第五節 星見山見物④...致命傷
憎達磨が去ったすぐ、俺はボロボロに負けた望様の側に駆け寄った。何度も憎達磨の巨大な手で叩かれたその顔が醜く歪められて、血塗れで見るに堪えない程だった。
中途半端なところで途切れたが、モテない人生を持つ俺も昔は「イケメンを殴ろう!」と半分冗談でイケメンな親友とじゃれ合った事があった。けど、実際「殴られたイケメン」を目にすると、「ざまーみろ」と思うより、心が鷲掴みされたように痛く、殴った人への怒りが積るばかりだ。
「望様...」
その顔に手を伸ばし、しかし触ったら傷に響くからと思って途中で止めたが、何故か引っ込む事も出来ないでいた。
何をしようとしているんだ、俺は?なぜ今、その傷だらけな顔に触れたいと思った?バカか?
そして、何故伸ばした手を引っ込む事も出来ないでいる?何がしたいんだ、俺?
俺の後にみんなも続々と望様の側に行って、俺と違って傷に触れずに体を起こしたり、傷の具合を見たりしていた。気を失っているのか、望様は動けないでいた。
前もって警告してくれた蝶水さんに感謝感激、丁度この時、蝶水さんが治癒師を連れてきた。早速望様の治療が始まり、その邪魔にならないよう、みんなは一歩引いた場所で望様を見守った。
俺はようやく自分が不自然な行動をとっていた事に気が付いて、みんなが治癒師に場所を開けている間に、さり気なくみんなの中に混じった。
「にゃー」
「タマ?」
人でいられる時間が切れたのか、タマが猫の姿で俺の足元で鳴いた。
そのタマを抱き上げようと俺はしゃがみ、しかし立ち上がろうとした時に、急に眩暈がして、床に尻を着けてしまった。
「大丈夫か、ななちゃん?」
真っ先にあき君が反応して、みんな一斉に俺の方に視線を向けた。
やめろ~!注目の的にしないでくれ~!
「大丈夫、ちょっとめまいが...」俺は返事しながら、めまいの原因を考えて、見つけた。
「忘れてた。治癒魔法も、魔法だったんだね。」
足に力を入れて、ゆっくりに立ち上がる。
「ちょっと離れるね。みんなは気にしないで。」
そう言って、俺はタマを抱えて、自分が元座っていた場所へ戻った。
みんなが望様の側で「輪を作って」いる中、俺だけが輪の外でみんなを見つめている。
...この状況、他人から見れば、俺が仲間のいない「ボッチ」にも見えるかもしれないな。
いや、違うよ!俺は前世でも、今生でも「ボッチ」になった事がないよ!俺の前の「私」は「ボッチ」だったかもしれないが、俺になってすぐに星と親友になったり、高校のクラスメイト達とも、それなりに仲良くやってたりしてるよ!
それに、俺は別に今のような状況が嫌いじゃない。
一人だけ離れている場所から、みんなの様子を見守る。まるで天上にいる神様が人々の暮らしを観察しているような感じで、気分がいい。
そうだ!俺は神様だ!みんなを見守っているんだ!
猫のタマをも抱えている状態だから、悪の親玉気分も味わえる。
「姉様姉様!」
雛枝が手を振って、小走りで寄ってきた。
この態とらしさ、間違いなく俺を「ボッチ」だと思ってるな!
違うのに、それでもこの状況は勘違いされやすい事を俺は知っている。
後手と先手、俺は後者の「先手」が好きだ。
「勘違いしないでね、雛枝!別に寂しくないんだからね!」
雛枝が次の言葉を口にする前に、先に「彼女の誤解」を解こうとした俺が、俺自身が後悔する言葉を口走った。
くそっ!これでは「ツンデレ」みたいではないか!
この世界に「ツンデレ」文化がない事を祈ります。祈ります!
「姉様寂しいの?それなら丁度良かったですね。」
願い、叶わず。雛枝が俺を誤解した!
「さ、寂しくない!ほら!」俺は抱えているタマを雛枝の目の前に見せる。「タマも一緒だし、寂しい訳ないでしょう?ねぇ?」
「そのコ、人ですよね?」雛枝はタマを見て、何故か眉根を寄せた。
「ねぇ、姉様、二人きりで話がしたいの。一旦そのコを逃がしてくれません?」
変な事に、雛枝の言葉から、彼女がタマを人間として認識をしていながら、動物として扱っているように感じる。意図的なのか、うっかり言葉を間違えたのか、口にする言葉を深く意識していないのか、現段階ではまだ分からない。
それはそれとして、だ。雛枝が俺と二人きりで話がしたい?何の話だろう?
「タマ、ヒスイちゃんの所に行っておいて。」
俺はタマを床に降ろした。
タマは「にゃ」と返事して、ヒスイちゃんの所に駆け寄って、俺と雛枝を二人きりにした。
「アレが本物の猫でしたら、『お利口さんですね』と喜べるけど。」雛枝がタマが離れていくのを見て、そして急に顔を寄せてきた。「心配しましたよ、姉様。心配しましたよ!もう!」
「近い、近い!」キスして来そうな勢いで寄ってくる雛枝を、俺は思わず彼女の肩を掴んで止めた。
「で、なにか...」
「もう、姉様は気が短い!超短い!」
俺が話し終わる前に、雛枝のガトリングガン喋りがそれを遮った。
「まさか姉様が意外とキレやすい人だと思いませんでしたわ!沸点が低い、低すぎます!引きます!低すぎで引きます!」
雛枝の話は長いが、話の中身はあまりない、殆ど同じ事を繰り返して言っているだけ。
なので、聞く方は一文字一文字を頭に入れる必要はない。彼女の話の要点を見つければ、後は彼女が話し終わるまで待てばいい。
「姉様は昔から冷静で大人びていてとびっきり落ち着いた女の子でしたし、長らく会っていないでまた会えた時にもっと落ち着いた大人のような女性になっていましたから嬉しくて、あたしの自慢の姉様が更に自慢できる姉様になっていましたと思っていましたけど、急に短気な気の短いキレやすい人になってびっくりしました。あたしが今まで抱いていた姉様のイメージが一気にあやふやに消えて、もう消しゴムに擦られて消えるようになって、姉様が力もないのに乱入でもしそうな勢いで丸川にガン飛ばして睨んで目力を飛ばして喧嘩を売ってルールを破って、あたしが姉様に罰を与えるところでしたよ心配しました。」
...駄目だ!長すぎて要点が掴めない!
雛枝は一体何が言いたいんだ?話が長すぎて、重複の仕方も訳が分からなく、俺の脳が言葉の咀嚼を諦めた。
要点だけ見つければいい...言うは易し行うは難し。
「えっと、雛枝が私に罰を?」
諦めて、雛枝の最後の言葉だけを拾って、その意味を訊ねた。
「最初に決めたじゃありませんか、姉様、『治せないような傷が付かない程度』でって。忘れましたか姉様?」
「あぁ、その事か。」
うん。あの瞬間、確かに忘れていたな。
「あの程度の事でキレて、姉様がキレやすい人だと思いました。ルール違反になるような事をしてしまったら、あたしが姉様を懲らしめないといけなくなります。しなくてよかったと思っていますが、心配しましたよ!いっぱい、思いきり、心配しましたよ!」
うん、今回のは短めで、言葉の意味を理解した。
「『あの程度』って、私からしたらかなりの大怪我だよ、雛枝。望様の顔を見た?」
「治せないような怪我じゃありませんし、なぜそんなに気にするのですか?まさか、あの男の事がすきですか?イケメンだと思いますが、姉様にはまだ不釣り合いだと思いますが、姉様がいいと思うのでしたらあたしは反対しませんが、反対しますよ、姉様!姉様にはまだ『恋』は早いと思いますし、いつまでも早いと思いますがそれはあたしの勝手で姉様を止められませんし、止めたくありませんが、ずっとあたしの姉様のままで居たいと思いますがいけない思いとも思いますよ姉様。」
...うるさいな。
実は俺、今はまだ「怒っている」最中なんだよ。
憎達磨の所為だから、それ以外な人にこの怒りを八つ当たりしたくないが、雛枝の喋り方がうざくて、ちょっと抑えられそうにない。
「なぁ、雛枝。会話ってのは...」
「まさか本当に『恋』してるのですか、姉様?駄目ですよ、姉様!あたし達はまだ若いし、社会的責任を負えない歳なんですからね、駄目ですよ!後で必ず後悔します、えぇ、後悔しますとも。」
「...言葉のキャッチボールで、片方が言い終わるまで...」
「でもでもでも、先程のあんな態度はもう明らかでしょう?明らかにあの人に気がある素振りだよ、姉様。姉様の先生でもあるでしょう、あの人は?駄目じゃないですか、姉様!先生と生徒、禁断な恋ですよ、姉様!」
「違うから!」
俺は雛枝の耳に直接大声を出した。
流石の雛枝でも、耳が直接大声を受けるとダメージを喰らうらしく、喋る口を閉じた。
「何ですの、姉様、急に大声を出して?あたし、耳が壊れるかと思いましたわ。」
雛枝は自分の耳を押えて、俺から一歩下がった。
「はぁ...はぁ...」まずは呼吸を整いで、「雛枝が私の話を聞かないから」と、また一回深呼吸、「私は別に、望様にこ、恋、なんて、してませんからね。」
「でも姉様...」
「雛枝!」
今回は俺が雛枝の言葉を遮った。
喋るの主導権をまた雛枝に渡ってしまったら、俺はいつまで経っても喋れそうにない。
何で「喋る」事に「主導権」とかあるんだ?
「私は、『気が短い』...じゃないと思う。」
「では、やはり...」
「望様に恋心も抱いていません!と思う。」
決して雛枝に喋らせるな、俺!
「私からしてみれば、望様のあれは『大怪我』なんだよ、雛枝。先程の行動を取ったのは、そういう私の感性が原因だ。
でも、多分私がおかしいだと思う。」
思えば、望様が滅多打ちされているのに、血の繋がった妹の星が無反応だった。実の兄が殴られているのに、星は冷静に座っていた。
星が冷血な人だと思えない。他の人も、星と同じように無反応というか、俺のように「大袈裟」に反応していない。
だとしたら、やはり俺の反応がおかしいんだ。まだまだこの世界の常識、その中の「怪我のレベル」を理解していなかったんだ。
「『あの程度』では...大したことはなかったのだね。そうだね、雛枝?」
「えぇ。
あぁ、なるほど、ですね。姉様だからですね。体の弱い姉様だから、ですよね。分かりましたわ。」
体の弱い、か。
そう言えば、よくメイド長ちゃんこと早苗さんが「乱暴にお嬢様に触れるな」とか、「気安くお嬢様に近寄るな」とか、理不尽な事で他のメイドを叱る所を目にしてたな。
今考えれば、アレは俺の「魔力への抵抗がない」弱い身体を気遣っての行動だな。その「気遣い」の実体験の例を挙げると、同じく「俺を抱えて高い所から低い所まで跳ぶ」という行為でも、守澄メイド隊のモモこと高村桃子は俺を吐血させたが、早苗さんの時は何もなかった。
何回も上に投げては受け、着地までの間に着地時の衝撃を減らす...こんな事をすれば、崖から落ちても平気って、本当かな?前世の時、自分の体重よりも重い石の上に乗って、地面に着く直前に石を蹴り、ジャンプすれば、ダメージが殆どない状態で着地できるって、聞いた事がある。
どっちが正しいのだろう?どっちも正しくないかも。
それはそれとして。
「だからこ、恋、とか、関係ないから。私が大袈裟だっただけなんた。」
「ん?しつこく否定しているところが怪しいね、姉様?本当はあの『望様』が好きだったりして?」
「違うから!大体私の恋話なんて、雛枝に関係なくない?」
女ってのは何故自分ではない他人の恋に余計な興味を持つのだろう?理解できない。
...ん、待てよ?
男のいない深夜の女子寝室で、恋話で盛り上がる女子トーク...
見ている方なら結構楽しめるじゃない?
実際に見た事は一度もないが、きっと可愛い女の子達が色んな表情を見せながら、キャッキャウフフに燥いで、百合っぽい天国のような光景だろう。
...実際はどうなの?
「逆に雛枝は?雛枝に好きな人、いる?」
思ったら即実、そして透かさずに話題の矛先を雛枝に向ける。
口の早い雛枝の先手を取るには、それ以上に早く言葉を出し、しかも内容が簡潔明瞭でなければならない。その上、言葉をまとめる回転速度の速い頭を持っていなければならない。
頭の回転速度なら、俺はトップクラスだと自負している。普段は「良き聞き手」としてキャラを作っているが、雛枝相手の時にだけ「話し腰折手」になろう。
「あたし?あたしはまだ中学生ですわよ。好きな人なんている訳ないじゃん。相手がロリコン犯罪者になるでしょう?」
ロリコン犯罪者って...そりゃ「中学生に恋した中年オッサン」なら確かだが、同年代なら別に問題ないじゃないか?
俺はそういうつもりで訊いていたのだが、何故か雛枝が予想の斜め上のような回答を返してきた。
「あのね、雛枝。『年上』というキーワードを抜いてから考えて。誰も雛枝に『成人男子』と恋しろなんて強要していない。
同年代の中に、好きな子いなかったの?」
俺は雛枝に聞きたい内容をきちんと伝えて、もう一度質問した。
「あ、あれ?あややや...あはは?間違いましたわ。
あはは、そうですね。同年代の男の子なら、ロリコンじゃないもね~。忘れてました!」
自分の勘違いに気づいた雛枝は顔真っ赤にして、あたふたと両手を動かしていた。
これが、パニックになった人の行動、か...面白いね。
しかし、「ロリコン」とかいう言葉を久しぶりに聞いたな。
この世界で女の子になってから、一度も聞いた事がないなぁ、「痴漢」とか、「ヤリチン」とか、似たような「悪い言葉」も聞いた事がないなぁ。
やっぱり「お嬢様」だからなのかな?
お嬢様だから、こういう「悪い言葉」は「教育上、ヨロシクアリマセンワ」的な感じで、周りの人が敢えて口にしないように注意していたとか、かな?
「まぁ、同年代の男子はみんな、子供すぎて、『相手』として考えられませんわね。
気になる人も...今のところ...いませんね。」
「本当?」
「...うん。」
雛枝の返事に微妙に間があった。
怪しい!
もしかして、実は気になる人、いるの?
うわぁ、聞きたくないなぁ!
雛枝のような美少女にもし「気になる人」が居たら...今の俺は「女の子」だから、絶対に俺じゃないので、「俺じゃない他の男」という事になる!
それが知り合いだろうか、見知らぬ人だろうか、俺は嫌だ!絶対に嫌だ!
「話題変えましょう。」
女子トークは、「体も心も女子」の皆様がするトークだ。身が女の子でも、心が男の俺が参加すると、心を痛めるだけだ。
まさに「男」の部分だけが痛められる。
「雛枝の好きな人なんて、知りたくない。」
「え~?」
何故か雛枝が嫌そうな顔をした。
「いや別にいませんけれとも、聞いたのが姉様ではありませんか!もう少し追及しても...」
隠したいっぽいのに、俺が聞かないと言うと、逆に嫌がる雛枝。
女心が分からない!
「いやいませんから、話題を変えても...嫌!変えませんわよ!まだ姉様の話を訊いていません!
えぇ、ハッキリさせるまで、話題を変えませんとも。
それでね、姉様。姉様に好きな人、いますか?おりますか?おりませんか?」
「なぁ、雛枝。私達、双子だよね。」
「えぇ、双子ですわ。姉様はあたしの自慢な姉様で、双子でも、姉様は『姉様』です。」
「双子だから、同い年だよ、私達。
だから、私は雛枝と同じ理由で、好きな人はいない。気になっている人もいない。」
そもそも、中身が男だから、男を好きになる訳がない!
けど、体が女の子だから、女の子を好きになる訳にもいかない...はぁ。
「それじゃ話が終わりじゃないですか!聞きたい、聞きたい、聞きたい!姉様の好きな人の話、聞きたい!
この際ですから、あの『望様』って人でもいいですよ!見た目はかなりのイケメンだし、なんか優しそうですし。
どうです、姉様?『望様』の事が好き?嫌い?どっちです?」
うわぁ、うぜっ!雛枝うぜっ!
だが、可愛い!ウザ可愛い!だから許す!
しつこく聞いてくる事を許すけど、俺と雛枝は最初、何の話をしてたっけ?なぜコイバナに変わった?
強引に元の話題に戻そう!
「なぁ、雛枝。」
「なに、姉様?」
「『治せないような傷』って、どんな傷なんだ?」
「えっ?」
急に話題を元に戻した事で吃驚したのか、雛枝は一瞬ほけーっとした顔になった。
「あ~、そうですね...姉様が知らないのでしたら、早めに知っといた方がいいですわね。」
そう言った雛枝が先までの小悪魔笑いのような顔を引っ込めて、真剣な顔になった。
「一言で言えば、人の体内にあるその人の魔力の源、『魔源点』が破壊、又は停止になった場合、その時の傷が『治せない傷』です。」
「『魔源点』?」
初めて聞いた単語だ。
しかもかなり重要っぽいというか、常識っぽいというか、大事な単語のような気がする。
なぜ今まで、一度も耳にした事がないだろう?
「あれ?姉様、『魔源点』知らないの?」
「えぇ。
やはり『知らないのがおかしい』だよね。」
「早ければ、幼稚園児でも知ってる言葉ですよ。何で知らないの?」
「幼稚園児でも...」
俺の知識量が幼稚園児以下?
...いや、待って。
...そうか。
「常識だから、憶えていてもよかったのに、忘れたみたいだ。」
「あっ!」
俺は「記憶喪失」という設定を持っている。
それはつまり、古ければ古い程の昔の記憶を、逆に憶えていない、って事にできる。
「ごめんね、姉様。あたしは...」
「いいの、もう慣れた。
今まで何度も、『知ってる筈の事を知らない』という経験をしてきた。
心はもう、痛くない。痛くならない。」
そう言いながらも、俺は寂しそうな顔を作った。
自分の正体がバレないように...これ以上、俺の正体がバレるような質問を続けさせないように。
「それより!折角だから、『魔源点』の事を教えてくれない、雛枝?」
今度は健気に笑う表情を作った。
自分の勝手で、相手に申し訳ない気持ちにさせたのだ。気持ちの切り替えに協力するくらいの事をしておかなきゃ。
雛枝は暫し目を閉じて、そして再び目を開けた時、いつもの表情を見せた。
「分かりましたよ、姉様!姉様大好き!やはり姉様はあたしの自慢な姉様ですね!」
そう言って、雛枝は俺が初めて雛枝と出会った日の、あの時の弾ける笑顔を見せた。
「『魔源点』は人の心臓内部にあります。主に人が毎日食べた物から魔力を抽出し、その人の身体に馴染む性質の魔力に変えてから、血液と共に人体全体に流し込む、という事をするらしい。」
「らしい?」
「そうですよ、『らしい』ですよ。
別に聞いてもいないけれど、当時あたしに教えた先生が『魔学者達が「決めつけ」を嫌っていて、まだ未知な部分のあるものに対して、必ず「らしい」という言葉を付けて、まだ「仮説」である事を強調します』と言ったのです。
しかもそう言った後、『後で試験に出るから、必ず憶えていてね』と抜かして、一文字も抜かずに完璧に覚えてしまったのです。」
そう言った後、雛枝は幼子のように頬を膨らませて、「ぷんぷん」と口に出して言った。
「口うるさいけど、良い先生じゃないか。」
聞いただけのイメージで、雛枝の先生の特徴を言ってみた。
「まさにその通りですわ、姉様!あの頃は、まだ『うるさい先生』としか思えないけど...」
雛枝が懐かしそうに目を細めた。
「ってね、『魔源点』のもう一つ役目があってね。
それは外部から知らず知らずに体内に入り込んだ魔力を、血液で心臓に集めて、その性質を変えて、また全身に流すのですよ。」
「へ~、そんな事もできるんだ。」
外部魔力からの影響を受けやすい俺としては、とてもありがたい機能だな。
「だけど雛枝、私が気にし過ぎたのかもしれないが、その『性質を変える』って言葉、実際は『体に馴染む性質に変える』じゃないのか?」
「え?」
雛枝が「言われて初めて気づいた」というような驚きの表情を見せた。
「でも先生は確かに『その性質を変えて、また全身に流す』としか言っていません。間違いありません。
なら、先生が言い間違えた?言い忘れてた?」
どうやら、今の話は雛枝の先生に直接確かめないと、正解を得られないみたいだな。
まあ、いい。正解を知った所であまり意味なさそうだし、とりあえず「外部の魔力、つまり地域魔力の性質を一度変える」という事だけを覚えておこう。
雛枝が何歳の時の先生なのは知らないが、「敢えて曖昧な言葉を使って、子供に自ら考える力を身に着ける」という目論見だったんだろう。
残念ながら、その時の雛枝はそれに気づいていなかったようだから、その先生の目論見が外れたな。
「なるほどな~」
悩む雛枝の気を引こうと態とらしく声を出して喋る。
「その『魔源点』という器官?が破壊されれば、人が魔力を得られなくなる。
それどころか、外部の魔力の影響にも、抵抗できなくなる。」
あれ?言ってて、「なんか、どっかで聞いたような話だな」と思った。
「なぁ、雛枝。もしかして...」
「『もしかして』?」
気づけないのか、俺の言いたい事が!
しょうがない。
「私の体の中に、『魔源点』がないか、もしくは壊れていたのか?」
「姉様の中に?」
俺の質問に、雛枝は頭を傾けた。
...雛枝って、もしかして「アホな子」?
「あたしは『ある』と思いますけどね。
けど、多分『あるかもしれない』と、魔学者達は言うのでしょう。
何分、姉様が『初めての例』ですからね。」
俺が初めて?いや、違うだろう。
この場合は「私」の話だ。
――守澄奈苗という女の子はこの世界で、初めて「生まれてすぐ、死ななかった夭折子」である――
この話だろう。
「なにか確認方法はないのか?」
「心臓の中にあるのは確かだが、『魔源点』はどんな方法でも『目視できない』のです。」
「できない?魔力だって、色んな方法で目視できるのに、『魔源点』はできないの?」
「あたしも色々試したけれど、見えませんでした。自分のも、他人のも。」
「でも、心臓の中にあるでしょう?見えないのに、どうやってそれが分かった?」
「そりゃまぁ、人は死ぬから。ね?」
「ね?」って同意を求められても...
「心臓を無くしたら、誰だって死ぬ。それでは、まだ『魔源点』が心臓の中にある事を証明できない筈だ。」
「姉様...」
俺の言葉に、何故か雛枝が憧れの目線を寄越してきた。
いらねぇ!理由もないのに、そういう目で俺を見るな!
「種族が違くても、やはり姉様と母様は繋がっていますね。」
「...何の話だ?」
急に「お母様」の話を振られても、訳が分からないよ。
「あのね、姉様。今気づいたのですか。
姉様が少し『研究者肌』なんですよ。」
「『研究者肌』?私が?」
「そうですよ。
物事の根底を追求し、理解しようと研究に没頭。一文字の間違いも許さず、曖昧な表現に理由を求める。
なんか、そんな感じがするよ、姉様。」
「そ、そうなの?」
人の言葉の粗を見つけるのが得意が、「研究者肌」だと褒め過ぎだろう。
いや、「貶し過ぎ」の方かもしれない。
「そこが何となく、母様と似てるなぁ、と思いまして。
姉様、知らない?母様は『喰鮫組』の組長ですが、天文学者でもありますよ。」
「嘘!」
びっくりした!マジでびっくりした!
極道の組長が「天文学者」?ありえなさすぎる組合じゃないか?
「また話題を変えてしまいましたね。ごめんなさい、姉様。」
「あぁ、そうだな。」
母様が天文学者という話が衝撃的で、久しぶりに吃驚した。その所為か、生返事をしてしまった。
「いや、大丈夫だ、雛枝。」
先にフォローを入れてから、話を続ける。
「で、だ、雛枝。さっきは確か『心臓を無くしたら、誰だって死ぬ』って話だったね。それでどうやって『「魔源点」は心臓にある』と証明できるの?」
「だって、心臓は修復できるから。」
「...はぁ?」
「心臓が破壊されても、脳を死なせずに治癒魔法で治せば、元に戻れますよ。」
心臓が!元に戻せる!?
「けれど『魔源点』は元に戻れません。一度心臓を破壊されれば、『魔源点』は完全に破壊されます。
心臓が治っても、誰も『魔源点』を治せません。そして『魔源点』のない人間は後に衰弱死するのです。」
食べ物での魔力補給ができないから、「魔力枯渇」が起こり、無気力状態になる。
そして、無気力状態によって、人が本当に食事しなくなって、衰弱死する。
そしてもう一つ、外部の魔力からの影響に抵抗できなくなる――つまり「魔力耐性ゼロ」、俺のように。
この状態の人間は簡単に死ぬ。経験者である俺が語る、「簡単に死ぬ」と、「机の角に小指をぶつける位なら死なないが、簡単に死ぬ」と。
「心臓が治せるモノである事自体も衝撃的な話だか...何それ?『神の奇跡』とかいらないの?」
「大昔はそう呼ばれてましたよ。
『神の奇跡』とか、『神聖魔法』とか。各国の歴代の国師の一部と歴代の教皇のみが使用できる魔法とされていましたが、まぁ、蓋を開けてみれば...」
「開けてみれば?」
「実は幾種の魔法を同時に使っているだけにすぎませんでした。
まずは脳に血液の供給を止めないように仮初の血管を作り・連結して、血液を強制流動させる『高等治癒魔法その一:延命魔法』。次は魔力の性質を患者に適するように属性を変える『高等治癒魔法その二:適応魔法』。そして壊れた個所を治す『高等治癒魔法その三:治癒魔法』。
『神聖魔法』というのは、実はこの三種の魔法を同時に使用しているだけにすぎませんでした、と。」
「なるほど。
よく分からないが、その理屈なら理解はできる。」
複数の魔法を同時使用しているのなら、確かに死人だって生き返らせそうだ。
だけど、妙だな。複数の魔法を同時使用した場合は、魔法と魔法が融合されて、「複合魔法」という別の種類の魔法に変わると、実は授業で習ってたんだ。便宜上、「複合魔法」という名称に統一されるが、使用された魔法によって、同じ「複合魔法」でも、違う魔法が殆どだ、とも勉強した。
「よく分からないのに分かるって、どういう意味ですの、姉様?」
「ごめんな、雛枝。うまく言葉で表現できないが、そんな感じなんだよ。
分かるだろう?時には『考えるな!感じろ!』というような...まぁ、つまりそういう事だ。」
「...凄いよ、姉様!何だか今の姉様の説明で、姉様の『分からないのに分かる』が分かるような気がします!」
「そうでしょう、そうでしょう?分からないけど、分かる。
まぁ、そういう事だ!」
アホ二人が会話をしているような気分だ...
「話ちょっと戻すけど。」
アホみたいな会話をさっさとやめよう!
「異なる種の魔法を同時に使用した場合は、魔法が融合して『複合魔法』になるでしょう?
でも、何故かそれではあの『神聖魔法』のように人の治療ができない気がする。
私の考え過ぎなのかな?」
「いいえ、姉様。姉様の考えた通りですよ。
『高等治癒魔法』の一番の注意事項は『魔法と魔法が融合してしまわないように気を付ける事』ですわよ。姉様の考えは間違っていません。
それに、『複合魔法』って、失敗するのが殆どじゃないですか。最悪、魔法が暴走し、使い手を死なせる事もあり得ます。
なので、『融合させない』事が一番重要です。」
融合させないのが一番重要?
「聞いているだけで、難しそうだな。」
「難しいですよ、姉様。これは完全に『技』方面の話ですから、力押しで出来る事じゃありません。」
そう言って、雛枝は眉を顰めた。
苦手な科目だろうね、雛枝にとっては。
「でも、結局心臓がやられたら、完全に治しても死ぬけどね。」
「そうね。心臓なら、ねぇ。」
ただ、この話を聞いて、俺はある事を思った。
「逆に心臓以外なら、どんな怪我でも必ず治れる。そうじゃない?」
「あ、姉様の今の言葉、なんかの学者が発言してましたね。『出来なかった事への言い訳』とかなり叩かれましたけど。」
「えぇえ?」
「『腕が斬り落とされようか、足を捥がれようか、今回の研究結果のお陰で、これらを全て治癒できるようになれた』とか、それっぽい事も言ってましたね。かなりのブーイングの中で。」
「分からん!人の心が分からん!」
良いじゃないか!
結果が思い通りのモノになれなくても、それ以外の方面で多大な貢献をなされたのなら、叩かなくていいじゃない?
俺の世界では多くの発明は「偶然の産物」だったし、叩かれる事もなかった...と思う。元々何を研究していたのは分からなかったけど...
...「偶然で発明」された発明品は元々何の研究からの「偶然」だっけ?習った気がしない!
あれ?もしかして、言い方の問題?「パンがなければ、ケーキを食べればいい」という、時と場所と場合の問題?
「えっと、雛枝?」
「ん?なーに、姉様?」
急に猫撫声で喋る雛枝、「考えに耽る姉様も素敵です。」
何故急に、雛枝は俺にデレた?俺が何かを考える姿が雛枝にとってのモエポイントなのか?
というか、俺は何の話を雛枝にしようとしたっけ?何かを質問をしようと...あぁ、思い出した!
思い出したけど、質問したくなくなった!雛枝が答えられそうな質問じゃないし、俺が本気で知りたい事でもないし、知っててもしょうがない質問のような気がする。
多分、俺は一つじゃなく幾つの質問がしたいと思う。けれど、あまりにも多くの質問が頭の中でごちゃになってて、うまく言葉にできない。しかも、考えれば考えるほど、意味のない質問のような気がしてくる。
そして今、何で質問しようとしたのが分からない。無駄な行動にしか思えない。
「いや、何でもない、雛枝。忘れてて。」
「え?なに?気になる~!教えて~!」
猫撫声を継続させて喋る雛枝。
ヤバい!雛枝が凄く可愛く見える!
ちょっと落ち着け、俺!
雛枝は俺の双子の妹、血の繋がった妹。例え中身の俺が違くても、体上、俺と雛枝は姉妹だ!
血縁的にも、性別的にも、俺は雛枝に欲情を抱いてはいけない!
「そう言えば、雛枝!」
「な~に?」
「『魔源点』の話だが...」
「えーー...」
雛枝が凄く嫌そうに眉根を寄せた。
「いや、ほら、話し終わってなかったじゃないか。
『「魔源点」の破壊』の話が終わったばかりで、『「魔源点」が停止』の話はまだしてないでしょう?」
「えーー...」
雛枝が物凄く嫌そうな表情を見せた。
「あたし、姉様とお話しするのは楽しいけど、なんか今、無理やりに復習させられている気分で、嫌です!折角学校の休みに入ったのに、勉強は嫌だ!」
「『勉強は嫌だ』って...」
あぁ、そうか。
考えてみれば、今の会話は雛枝にとって「復習」みたいなものだったな。
俺は新しい知識を知って、結構楽しかったのに、雛枝にとって「楽しくない会話」だったのか。
...迂闊だった。雛枝の気持ちを考えていなかった。
「はぁ...」
俺は雛枝の眉に指を乗せて、外側に動かして、寄せてた眉根を解した。
「眉を真ん中に寄せる癖、早く治した方がいいよ。若いうちに、お凸に皺つけさせたくないでしょう?」
「え?」
驚いた顔を見せる雛枝。
まぁ、無理もない。俺が今言った事、都市伝説みたいなものだったからな。信じるも八卦、信じないも八卦。
「今日はほぼ俺の所為、かな?だから、もう無理に聞かない。
代わりに俺の推測による仮説を聞いてもらえない?正しいかどうかを教えてくれるだけでいい。」
雛枝が好きそうな話は「恋話」とかだから、俺へのダメージが半端ない。
なので、結局俺は雛枝に彼女好みの話を振らなかった。疲れた彼女の代わりに、俺が語り手になる事にした。
「...うん。」
雛枝が急にしおらしくなった。
...可愛い。
「...で、だ!えっと...」
俺が今から始めようとする話は、確か...
「...『魔源点』の停止について。
先程聞いた『高等治癒魔法』の話からして、殆どの傷はもう『治せないような傷』ではなくなった。そうでしょう?」
「えぇ。」
簡単で短い言葉。
そうだ、雛枝。好きじゃない話なら、適当に返事するだけでいい。
俺が我儘しているから、お前も我儘でいい。
「だけど、心臓がダメージを受けると、傷自体が治せても、『魔源点』が破壊されて、いつか死ぬという『致命傷』になる。
ここまではさっきのまとめだ。」
俺はここで言葉を一度止め、深呼吸した。
「そして、『致命傷』はもう一種ある。『魔源点』が停止になるような傷だ。
腕でも足でも、失くしても治せるが、とある場所だけは『失くしたら治せない』。
いや、多分『治す』事だけならできるが、一度でも『失くした』ら、『魔源点』の停止に繋がり、いつか死ぬ事になる。
その場所はズバリ、頭だ。もっと正確に言うと、脳、だ。
正直、脳が破壊された場合、私にはとても『修復できる』というイメージが沸かない。けど、『修復できる』よね?」
確認の為に雛枝を見たら、彼女は首を縦に振った。
「現代の魔法は凄いねぇ...まぁ、心臓も脳も『修復できる』と。
心臓は人が生きる為の力を与える場所というのなら、脳は心臓にそう命令する『司令塔』だ。
その司令塔がもし、何らかの理由で身体から離れる事になったら、再び繋げる事は不可能に等しい。
だけど、切られた腕も元通りに治療できる事から考えると、脳が身体各部位に命令する時に使われた『神経』というものも、元通りに繋ぐ事ができる。そう考えると、例え頭が斬られても、治療すればまた体と繋がり、神経も繋がって再び命令を出す事が可能になり、元通りに戻す事ができる。
ここまでは、間違いありませんか?」
「うん。
まぁ、そんな感じ。」
雛枝が気怠そうに返事した。
...返事してくれただけでも、俺は満足だ。
「しかし、『魔源点』と再び繋ぐ事だけができない。
研究者達が見つけた実際の原因は分からないが、俺の推測では小さくても、結局神経や血管、皮膚などは見えるからこそ繋げられて、見えない『魔源点』と繋げる事ができない。
そもそも、『魔源点』と脳の繋がりがどういうものなのかが不明。脳が『魔源点』に命令出しているのか、『魔源点』が脳から情報だけを抜き取っているのか。
見えないし、脳との繋がりの形態が分からないと、切れた両者を再び繋げる事はあり得ない事だ。
そして、この場合では、『魔源点』そのものは健在で、破壊されていない。しかし、脳と繋がっていないから、活動的にもなっていない、または機能していない。だから『停止』。
『魔源点』はあるが、活動を停止している。その結果、『致命傷』となり、死ぬ。」
「ふぅ」と、長い息を吐く俺。
俺的には結構簡単な推理で、良い推理できたと思う。
けど、推理は所詮推理、真実とは限らない。当たった時は気持ちがいいが、外れた時は穴を掘って逃げたくなる程恥ずかしい。
...「恥ずかしい」は嫌だ、死にたくなる。
だから、俺は基本自分の考えをペラペラと他人に言わないようにしている。
「どう、雛枝?合ってる?」
「はい、殆ど合ってます。」
え、合ってない所があるの?
「実は昔、首を抱えて生きてる種族がいました。今は社会ルールに従って、無理やりに首と胴体を繋げて、人間として生活しています。」
「へ~...デュラハン?」
「はい、そういう種族名です。」
いるんだ、デュラハン族、この世界に。
デュラハンという種族ですらいるこの世界に、ない種族はいるのか?どんな幻想生物でもいるような気がしてきた!
うわぁ、見てみたいなぁ、デュラハン族!首のない馬に乗っているのかな?
「実際に会えるの、デュラハン族の人間に?」
「ん~、多分無理。」
「え?何で?」
「デュラハンって、首と胴体が繋がっていないのに、『魔源点』は停止していないじゃありません?彼らの体の構造を解明できれば、首を斬られても助けられる研究が進むと考えられますよね。」
「それだけじゃないだろう?研究が完了するよ、きっと。」
「ですね。誰もそう思いますよね。
なので、志願者の募集はどの国でもしています。ただ...」
「ただ?」
「研究の目的からして、過酷な実験が行われる事くらい、想像できますよね。」
「あっ!」
そういう事か!
「ですから、志願者はかなり少ないんです。それでデュラハンの人間を無理矢理に拘束し、人体実験敢行する暴走研究者が後を絶たないですよ。違法だと知ってるのに。」
「......」
「それに対して、デュラハン達も極力自分の種族名を言わないようになりました。
デュラハンの人間を守るために、各国は身分証明書に『種族名』を消したり、普通の方法では見えないようにしたりとか、また学校や企業に入る際、種族名を本人意思によって不申告する権利があるとか、様々な施策を行っていました。
それでも...」
「国から情報を盗み出し、デュラハンの人間を特定しようとする研究者が出た。
そうでしょう?」
「...えぇ、そうです。」
ちょっと考えれば、すぐに分かるような事だな。
うちのメイド隊、俺は殆どのメイドの種族名を知っている。学校では、出会った誰もが臆せずに自分の種族名を名乗る。
これの所為で、俺はてっきり「種族名」というものはあくまで人種の区別でしかないと考えていた。ヒスイちゃんと出会った後でも、「種族名」について深く考える事はしなかった。
気を使っているつもりだが、実は全く気にしてはいなかった。
...俺は、最低だ。
「姉様、どうかしましたか?」
「ん?いや、大した事ない。
ちょっとした自己嫌悪だ。」
「自己嫌悪って、あたしがしたデュラハンの話の所為ですよね!
ごめんね、姉様。そんなつもりは全然なかったですよ!ごめんなさい!」
ふっと、自分の肩に手を添えられていた事に気が付く。
その確認に目を開けると、目の前に上目で俺を見つめる雛枝の顔があった。
少し、涙目になっていた。
「雛枝?いや、ごめん!泣かせるつもりはなかった!泣かないで!」
というか、俺、なんか雛枝を泣かせるような事をした?何で急に涙目?
「ごめん、姉様。あたしも、姉様に辛い思いをさせるつもりはありませんでした!あたしもごめん!」
「いや、雛枝!本当、大した事ないから、私は。『考えが足りなかったなぁ』と思ったが、それは雛枝の所為じゃない、私の所為だ!今日からもっと色んな事に気を配ろうと思ったし、別に辛い思いでは...」
いや、俺は「辛い気持ち」になっていた。「辛い思い」をした。
しかし、嘘を吐いた。雛枝の涙が流れないように、しょうもない嘘を吐いた。
嘘を吐く事に罪悪感はない。しかし、無駄に嘘を吐きたくない、嘘は「重なって大きくなるモノ」だからだ。
だから今、俺は「嘘を吐いた事」に後悔した。後悔したが、すぐバレるような嘘なので、わざわざ「嘘を吐いた事」を雛枝に謝っても、雛枝をバカにしているような行動にも思えるから、俺は戸惑って、何も喋らないようになった。
ああ!嫌だ!今の状況!
雛枝が泣きそうになってるのに、俺は何を言えばいいのかが分からなくなっている!何かどうしてこうなった?
えっと、恋人持ちのモテ男達はこの場合、どういう行動を取るのだろう?俺は経験ないし、そもそも今は女の子だから、経験があっても今はそれを活かせない!
くわぁ!今はどうでもいい事を考えてる時じゃない!まずは何をすればいいのかを考えるんだ!
...って、何をすればいい?何も思いつかない!
「あの~。」
急に、望様の方から声がした。
「治療、終わりました。」
声の主は蝶水さんが連れてきた治癒師の方だった。望様の治療が完了した報告だった。
...助かった!
丁度いいタイミングで、第三者に声を掛けられた!
「雛枝、気を取り直そう。」
そう言いながら俺はハンカチを取り出して、雛枝の零れそうな涙を拭く。
「望様の所に行こう。」
いらないと思っていたが、無理矢理に早苗さんに持たされた「俺用」のハンカチ...無駄ではなかった!
備えあれば憂いなし!今後も、自分が使わなくても、他人の為に持っておこう。
「まだ涙が流れていない、きれいな顔だ。安心して、一緒に行こう。」
雛枝のフォローをして、反応を待つ。
そんな俺に対して、雛枝は目を閉じて、俺が涙を拭き終わると目を開けて、小さく「うん」と頷いた。
...やばい。またしても可愛い仕草だ。
もう勘弁してくれよ、雛枝!俺、中身が男だから、お前に堕ちそうだよ!
「すーはー」
深呼吸して、気持ちをリセットする!
「行こっ。」
俺は雛枝の手を取って、望様の所...みんなのいるの所に向かった。
...もしかしたら、今回の「常識の『魔源点』を知らない」事で、自分の正体がバレるかも?と思ったが...バレなかった、今回も。




