第五節 星見山見物③...にくだるま
「星、家族贔屓抜きで教えて欲しいのだが...」
ウォーミングアップ?している望様を見て、俺は言葉を選んで、星にある事を訊ねる。
「結局、望様は強いのか?」
...言葉、選んだ後がコレである。
「それは僕にも分からない。」
しかし、星はあまり気にしていないようだ。
「兄さんは昔から暴力が嫌いで、僕と手合わせしていた頃も、一度も本気を出していない。」
「二人は手合わせした事があるのか。
全国チャンピオンの星と手合わせして、なのに本気を出した事一度もない?
凄いじゃん!最強じゃない、望様?」
「僕も兄さんは『最強』だと思うが、確信が持てない。
ずっと昔に、まだ僕が十歳未満の頃かな?兄さんが僕と手合わせして、僕に入院させる程の大怪我を負わせて...それからは一度も手合わせしていない。」
「ふーん。」
イケメンで暴力嫌い、だけど「最強」か。
望様が赤の他人だったら、「何だこの完璧超人?ムカつく」と思ったのだろう。
...ん?
「さらっと、聞き流しそうになったか...星が大怪我!?
どゆこと?何事?何があった?詳しく説明して!」
俺は星に詰め寄る。
「ななえ、近い!」
星は嫌そうに、自分の顔に近づく俺の顔を押しのけて、「子供の頃の話だ」と言った。
「その頃の僕もまだまだ心が未熟で、同年代の子の中で『最強』と、自惚れて。
それで自分がどれ程強くなっているのかが知りたくて、自分の『最強』がどこまで通用するのかが試したくて、兄さんの本気を引き出そうとした。」
語る星が何故か恥ずかしそうに顔に赤みが浮かんだ。
「『手合わせ』のレベルを超える技を...自分の全力を何の前触れもなく兄さんにぶつけた。」
「何の前触れもなく?」
格闘ゲーで「俺もこのゲーム初めてなんた」と言いながら、いきなり隠れキャラを使ってくるような感じ?
何というか...
「...星、大人気ないよ。」
俺は白目で星を見る。
「子供だったからな!」
星は俺を一睨して、顔を逸らした。
「お嬢様は相変わらず茶化すの、好きですね。
それより、そろそろ始まりますよ。」
タマは指で俺を突いて、望様達の方を指差した。
「魔道具の使用も無しにしましょう。
お互いの素のままの力という事で構いませんか?」
望様は手首の運動を続けながら提案する。
「それでいい。
そのくらい、何の支障にもなりゃしねぇ。」
比べて、肉の塊の丸い人は余裕があるような素振りをしている。
「あれは強がりだよね。」
俺は丸い人を指差しして、タマに話かける。
「立っているのも精一杯って感じで、どうやって戦うのだ?」
「魔法が得意の種族かもしれませんから、油断はダメだよ、ななえお嬢様。
骨が凄く太い敵という事も...」
タマの言葉でここは魔法ありの世界だと改めて気づいた。
どんな見た目な人でも、魔法のあるこの世界では、俺の世界の常識は通用しない。
あの肉の塊、あんな見た目しているけど、実はとんてもなく速いかもしれない。
...大丈夫かな、望様?
「では、先に失礼します!」
先手に出たのは望様だった。
彼はケンタウロス族の足の速さを活かして、真っ直ぐに丸い人に突撃した。
そして、拳をその腹に叩き込む。
「っ!」
しかし、望様の拳は確かに丸い人の腹に嵌め込んだが、丸い人はピクリとも動かなかった。
「なるほど、そういう類な種族ですか。」
望様すぐに後ろに跳んで、一度距離を取った。
小手調べだ。
本気の攻撃をする前に、相手の力量を測るだけの弱攻撃だ。
そして、攻撃を受けた丸い人だが、追撃を行わずに、望様を見て立ってるだけ。隙を伺っている様子だ。
両者、どちらも「一瞬で終われる」と思っていないようだ。
「見た目通りの皮の厚い種族だな。兄さんがランスを使わなくて正解だったようだ。」
星の呟きが耳に入った。
ランス、馬上槍。
馬に乗っている時、同じ馬に乗っている相手を突き、地面に落す為の武器。
何故かそれがケンタウロス族の好む武器の一つである。
「私と勝負した時も、星は馬上槍使ってたね。
何であんな使いにくい武器が好きなの?普通の槍の方が殺傷力あるよ。」
「槍は立っている時に使いやすいが、走っている時はやはりランスだな。手への負担も軽減出来るし、風の抵抗も少ない。少しだけ、盾の役割も兼ねてる。」
「『足が自慢』だからか?」
「ケンタウロス族なので。」
種族名が半人半馬のケンタウロスだが、星と望様は見た目は神そのもの。なので、自分の身長よりも長い馬上槍を持っている時の姿は正直...
「馬上槍は重くない?」
「そこはほら、お嬢様、ケンタウロス族ですからね。
走りながら弓を引ける種族ですよ。腕も足もかなり鍛えられているのですよ。」
星への質問に、タマが代わりに答えた。
そして、星も「ランスを持てないケンタウロスの人間はそもそも戦いに向いていない」と無愛想に付け加えた。
「って事は、星はムキムキなの?」
俺はよくよく星の足を見た。
黒いストッキングに包まれたその美足は良く見ると、確かに触り心地悪そうにあっちこっちが固そうだ。
「じろじろ見るな。」
星は短いスカートで自分の足を隠す。
全然隠せていないけどね~。
恥ずかしがっている星も珍しく、とても可愛い。
「じゃ星、腕を触らせて!」
俺は悪びれずに、更に星の腕に手を伸ばした。
「別に良いか。」
星はそう言って、片腕を俺に差し出した。
「兄さんの方は?もう見なくていい?」
「そっちにも興味あるけど、どうせ望様が勝利するだろう?」
星の腕をベタベタ触りながら、俺はちょっとだけ、望様の方に視線をやった。
「全国チャンピョンの星に大怪我を負わせる程の腕前があるなら。」
「僕の『大怪我』をネタにしないで、あの頃の僕はまだ本当に子供だ!自惚れ屋の子供...思い出すだけで恥ずかしい。」
星が恥ずかしそうに、そして怒ったような感じでそっぽを向いた。
「いや、誤解だよ!ネタにしていない!」
言い過ぎて怒らせたのなら謝らなきゃいけないが、俺には星を恥ずかしい過去で苛めるつもりは全くない、それで「謝る」のは嫌だ。
「気にし過ぎたよ、星。子供の頃の話でしょう?」
「そう、だな...子供の頃の話だ。」
星は顔を俺の方に向きを変えて、しかし視線を下向けていた。
「自分の負けず嫌いな性格が、ちょっと厄介だな。」
「それは、別にいい事だと思うよ。」
と俺は小声で言ったが、また話が「後退」して、ぶり返してしまうと思って、口を閉じた。
「ななえお嬢様、発言していいか?」
話が途切れると思ったが、丁度タマが声を掛けてきた。
女三人寄れば姦しい...なるほど、確かに「静か」にはならないようだ。
「どうぞ、タマ。別に『発言』を禁止していないぞ。」
狙っての行動かどうかは分からないが、いいタイミングだ。早くもないし遅くもない、びったり話が途切れそうな時に話し掛けてきたタマに、俺は満面な笑顔を向けた。
「きゅ、急に笑顔に...どうしたの、お嬢様?」
「いや別に。で、何の話?」
「少し気になっちゃって...お嬢様と星様とは友達、しかも『親友』、ですよね?」
「えぇ、そうよ。」
星との意思確認を全くせず、俺は勝手に「親友だよ」と断言した。
「にしては、お嬢様、星様が『昔大怪我した』という事に対して、態度がちょっと冷たいっていうか、全く気にしていないような...」
その事か。
言われてみれば、確かに少しドライだったかも。
あの星が怪我した事に驚きはあったが、それだけだった。「痛くなかった?」とか、「トラウマになってないか?」とか、全く気にしていなかった。
どうしてだろう?
美人の星が大怪我...男として、別の意味で慌てるようになるよな。綺麗な体に傷跡が残ってるとか、普通は気にするものだか。
なのに、俺は全く気にしていない。どうして?
「...どうしてだろう?」
頭を傾ける俺、とりあえず仮説を上げた。
「今の星は全然元気だから、かな?」
「僕はそれでいいと思う。」
星が平淡な態度で俺の話を繋げる。
「僕は寧ろ、ずんずん来られる人が苦手だ。ななえのような『毎日会えないが、時々会いに来る』人が、僕にとって丁度いいかも。」
俺は無表情に喋る星を見て、そしてタマと見つめ合って、タマと一緒に笑った。
「星はかっこいいよね。」
「くす、星様は本当...ふふ。」
「何の話だよ!」
俺とタマの反応見て、星はまた怒ったようにそっぽを向いたが、本気で怒っていないと何となく分かる。
「あの、姉さん。」
この時、蝶水さんが徐に俺達の方に近寄ってきた。
「姉さんの所に、治療魔法の得意の方はいヤすか?」
「え?」
治癒魔法の得意?
真っ先に頭に浮かんだのは彩ねーだけど、今日は連れてきていない。
「どうしたの?」
治癒魔法の得意な人が欲しいって事は、血塗れになっているあの男の子の治療に協力してほしいって事かな?
「『豚』と『肉達磨』と...色んなあだ名を姉さんが付けた丸川顧問だが、実力は喰鮫組で随一です。しかも残忍な性格で、姉さん側のあの方はきっと大怪我で戻ってくるっです。
早目に治癒師を呼んだ方がいいと、思います。」
そう言って、蝶水さんは申し訳なさそうな顔を俺に見せた。
「あれ、望様の話?」
俺はてっきり血塗れになっているあの男の子の話だと思ってた。
っていうか、忘れてたな!
「それより蝶水さん、そっちの男の子は?治癒魔法を掛けなくて大丈夫の?」
「それでしたらご心配なく、既に近くの看護院に送ったっです。」
そう言った蝶水さんが続けて小声で、「よくある事」と口にした。
よくある事って、この「健康優良児ばかりな世界」で?
極道の人達の事は良く分からないが、どの世界でも、「関わらない方がいい人達」であるな。
「私はあまり、望様の事を心配していないよ。」
イケメンと不細工の戦いは基本イケメンが勝利する、それが理であり、「世界の理不尽」だ。
だから心配していない、望様は必ずあの「豚」に勝つから。
...何の根拠もない「信頼」だな。
「蝶水さんが呼んだ方がいいというのなら、呼んでおいて。いらないと思うが、万が一の為だ。」
俺は自分の「根拠のない信頼」を信じないで、蝶水さんの警告に従う事にした。
...「盲信」はいつだって、してはいけない事だ。
「分かりました。では私、ちょっと行ってくるッス。」
そう言って、蝶水さんが俺の前から急に消えた。いや、俺以外の人にとって、普通に「離れた」だけか。
きっと、俺には見えないスピードで「歩いて」行っただけだろう。この世界の人、みんな、俺にとって「人間離れ」しているから。
「始めてから、一度も足を止めていないね、望様は。」
空いた手が暇で、また星の腕の筋肉をベタベタと触って、俺は望様の戦いに目を向けた。
最初の一撃が効いていない望様だが、その後は弱い攻撃を続けた。
足を常に動かして、相手の隙を伺いながら、チャンスがあれば拳を叩きこむ。
しかし、全く動かない隙だらけ・肉達磨その物な丸い人だが、どれだけ拳を叩きこまれても、その体に痣一つも残っていない。
望様の攻撃は全く効いていないのが分かる。
でも、きっと望様が勝つ。根拠はないけど。
...飽きてきた。
「逆にランスを使った方が良かったじゃないか、星?」
星の腕を上に持ち上げながら、訊いた。
「ランスを使って、その風船みたいなお腹を突き破けば、飛ぶと思うよ、あの『豚』。」
「人体は風船じゃない。どんな種族でも、そんな風に体ができていない。」
星から冷静なツッコミを貰った。しかし、その後に「ただ、最初から魔法で、または種族特性で常に、なら。ななえのおふざけで言った事が、逆に正しいかもしれない」と、自信なさげに呟いた。
冗談にマジレスする星はつまらない人間だな~と思って、彼女が「たぶん」と口にした理由を考える。
もしや、本当に風船みたいな体を持つ種族がいるのか?「どんな種族でも」という言葉も、どうしてわざわざ付け加えて人体について説明する?
俺が思いもよらない姿の人間が、もしかしているかもしれない。今まで出会っている人間はみんな、なんとなく「神」の姿をしていたから、「先入観」というものが頭の中に出来上がっているかもしれない。
「実は、人と人とは、様々なところに『違い』があるかもしれないね。」
そう言って、俺は星の腕を彼女の背中に回して、その腋に鼻を近づけた。
「な、何をする!?」
星は慌てて俺の手を振りほどいて、脇を締めた。
「ちゃんと処理しているが、匂いを嗅ぐな!」
「ちょっとした悪戯に過剰反応しちゃって、も~!星はかわいいね。」
俺はそう言って、笑顔で誤魔化して、また星の手を掴んだ。
「タマにはしないよ。手を挙げるな。」
同時に、腋を見せようと動くタマの手も掴んで、下ろした。
「誤解です、お嬢様!望様達の戦いも見て欲しいと、指さししようとしただけで...」
タマはそう言っているが、顔が真っ赤だ。
「『望様』?」
タマの望様への呼称も「望様」?
「あ、違っ...お嬢様の先生、さん...」
慌てて呼び方を変えるタマ。
なるほど。
タマも望様に気があるのか。なるほどな~。
望様は本当に人気者で、羨ましいね~。クソイケメンか!
しかも弟妹達の世話もできる、クソイクメンか!
「肉達磨に勝って欲しいと思わないが...」
ちょっと逆恨みで、望様にも勝って欲しくないと思ってしまった。
っと、その時、走り続けていた望様が肉達磨と距離を取って、足を止めた。
「『ジリ貧』、ですね。」
望様はため息を漏らす。
「なんだ?もう諦めたんか?
言っとくけど、降参は無しだぜ。
どっちかが起きられなくなるくれぇってねぇと、示しがつかねぇん。」
全く何もしていない癖に、肉達磨が偉そうにしている。
「そうでしょうね。」
望様が苦笑いを見せた後、左右の足首を交互に回し、続けて足だけで跳んだり、膝を曲げたり伸ばしたりし始めた。
まるでウォーミングアップしているようだな。
ただ、あれだけ走った後で、何故今更ウォーミングアップをする?
「その体、突き破ってみますね。本当に突き破ったら、直ぐ治癒師を連れてきますが、できれば避けて欲しい。」
そう言った望様の目つきが変わった。いつもは人に安心感を持たせる魅惑な目つきだが、今は逆に人に緊張を与える目つきだ。
「やれるもんならやってみろ!拳だけでワシの身体を突き破れるものなら、寧ろ見てみたいわ。」
それでも、肉達磨が余裕のある醜い笑みを見せた。
望様の目つきが変わった事に気づいていないのか?いや、「観客」の俺でも気づけた変化に、あの肉達磨が気づいていない筈がない。
つまり、気づいたが、気にしていない。あの肉達磨はそれ程に自分が勝利する事に疑いを持っていなかったという事だ。
何という自信過剰。きっと彼の脂肪の一細胞一細胞に「自信」をたっぷり詰まっているのだろう。「自信」しか詰まっていないのだろう。
見た目通りの憎たらしい奴だ。
...本当か?
「星、『喧嘩・試合・手合わせ』などの荒事に関して、私はよく分からないのだが、望様は強いのか?」
「ななえ、それは僕にも分からないと最初に言った筈だ。
ただ、久しぶりに兄さんの本気が見れる。それだけは確かだ。」
それは俺も何となく分かる。
望様は「本気の目つき」をしているから、な。
だけど、それで「勝敗が決まった」と考えるのは危険だ。望様の実力を信じてない訳じゃない、単に「盲信」したくないだけだ。
俺は一度も望様が戦う姿を見た事がない。例え見た事があっても、相手の肉達磨の戦う所も見た事がない。
今の俺は、「望様は絶対に勝てる」と信じる事ができない。
...嫌だな。
今自分が感じるのは、自分が最も嫌う感情、「不安」である。
「別に幽霊とか怖くないけど、ドッキリは嫌だな。」
「何の話だ、ななえ?」
「気にしないで、星。こっちの話。」
不安の感情に駆られ、俺は否応無く、望様と肉達磨の方に注目し、その戦いに集中した。
ウォーミングアップが終わった望様は直ぐにまた走り出した。しかし今回は「肉達磨に向かって」ではなく、肉達磨を中心に円を描くように走っていた
その走りがどんどん速くなり、途中から数十人の望様が手と手を繋いで踊っているように見えた。だが、それでも望様の走りが速くなっていき、遂に俺の目が追えなくなり、望様の姿が「線」となった。
「速い...けど走っているだけ?」
「いや、ななえ、あれは攻撃前の準備だ。」
「攻撃前の準備?」
つまり、次の一手が決め手で、今がそれを打つ前ってこと?
目視20メートルくらい離れている俺達だが、あまりにも速い望様の走りが引き起こした風を感じられた。そよ風程度だが、風を感じる事自体、既に異常な事だと思う。
どこまで速くなるつもりだろう、望様は?
「ななえ、速度と衝撃力の方程式、憶えているか?」
「えぇ、もちろん。私、Sクラスだって、憶えてる?」
「つまりそういうことだ、ななえ。速ければ速いほど、ぶつけた時の衝撃力が大きくなる。我々ケンタウロス族の基本戦法の一つだ。」
「なるほど。」
衝撃力の計算式に関して、星はうまく言葉を濁したが、彼女が自分が口にした式を本当に憶えているかどうかは不明瞭だ。俺はそれを見逃さない繊細な感覚を持っている。
けれど、今はそれを訊けない。望様の方が気になっていて、心に余裕がないから、だ。
もう姿が見えなくなるほどに速く走っている望様が、その攻撃の衝撃力が大きくても、返ってくる反動に耐えられるのか?馬上槍なしの素手で?
...暖かい...ん?
気が付くと、タマの手が俺の手を握っていた。
俺はその訳の分からない行動に困惑し、タマの顔を見た。
「ななえお嬢様。」
タマが凄く心配そうに俺の顔を見つめていた。
俺の事が心配?
いや、違うだろう。心配されるような事をしていないし、今の体調も結構いい。
だとしたら、他に心配する事って、何?タマが心配するような事...少なくとも、タマが「心配そうな顔」になる事...あっ!
あ~、望様が心配か。俺と同じように、望様の今の行動が心配か。
俺と違って、タマは武術の嗜みがある。というより、武術の達人かな?望様がしようとしている事に対して、俺より分かるか。
柔らかい...いや、あまり柔らかくない手だ。
やはり武術を嗜んでいると、力んでいなくても、少し体が硬いのかな?
星もそうだ。柔らかく見える彼女の腕もだが、触ると硬い筋肉に気が付く。きっと力を入れると、もっと硬くなるのだろう。
...なら、望様もそうなのかな?
力が入っている望様の拳は俺の想像を超える硬さを持っているのかな?実際どのくらい硬いのかな?
...ちょっとタマに確認してみよう。
「た...」
と、俺が口を開こうとする手前に、望様の動きが変わった。
ずっと肉達磨の周りを走り回る望様が強く地面を蹴って、真っすぐに肉達磨に突っ込んだ。
...正確には「真っすぐ」ではなく、少し曲がった線となっているが、それをも計算済みなのか、望様は正確に肉達磨に向かって突っ込んだ。
そして、遂に肉達磨にぶつかる瞬間で、望様は素早く右拳を、その肉達磨の腹に叩き込んだ。
...一瞬な出来事なのに、よく目で最後まで追えたな、俺。
自分褒めは程々に...望様の方は?
「これ程の拳を受けたのは...精々二三か月ぶりか。」
「......」
無言の望様、まだ余裕な態度を見せる肉達磨。
だけど...
「嘘、だろう?」
うっかり、男言葉を漏らした。
望様の拳は確かに肉達磨の腹に入った。ミスなく、正確に叩き込んだ。
だが、その拳が肉達磨の腹を突き破っていない。深く肉達磨の腹に埋め込んだ状態で、肉達磨の身体を腹と背中をくっつけて、その背中に棒でも生えたかのような体型に変えていた。
俺は直ぐに気づいた...これはよくない事だ。
「ワシ、こんな形でも、体脂肪は身体のただの六割だ。」
肉達磨が自慢げに語る。
いや、自慢げに語られても...脂肪率60%って、体半分以上脂肪じゃないか!自慢するような事?
「残りの四割だが、大体三割が皮膚だ。」
...?
肉達磨が何が言いたいのかが分からない。30%が皮膚?それがどうした?
「脂肪が六割、皮膚が三割、か。生物学的にありえない話ですね。」
「細けぃ事はいいんだよ、先生様!学のねぇ生い立ちなもんで、ワシだって正確な数字なんて分かんねぇよ。
ワシの言いてぇ事はつまり、ワシの皮膚が滅茶苦茶長ぇって事だよ。」
皮膚が長い?どういう意味?
「皮膚が硬いでもなく、厚いでもなく、長い?」
「硬さは通常以上だが、厚さは他の奴らとほぼ変わんねぇ。しかも、ワシの身体の神経の殆どが皮膚に繋がっている。」
「あぁ、そういう事ですか。」
「試しに手ぇ、抜いてみ?抜けられねぇだろう?」
「体の構造がどのようなものか。それを理解すれば、自然と『出来る』と『出来ない』事が分かります。」
「ふっ、そうかよ。試しもしねぇのかよ!」
肉達磨の拳が望様の顔に向かっていく。が、望様は左腕で防いだ。
「いけすかねぇ奴だな、てめぇ。そんなんで、先生をやれるか?」
言いながら又も拳を振り下ろす肉達磨。けど、それも望様の左腕に防がれた。
...辛うじて。
「私でも、相手に合わせて、態度を変える人間ですよ。
教え子には極力良い先生でいるが、その教え子に危険を及ぼす人に対して、好かれるような態度をとれません。」
そう言った望様はやはり笑顔だったが、何となく、それが人をイラつかせるような笑顔であった。
「神経が殆ど皮膚と繋がってるっつっだろ?つまり...」
突然、肉達磨の右腕が伸びたように見えた。
いや、実際に伸びた。しかもにゅるにゅると不自然に動き、望様の左腕に絡みついた。
うわぁ、キモッ!触手プレイかよ!
実際目の前にあると、こうも気持ち悪いものだったとは...
「オラ!もう防げねぇぞ!」
そう言って、肉達磨の左手が膨らんで、望様の頭の上から真っすぐに振り下ろした。
ズドーン
大きなハンマが地面を叩くような音がした。
「望様!」
俺は思わず大声を出した。
正直、こんな展開は完全に想定外だ。
勝敗の予測はしなかったが、肉達磨が取る攻撃の予想をしていた。
ただ、肉達磨の動きが俺の予想と似てるところは一つもなかった。それなりに人間っぽく、悪くて動物っぽく予想していたが、肉達磨の動きは全く違うジャンルなものだった。
「ワシの身体に筋肉は殆どねぇ、顔の表情を作るのも、筋肉を使ってねぇ。
たぶん、ワシの身体にそもそも『筋』がねぇんだ。骨はあるが、殆ど繋がっていねぇ。
なのに、なぜワシは動けたのか。分かるか、センセイ?」
「......」
望様の顔が肉達磨のさっきの攻撃で、酷く歪んだ。顎が外れているのか、肉達磨の質問に答えないでいる。
「答えは『皮膚』だよ、センセイ!」
そう言って、肉達磨は又も望様の顔に重い拳を落とした。
「やめろ!」
このままでは、望様が死んでしまう!
そう思って、俺は叫んで、そして立ち上がった。
「もう十分でしょう?望様はもう戦えない。望様を放してくれ。」
「ハァ?素人が勝手な事を言ってんじゃねぇ!」
そう言って、肉達磨は俺にガン飛ばしてきた。
不良に絡まれた事のない俺だからか、経験がなく、その眼力に恐れの感情は沸かなかった。が、敵意と怒りははっきりと感じた。
凄まじいものだった。立ち眩みしそうになった。
けど、俺も精一杯の睨みで返してやった。
「望様を放せ。」
恐れを感じたのなら、怒りで消せ。
恐怖を感じたのなら、狂気になれ。
「...放せ。」
自分が相手に恐怖を感じさせるような喋り方を覚えたのはいつだったのか、忘れたな。冷たい口調で、静かな怒りを帯びた言葉遣い。
しかし、それは昔の自分だ。今の女の子の自分ではない。
今の自分が昔のように人を威嚇すると、どれほどの効果が出るのだろう?全く効果がないのかもしれない。
それなのに、俺は後先考えずに、昔のような威嚇をした。女の子の身体で、男用の威嚇をした。
バカだな、俺は。
「ほー、腐っても、ご隠居の血筋だな。いい眼力だ。
だが、無駄だ!実力差は分かってるし、このタイマンは手出し無用、したらルール違反。
てめぇら全員が蒸発しても、喰鮫組に大して影響はねぇ。てめぇのオトウサマだって、うちらがなきゃ、とうの昔に路上死してるよ!」
そして、肉達磨は三度目の拳を望様の顔に振り下ろした。
「くっ...」
我を忘れるような出来事だが、悲しい事に、俺は我を忘れる事も、パニックになる事もできない人間だ。熱くなっても、冷静さを失う事ができない人間だ。
だから、目の前の出来事に怒り心中だが、冷静な自分が今の自分の足を支配し、駆けよらないようにした。
自分が制御できる人は素晴らしい人だと誰もが言う。だけど、俺だけは「それは違うんだ」と思う。
感情だけで動ける人間は、羨ましく思う。
「こいつが!まだ!意識がある!まだ!倒れていない!身体が!地面に!伏せていなければ!まだ!戦う意思が!ある!という!事!だ!」
言いながら、肉達磨は何度も望様に拳を落とした。
...14、15、16...
「意識が!無くても!地面に!伏せていなきゃ!タイマンは!終わらない!続けて!叩かなきゃ!ならねぇ!」
何度も、何度も...
...23、24、25...
「ふん、間抜け面をさらしやがって...」
望様の顔を見て、肉達磨は許されない事を口にした。
「なぁ、おい!こいつはてめぇの好きな人か、なんとかオジョウサマ?」
「25回...」
「アァ?何だって?」
「回数だよ。」
「何の回数だ?」
「......」
憎達磨が望様を殴った回数だ。
「ッチ、白けちまった。」
そう言って、ようやく腹の脂肪?皮膚?を動かして、望様の右手を腹の外に出した。
やはり、望様は手を抜きたくても、抜けない状態であったんだな。
これが憎達磨の力か。この力に対して、どのような対処なら勝てる?
次の時、どう対処する?どう「料理」する?
「まだ殴り足りねぇが、ケジメとしちゃ~十分だな。
おい、オジョウサマ!メンツを潰された気分はどうだ?」
「...いい気分じゃない。」
憎達磨を睨み、冷たい口調で返事した。
「そうか!はっ、ならワシもこれ以上の事はしねぇ。
二度と喰鮫組に、目ぇ合わせねぇようにする事だな。」
そう言って、肉達磨はぷよぷよした体を両足で支えて、組長である「私」の母の側を通って、偉そうに去っていた。
あの足、恐らく骨で形を決め、皮膚で...
...いや、皮に変えよう。
骨で形を決め、皮で脂肪を固定し、動かしているのだろう。
二足歩行の真似事をしているだけの、人間のふりをしているだけの、得体の知れない異形。
「25回だ、憎達磨。」
その背中が見えなくなった後、俺は呟いた。




