第六節 氷の国⑥...隠れ湯、マーナガルム、13番の使い方、「自分」
游艇に備え付けられた回転するドリルのお陰で、俺達は出口のある山を探す事なく、「地上」である氷の上に出る事が出来た。
その後、望様はどこかに念話して、マーナガルムという名のゾウほど大きい白い狼を呼んだ。
「でけぇ!キレイ!カッコいい!」
「この国の一般的乗用獣です。
人に慣れているので、触っても...」
「うは~!」
もふもふな毛皮を触れると、厚い手袋をしているにも拘らず、とても柔らかくて、とても暖かい感じがした。
犬?犬なのか?
いや!この凛々しい顔つき、群れで生活する生き物の癖に、孤高に感じる鋭い目つき、神秘的で、神聖さすら感じるバランスの取れた体形、絶対に狼だろう!
しかも、毛が真っ白い!灰色の混ざった普通の狼と違って、とっっってもキレイ!「神獣」って感じがする!
「...もう触ってるね。
初めての筈なのですが、怖くなかった?」
「はい...このまま食べられてもいいくらい、キレイじゃないんですか。」
鮮やかなバラを見つけて、その綺麗さに魅了されて、摘み取ろうと手を伸ばしたら、バラの棘に触れて、指が怪我をしてしまった。
そのくらいに、この巨大で、真っ白な狼が美しい。
「ななえちゃん、マーナガルムは完全に手懐ける事が不可能とされる危険な猛獣です。『食べられてもいい』とか、舐めて考えたら、本当に食べられてしまいますよ。」
「えっ、マジ?」
「野生のと出会った場合は『飛行魔法』を使ってても逃げる事が推奨されています。
訓練後のマーナガルムでも、傷をつけるような事をしたら、反撃してくる可能性があり、凶暴さに置いて一番危険な乗用獣と言えましょう。」
「そんなに危険なんだ。
...でも、こんなにキレイなのですから、傷なんて、つけたいと思わないよ。」
巨大な狼。
確かに怖いけれど、怖がるべきだと思うのけれど...こんな神々しい獣を目にしたら、恐怖より先に心が奪われて、見惚れてしまい、呆けてしまうでしょう?
「やれやれ...ななえちゃんを一人にしてはいけませんね。」
そう言って、望様はマーナガルムの毛皮を掴んで一跳び、その背中に乗った。
「おおー!望様が狼に乗ってる!すっっっごくカッコいいぃぃ!」
氷面の上に立つ真っ白い巨大な狼、その背中に乗っている黒い服を着た金髪のイケメン!絵か写真かに残したい!
「さ、ななえちゃんもどうぞ。」
自然に俺に手を差し伸べる望様、この姿も絵に残したい。
「幻想的な光景に、涙が出そうです、望様。」
呆けるのをやめて、俺は望様の手を掴んだ。
そしたら、急に空を飛んだような感覚の後、俺も白い狼の背中に乗れた。
「マーナガルムの爪は分厚い硬い氷面に爪痕を残せるほど鋭い為、氷の上を走るのに最適だが、それでも危険はつきもの。
落されないように、しっかり私に掴まえてくれよ。」
「はーい。」
もうくっついても体に影響がないと分かっているので、俺は遠慮なく望様の腰に手を回して、ぎゅうと強い力で抱きついた。
「では、行くよ。」
そう言った望様はマーナガルムの首辺りに軽く叩いたら、それが合図だったのか、マーナガルムが走り出した。
「馬に乗ってる時の『ハイヤー!』とか言わないのですね。」
「馬ではありませんから。
強く叩いて『ハイヤー』とか言ったら、マーナガルムが反撃してくるかもしれないから。
グリフォンに乗ってる時も、『ハイヤー』とかを言わないでしょう?」
「言われてみれば。」
グリフォンに何回も乗った事があるが、「ハイヤー!」の掛け声を聞いた事がなかった。
いつも他の人がグリフォンを操縦しているので、特に気にしなかったが...確かグリフォンの操縦方法って、両耳の間を撫でる、だったっけ?
「グリフォンと言えば、何故私達は今回、『グリフォン』を使わなかったの?
この国に一匹も生息していないのですか?」
「それも理由の一つですが、一番の理由はやはり、上空の寒風です。
速度を出したら、瞬く間に凍えるらしい。」
「え、そうなのです?
この前、雛枝が空中でヘリコプターと共に飛び回ってましたよ。」
「...ななえちゃんの妹ちゃん、色々と規格外ですね。」
確かに。
「その時、恐らく別の魔法も使っているのでしょう。体の周辺に保温できる壁を作ったとか、体温を上げる魔法を掛けていたとか。」
「そんな魔法もあるのですね。」
「この国に生活している人達にとって、特に重要ですから。」
魔法が使えない俺はもう服の重さで潰れそうだったから、確かに何かの温度を調節できる魔法は重要だな。
「今の望様が薄着しているのにも関係ありましたか?」
俺が三重の冬服セットを着込んでいるのに、望様は朝と同じ服だった。
それでも俺は寒いと感じているのに、望様が平気そうにしている。なら、その理由は魔法だろうと、簡単に推測できる。
「いいえ、体質です。
このくらいの寒さなら、まだ平気です。」
...外した。
簡単に推測できる。とか、自惚れてた。
......
ちょっと、八つ当たり...いや、悪戯したくなった。
「望様は本当に平気?♡」
そう言いながら、俺は体をグネグネして、わざと胸を望様の背中に擦る。
「...えぇ、大丈夫です。
実はななえちゃんを後ろに乗せたのも、向かい風がななえちゃんに当たらないようにする為ですよ。」
「えっ、あっ...」
そっか。
そういえば初めてバイクに乗った時、向かい風が結構寒かったな。
魔法を使わなかったのも、もしかして、俺のせい?
知らぬうちに、気を使われてた。
「ぅぅ...」
さり気なく優しさを振り撒き、しかもそれを自慢しない望様を、俺は弄ろうとした。
彼を揶揄おうとした自分が恥ずかしい。
「きゃっ!」
マーナガルムがハイジャンプした。
どうやら目の前の氷の塊という障害物を避ける為のハイジャンプのようだが、今のジャンプ、十メートルを超えてない?目測なので、適当な高さを脳に浮かんだだけ。
しかも着地時の衝撃が殆ど感じられなかった、速度も落とさずに走り続けていた。
その走りをよく見たら、障害物だらけの氷原で、すべての障害物を避けながら走っている事に気づいた。背中に乗ってる俺がそれに全く気づけないほどの安定した走りだった。
障害物のない空を飛ぶグリフォンに乗っている時でも、乗り心地はここまでよくはなかった。改めでマーナガルムの凄さに驚嘆した。
「この白い狼は凄いですね。
最大跳躍力はどのくらいですか?」
「獣の中ではそれなりに高く跳べる方ですね。
垂直跳びさせた時に最高記録は23メートル、くらいかな?跳び下り時はその倍近く平気そうです。」
「そんなに!?」
「『高跳び』の種族特性を持つ人間とは比べ物にならないが、素の跳躍力なら獣の中で、五本指に入るかもしれません。」
「へ~。」
種族特性の「高跳び」を持つ人間に劣るのか。
知り合いの中でこの特性を持っている高村桃子は二十メートルの高さを一ジャンプで超えられるが、実際はその倍以上に跳べるって事か?人間とその他の動物とのバランスが悪くない?
「あのね、望様。私、一年近く前に、とあるラビット族の人に抱えられて、約二十メートルの高い建物の上から跳び下りた事があるけれど...」
「え?大丈夫でした?」
「あっ、何となくわかりました?はい、大丈夫じゃありませんでしたの。」
内臓が潰れて、死に掛けてたっけ?
「それで、思ったのですよ。今のこの狼さんのハイジャンプに、特に辛くなかったのは何故なんだろうね?着地の時、どうして平気だったのでしょうね?って。」
「一つは、跳び方と着地の仕方です。
この生物が生きにくい氷の国で生き残る為、マーナガルムは体力を多く消費する跳躍を好まない獣です。
しかし、獲物を追いかける時や、走れない氷原の裂け目を通る時など、跳躍をしなければならない場合もあり、それ故に、マーナガルムは高く跳ぶより、遠く跳ぶ方が好み、それに合わせた跳び方と着地の仕方を身に付けています。
二つは、今の私達が乗っているのは訓練されたマーナガルムだからです。
全ての人が怪我せず乗れるように、訓練によって、跳躍高さと走り最高速度に制限が掛けられています。
背中の乗り心地良さも重要視されていて、安定した走り方や、敢えて背中の方に脂肪多め、筋肉少なめの食事調整もされています。」
「...調教師、すごっ!」
野生のマーナガルムの生態も少し知れたが、その後のマーナガルムの調教について、完全に俺の知らない世界の話だ。
マジかよ!「動き」だけじゃなく、「身体構造」まで考慮して調教してるのかよ。
この世界に「動物保護団体」とかいる?その人達に「虐待だ!」とケチ付けられなかったの?
それにしても...
「望様の知識量も大したものですね。『魔理』だけでなく、『生物』まで詳しいのですね。」
「ななえちゃんの今通っている一研で教師を務める為に、必死に努力してきました。」
「そんなに?
あっ、『最難関の学園』でしたね。」
お父様が「学生を選ぶ学園」と自慢していた事を思い出した。
あの時、天才王女ちゃんの話にばかり耳を傾けてて、学園の話には気にも掛けなかった。
「そっか~。望様が必死に努力して、そこの教師になったのですか。
やはり、星の為?」
「...あの子が学費免除で一研に入れた事に、私も驚きましたよ。彼女の成績を見た限り、『中学生で留年』の覚悟もしたくらいです。
そうならなくてよかった。」
「それ程までに酷いのか。」
中学生が留年って...義務教育で、それはありえなくない?
「私も含めて、うちの血筋はどうしてたが、勉学が特に苦手みたい。
もうすぐ小学校に入る輝も、その後の愛も芽も、今から心配で、仕方がないのですよ。」
「あはは、苦労していますね、望様は。」
「お兄ちゃんだもん」と駄々をこねる輝ちゃんはそれなりに大丈夫だと思ったけど、家族の目線では「心配の種」の一つのようだ。
「あれ?『私も含めて』?望様は博識ではありませんか。
それこそ、一研で教鞭を執れる程の...」
「...必死だったのです。」
「必死...」
星の為ではないのなら、何の為の「必死」だろう?
守澄財閥が開いた私立学園だから、教職の給料がおいしいのは知ってるが、必死になる程の理由としては弱い気がする。
望様のルックスだったら、アイドルのないこの世界だが、モデルなら引く手あまたじゃない?
「望様、一研で教師になった理由は何ですか?」
「...あれ?ななえちゃんは私が担任で、嫌でした?」
「そ、そうじゃない!」
ただの雑談の話題として出しただけで、望様に教師を辞めてほしいと思っていない。
「ち、違います、望様!私は単純に、望様がうちの学園で教職を務めた経緯が知りたいだけです。
単なる好奇心、他意はありません。」
「そうですか?
くすっ、何か特別な理由がある訳ではありませんよ。高収入の仕事に就けるチャンスがあって、それを掴んだだけです。」
「そう、ですよね。」
至極当たり前の話です。
星だって、学費免除の理由でうちの学園に入ったし、千条院家は両親がいない上に、星を含めて、未成年児が四人もいる。
昔の三名門の一つである千条院家は、今は生計に苦労している。当主である望様が働きに出るくらいに苦しんでいる。
...だけど、星は入学当初、まだ下手な猫かぶりをしていた頃、俺がカメレオン族という理由だけで敵意を見せていた。「カメレオンが開いた学園」に入学したのに、カメレオンにだけ敵意を見せた。
何故敵意を向けられたのかは分からないが、それでも、「学費免除」という理由で入学した。それ程にお金に困っている。
もし、千条院家が生計に苦労していなければ、星もうちの学園に入学しなかったかもしれない。と、時々に思う事がある。
「望様なら...」
「......」
「...他の仕事も、簡単に見つけられるのではないのかって、急に思って。」
「...ななえちゃん?」
「ま、大した話でもありませんし、別の話でもしましょう!」
何となく、「星の大怪我」の話をした時のような嫌な予感がしたので、俺は話題を変えた。
他人の家の話は無闇に聞き出していいものではない。仲が良くても、踏み込んではいけないゾーンがある。
幸い、望様相手だと、話題を用意しなくても、尽きる事はないっぽい。
望様の家庭以外に関して、どんな話を振っても乗ってくれるし、知識量も他国の獣の生態についてまで知ってるという、予想以上に多くて、何の質問をしても答えてくれそう。
自分からも話題を振ってくれるし、今の俺が「女の子」だからか、エロい話題を振って来ない・乗って来ないという紳士的な振る舞いをする。エロ話を好まない俺にとって最高の男友達だ。
気が楽で、一緒にいるのが居心地がいい。
......
...
「無人経営...」
山の中腹まで乗せてくれたマーナガルムに感謝感激。だが、着いた温泉施設がまさかの「無人経営施設」だった。
この世界の日帰り温泉施設って、無人経営が可能な建物だったのか。
「十二時と零時に『清潔魔法』が自動発動のようですが、平気?」
「まぁ、『清潔魔法』なら、それなりに。」
魔法に耐性を付けられないが、「清潔魔法」のような少量の魔力で発動できるタイプには、直接掛けられていなければ、ある程度に耐えられる。
うちのメイド達もよく「清潔魔法」でサボるし、掛けた直後の場所に入っても、魔法の余波の所為で吐き気を催す程度だし...たぶん、大丈夫。入ってみないと分からない。
それより...
「無人経営って、危なくないのです?」
「セキュリティ面の話なら、経営側の責任です。
しかし、身の安全の話なら、確かに問題ですね。
裸になる場所ですから、『記録』ができない処置を施されているに違いありません。それを考えると、窃盗などの犯行が起きた場合、調査もいつも以上に難しいのでしょう。」
探偵の仕事がこの世界で稼げない一番の理由は「記録」という世界範囲な大魔法の所為だが、それが通用しない場所、という事か。
ただ、俺が問題視しているのはそれではなく、「無人経営」という単語について、だ。
...なんか、今からラブホにでも入るような感覚だ。
「入って、大丈夫?」
「心配なら、やめておきましょうか、ななえちゃん。
私も、まさか『無人経営』だとは想像していませんでした。
別の所に行きましょう。」
「むー...」
看板の説明によると、露天の方は混浴だが、水着着用必須。それ以外は他の温泉施設とほぼ同じ、内湯はきちんと男女に分けている。
そして、さすが隠れ湯というべきか、出入り口から中を覗いだ程度だが、人ひとりも見当たらない。人の無さが俺の予想を超えている。
人の多い場所が苦手な体質を持つ俺にとって、都合のいい温泉施設だとも言える。
ただ、なぁ...無人経営、なぁ...
「望様はどう思います?」
「ななえちゃんに見せたい風景があったから、この場所を見つけたけど、別にここ以外の場所でも見れる風景ですから、ななえちゃんにお任せします。」
「むぅー...」
という事は、望様の中ではこの場所、遊び場候補の中からピックアップできる程のいい場所なのだろう。ぜひ、堪能してみたい。
それに、「無人経営」という単語だけで、ちょっといかがわしく感じるのは、むしろ俺の自意識過剰のような気もする。
「よし、入りましょう。」
「いいのか、ななえちゃん?」
「望様が見せたい『風景』も観てみたいし、折角来たのですから、気にし過ぎず、楽しみましょう。」
「ななえちゃんに警戒心があるのかないのか、時々分からないのですね。」
......
...
まだ「記録」が働いてるフロントで自動支払いを済ませて、俺は望様と別れて、一人で「女湯」ののれんを潜った。
驚く事に、フロントから更衣室まで、客の一人とも出会わなかった。
今は夏休みだよな?
社会人はともかく、学生もいないの?
この店、大丈夫?
とまっ、そんなの、俺の知ったこっちゃないしなぁ。
服と下着を脱いで、適当にバックの中に入れた。後でメイド達が適当に片付けてくれるだろう。
ここで軽く俺の「ナナエ百八(予定)の秘密道具」の13番である「戦場用貯蔵箱」について説明する。
このレディーズバックはアイテムを種類毎に番号を振って、設定した保管場所にそのアイテムを保管する。取り出す時、バックの上にある番号を三桁で入力して、その番号に設定したアイテムを取り出す事が可能だ。
例えば「001」と入力すれば、1番に設定されたポーションが出てくる。「004」と入力すれば、4番に設定された前に望様がプレゼントしてくれた「ひよこのぬいぐるみ」が出てくる。
設定情報が詳細であればある程、出てくるものも限定される。「ひよこのぬいぐるみ」のような特定なアイテムなら、ピンポイントで出るようになる。
その反対に、設定情報が曖昧だった場合、その番号に設定された種類のアイテムがランダムに出るようになる。もちろん、設定した保管場所にその類なアイテムがなければ出てこない。
例を挙げると、俺は16番から19番までに「普段着冬以外セット」、「外出用着冬以外セット」、「普段着冬セット」、「外出用着冬セット」と設定している。番号を入力すると、それにフィットした服がセットで出てくる。チョイスはメイド達のセンスに任せている。
ランダムに出る為、何が出て来るかは分からないが、一応気に入らなければ、番号を再入力して別のに変えればいい。
朝の時の白い色で統一した「外出用着冬セット」も、一回目で取り出せた。偶に主人の俺に悪戯してくるが、うちのメイド達の服に関するセンスは信頼できる。
帰ったら何かご褒美をあげよう。
...と、さっきまでに俺はそう思っていた。
偶に悪戯してくるせいで、23番と24番に「過激な水着」、「普通の水着」と逆の設定をしてしまった。しかも、24番である「普通の水着」でも、かなり過激なヤツが入っていた。
どうやら23番「過激な水着」は俺が思う「過激」の上限ラインを超えているようで、超えていないものの、それなりに「過激」な水着が「普通の水着」に多量に入っていた。
「ふざけんな!」と心の中で叫びながら、俺は意固地になって、番号を「024」のままで、何セットの水着を乱暴に取り出してから、ようやくそれなりに布の面積の大きいビキニを取り出せた。へそまでいかないが、なんとか胸全体を隠せるビキニだった。
名前は確か...タンキニビキニ?だったな。守澄メイド隊、一体何を考えて、俺の水着を選んで買ってくれたのだろう。
まぁ、屋敷を出る前にチェックしなかった俺にも責任があるけど...今は一先ず、「水着を用意したのが無駄じゃなかった!」と喜ぼう。
はぁ...同じ女の子なのに、何で敢えて大胆な水着を多めに用意したのだろう?
女の子の気持ち、今一分からん。
......
...
客、一人もいなかった。
体を洗って、水着を着替えて、露天風呂まで出たが、女性客一人もいなかった。
これは、なにか?俺、心が男だから、「素肌が見れる公共施設で、女性と出会う事ができない」呪いでも掛けられたのか?
前回の温泉旅館といい、今回の温泉施設といい。何で俺は「女性」と会えないんだ?しかも、知り合いでも、他人でも、どっちとも出会えない!
前回は俺自身のマヌケによっての結果だからしょうがないが、今回はちゃんと「女湯」ののれんを捲ったぞ!何で今回は偶然にも、女性客一人もいないんだ!?
......
はぁ...
「いないもんはいない...」
体の肩まで湯船に沈め、何故かまだ来ていない望様を待つ。
十二時間毎に一回「清潔魔法」が発動、か。
幸いな事に、昼過ぎてから結構時間が経ったのか、気分が悪くなることはなかった。
女性客との出会いがない事を喚くより、この施設に入れた事にだけでも、俺は感謝すべきなのだろう。
「極楽、極楽、と。」
誰もいない露天風呂で、一人寂しく呟く俺であった。
そういえば、昨日からちょっと思った事があった。
俺の今のこの体、「守澄奈苗」という名前を持つこの体。
今までも、今も、ずっと俺がコントロールしているこの体、その元の持ち主の魂はどこに行ったのだろう?
最初に目覚めた時、自分が男なのか、女なのか、子供なのか、大人なのか、何もかも分からない状態だった。
初めて鏡を見て、自分を「幼い女の子」と思い込んで、そのように振舞っていた時期もあった。
しかし、自分自身の事を思い出してから、その前の自分の振舞いがすべて、自分の中の女の子へのイメージに則った行動だと気づいた。
気づいて、自分はやはり「男」だと、再認識した。
だが、昨日の晩の経験で、それについて再び疑問を抱き始めた。
一時期とはいえ、体のコントロールが完全に俺の手から離れて、暫く俺はこの体をほぼ動かせなかった。
お母様に縁を切られて、子供らしく泣き喚く「守澄奈苗」。その間、俺は何もできなかった。
涙を拭く事も、「お母様」と呼び続ける口を閉じる事も、何もできなかった。
泣き声を抑える事ができた。しかし、果たしてそれは俺の意思によるものなのか、はっきりと分からなかった。
ようやく自分の意思で動けるようになって、ベッドに潜って寝ようとしたら、奈苗がまた泣き出して、ちゃんとした睡眠がとれなかった。
以上の事を考えてから、今までも似たような事が何度もあったのを気が付いた。
昨日ほどではなかったが、会う人に合わせて態度を変える事があった。
特に親しい人では、言葉遣いすら自然に変えられた。特に望様に対して、違和感なく「望様」と呼び、なんか「お嬢言葉」っぽい言葉遣いを当たり前のように使っていた。
これは「カメレオン族」の種族特性の一つだと、お父様から学んでる。
それでも、望様に対して、度が過ぎていると思う。
それ以外にも、雛枝を「雛枝」と呼び、お父様もお母様も「お」と「様」を付けて呼んでいる。
記憶にない乳母の雲雀ちゃんを「ヒバリィ」と、誰からにも教えられてもないのに、子供の頃の呼び名で呼んだ。
まだ学んでない知識を試験中に急に思い出して、「学年一位」の成績まで取れた。
お母様と一緒にいた夜、頭で近寄ろうと考えていたのに、体が無意識にお母様を避けていた。
魂がなくても、記憶があれば、体はその記憶に従った行動をする。と、紅葉先生に教えられた。
だから、以上の自分ではできない筈の行動ができたのは、守澄奈苗に刻み付けられた記憶によるものだと、そう思った。
昨日の行動も一応それで説明が可能だが、どうも俺はそんな脳天気で居られない人間のようで、別の可能性を考えてしまう。
その可能性は...
もしかして、この体の中には、まだ「守澄奈苗」という女の子の魂が残っているのではないか。
残ってて、しかし俺に体の制御権を譲っている。
そして、その気になれば、いつでも俺から体の制御権を奪い返す事ができるんじゃないのか。
......
正直、俺にとっては、これはかなり恐ろしい仮説だ。
今は俺の体になってるけど、いつでも俺の体じゃなくなるかもしれない。
そうなると、俺はどうなる?この体を自分の物だと、奪い返すのか?
それが出来たら、昨日の夜、そもそも長い時間泣き続ける事にはならなかった。
体の制御権を奪われたら、自分からは決してそれを取り戻せない。奈苗という女の子の魂の気分次第で、俺は一瞬で「ただの傍観者」に格下げられる。
...とんだピエロだな。
だけど、ならばなぜ、今まで俺に体の制御権を預けたままなのだろう?
男の俺に、自分の体を好き放題されて、彼女は平気なのか?
今はもう完全に慣れていたが、俺が自分自身を思い出した初期の頃、ほぼ毎日のように彼女の裸を鏡で見ていた。
ぶっちゃけ、胸もほぼ毎日、揉んでいた。スケベ野郎だよ、俺は。
流石に...とある場所は...清潔する為以外、しつこく触った事がない。が、俺は男だから、触ってもおかしくなかった。
なのに、そういう時は一度も、体の制御権が彼女に奪え返されたことがなかった。何の反応もなかった。
嫌な気分にもならなかったし、恥じらいも...いや、あった。が、たぶん男の俺の恥じらいだ、彼女が恥ずかしいと感じていないのだろう。
何となく、彼女の気持ちを俺も感じ取る事ができる。それもまた、彼女の魂がまだこの体の中に残っているという仮説に信憑性を与える理由の一つに数えられる。
何せ昨日の夜、泣いている奈苗と俺の気持ちが完全に二つに分かれていたからだ。
彼女は恐らく現実を認めたくないと思っていた。俺は彼女を慰めたいと思っていた。
親子の縁を切ると言われた彼女は恐らく悲しんでいたが、俺は怒っていた。
感情が二つに分かれて、そして体が彼女の感情に従った。
守澄奈苗は何故、俺に体の制御権を預けているんだ?
それとも、本当にただの「体の記憶」なのか?
「みんなに自分が『異世界から来た人』だと気づいて欲しかったが...」
...自分が本当に自分であると、言える自信がない。
「ななえちゃん、います?」
「あ、望様!」
待ちに待った、パンツ一丁の望様だ。
...ボックスタイプか。長さが膝まで半々、露出し過ぎない水着だ。
男性ビキニ型水着じゃない点について、女性への気遣い、特に少女への気遣いがちゃんとできているという事で、良い評価してやろう。
「他に男性客はいなかったのですか?」
「いませんでした。
って事は、ななえちゃんの方も?」
「だーれ一人もいません。この施設の運営が心配になるくらいですね。」
「殆どお客がいないから、『清潔魔法』も一日二回に留まっている...いいえ、なっている、の方かもしれません。」
「あまり汚れないから?」
「そうです。
来る人が少ないから、汚れる事も少なく、最低限の清掃しか行わない、『無人経営』に変えた、と考えられます。
交通が不便も問題ですね。氷の国に住む人達にとって、気安く来れる場所ではないのでしょう。」
「そうですね。」
他愛のない話をしながら、望様は俺の近くに座った。
そして、俺と一緒にしばし無言に、露天風呂を楽しんだ。
「二人きりですね、望様。」
「そうですね。」
「......」
「......」
「「ふぅ...」」
極楽...極楽...




