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第十節 脱獄③...神よ!試練を!押し付けて来ないで!

ラスボスとヒーロー

 猫ちゃんがどこにも見当たらない。

 ようやく出られるようになったが、俺を守ろうとした猫ちゃんがどこにも見当たらない。

 この世界の猫が絶滅したと聞いた時、恐ろしくも「子虎でも飼おうかな」と思った事がある。それ程に猫に飢えている。

 だから、確かにあの猫ちゃんは紅葉先生の猫だけど、猫好きの俺は是非ともその猫を自分のモノにしたい。


 しかし、見当たらない。紅葉先生の裸を見た時から猫ちゃんに関する記憶がない。

 何ということだ!女性の裸を見た衝撃で、可愛い猫ちゃんの事を忘れるとは、世の女性達と世の猫達のどっちにも申し訳ない。


「猫ちゃん~、どこだ~、出ておいて~」と呼んでみたら、すぐに「にゃー」という可愛い返事が来た。


「早っ!」

 声の響く方に振り向くと、タマの体の上に寝ている猫ちゃんが見つかった。


「そこにいたのか、猫ちゃん~。」両手を広げて、猫ちゃんを迎える。すると、すぐに猫ちゃんがタマの上から降りて、俺の側に寄って来た。

 抱き上げて、抱きかかえて、幸せな気分になって、しかし余計な事を考える。


 この猫ちゃん、人懐こいすぎじゃないのか?


 人懐こい猫は様々な人と触れ合える環境でしか育たない。そういう環境でも、警戒心が高い猫は中々人に懐かない。

 紅葉先生の(猫を飼う用の)お家――つまりここはとても多くの人と触れ合えしやすい環境ではないように見える。どうやってこんな人懐こい猫に育てた?特殊な調教でもしたのか?


 猫が絶滅したなら、人懐こいしない猫でも、きっと他人に見つけられると攫われる。例え環境が猫ちゃんを人懐こい猫にさせやすくても、「人」が猫ちゃんに良くない事をするだろう。俺のように自分の物にしたいと思う筈だし、最悪標本にして飾るかも。

 実は紅葉先生が猫泥棒(そう)なのかもな。


 そして、もう一つおかしなところがある。

「今までいたっけ?」撫でながら、猫ちゃんに話掛ける。


 俺は昔、真っ黒な夜に、草葉に隠れてる仔猫を見つけた事がある。

 その時は普通にあの仔猫に逃げられたが、俺の目はそれ程に「猫」に敏感なんだ。

 だから、横になっているタマの上に横になっている猫ちゃんを見落とす事、普通はない。どうして今回は見落としたんだろう?


「お姉ちゃん、行かないの?」幼い男の子が俺を呼ぶ。

「あ、行く!」と短く返事した。


 暇つぶしにくだらない事を考えるのは俺の癖だが、今はまだ気を抜いてはいけない。

 先ずはこのダンジョンから抜けよう。心なしか、ここが段々と熱くなっていく気がする。


「あぁ、タマはどうしよう?」


 折角出られるようになったが、タマが寝たままで起きないんだ。無理矢理叩き起こせれば一番いいが、「タマ転がし」の時も全然起きなかったから、希望は薄いだろう。

 なので、タマが寝たままの状態で逃げるしかない。タマを連れて逃げるか、タマを残して逃げるか。

 真っ先に頭に浮かんだ方法はタマを抱えて逃げる事だが、猫ちゃんと違って、タマは重いんだ。か弱い今の俺では一人で持ち上がれない、もう一人大人が欲しい。

 ショタのアキラ君がタマを持ち上がれるとは思えないが...


「アキラ君?」

「なーにー?」

「ちょっとお姉ちゃんの手伝いをしてくれない?」

「?」


 試してみないとわからない。


「あのお姉ちゃんも抱えて出るから、力貸してくれない?」俺はタマを指差す。

「何をすればいいの?」

「ありがとう。じゃ、アキラ君はお姉ちゃんの足を掴んで、私は肩を抱えるから。」

「わかった!」


 アキラ君がぽてぽて歩いて来て、ベッドの上に登った。俺は猫ちゃんを床に置いて、その頭を愛を込めて軽く叩いてから、タマの肩に手を置いた。

 冷たい...でも、呼吸をしている。

 きっと生きている。


「じゃ、アキラ君。このお姉ちゃんの足を掴んで。」

「はーい」元気よく返事するアキラ君は、その小さな両手をタマの足首に重ねた。

 俺はアキラ君に合わせて、タマの脇に腕を入れた。


「せーのっ、で一緒に力を入れましょうね。」

「『セーノッ』?」

「せーのっ!フーン...」

「?」


 全力ぅ!

 無理!


「はぁ、はぁ...せーのっ!フンッ!」

「?」


 全力ぅ!

 無理!


「はぁ、はぁ...あれ?アキラ君、手伝ってくれないの?」

 よく見たら、アキラ君が大きなお目々で俺を見つめていて、全然タマを上げようと力を入れていない。

 お兄ちゃん、こんなに頑張ったのに、見ているだけ?流石にイラっとくるね。


「『セーノッ』ってなーに?」

「はい?」


 予想外の返事に俺は口を開いてすぐに閉じれなかった。

 アキラ君をマジマジと見たら、彼は至って真面目な表情をしている。本気で「せーのっ」の掛け声を理解していないようだ。

 分からなかったから、俺が頑張ってタマを上げようとしている時も、無邪気に瞬きしているのだろう。可愛いけど、役に立たない。


「はぁ...『一二ー』で上げるよ。分かった?」

「『セーノッ』は?」

「忘れて。『いち、にー』だ。オーケー?」

「うん!」大きく頷くアキラ君。


「それじゃ、一....二!」

「にー!」


 一緒に全力ぅ!

 ...無理だった!


「はぁ、はぁ...」

「ムーン!」


 早々に諦めた俺と違って、アキラ君がまだ頑張っている。しかし、幼すぎた彼はタマの足を持ち上げるまでしか出来なかった。

 俺の方もタマの体を起こせた程度で、大きなタマのお尻が一ミリもベッドから離れていなかった。


「もういい、アキラ君。やめよう。」

「え、やめるの?」

「うん。私達の力では、このお姉ちゃんを持ち上がれない。ごめんね、大人なのに力がなくて。」

「お姉ちゃん大人なの?見えなーい。」

「むっ。」


 無邪気な厳しい指摘、子供の特権。


 そうだな。心の年齢と体の年齢の不一致で、今の自分がまだ高校生程度の年齢だと、偶にド忘れしてしまう。

 しかも、背が小さいから、身長的にも幼く見えるだろう。胸だけが「大人の女性」だ。


「アキラ君、こっちにおいて。」

「?」


 警戒心皆無のアキラ君が言われた通りに俺の側に来た。「飴あげるから」という言葉も必要なかった。

 そのアキラ君を強く抱きしめて、胸を彼の顔にくっ付ける。


「今の私には『大きな武器』がある!人を窒息死できる『大きな武器』。」

「むぅう!むー!」


 逃げようとするアキラ君を勿論逃しはしない。俺は更に力を入れた。


「ほれっ!大人だろう?大人だよね!」

「むー!むぅううう!」

 口を封じられたアキラ君が一所懸命に頷く。


「宜しい。」

 俺はアキラ君を放した。


「ぷはぁ、お姉ちゃーん。」

 ようやく解放されたアキラ君が、何故が俺から離れようとしない。

 でも、いっか。子供だからか、体温が高くて抱き心地はいいので。


 やはり、このショタは見た目通りに力が弱いようだ。異世界だから、「もしかして見た目に反して力が強いかも?」と賭けてみたが、ハズレのようだ。

 でも、魔法なら?


「ねぇアキラく...」

「にゃあー」

「おっ!」


 猫ちゃんがベッドの上に登って、俺に猫語で話かける。

 まさか、嫉妬!?俺がショタに取られたくないから、甘えているの?


「おう〜...」

 手を伸ばして、猫ちゃんの頬を掻く。


 でも、今は猫ちゃんに骨抜きされる時ではない。


「アキラ君。魔法を使って、このお姉ちゃんを浮かせる?」タマの体を叩いて、俺に抱きついているアキラ君に確認する。


「でけぇー。」

「出来ない?」

「うん。」


 なるほど。魔法自体はあるが、アキラ君の魔法では威力とかが足りなくて、タマのような大きい(デケェ)なモノを浮かせられないという事か。

 残念だ。それなら、タマをここに残して、俺とショタと猫が先に逃げるしか道がない、という事か。


「ま、最初から期待していないよ。」


 子供と一緒にタマを抱えて逃げる事も、タマを魔法で浮かせて逃げる事も、それ程期待していない。俺は最初から別の方法でタマを運ぶつもりだ。


「ごめん、アキラ君。ちょっと離れて。」

「え〜」

「我儘言わなーい。」

「はーい。」

 アキラ君は渋々と俺から離れた。

 懐かれちゃったね。


 それは兎も角。


「キャスター、付いているのかな?」

 俺はベッドの下を覗く。


 ここが「室外」だという可能性に気づいた時に、「どうやってタマと一緒に逃げるだろう?」について、一つ解決策を思いついた。

 ここが「太古の遺跡」で、その時代を過ごした「人間」の手によって造られたものなら、ベッドを「室外」に置く筈がない。

 誰かがベッドを「室外」に移したのだ。

「それは誰だろうか?」は今は重要じゃない、重要なのは「ベッドを移動した」という事実。

 魔法がどこまで万能なのか、わからない。なので、確信はないが、このベッド自体がキャスターがついていて、動かせる物だと考えた。

 それ故に、寝て起きないタマをベッドの上に移した、一人では出来なかったけれどね。


「あるね〜」

 予想通り、キャスターのあるベッドだ。


 四つのロックを外してベッドを動かしてみたら、少し錆びれてギシギシ音がするがと思ったが、全くなかった。

 特殊なコーティングが施されたのか、それとも特殊な材質で作られたのか。兎に角、ベッドがそれなりに動かしやすかった。


「ホア、お姉ちゃん凄ーい!」

「え、何が?」


 急に「凄い」と言われたから、流れで理由を尋ねた。


「だって、ベッドを動かした!凄い!」

「えぇ...」


 ベッドを動かしたくらいで「凄い」のか?そういう作りなんだから、誰だって動かせるよ。

 いや、子供には難しいか。それなら、わかる。


「そのうち、君も出来るよ。」

「本当?やった!」喜ぶ男の子。


 いいな、子供って。本当に可愛い。

 もう十分に時間を無駄にしている、いい加減逃げなきゃ...

 と思って、俺がベッドを外に押し出そうとした時、ベッドの幅が狭いドアより広い事に気付いた。


「いい加減にしてよ、もう!」


 神よ!何故一々俺に試練を与える?楽々俺に合格させろ!


「はぁ...」


 喚いてもしょうがない、頭を回せ。

 まず、普通に考えれば、このベッドを設計した人達が「大きすぎて部屋に入れられないベッド」にする筈がない、何か入れられる方法がある筈だ。


 その方法は何だろう?

 真っ先に浮かんだのは「斜めにして入れる」というものだが、目視でこのベッドを斜めにしても、ドアを通れそうにない。例え出来ても、昔の俺でも一人で出来なさそうなので、却下だ。

 次に考えられるのは「組み立て式ベッド」だが、タマを乗せたまま動かしたいので、「組み立て式ベッド(そう)」であってほしくない。


「折り畳み式ベッドが一番望ましいのだが...」

 その場合はかなり「折りたたみ」してくれないと困る。はてさて、どこかにレバーがあるのかな、回せる方の?


 俺はそう思って、ベッド全体を一通り見てみた。すると、ベッドの中央辺りに「レバー」を見つけた。


「変な設計。」


 とりあえず回してみたら、ベッド全体が傾いていく。どうやら、このベッドは折り畳み式ではなく、自由に角度を変えられるベッドらしい。

 多分、最後まで回したら、このベッドが真っ直ぐになるのだろう。ベッドを支える脚部も合わせて位置を変えたり、長さ変えたりしている。文字通り、ベッドが「真っ直ぐ」になる。

 しかし、何故そんな造りにしたのだろう?何の為に?「ドアを通す為に」のなら、組み立て式にすれば十分の筈だ。何故わざわざベッド自体を「立てる」ようにするのだ?


「おっと、危ない!」

 ベッドが斜めになっていくから、べッドの上にいるタマがずり落ちそうだったので、慌てて手で押さえて、レバーを逆方向に回した。


「あぁ...」

 ベッドの仕組みが分かったが、ここで新しい問題が発生した。

 タマだ。今の俺が力が弱い所為で、タマを担いで逃げる事が出来ない。打開策としてベッドに乗せて、ベッド自体を動かす事にしたが、狭いドアを通る為にベッドを真っ直ぐになるまで上げなければならない。

 しかし、その場合はベッドの上のタマを床に落としてしまう。一度床に落ちたタマを再びベッドの上に乗せる事は至難――というか不可能だ。

 なので、タマをベッドの上に乗せたままで、ベッドを、ドアを通さなければならない。


 これは困ったな...はは、いや、そんな事はないか。

 俺は覚えている、俺が最初にここで目覚めた時、自分がベッドの上に固定されている事を。


「確か、この辺りかな?」

 当時、紅葉先生が俺を解放する時に手が探していた場所、そこに指で探る。

「ビンゴ!」

 スイッチっぽい物が見つかった。


 人を拘束出来て、自由に角度を変えられるベッド...どうやら、これはただのベッドではなく、「拷問用」とかに作られた特殊な造りのベッドだろう。

 何故、このような「太古の遺物」があるのだろう?昔の人間は何の為にこれを作ったのだろう?

 考古学部...意外と退屈しない部活なのかもしれない。


 タマの体をずらして、首と手足首それぞれにあった位置に置いて、スイッチを入れる。すると、カチャッという音と共に、ロックが掛かり、五つの金属の輪っかがタマをベッドに「拘束」した。


「にゃあ~」

 同じ猫耳同士だからか、タマを見て、猫ちゃんは悲しそうな鳴き声を出した。


「ごめんね、猫ちゃん。私だって、タマをこんな状態にしたくなかったんだ。タマが起きないのがいけないんだ。」


 猫ちゃんの頭を撫でて、短い癒しタイム。そして、不憫なタマを見て、その首が気になった。

 このまま、ベッドを縦にしたら、タマの首が拘束具に当たって、呼吸がし辛くなるじゃないか?

 意識がしっかりしていれば、自分で首を動かして、呼吸が出来る体勢を取ってくれるのだろうが、寝ている状態ではそれが出来ない。最悪、寝たまま窒息死するかも。


「流石に考え疲れたよ。」

 少しくらい、「妥協」をしよう。首輪による傷以外、タマの細い首に跡を残したくないが...我慢するしかない、か。

 軟らかい布団を少し首の方にある輪っかに詰め込む、最大限にタマの首を守るようにする。その後、ベッドを75度までに斜めにして、ドアを通す。


「通れた...」

 意地でも通してやると思っていたが、実際に成功した瞬間に、達成感で空をも飛べそうな感じだ。

 そして、「室内」に入った。


「世紀末地下ダンジョンだ!」

 思った通りの光景が目に入って、俺は大興奮した。


 掃除がきちんとされていない埃だらけの部屋、崩れた壁、剥き出しの鉄筋、外れそうで外れていないドア、点滅する灯り、割れた鏡や壊れた何かの道具...ここは、廃墟だ。

 元々道じゃない場所が道となり、道だった場所が塞がっていて通れない。日常が非日常になった光景。


「だから、俺がダンジョン探検がしたいと!退屈がどうしようもなく嫌いだから、異世界に憧れるんだ!」


 望まずに異世界に来たが、「来てよかった」と初めて思った。

 俺は、俺に逆らう「敵」を圧勝するより、「非日常」自体が欲しがっていた。


「お姉ちゃん?」

「おっと...なんでもないよ、アキラ君。」

 うっかり「俺」という言葉を使ったが、相手が子供だから、心配しなくていいだろう。


「さて、早く逃げましょう。」俺はレバーを回して、ベッドをまた横にしてから、タマの拘束具を外した、「いつ、紅葉先生が戻って来ても、おかしくないから。」


 ...フラグを立てた気がした。そして、お約束通りに、唯一の逃げ道の方に人影が見えた。


「どうしても、大人しくしてくれないのか。」

 ボロボロな白衣を着た紅葉先生が現れた。


「お姉ちゃん...」男の子アキラ君が俺の背中に隠れた。

「シャー!」猫ちゃんが勇ましく俺の前に出た。


 俺は後ろに隠れるアキラ君の頭を撫でて、「大丈夫、大丈夫」と慰めた。その後、猫ちゃんと一緒に目の前の紅葉先生を睨む。

 ゆっくり近づいてくる紅葉先生の輪郭が段々と鮮明になっていき、弱い光でよく見えなかった部分も見えるようになっていた。


「紅葉先生...」先生の今の姿に俺は驚いて、何度も瞬きした。「どうして傷だらけなの?」


 ボロボロになっていたのは紅葉先生の白衣だけじゃなく、先生自身もボロボロになっていた。

 数えきれない切り傷や鈍傷、火傷に凍傷。傷は全部治っていて、血は流れていないが、跡はまだ残っている。僅かながらか、白衣の方にも幾つかの血痕が残っている。


「誰にやられたの?誰が紅葉先生に、そんな酷い事?」

「私の心配?奈苗様は優しいね。大丈夫、そのうち、跡も消える。」

「それなら、良かった。」

 紅葉先生の話を聞いて、俺は安心した。顔の方にも傷が残っていたから、女の子にとって致命傷みたいなもので、跡も消えるのは本当に良かった。


「あ!」


 違う。

 今の紅葉先生は俺の「敵」だ。


「アキラ君、部屋に...」

「奈苗様。」

「ひっ!」


 紅葉先生に手を掴まれた!


「悪いが、時間がない。後で分かる。今は大人しくしてろ。」

「何?何をするつもり?」

「お姉ちゃんを放して!」

「にゃあ!」


 アキラ君と猫ちゃんが勇気を振り絞って拳や爪で紅葉先生に攻撃するが、それらを全く気にしない紅葉先生が急に、俺にキスした。


「む~!?」

「ちゅ...」


 キスされた...何で!?

 しかも、ディープの方。女の子にディープキスされた。

 気持ちいい...舌が絡まされて、粘々してて...


「ん?」


 いや、違う!これは、ヤバイ方のキスだ!

 何故だろう?キスされているだけなのに、吸い取られていくような感じがする。

 自分が自分の体から引き出されそうな感覚だ。意識が段々と消えていく感覚だ。


 このままでは...死!

 自然とその単語が脳に浮かんだ。

 離れなきゃ...


「むー!むー!」


 ダメだ、力が弱い。

 自分の全力を入れたのに、少しの距離も開けられなかった。

 足が、地に着けない。抱き上げられている。


「お姉ちゃん、いや!」

「にゃあ~!」


 意識が、遠のく。呼吸が、しなくなる。

 俺、死ぬのか?こんな、訳も分からずに、急に死ぬのか?

 誰か、助けて......


「ななちゃん!」


 突然、知った声が聞こえた。そのすぐ後に、俺は紅葉先生に押されて投げられた。


「があ!けほっ、けほっ...」

 背中が壁に叩きつけられて激痛、その後に呼吸が戻り咳をする。

 意識がまだ朦朧とした中、俺の目が捕らえた人影が二人分増えた。

 逆方向の壁が凹んで、長い隙間が開けられた。まるで鋭い剣に切られたようだ。


 斬撃だ!

 ゲーム脳の俺が真っ先に思いついた、その隙間が出来た原因。

 それは、誰かの剣で切り裂かれた痕跡。しかも、剣そのものでではなく、なんか衝撃波みたいな見えない風の刃で、だ。

 そして、その隙間を作った人は...


「あき君...」


 意外な事に、知り合いの女の子より、先に知り合いの男の名前を口にした。


「紅葉先生、ななちゃんを返してもらいます。」

 その男、白川(しらがわ) 輝明てるあき竜ヶ峰(りゅうがみね) 紅葉(もみじ)先生に宣言する。


「どこまでも邪魔をする...」

 対する紅葉先生は忌々しくに唇を噛む。


 両者が一定な距離を取って対峙し、まるで時間が止まったかのようにどちらも動かない。しかし、治っているとはいえ傷だらけの紅葉先生と、どこからどう見ても無傷なあき君。どっちが劣勢なのか、一目で分かる。


「もう諦めてください、先生。このダンジョン内では、先生が俺に勝てません。それをもう十分に分かったのでしょう。これ以上やると、本当に先生を殺してしまいます。」

 あき君の目が紅葉先生を睨み、これ以上ない程に真剣な表情が言葉に凄みを与える。

 本気だ。あき君は本気で紅葉先生を殺せる。人の命を奪える。

 というより、俺はあき君が強気でいるのが驚きだ。凄いなのは(せい)から聞いてはいるが、実際に目にしていないからその凄さがどれ程のものなのか、分からなかった。

 いや、今も分からないままだ。分かるのは、あくまであき君が紅葉先生より強いという事だけ。王族と同レベルな「平民」、「ドラゴン族」の紅葉先生より、あき君の方が強い。


「なんた。ただの『主人公』か」という言葉を口にしてしまいそうだ。


「これだけは、使いたくなかった」と紅葉先生が小声で言った。どうやら、彼女には切り札があるみたいだ。


「我は命じる!我が従順なる従僕(しもべ)と成れ!千条院(せんじょういん) (あきら)猫屋敷(ねこやしき) 正守(ただもり)!」

「えっ!?」


 猫屋敷という単語に反応して、俺の頭がようやくちゃんと回れるようになった。

 すぐにアキラ君の方に振り向くと、アキラ君がまるでゾンビのように立ち、瞳の奥から光が消えた。

 そして、紅葉先生の「言葉」はまだ終わっていない。


神月(こうずき) 椎奈(しいな)!」


 次の瞬間、あき君の近くの壁が崩れた。その壁の向こうから、メイド服を着た二つの角を持つ女性が現れた。


「シイちゃん...」


 眼鏡を掛けていない。小賢しい知恵で俺を媚び諂うシイちゃんではない。銃より拳を好むプライドまでも捨てたシイちゃんだ。


「神月さん、白川さんを頼むね。」

「......」

 紅葉先生の言葉に返事しないシイちゃんだが、自分の物入れ結界から愛用のグローブを取り出して、両手に嵌めた。


 彼女はやる気だ。


「神月さん!目を覚まして!貴女は操られています!」あき君が大声でシイちゃんに声を掛ける、「ななちゃんも声を掛けてみて、何とか彼女の催眠を解けるかもしれない!」

「え?あぁ、分かった。」あき君に言われて、俺もシイちゃんに話しかけてみた、「シイちゃん!聞こえる?奈苗よ、分かる?返事して!」


 しかし、シイちゃんから何の返事も返ってこなかった。


「あき君、ダメよ!効果無し!」俺は大声であき君を呼ぶ。

「それでも、やるしかないんだ!神月さん!目を覚まして!」あき君も大声で返事する。


 正直、どんなに呼んでも効果はないと思う。呼ぶ程度で催眠状態から連れ出してあげられる程、俺とシイちゃんとの絆が強くない。俺自身も、絆という曖昧なモノを信じていない。

 そもそも、彼女が「催眠」という状態になっているとも思えない。紅葉先生の言葉から、恐らく何か心を奪える恐ろしい魔法だと思う。


「無駄。これは催眠魔法ではない、魔族の魔法だ。長い時間を掛けるが、私の意思なしでは決して解けない。」

 勝利を確信したのか、紅葉先生がペラペラと説明をしてくれた。


 魔族の魔法?何それ?普通の魔法と違うのか?

 魔法に普通はあるのか?


「くっ、戦うしか、ないのか...」あき君が剣をシイちゃんに向けた。

「ダメ、あき君!シイちゃんを傷つけないで!」だが、すぐに俺が止めに入った。「峰打ち!頑張って峰打ちして!」

「無茶言うな、ななちゃん!俺の剣、『峰』ないよ!」

「それでも頑張りなさい!幼馴染命令!」


 紅葉先生とシイちゃんを間に挟んで、俺はあき君と大声で漫才をする。

 だって、嫌だもん!女の子が傷つくのを見るのが!


 突然、シイちゃんがあき君に突進して、拳を振り下ろした。


「くっ!」

 あき君は素早く躱して、何かを抱えて後ろに跳んだが、あき君が元々立っていた場所に大きな穴が開けられた。

 シイちゃんがその穴を開けたのか?と一瞬目を疑ったが、特徴な一本の角が光を反射して、俺にシイちゃんだと分からせた。


「悪い、ななちゃん!俺も手加減する余裕はない!」

 そう言って、あき君はシイちゃんに斬りかかる。

 が、シイちゃんがいとも簡単にあき君の剣を避けた。


「速っ...くはっ!」


 しかも、シイちゃんはあき君の剣を避けた直後、素早くにあき君に拳を入れた。

 あき君は剣を上げて拳を防ぐが、シイちゃんはそのまま剣に拳を叩き込んで、あき君毎を殴り飛ばした。


「あき君!」

 慌てて立ち上がってあき君の方に駆け寄ろうとしたが、急に足が引っ張られて、無様に転んだ。


「何だよ!私はドジっ子じゃない筈だろ?」

 振り返ると、アキラ君が俺の足を掴んでいる姿が目に入った。


「なるほど、そういう事か。」


 シイちゃんの出場が衝撃的だったから、すっかり忘れていたが、紅葉先生が口にした名前は三つもあった。

 そして、紅葉先生が口にした二番目の名前...


「はは、ムリゲーだ。」


 タマの弟、猫耳男子である猫屋敷(ねこやしき)正守(ただもり)が、無表情に俺の前に立って、俺を見下ろした。

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