる。
「私、こんな事をするつもりでは...」
言いかけて、彼は口を閉じた。今更言い訳をしたところで、した事実は消える訳じゃないって、分かってるからだろう。
既に自分の過ちに気づき、自分を責める人なら、俺はそんな人を許すべきだ。
けど、奈苗の気持ちを知った今、彼を許す訳にはいけなくなった。
「裏切った...」
「ななえちゃん?」
「貴様は奈苗の気持ちを裏切った!」
少しでも傷をつけようと、手に握っている小瓶を望様の顔に投げつけた。
だけど、力が全然足りず、小瓶は彼の顔に当たってはしたが、割る事なく落下し、彼の手の中に収まった。
「奈苗が貴様の事をどれだけ思っているのか、貴様は分かるか!?」
自分の胸に手を当てて、奈苗という女の子の思いを彼にぶつける。
「奈苗がどれだけ貴様に懐いているのか、どれだけ貴様を信頼しているのか、全く気づいてないとは言わせないぞ!
...貴様を慕っている気持ちも、少しばかりある事に、気づいているよな?
貴様はそれに気づいて、それでも奈苗の事を気遣って、敢えて付かず離れずにしている。その事が奈苗にバレてないと、少しも思っていないとは言わないよな?
何か事情があるだろうと思っていた。
力になりたいと思い、それを聞き出そうとしたが、貴様の口が堅く、教えてくれなかった。
辛かった。『何でも話せる』相手に成れなかった事に、とても悲しかった。
それでも、貴様がもし望むなら、いつでも貴様の力に成ろうと思って、しつこく聞かない事に決めた。
なのに、その直後に貴様が奈苗を裏切った。」
責めれば責める程、心の中の「悲しみ」が増していき、涙が止まらなく、どんどん溢れてくる。
けれど、俺は非難をやめない。
「貴様の体調を気遣った挙句、『襲われても仕方ない』と、奈苗の純情を裏切った。
奈苗の生まれに憤りを見せ、無理矢理に唇を奪い、終いには『こんな事をするつもりでは...』と謝罪しようとした。
貴様は分かっている!
結局最後の最後、きっと奈苗が貴様を許すのだろうと、貴様はそれを分かっている!
許せない...
だから、貴様らイケメンが嫌いだ!許せないんだ!
あの手この手で女の子達の心を繋ぎ留め、自分の思うがままに弄び、その娘達との将来を一切考えない、今だけの、彼女達の若さを楽しむ。
彼女達を食い物にし、自分だけ良い思いをして、最後は『他に好きな人が出来た』と頭を下げ、無責任に去る。
それが貴様らイケメンの最悪な部分!最も許せない点!
泣いてる女の子を見る度に思う、代わりにお前らイケメンを泣かしてやりたいと!
貴様らは世の中の悪だ!
罰せられない、法に引っ掛からない、見えない悪だ!
...お前だけは、違うんだと、信じそうになった。
貴様は...!」
その「瞬間」が突然にやってきた。
見えない力に引き摺られ、深い闇の底に墜ちるような感覚を味わい、体全体から、「自分」が消えていく。
そして、自分が気絶した事を知覚し、俺の意識も一緒に、失った。
......
...
.............................................
Special 守澄 奈苗
初めて望様と出会ったのは、私がもう十一歳の頃の事でした。
屋敷から出られず、小学校へ通えない私は、ずっと花立雲雀と早苗に勉強を教えてもらいました。
けど、私達の十歳誕生日の手前に、お父様とお母様が離婚し、お母様は雛枝だけを連れて、屋敷を出ました。
よく一緒に遊んでくれた幼馴染の男の子もその前にどこかに引っ越しして、ヒバリィもお父様の仕事の手伝いに屋敷を出て、そして早苗も「本格的にメイド業」の勉強の為に離れて...いつの間にか、私は一人になりました。
約一年、一人きりで勉強を続けました。
でも、一所懸命に勉強しました。私は「姉」ですから。
望様はヒバリィと早苗の代わりに入ってきました。千条院家の新当主になった事で、やむなく大学中退したが、成績は優秀。
その優秀さがお父様に買われて、私の家庭教師になりました。
最初は怯えていました。約一年、殆ど一人きりで生活していましたから、久しぶりに人と接する事に、怖がっていました。
でも、すぐに望様と打ち解けました。彼の優しい笑顔と細やかな気配りに助けられて、私は人と一緒に居る楽しさを思い出しました。
彼は私の事を「ななえちゃん」と呼び、私も彼の事を「望様」と呼ぶようになりました。
最初は「望お兄様」と呼びたかったが、彼には他にも沢山妹がいたので、その呼び方を遠慮して、私は仕方なく、彼を「望様」と呼ぶ事にしました。
ですが、私は心の中で、ずっと彼の事を「お兄様」と呼んで、慕ってきました。
私は「姉」です。
妹の雛枝とは双子だけど、先に生まれた私はやはり「お姉ちゃん」です。
ですから、私は雛枝の模範にならなければなりません。
天才の雛枝と違って、私は何一ついい所はありません。この命さえ、雛枝のお陰で繋ぎ止められた儚いものです。
ですが、私が「姉」です。何か一つ、雛枝より優れていなければなりません。
その末に見つけたのが勉学でした。
雛枝は小さい頃から何を教わっても、すぐに覚えられる賢さはあるものの、勉強自体を嫌う傾向がありました。
それに気づいた私はとにかく勉強をし続けました。まだ習う必要のない所も、知ったところで価値のない知識も、勉強できるもの全部を勉強しました。
雛枝に「自慢の姉様」と言われた時、努力が報われたと嬉しかったし、それからも雛枝にとって自慢できる姉で居続ける為に、更に勉学に励みました。
雛枝が傍に居なくなっても、私はそれでもなお、勉強し続けました。
けど、時々...ある思いを脳に浮かぶ。
もし、私が「妹」だったら...?
今更、雛枝の天才的頭脳や桁外れな魔力、柔軟な思考などを望みません。ただ、少しだけ雛枝より遅く生まれたら、雛枝の「妹」になっていたら、私はどうなるのでしょうか?
私が「妹」だったら、雛枝はきっと私の「自慢のお姉様」になっていたのでしょう。
実の両親に可愛がらなくても、雛枝は私のように、私の自慢な姉として、私を可愛がってくれたのでしょう。
体が弱くても、頑張って「姉」でいる必要もなくなり、少し我儘な子に育つかもしれない。
...全てがただの妄想、あり得ない願い。
私は体が弱くても、才能がなくても、「姉」です。どんな努力しても、変えようのない現実です。
私は...「お姉ちゃん」です。
......
...
「...望様。」
「目が覚めましたか、ななえちゃん?」
望様の膝枕の上に頭が乗せられていて、私は畳床の上に寝かせられていました。
服は...整えられていました。
望様がしてくれたのですかな?裸を見られたのですかな?
ちょっと...恥ずかしい。
「ご迷惑をお掛けして、すみませんでした。」
「いいえ、ななえちゃん。私こそすみません。
その、ななえちゃんの...っ。」
私の...そうでした!私の唇...!
...恥ずかしいです。
「望様、私は...っ!」
何かを言わなければと思い、口を開いたが、またキスされた時の事を思い出して、頭が真っ白になりました。
私、望様とキスを...恥ずかしいです!
なんだか、あの時の感触がまだ唇に残ってるような感覚で、無意識に手で口を触りました。
そして、手で自分の唇に触っている事に気づいた瞬間、体中に火が付いたように全身に熱が上がって、顔がすごく熱くなりました。
「お、落ち着いて、ななえちゃん!
あの事は私の落ち度です。ななえちゃんは何も悪くありません!
ななえちゃんはのぼせていましたよね?
なので、あの時は抵抗しようにも、うまくできなくて、それで...」
望様も私と一緒にあたふたしました。
しかし、そんな望様を見た私は更に恥ずかしくなり、現実逃避するように目を強く瞑りました。
「...ごめんなさい、ななえちゃん。
さっきのは本当に、すみませんでした。
お酒のせいとか、場所のせいとか、言い訳はしません。私はななえちゃんに許されない事をしました。
どんな罰でも受けます。明日にでも、警察に自白しに行きます。
ごめんなさい、ななえちゃん。ごめん、なさい。」
望様は本気で私に謝罪をしています。
私とキスした事に、本気で反省しています。
あの時の行動は、本当にお酒の勢いによるものだと、確かに感じ取れる謝罪の言葉でした。私を傷つけた事に、本当に申し訳ないと思っている言葉でした。
「望様...」
目を開けて、望様の顔を覗くと、彼は唇を強く噛んで、悔やんだ表情を浮かべていた。
本当の事をいうと、望様に強引に迫られた時、私は嫌がっていたが...少し嬉しいと、も、思っていました。
普段は子ども扱いされているのに、実は望様に求められていると思うと、恥ずかしい事に、少々ドキドキしました。
...あの時の私も、何を思ったのか、下着も着けずに浴衣一枚で望様と会い、彼のすぐ隣に座りました。
何であんなはしたない行動をしたのか、思い出すだけで、恥ずかしくて死にそうです。
望様を責められません。
今回の事、そもそも私が不謹慎すぎたのが原因です。望様は悪くありません。
ですから、私は彼を許さ...なければいけません。
許さなければ...いけません。
「あなたの全てを許します、望様。
あなたは私の大事な人です。ですから、私はどんな事でも、あなたを許します。」
「ななえちゃん...ごめん、なさい。」
私の許しを聞いても、彼はそれでも謝り続けました。
私の本心を知らずに、彼は謝罪を止めずに続けました。
そんな彼に、私もいつまでも、本音を隠し続ける事はできません。
「あのね、恥ずかしいんですけど、私はね...
私は、ずっと...ずっと昔から、望様を心の中で『お兄様』と呼んでいました。」
「私を、『兄』だと思って...?」
「はい。
姉のいる雛枝が羨ましくて、頼れる人が欲しくて...」
「そう、でしたか。ますます許されない事をしました、か。
ごめんなさい、ななえちゃん。私は本当に...」
「謝らないでください!」
「ななえちゃん...?」
「私が勝手に...望様の優しさに甘んじて、他人の望様を勝手に『お兄様』として、慕っていました。」
そう。
私は何の血の繋がりのない望様に甘えていました。
彼には本当の妹が三人もいるのに、四人目の妹になろうとしました。
「でもね、気づいてしまいました。」
さっきの望様の...無理矢理のキスで。
「私は、望様に対する感情が...その、『兄妹』のソレではない、と...」
望様から離れ、両手で畳の床を押して体を起こす。
そして、望様の正面に立ち、まっすぐに彼を見つめた。
「わ、私は...」
唇が震えて、うまく言葉が喋れない。
「私はっ!」
今から私のする事に何となく察したのか、望様も私と同じように立ち上がって、私の目を見つめ返してきた。
立っている彼が本当に高く...いいえ、私が低いだけですね。仰ぎ見ないと、顔が見えません。
というか、真面目に見つめ返されると、すごく恥ずかしいんですけど!
「望様、私は...!」
心臓の鼓動が激しい、体の外に跳び出る勢いです。
でも、言う、言います!嘘つかないと、さっき決めたんですもの!
「私は、す、すきっ...」
言葉が進むに連れ、涙が出そうになります。告白って、こんなにも辛いものなのですか?
「望様の事が、す、す...私はっ!」
全身が振るい始めました。呼吸も、段々し辛くなり、動悸のような症状まで現れるようになりました。
私は今まで...こんな気持ちで私に告白してきた人達を、残酷に振ってきたのですか?
私は、最低です。
「望様ぁ...」
ぁ...
頭の上に、温かい掌の感触...
「落ち着いて、ななえちゃん。
ゆっくり、深呼吸をして。」
「望、様...」
すーはー...
また、でした。
また、私は望様の優しさに甘えました。
こんな良いところ一つもない私に、彼はいつも甘やかしてくれます。
私が強がる時も、弱音を吐きそうになる時も、いつも彼が側にいて、私を助けてくれます。
一緒に居れば安心、二人きりでも安心。例えお喋りしなくても、静かに寄り添うだけでも、とても幸せな気持ちになります。
ようやく、彼とずっと触れ合えるくらいに、体が彼の魔力に馴染んだのです。
ようやく...
「望様。あなたの事が好きです。
私、守澄奈苗は、あなた、千条院望様の事が大好きです。
あなたの事を、一人の男性として好きです。大好きです。
私をあなたの、望様の恋人にしていただけませんか?」
全身の血が沸騰しそうなくらいに体が熱い、落ち着いた心臓がまた激しく跳ね始めました。
ようやく告白が終わったのに、後は返事を待つだけなのに、どうして体も心も落ち着いてくれませんの?
覚悟を決めています。なのに、その覚悟が台無しになるくらいに緊張して、目が開けられません。
そうです。
覚悟を決めています。
今から、私は...望様にフラれます。ずっと前から、彼の口から答えを聞いていましたから。
それでも、今告白すると決めました。フラれる前提での告白を、今すると、覚悟も決めてました。
なのに...!
「ごめんなさい。」
「ぁ...」
分かっていた返事なのに、聞いた瞬間に血の気が引いた。
さっきまで熱かった体が、今は凄く寒い。
「ななえちゃんの事が好きですが、私はななえちゃんの事、『妹』としか見ていなくて...」
「『妹』?望様も...?」
「それに、私は人を幸せにできない人間です。」
...え?
望様は今、何を言いました?
私の事を「妹としか」の後に、何を言いました?
「ずっと隠していたのですか。」
言いながら後頭部を搔き、望様は何かに対して逡巡する。
「日の国でも、三名門当主と国王陛下、そして君の『お父様』の五人しか知らない極秘事件ですが、賢い君には勘付かれているみたいです。」
彼も何かの覚悟を決めたのか、目を閉じ、一度深呼吸をした。
「私の家、千条院家の話です。
千条院家先代当主と先代当主夫人、つまり私と星ちゃん達の両親は...
...私のせいで死んだ。」
「えっ...?」
「私は『親殺し』です。私は『尊属殺人罪』を犯した罪人です。」
一瞬自分の耳を疑った私に、望様は透かさずに補足説明をしました。
だけど、あの優しい望様が「殺人」、しかも自分の両親を殺したんだなんて、信じられません。
「で、でもそんな話...!
千条院家は日の国三名門の一つ!
当主が殺されたなんて大事件が起きたら、日の国の大事になります!」
「隠されたのですよ。
実質上没落した千条院家だが、他の両家はその事実を未だに認めようとしません。
当主の死による家の没落を許してくれず、事実を隠蔽し、罪人だけど、成人した私を無理矢理当主の座に就けたのです。
星ちゃんが成人するまでの間、ですけどな。」
「そ、でしたか...」
法律に詳しくないが、両親を殺したという事なら、望様は恐らく死刑になるのでしょう。
だからなのですか?望様が星が自立するまで、誰ども付き合うつもりがないと私に教えたのです。
望様はそもそも「死ぬ予定」だったから、誰をも巻き込むつもりがないと、そういう覚悟で生きているのですか。
覚悟の重みが、違い過ぎました。
「私、何も知りませんでした。
知らずに望様に告白して、望様の負担を増やしました。
勝手な事をして、ごめんなさい!」
「ななえちゃんは何も悪くないよ。
寧ろ、私が何かを抱え込んでいる事に気づき、私の力になろうと、知ろうとしました。
頑なに言わなかった私の方が悪い。」
「でも...でも!なんとかなりませんか?
例えば『減刑』とか、『情状酌量』や『執行猶予』とか!」
「星ちゃんが成人したら、私の罪が暴かれます。
その為のシナリオも既に作られているのでしょう。真実を知っている他の四人が何のペナルティも背負わないシナリオを。」
「そ、それです!『隠蔽罪』です!
大体、お父様もその四人のうちに入っているではありませんか!
なんとか、それで望様を...」
「ななえちゃん!」
「っ!」
「そうならないようなシナリオが既に作成済みでしょう。
悪足掻きしたところで、ただの無駄骨で終わる事でしょう。」
「そんなの...」
望様は既に覚悟を決めています。私がこれ以上何を言っても、きっと彼を説得する事は出来ないのでしょう。
勇気を振り絞って告白したのに、フラれる覚悟をして告白したのに、「好き嫌い」以外の理由でフラれました。絶対に一緒に居られない理由でフラれました。
皮肉、ですね。
今まで散々、告白を断ってきた私に、望様に「好きだけど付き合えない」と断られました。
その「好き」も、女としてではなく、妹としての好きだと、完膚無きまでにフラれました。
これが失恋、というものですか。
痛い...辛い...どこかへ消えてしまいたい...
「の、望様。返事、ありがとうございました。」
望様の事情を知って、それでも「付き合ってください」なんて、言えません。
「私なんかに真摯に理由を答えてくれて、嬉しかったです。」
ちゃんと、彼の負担にならないように、この気持ちを諦めなきゃ...
「望様は全員分け隔てなく優しいのに、私、自分が特別だと勘違いをして...」
負担にならないようにしなきゃと思うのに、言葉が勝手に...
「望様に、そんな思い過去があるのを知らずに、私は...」
心の中で、誰かが叫んでる気がして、口にすべき言葉がうまく出て来なくて...
「話を聞いてくれて、ありがとうございました。
言わなくていい真実を教えてくれて、ありがとうございました。
お陰様で、私も素直にあきら、め...」
口が勝手に閉じて、涙が溢れだしました。
諦めなきゃいけないと知っているのに、諦めたくないという気持ちが心を叩き、続きを喋らせてくれません。
諦めたくない!そんな理由で告白を断られるのが嫌だ。
諦めたくない!そんな事情を持つ人を放っておくのが嫌だ。
諦めたくない!まだ頑張ってもいないのに、諦めるのが嫌だ。
いやだ!嫌だ厭だ否だいやだイやだ!
いや!絶対にいや!何としてもいや!
私は...俺はいやだ!
「いや、です。」
「ななえちゃん?」
「いやと言ったのです、望様!」
私は望様の顔を掴んで、強引に彼と目を合わせた。
「私は望様の事が好き!大好き!
例え望様は私の事が好きじゃなくても、私は望様の事が好き!」
「でも、私は...」
「欲しいのは何です?金、権力、女...私に何が足りないものがありますか?
金ならいっぱいあります!私は世界一お金持ちのお嬢様です!『転移魔法陣設置許可書』だって買えられます。
権力も、お父様に強請れば得られます!王様が自ら訪ねて来ても、立礼すらしない無礼者です!絶対、どんな権力も望様にあげられます!
女...私、結構モテてます!星と比べれば雲泥の差ですが、今まで五回も告白されました!全部断りました!望様が望めば、私はいつでも...!」
恥ずかしい...
自分が最低な事を言っていて、それに対して恥ずかしいと思っている。
自分の体を使って、望様相手に色仕掛けする自分も、恥ずかしいと思っている。
色仕掛けしている自分も、すっっっっっっごく恥ずかしい!
「待って、ななえちゃ...」
「私に何が足らないのです?教えてください!
足りないところがあれば、全部見つけて足します!
よくない部分があれば、ちゃんと直します!
ですから...」
「付き合えない理由はそこではないでしょう、ななえちゃん?落ち着いて。
私は罪人ですよ。いつか裁かれる人間なのですよ。」
「今まで事実を隠蔽した奴らも悪い!望様だけが罪人ではない!」
「でも、実際罪を犯したのが...」
「『犯人隠蔽罪』も立派な罪です!お父様を含めた他の四人も極悪な罪人です!
法廷で争う時、それを理由にして、『自白する事を強引に止められていた』とても言って、量刑を要求しましょう!」
「そうならないようなシナリオを...現に、私が罪を犯した時の『記録』が消されています。
無理なんですよ。」
「『証拠隠滅罪』も罪です!
他の時間の『記録』を消さずに、その時の『記録』だけ消したのなら、尚更こちらに理があります!」
「その程度の事では...
ななえちゃん、こんなの、ただの悪足掻きですよ。無駄なんですよ。」
「してよ、悪足掻き...!
私、こんな理由で告白を断られるの、いやです!」
「好きなんです、望様。大好きです。
お願いですから、私に頑張らせてください。」
望様の肩にしがみついて、私は無様に泣きながら懇願した。
諦めたくない!
何もせずに、ただ現実を受け入れるだけなんて、私はいやだ。
最後まで努力してもダメだったのなら、まだ「少なくとも、最後の一秒まで頑張った」と納得できるけど、何もしないで諦めるのは絶対にいやだ。
「そこまで私の事が好きか?」
「...好きです。」
「でしたら、その責任を取らなければ、ね?」
「え?」
責任?キスされた事の、か?
「あの、何の責任ですか、望様?」
「無理矢理キスした事と、好かれてしまった事への責任です。」
好かれてしまった責任?
そんな責任、耳にした事がないんだけど。
「八方美人な私ですが、あまり好かれないように誰ともある程度の距離を置いてきました。
しかし、どうやら付き合いの長いななえちゃんにだけは、少し油断をしていたようです。」
「え?
いや、でも、誰かに好かれる事なんて、自分の意志では...」
「ある程度のコントロールはできます。
例えば、クラスの生徒達と初対面の時、敢えて少し汚れた服で挨拶して、不潔だと感じさせる事とか、かなり効果的に距離を置かれます。」
「初日の出来事?」
記憶にないんだけど...
「入学前登校日の時、ななえちゃんはその日、病欠で休みでした。」
「あぁ、そういえば。」
中学卒業手前に、私は「盗撮犯」に襲われた事件があった。
そのせいで、早苗に登校日まで屋敷から出してもらえなくて、入学前登校日に欠席したんだ。
「後は話を聞くふりして、適当に相槌を打つとか。終わった後、『ごめん、話聞いてませんでした』と怒らせるとか。
嘘の『相談』をわざとうるさい環境でそれを聞いてあげたり、『話がある』と言ってきた相手に、延々に自分の話ばかりして、喋らせないようにしたり。色々な方法があります。」
「私、された事がない...のですか?」
「...してなかったかもしれません。
記憶喪失前のななえちゃんから、何かのアピールされた事がありませんでした。
記憶喪失後のななえちゃんは...逆にどこか私を警戒しているような雰囲気でした。
そのせいなのかもしれません。」
「ですが、私は望様が好きです。
まさか、そんな私にさっき望様が言ったような『嫌がらせ』をされるのですか?」
「安心して、ななえちゃん。私も好き好んで、『好かれない振舞い』をしたいと思っていません。
星ちゃん達もいるし、だらしない兄貴でいられません。
それに、『好かれた責任を取る』と言いました。
これからはななえちゃんの事を、『妹』ではなく、一人の『女性』として見て、『女性』として好きになります。」
嬉しい。
けど、『責任』で望様に好かれたくない。
そう思うのは、私の我儘でしょうか?
「望様は私の事、別に『女』として、好きではないのですよね?
でしたら、責任で私の事を...そもそも、『好かれた責任』なんて言われたら、他の女の人に好かれた時、望様は...」
「ななえちゃんだけです。」
「私、だけ?」
「ななえちゃん以外、誰にも好かれるようになる振舞いをしません。分け隔てなくみんなと接するが、決して好かれないようにします。
好かれたら、嫌われるようにします。
それが『責任』です。複数の相手に同時にできる行為ではありません。」
「望様ぁ♡」
何なのだ、これ?
私は「責任」で望様を縛りたくないのに、望様がどんどん私が喜ぶ言葉を言ってくる。
私が特別、望様の特別。
好かれないように振舞ってきた望様の、最初で最後の「好かれてしまった」相手。
今まで妹としてだが、これからは女性として、私の事を好きになる。
まだ全然好かれてなく、好感度ゼロから始まるのに、私の方がもう嬉しさで好感度が満タン状態で、望様から絶対に離れたくないと思ってしまっている。
誰にも渡したくない、私だけの望様。
「望様。私の恋人になってくれますか?」
「あぁ、私とななえちゃんは今から恋人です。」
「悪足掻きを、してくれますか?」
「ななえちゃんを幸せにする『責任』もできてしまったからな。
長生きする為、悪足掻きをしてみましょう。」
「~~~」
何を訊いても、私の望む返事が返ってくる。
もう、最高です!キザなセリフを吐かない望様も素敵!
「あ、あのね、望様。女の子の一つ、秘密を教えます。」
「ん、なに?」
「女の子って、結構スキンシップが好きっていうか、すぐ人肌が恋しくなる生き物です。」
「そうですか。
男とかなり違いますね。」
「ですから、その...抱きしめてください、強く!」
「抱きっ、え!?」
「望様が座って、私がその上に座る。そして、思い切りぎゅ~と、私が呼吸ができないくらい強い力で抱きしめてください。」
「...そんな事をされて、ホントに大丈夫?」
私の言葉に懐疑的な態度を示したが、望様は私の言う通りに体を落とし、胡座座りをした。
私は小躍りしながら、彼の膝の上に座り、両手を彼の首に回して、お姫様抱っこの体勢を取った。
「その、キス...のは、まだするのが恥ずかしいのですけど、手や肩とかの触れ合いは、その、結構平、気...です。
それと、今日一回だけ...一回、私を強く、抱きし、めてくだ、ください。
望様の、その...た、たい、体温を、全身で感じ、たい、です。」
何これ?めちゃめちゃ恥ずい!
望様と触れ合った途端に、舌がうまく回らなくなって、言葉がおかしくなってる。
私って、こんな恥ずかしがり屋さんだったっけ?
「えっと、力加減が分からないので、少しずつ、力を入れますね。」
そう言って、蚊に刺された程度の力で私の背中を押す望様。
「このくらいはどうですか?」
「全然足りません。」
死んだ魚のような空虚な目で望様を見つめる。
「なんですか、これ?私は砂で出来たお城ですか?」
「うわぁ...ななえちゃんの新しい一面を見つけたのに、あまり嬉しくない。
では、もうちょっと力を入れますね。むっ!」
「ぁ!」
一気に押す力が強くなってきた。
ちょっと体が痛いけど...
「もうちょっとだけ。
無理そうな時に、手で叩きますから。
もうちょっとだけ、両手で、私を強く抱きしめてください。」
「なる程、そういう事ですか。
何となくななえちゃんがされたい事が分かってきました。」
何か私自身ですらまだ分かってない事を理解したのか、望様は私の背中から手を退かして、その代わりに両腕を私の背中に回して、ぎゅ~と強く抱きしめてくれた。
「ぅ、ぁ、ぁ...」
声が出せない。空気も吸えない。
しかし、体全体で望様の温度を感じられて、何とも言えない幸福な気分に包まれている。
私、このまま死んでも、たぶん、とても幸せに死ねるでしょう。
望様に痛いくらいに抱きしめられて、辛いけど、同時にいたく大切にされている気分で、嬉しい涙が出そうだ。
「ぁ、ぁ!」
流石に酸素が欲しくなって、望様の体を叩いた。
それだけで、すぐに望様は力を緩めて、しかし私を放さずに目を見つめてきた。
「大丈夫でした?」
「はぁ、はぁ、はぁ...ぎ、ぎりぎり、はぁ、粘りました。はぁ...」
深呼吸を繰り返して、私は全身の力を抜いて、自分自身を望様に預けた。
「ごめん、力を入れ過ぎました。」
「ううん、謝らないで。
私自身が望んだ事ですし、望様は何も悪くありません。」
けど、こんな行為、絶対に人前ではできない!一瞬で終わるキスよりも時間が掛かるし、なんか...キスより恥ずかしいような気がする。
「あっ!」
「ん?何か気になる事...?」
「私達の事、卒業まで、誰にも言えませんね。」
「...あー、そうですね。教師と生徒の関係なので、世間体が悪いでしょう、なっ。」
「その上、あなたは自分の上司の娘に手を出したという...」
「それは耳の痛い話ですね。唇を強引に奪ってるし、『手を出した』というのも間違いではない。
あの人なら、『世間体』をあまり気にしなさそうだけど、ななえちゃんの事となれば...たぶん、私が消されます。」
「後、法廷での陪審員達の心証にも影響しそう。やはり、誰にもバレないようにしなきゃ。」
「ななえちゃんなら、あまり気にしなくても大丈夫では?
今までも学園内では...あくまで聞いた噂話だが、『女の子が好き』みたいなイメージが...」
「性的指向は至って正常です!」
「それと『悪戯好き』らしいから、男女関係なく悪戯するので、誰かと浮いた話が出ても、『あの守澄だよ』って終わるパターンが殆どです。
今日だって、『デートですね』って冗談を...」
「できなくなりました!」
「できなっ...」
「だって、今日...『本気』、知っちゃったんだもん。
もう冗談で誰かと、その...」
昔の自分が恥ずかしい。
何で昔の自分が簡単に男の子と素肌の部分で触れ合えたのか、分からない。
ハイタッチとか、手と手が何の衣服も隔たないままくっつけるとか、何でそんな恥ずかしい事を平気で出来ていたのでしょう?
「私、これから望様にしか触りません。あ、男の人の話ですよ!
女の子とは今まで通り...いや、女の子とも、節度のある触れ合いに気を付けます。」
「彼氏冥利に尽きますね。」
「うん。
でも、今までごめんね。私、望様の言う通り、ちょっとガードが緩すぎました。
これからはちゃんと気を付けます!」
「ななえちゃんはななえちゃんのままでいいですよ。
君の彼氏になったからって、彼氏面で君の行動を制限したくありません。」
「もーん♡」
悔しい。
望様はまだ全然私の事を好いてくれていないのに、私はもう彼の事が好きで、好きで、しょうがないくらいだ。
今の私に、何が彼に好かれるような事が出来るのかな?
分からない。私、望様の事を殆ど知らない。
好きな食べ物とか、よく着る服の色とか...
帰ったら、まずは未完成のハンカチの刺繍を終わらせて、望様にプレゼントしましょう。
次に、色んな料理を作って、望み様の好みの味を模索しましょう。お菓子は苦手だけど、炒め料理は得意なんですよ、実は。
それと、お父様の説得と、望様以外の三名門の当主達の調理法を...
......
あれ?
刺繍や料理など、私、習ったことがあったっけ?
今回のお話の裏に色々不可解なところがあると思うが、ネタバレにならない程度の説明をします。
1、温泉でのぼせ、体調不良な状態で、主人公の「俺」が望様に怒りを散らして、体が拒否反応を起こした。その末、「俺」の意識が強制的に退場させられて、気絶状態に陥った。代わりに、まだ脳の奥深くにある「奈苗」の意識が無理矢理引っ張り出されて、体の制御権を渡された。
2、諦めようとした「奈苗」に、主人公の「俺」がしつこく「諦めるな」と訴え続けた末、「俺」が「奈苗」の一部となって消えた。その影響によって、「奈苗」は気の弱いお淑やかな女の子から、自分に素直な我儘お嬢様に変わり、乗り気じゃない望様と無理矢理に恋人関係になった。
以上、ネタバレしてしまう前に、ここで終わる事にします。




