第二節 新の旅路の始まり Another View — 千条院 望
ななえちゃんが扉を閉めるのを見送った後、私は彼女のメイド・早苗に別の部屋に案内された。
その部屋の中には何もなく、椅子一つ置かれていて、後はただ広い空間だけだった。
守澄は無駄が嫌い。
私の雇い主「守澄隆弘」という男はカメレオン族の平民だけど、裸一貫で事業を起こして、約二十年「世界長者一位」となり奇跡な男でもある。
そんな経歴を持つ男だが、他の富豪と比べて、異色にも物への執着がなく、 所有するどの部屋も、その部屋の使用用途に合わせた最低限の物しか用意しない。
そして、ここには椅子一個しかない...
「どうぞ、千条院教諭、椅子にお掛けになって下さい。」
やはりそれは私用の椅子のようだ。
私が座ったら、一緒に入って来たななえちゃんのメイドはどこに座るのだろう?
それが気になって、一応「早苗さんは...?」と確認してみたら、返ってきたのは「お気になさらずに」の一言だった。
なので、仕方なく一度椅子に腰かけた。椅子のないななえちゃんのメイドは自然と立ったままの状態になっていた。
今から拷問でもされる気分だ。
「これからしばらくの間、旦那様が残した記録を見て頂きます。ご質問が御座いましたら、一時停止致しますので、遠慮なくお声掛けください。」
「学園長は来られないのですか?」
「旦那様は今お嬢様と一緒にいらっしゃいますので、こちらには来られません。ご理解ください。
代わりに私が千条院様が感じた疑問に返事いたしますので、答えられる範囲の事なら、嘘偽りのないことを約束致します。」
つまり、私に黙って言う事を聞け、と。
守澄隆弘という男はどんな男なのか、分かっていた事だ。ななえちゃんがとても懐いていたから、時々自分を疑ってしまうが、学園長は卑怯者だ。
「現」
メイドは呪文を唱え、部屋内の過去の光景を出した。そこには同じ椅子に座っていた学園長がいた。
「千条院望先生、君にはこの夏休みの間、奈苗と一緒に氷の国に行ってもらう。」
人を呼びつけ、当の本人は顔も見せずに、命令だけを下す...メイドが放映開始位置を間違えたか?とも思える始まり方だが、これが守澄隆弘という男のやり方だ。
「此度の旅行は私自身の他の用事の為、奈苗と同伴できない。代わりに君に奈苗を頼みたい。保護者としてあの娘と一緒にいて、守ってあげて欲しい。相応なボーナスは用意している。」
一方的で、人を見下しているように伝言を残す。私の意思も、ななえちゃんの意思も、既に決まっているみたいに言う。
「奈苗の方は私が説得する。あの娘は必ず私の言う事を聞くのだろう。」
私の考えが読まれたかのような記録が淡々と先に進む。まるで何もかもか彼の手中のようで、進む道の両側に鉄格子を張られたかのようで。
「君の方には他に、幾つやってほしい事がある。まずは...」
「止めて。」
堪らずに、メイドに一時停止を頼んだ。
「何か質問がございますでしょうか?」
聞きたい事があるのではない。自分でも、どうして「止めて」と言ったのかが分からない。
きっと、気に入らなかっただけだろう。理事長が人を駒のように思って動かしている事に、自分が実際理事長の思い通りに動いている事に。
自分の娘ですら、そのように動かそうとしているのを聞いて、我慢できなくなったんだろう。
「理事長は、今回はまた何を考えているのですか?」
「すみません。仰っている意味が分かりません。」
「理事長は意味もなく何かをするとは思いません。今回はどうして突然、奈苗さんを国外に行かせるのですか?その理由は何です?」
「理事長のお考えは一介のメイドである私も分かりかねる所。しかし、行先である氷の国には奥様と雛枝様が住んでおります。此度の旅行は記憶喪失後の奈苗様に、奥様と雛枝様に会わせる為だと、そうは思えませんか?」
「それだけだと信じたいが、向かい先が氷の国となると、色々気になるところが...」
日の国の中でも、少し遠出をしただけで一か月の休みとなったななえちゃんの体。そんな病弱な彼女に、どうしていきなり反対側の氷の国に行かせるのだろうか?
「今回はまた何を企んでいるのです、理事長は?実の娘に何をさせたいのです?」
「旦那様はお嬢様を大切にしています。その事が信じられませんか?」
「えぇ、信じられません。カメレオン族の最も得意とする事、それは『嘘を吐く事』。人を騙す事に関して他種族より秀でているのがカメレオン族です。
理事長はその中でも最たる者。誰を相手にしても、その人が最も心地よく感じる対応ができる。実は、実の娘にもそのように態度を変えているのではないのですか?
ななえちゃんが記憶喪失したきっかけの事件、実際理事長は何の対応もしませんでした。
それなのに、今のななえちゃんに懐かれていて、そのななえちゃんを次期当主に指名している。
そして、突然の海外旅行...」
言いながら、これは自分の嫉妬じゃないかと考えた。
同じ事件の被害者であるななえちゃんを知っている二人、結局力になれなかったが探した私と、何もせずいつも通りに仕事した理事長...
自分より、卑怯者の理事長が彼女に懐かれているのが嫌だったんだ。
それでも、私は言葉を続けた。
「あなた方は自分達に都合の良い跡継ぎを育てようとしているのではないんですか?」
私は私怨交じりな質問を目の前の女性に問いかけた。
メイドは少しの間に口を閉じた。私の考えが「失礼」だと思って、怒っていたのかもしれない。
その後、彼女は質問を答える代わりに、私に別の質問をした。
「カメレオン族は『嘘つきな種族』だと申すのなら、カメレオン族であるお嬢様も、そうだと申すのですか?」
「ななえちゃんが?」
素直で、自分の事より他人の事を考えるあの子が?
「そんな事ありません!あの子は嘘つきだなんて...」
いや、どうだろう?
ななえちゃんはカメレオン族であっても、嘘を吐く子ではないと私が勝手に信じているが、彼女は既に目的の為に嘘を吐けるようになり始めている。
どれも可愛らしい嘘で、人を傷つけるような嘘ではないが、「嘘」である事に変わりはない。
自分の身を守る為に、そして後で酷く後悔していたが、今日、ななえちゃんは人を傷つける嘘も吐いた。
彼女も、やはり「カメレオン族」だと、思わずにそう思えた。
「旦那様の世間での評価は確かによろしくありません。しかし、お嬢様を思う気持ちは確かです。
お嬢様に悪いような事を旦那様はなさらないのです。私はそれを信じています。
どうか、お嬢様の為にも、旦那様を信じて、お嬢様と一緒にいてはくれませんか、千条院様?」
「......」
ななえちゃんの為に、理事長を信じる。
確かに、そう考えれば私も疑問を持たずに、すぐに「はい」と言えるだろう。
だけど、ななえちゃんの保護者と護衛役としてのなら、私以外にも適役が沢山いる。私の方は逆に弟と妹達の世話があり、長い間、家を空ける事が出来ない。
それを知っていて、どうして他の人ではなく、私を選んだのだろう?
「私より、早苗さんが一緒に行った方が、奈苗さんも喜ぶと思います。
どうして早苗さんではないのですか?」
「私達メイド隊は旦那様から他の用事を頼まれています。二名ほどはお嬢様と一緒に海関までですが、それもそこまでです。
ですので、申し訳ありませんが、お嬢様と一緒にいてくださいますよう、お願い致します、千条院様。」
用事...だから、私はあの人が信じられないんだ。
「分かりました。すみません、早苗さん、続きをお願いします。」
「畏まりました。」
結局、私はななえちゃんの事が心配で、理事長の依頼を受ける事にした。子供の頃から知っていたあの子は、今は星達と同じくらい大事な妹だ。
その事も、きっと理事長は計算に入れていた。だから私に頼んできたんだろう。
やはり、彼は卑怯者だ。




