第六節 氷の国⑦...寒蛇連嶺、冷たい望様
温泉には、口数を少なくさせる魔力がある。暖かいお湯に浸かれているだけなのに、何もかもがどうでもよく感じてしまい、黙ってしまう。
前回の時、俺が間違って男湯に入ってから、都合悪く男子校生の団体が入った事で、出るに出られず、余儀なく隅っこに縮こまって隠れるになった。
加えて、男子校生達が「女湯を覗こう」と騒がしくしていた。
その上、あの温泉には「魔力アップ」とかいう効果があるらしく、俺はすぐにのぼせてしまって、楽しむ間もなく気を失った。
きっかけは自分にあるとはいえ、わざわざ温泉宿を選んだのに、温泉のある宿を選んだのに...!
しかし、今回は違った。
予定になかったし、この温泉施設内に望様以外の客もいないし、温泉自体にも「魔力」関係の効能はなかった。
露天の景色がいいのに、人気がない原因の一つかもしれないが、俺には優しい温泉だった。
幸せ...
...だけど、折角一緒に温泉に入っているのに、ただ無言で過ごすのも、なんだか勿体ない気もする。
「この露天風呂は確かに混浴ですが、何食わぬ顔で入って来ましたね。ね、望様?」
「んー、そうですね。気遣いが足りませんでした。
気を悪くしたら、出て行きましょうか?」
「別にいいよ。ここは混浴ですし、お互い水着を着ているし。
私個人の私情で、望様の自由を制限したくありません。」
俺だって、女性客のお風呂シーンを期待していたし、人の事を言えない。
「それに、望様を信じていますから。」
俺にとって一年程度の付き合いだったが、このイケメンは女性の誘惑をしれっとスルー出来る大人だと、何回も思い知らされた。
男はみんな狼。
俺も含めて、そうに違いないと思っていたが、そうじゃない男も意外と世の中にはいる。
据え膳が目の前にいると、絶対に手を出してしまう。イケメンなら特に機会に恵まれているから、絶対に許せないラッキー野郎だと決めつけていた。
でも、望様は違った。イケメンなのに、女性を大事にできる本物の紳士だ。
俺もそれを目指していたが、実際に誘惑されたら、それを抗える自信がない。
...一度もモテなかった悲惨な俺の過去は一旦置いておいて...
とにかく!彼は自制ができる「狼」じゃない男だ。
加えて、イケメンで紳士。女の子にとって、これ以上にない好条件な物件ではないだろうか?
「ななえちゃんはもう少し男に対する警戒心を持って置いた方がいい。
男と二人きりな状況は年頃の女の子にとって、非常に危険だと、ちゃんと覚えておいて。」
「この場においての当事者がそれを口にしますか。」
このように、逆に忠告をしてくれる。どこまで「紳士」なんだよ、こいつは。
「私ほど警戒心の強い人もそうそういないと思いますよ。
何せ、私は性別関係なく、知らない人に無闇に近づけません。体調を崩しかねないのですから。」
「にしても、今日はかなり無警戒でしたよ。」
「ファ、ファミレスに入る前の時の事は例外です!あの時...ちょっと動転してて...」
喰鮫組って聞こえて、冷静でいられなかったんだ。
「それ以外の時はちゃんと他人との距離を取っていました。」
「私といる時は...?」
「望様は他人ではないでしょう?
それに言ったでしょう?望様を信じています。」
襲われる危険はないし、「危険」から守ってくれるし。
安心をくれる存在だよ。
「信頼してくれて、ありがとうな、ななえちゃん。」
「礼を言われるほどの事でもないでしょう?」
そして、俺達二人は再び「ふぅ」と、しばし無言な時を過ごした。
「ななえちゃんは温泉に入る時、髪の毛を纏めないのですか?」
「髪?纏めないといけないのですか?」
「どうでしょう?
私は男だから、特に気にした事がないのですが、星ちゃんはいつも髪の毛をお団子にしてから、温泉に入ります。」
「家族風呂で?」
「うん。
日の国は『温泉大国』ですから、偶にあの子達を連れて、どこかの温泉に入ったりするので。」
そういえば、昔というか、前の世界でテレビの温泉紹介を見た時、女性アナウンサー達はみんな髪の毛を纏めていたな。
あの頃の俺は「タオルの下」ばかり気にしていて、髪型について何の興味もなかった。
今の俺は自分の長い髪の毛を温泉のお湯の上に浮かべているが、もしかして、いけない事なのかな?
「そういう法律か、暗黙のルールとか、あるのですか?」
「どうでしょう?
あるかもしれませんが、分かりません。
帰ったら、星ちゃんに聞いておきます。」
「うん。どうも、です。」
「纏めないのですか?」
「他の『お客様』もいないし、面倒ぃ。」
「意外とズボラな性格ですか?」
「かなりですよ、私は。重症です。」
高等部に入る時、一位の守澄奈苗が高校新入生代表に選ばれたのに、俺は彼女の「病弱」を言い訳にして、「新入生代表挨拶」を風峰ちゃんに丸投げしたくらいだ。
「こんな他愛のない話をするのは『時間の無駄』と、時々思った事もあるけど、やめられないのですね。
何故でしょう?」
「はて、何ででしょうか?
でも、そういう何でも話せる友達がいるのは良い事だと思います。そういう友人を大事にしてあげてください。」
「また先生モード...
望様は私の『何でも話せる友達』ですか?」
「うん。そうなれればいいとは、思っています。」
嘘。「何でも」は話せていないじゃん。
...俺も「何でも」を話せていない。
「...望様。
私ね、昨日はね、実は...お母様にフラれたのです。」
「......えぇえええ?」
俺の告白に余程驚いたのか、望様はすごい勢いで立ち上がった。
「ななえちゃん、今の...」
「......」
「本当、なのか?」
「.........うん。」
雛枝に気を使って、言わないように気を付けていたが、温泉の未知な魔力に頭をやられたようだ。
「親子の縁を切るって、言われました。
今日一日、極力考えないようにしてきました。」
蝶水さんの顔を見ただけで、「お母様が遣った護衛だ」と、怒りが抑えられない程に。
「でも、結局考えてしまいました。
例え家族でも、その愛は無償ではないじゃないかって、考えてしまいました。」
左手を掲げて、小指に嵌めてる指輪を望様に見せる。
「これ、お母様からのプレゼントです。
この指輪がなければ、私はどこにも行けなかったし、すぐに生命力切れで死んでしまいます。
神器と呼ばれた最高級の魔道具ですよ。私が唯一使える魔道具ですよ。しかも、二個目です。
こんなのをくれたのですから、『私はお母様に愛されている』って、勘違いしてしまっても、仕方なかったじゃありませんの。」
でも、お母様は俺と真逆な心情を抱いていた。
一度も屋敷に会いに来なかったのは、「実の娘を愛せなかった」事に気づきたくなくて、認めたくなかったからだ。
「この指輪の名前は『フェアウェル』、『お別れ』という意味らしい。
一個目の指輪よりもパワーアップしているのに、一個目の名前が『祝福の指輪』で、こちらが『最後の指輪』。
...皮肉ですね。」
俺の話を聞いた望様はしばし口を閉じた。
そして、俺の近くに座って、俺の頭の上に手を乗せた。
「そういう親も、世の中には沢山います。」
「...慰めですか?」
「いいえ、本当の事だよ。
親もまた一人の人間。自分の子を自分の分身だと思い込んで、自分の思いを...子に押し付ける。
ななえちゃんもまた、運悪く、そういう親に当たってしまった。それだけの事です。」
「ななえちゃんは悪くない」と、そっと俺の髪の毛を解す望様。
彼が今何を考えて、どんな表情をしているのだろうと、彼の方に顔を向けたら...
彼は空を見上げて、遠い目をしていた。
あぁ、やはり...
やっぱり、俺の思い違いではなかったと、この時に確信を得た。
「望様はお優しいのですね。私より余程辛い生活を強いられているのに、私の事を慰めてくれて。」
「...辛くないよ。今はとても幸せな生活をしています。」
「本当に?」
「本当ですよ。」
「ご両親が既に他界しているのに?」
「っ!?」
俺が今からする話は望様にとって、とてもデリケートな彼の家庭環境に関する話。彩ねーの時よりも危険な、親友の星にもできなかった、恐らく、とても重い話なのだろう。
ずかずかとそこに踏み込めば、瞬く間に彼を傷つけてしまうだろう。深入りしてはいけないんだと、今日一日で何度も思った。
だけど、どうしてだろう?
千条院家の話、星にも尋ねる事をしなかったのに、今は望様からそれを聞きたくて、仕方がない。
誰にだって人に言えない秘密があるのに、望様の家庭の話が知りたくて、仕方がない。
...「男」相手だと、俺はあんまり気を遣わない、性格の悪い奴のようだ。
「星から聞きました。ご両親が他界し、望様が一人で四人の弟妹達とご自分の生活費を稼いでいると。
聞いた瞬間、正直、衝撃的でした。星があまりにも平然とした表情で語っていたのが印象的で、今も覚えています。」
「...別に、大した話ではありません。
千条院家先代当主夫婦の死は周知の事実。
もう四年近くも経っているから、あの子もその事実を受け入れている。
それだけの事です。」
当主夫婦の「死」、か。
今日の望様、隙だらけだよ。
「四年、ですか。四年経てば、私もお母様の事を忘れられるのでしょうか?」
「無理に忘れようとしなくて大丈夫です。たぶん、何年経っても、辛い思い出を完全には忘れられません。
ただ、起こった事を事実として受け入れれば、『時間』がその辛さを薄めてくれます。」
「望様も辛かったのですか?」
「...えぇ、そうですよ。
私も、今もまだ辛いです。」
「私のように、ですか?」
「そうですね。なかなか、忘れられません。」
「そうですか。」
これ以上踏み込めば、もう後には戻れない。最悪、千条院家との縁が完全に切れるかもしれない。
でも、決めてた。もう、決めたんだ。
だから.........踏み込む!
「『母を失った私』のようにですか?
それとも、『母に捨てられた私』のように、ですか?」
「っ、ななえちゃん!?
...それは、どういう意味?」
「『そういう親、世の中には沢山います』、という意味です。」
「......」
俺の頭を撫でる手の動きが止まり、望様は愕然とした表情で俺を見る。
どうして、だろう?
俺の嫌な予感が、いっつも的中する。
「情報が揃えば、推理が出来る。理に適えば、予想が当たる。
本当は、当たって欲しくなかったのですが...」
俺は望様の方に顔を向けて、彼の目をまっすぐに見つめる。
「私は、望様の『何でも話せる友達』に成れますか?」
「ななえちゃん...」
望様が困った表情を見せたのち、顔を逸らし、露天風呂の崖側にある足湯を指さした。
「のぼせる前に、向こうで少し風に当たりませんか?」
そして、再びに俺に顔を向けた時、彼はいつもの笑顔を見せた。
「.........そうですね。
お互い、ちょっと頭を冷やしましょうか。」
俺も望様に笑みを見せ、彼の提案に乗る事にした。
デリケートな話なら、ずかずかと踏み込んではいけない。
一歩ずつ、ゆっくりに進まなければ...沼地を横切る時のように、焦らず、慎重に。
一歩でも間違えば、底なし沼に落ちて、二度と戻れなくなる。
......
...
地下深くに「炎の大蛇」が潜んでる日の国は様々な種類の温泉がある。その中の「足湯」は名前通りに「足が浸かる程度の高さの湯」だ。
しかし、風が非常に冷たい氷の国で「足だけ浸かる湯」の「足湯」は殆どないらしく、この温泉施設の足湯も、湯の下は上り下りの階段の床、いつでも全身が浸かれるような設計している。
「発想がバカじゃないの?」
素直に自分の感想を口にした。
この世の殆どの温泉が座れば「全身浴」、立てば膝元。長時間に温泉から出られないなら、風の当たる場所に「足湯」を作るなよ、って話だよ。
その対策に「階段の床」とか、アホじゃないのか?歩くの超めんどくせぇ!
「氷の国は私達の日の国と違って、殆ど天然温泉がありませんでしたから、私達にとって、確かに非合理的な発想に思えます。
でも、お客に外の景色を堪能してもらいたい気持ちを感じ取れます。きっと、全てのお客に合うように、こんな変わった設計にしたのでしょう。」
「ふーん。」
望様は優しいな~。貶すよりも、先に良い所を探す、イケメンの鑑だぜ。
でも、ふむ...まぁ、よく考えれば、この設計を「発想がバカ」だと切り捨てるのは簡単だが、些か偏見のある判断とも言える。
例えば、魔力上限の高い人向けだが、足湯に足だけを付けて、風の当たる体の周辺に「風除け」などの魔法を使えば、普通に足湯として堪能でき、かつ外の風景も観れる。
そうじゃない人達には手間が掛かるが、ちょくちょく深い部分に浸かって体を温め、その後にまた浅い所に戻って、風景を楽しむ。
「ですね。
自分にとって不便だからって、文句を言うのはよくありませんね。」
「ふふ、ななえちゃんは良い子ですね。」
「一々褒めないでくださいよ、望様。私を何歳児だと思ってます?」
中身も実際望様より年下だったし、体の方は10歳も年下だ。子ども扱いされるのも仕方がない。
「しかし、これが望様が私に見せたかった風景ですか。」
山にも見えるが、頂の見えない無限に広がっている氷の壁。
「あまり面白くない光景ですね。」
「身も蓋もないご指摘、痛み入ります。」
困った笑みを見せる望様。
面白くないと言った俺だが、実は目の前の光景に少し圧倒されている。
かなり遠くにあるその氷壁は雲の上を突っ切り、どこまで高いのか、登ってみたくなる。左右に広がってる連峰、どこまで広いのか、知りたくなる。
「あの巨大な氷山の名前は『寒蛇連嶺』、氷の国の象徴的自然名勝です。
非常に広いが、正円の一つの山です。」
「『寒蛇連嶺』...カッコいい名前ですね。
その向こうに何があるのです?その頂点は?」
「残念ながら、この氷山の奥も、頂点も、何があるのか、誰も見た事がありません。
あまりの寒さに、登山家達は頂点にたどり着く前に、温度を保つ魔力を使い切って、あえなく登山を断念する話、今でも時に聞きます。各国の国家規模のプロジェクトチームも含めて、ですよ。
「え、『国家規模』でも無理?
無理矢理ポーションを使いまくったら、いけるんじゃないの?」
「寒さを耐える為の魔力の消費速度が速すぎて、最高級ポーションの魔力回復速度も間に合わない程だそうです。」
そんなに、か。
魔力の消費がポーションの回復速度を上回るなんて、聞いた事がないし、想像もできない。
きっと、「厚着」ってどうにかできる寒さじゃないだろうな。絶対零度以下の寒さじゃない?
「望様、『絶対零度』は何度ですか?」
「え?えっと、約マイナス273度ですが、どうして?」
「魔法でも、その寒さを耐えられなかった、という事ですか?」
「なるほど、聞きたい事はそれですか。
確かに、その寒さを耐える程の魔法を使っても、魔力の消費速度がポーションの回復速度を上回る事はありません。なので、『寒蛇連嶺』の頂点に辿り着けるのではないかと、誰も思ってました。
けれど、『寒蛇連嶺』だけはその物理法則も通用しない。
無形物の炎が凍る想像はできますか?『寒蛇連嶺』の上の寒さはそれができてしまうのです。」
「ふへー...」
ファンタジーだ!
そうだ!ここはファンタジーの世界だ!
炎まで凍らせられるって、ありえねぇすぎるぞ!化学分解の時のみに目に見える形のない物まで、形のある物のように凍らせるなんて、あり得なさすぎる!
それができてしまうのが、この世界。異世界!
「光も凍らせられる?」
「不思議な事に、同じく熱を持つ光を凍らせる事ができないらしい。
が、登山家達に降り注ぐ光に温かさがなかったという、今も解明できない現象の一つです。」
「光から熱のみを奪う、異質な寒さ。」
たぶん、もう「寒さ」とかいう単純な話ではないのだろう。
「見た目は高い、大きい以外の特徴のない氷山なのに、fantastic。」
「え?ごめん、ななえちゃん。今、何を言いました?」
「あ~ぁ...」
そう言えば、正しい過ぎる発音だと、逆に意味を分かってもらえないんだったっけ。
「奇声です、望様。
頭おかしくなりそうな話を聞かされると、私は奇声を上げてしまいます。」
「くすっ、途方もない話でしたね。」
「でも、楽しいです、望様!もっと聞きたいです!
で、氷山の中は?氷山を突っ切るトンネルはあります?」
「こちらも似たような理由で、『誰も見た事がない』のです。」
「はい、聞きました!
それで、その理由は?」
興奮のあまり、少し前のめりになった俺。
その俺の額に手を添えて、ゆっくり押し戻す望様。
「ななえちゃん、男の人の前ですよ。
距離感と、その...今の自身の格好を思い出して。」
「あっ!」
そか、今は「巨乳美少女」プラス「水着姿」か。忘れてた。
「失礼しました。」
俺は元の体勢に戻して、すぐにさっきの質問を再開した。
「で、氷山の中に入れない理由は何?」
「ななえちゃんって...くふふ。」
何かおかしかったんだろうが、望様は少し驚いた表情を見せた後、くすっと笑う。
「『寒蛇連嶺』の内部も、奥へ行けば行くほど、寒さが増していく。
その上、周りの氷がまるで生きているかのように、溶かし続けないと凍っていき、通路を塞いでしまう。
現段階では約二千メートルまで入れたが、それ以上に入ろうとすると、人が通れるほどの穴をあける事が出来なくなっています。」
「え?高熱の炎でも無理?」
「熱だけではなく、その時は高エネルギーのレーザーを複数人で穴あけしても、あけた後にすぐ凍り付く。
あける速さが凍り付く速さより遅く、通路を保つ為の魔力消費も桁違い、一人でもミスすれば全員が氷山の中で凍死するという、非常に危険な試みだったそうです。」
「うわー...」
レーザー...あるんだ、この世界にも!
しかも、使っても進められないって、こっちもあり得なさすぎる話だな。
「それでは、誰も何故この氷山が出来上がったのかが分からないって事ですか?」
「山ができる理由は分かりますね?」
「まぁ、日の国出身者ですからね、私達。」
溶岩か、二つの大陸のぶつかりによって、だ。
「だからこそ、氷山が出来た理由が分からない...という訳じゃないけれど、この氷山の出来上がった理由が分かりません。
解明できない現象?」
「ななえちゃん、この氷山の名前を言ってみて。」
「ですね!私も気になってました。
寒蛇連嶺、炎の大蛇と対になる寒の大蛇の話ですね。」
「実際に目にした人は一人もいません。炎の大蛇も蛇の形をしているかどうかは分かりません。すべてが仮説、ただの憶測。まだ誰も真実を知りません。
それでも、それを『真実』として考えて、『炎の大蛇がいるのなら、その逆の寒の大蛇もいるんじゃないのか』と、またも憶測の域を超えない仮説が立てられました。
この氷山の中に、寒の大蛇が住んでいて、動かず、ずっと眠っている、と。」
「『炎の大蛇』と何もかもが真逆な『寒の大蛇』...ワクワクしますね!」
何世代にわたっても解明できない、この世界の人類にとっての永遠の謎。
何時か解明される事を願うが、俺が生きている間に、この謎が解ける事はないのだろう。
「神秘はいつもロマンチック。
生涯にこれらの謎が解ける事はないと分かっても、想像をめぐらずにいられません。」
「諦めが早いですよ、考古学部部長さん。『寒の大蛇』は『太古の遺骸』として扱われていますよ。」
「もうすぐ十五の小娘に過大な期待を寄せないでくださいよ、望様。
しかし...これで、部員がゼロになっても、『考古学部』が廃部にならなかった理由も分かりました。」
どう考えても人気が出そうにない部活なのに、廃部どころか、同好会落ちすらしていない。
その理由は間違いなく「身近にある」から、だ。
生活用品として普通に使われている「神の遺物」。各地に散乱に残っている「神の遺跡」。手が届かないにも拘らず、見れる、感じ取れる「神の遺骸」。
「私って、とんでもない部活に入っていますね。
しかも、部長...」
深い所に潜り、冷えた体を温める。
「楽しいですか、ななえちゃん?」
「楽しいです、望様。」
氷の壁の壮観さと、その謎の深さ。好奇心が疼き、ドキドキが止まらない。
幸せだ。
俺がずれてるかもしれないが、今はとても幸せだ。
...そろそろ、不幸せな話に戻すか。
「んで、望様。」
「ん?なーに?」
「話、逸らしましたね。」
「......」
「望様って、意外と秘密主義ですね。
でも、私はもう十分に、頭を冷やしました。そろそろ望様の話に戻したいのです。
教えてくれませんか?
望様と星の過去の話、ご家庭の話、教えて頂けませんか?」
声を掛けられた望様は言葉を発せず、静かに氷壁を見つめて、しばし時が経った。
そして、搾り取った言葉は...
「誤魔化されてくれませんか?」
無機質な声、不愛想な返事。いつもの望様なら、絶対にしない態度。
その後の望様は俺の返事を待たずにして、一足先に、露天風呂を出て行った。
......
...
これ以上踏み込めば、俺達の繋がりが終わるという、望様からの最終警告。
まさか、望様がここまで分厚い心の壁を作っていたとは、想像もしなかった。
正直、俺にも言わない事に、かなりのショックを受けている。
望様に「デートのお誘い」を冗談でしてくれる程に仲良くなっていたと、少し舞い上がっていた。
でも、一方通行の思いだった。
仲良しだと思っていたのは、俺だけだった。
昔の「俺」も、このような勘違いをした時期があったなぁ。
クラス全員と仲良しだと思っていたのは俺だけで、実はみんな、ただ俺に合わせていただけだった。
俺はそれに気づかず、みんなの引きずった笑顔を本当の笑顔だと信じ込んで、みんなを振り回していた。
親の都合で転校した後、ようやくみんなの本当の思いに気づけた。
...誰一人、俺に電話番号を教えてくれなかった...
...誰一人、俺と繋がる方法を伝えてくれなかった...
「ぷくぷく...」
口をお湯の中に沈め、空気の泡を吹きだす。
転校後に試行錯誤を重ね、他人の気持ちを優先して考えるようになった。
中学に入ってからは趣味の合う人とだけ、高校に入ってから気の合う人とだけ、そうやって、俺はようやく親友と呼べるような人と出会えた。
人間観察も得意になった。最初は仲良くしたが、「この人と合わないだろうな」と気づき、そして予想通りに喧嘩になった出来事もあった。
家出した妹を当日で捕まえた事もあった。その妹のストーカーを割り出して、証拠を突き付けてやめさせた事もあった。
だから、なのかな?
俺の嫌な予感はいつも的中するし、俺にそれを解決できる力もあると、思い上がっていた。
俺なら、みんなにとって「都合のいい人間」に成れると、思い込んでいた。
「そう都合よくならないのが、この世の中、だよな。」
誰かの助けになる事なんて、本当に難しい。求められなければ、事情を知る事も出来ない。
だから、それを相手の口から引き出す時も、慎重に慎重を重ねるようにした。
彩ねーの時も、紅葉先生の時も、その人の性格に合わせて、やり方を変えてきた。
だけど、今回は失敗した...いや、紅葉先生の時は俺だけの力ではできなかったから、今回も失敗した。
ショックだなぁ、本当に。
「望様の力になりたいのに...」
ただの小娘じゃ、成れないのだろうか?




