第七節 温泉宿②...湯あたり
温泉だ!露天だ!
美しい景色に囲まれて、更に美しい女体の園を拝めるチャンスだ!
俺は今、大浴場のドアの前に立っている。
一度は「混浴がない」ことを知ってちょびっと残念がっていたが、今になって自分も同じ女になっていることを思い出した。
つまり!女の子と同じ湯に浸かれても、決しておかしなことではない!
寧ろ、男と一緒のお湯に浸かれてはいけないんだ。いけなくなった!
......
なんで今更気づくのかな...わくわくが止まらなくなっているじゃないか!
このドアを通れば、俺は女子の裸体を見放題!中にはババァもいるでしょうけど、混浴じゃない分、ババアの比率もかなり下がるだろう!
シイちゃんと紅葉先生を誘った時、シイちゃんはメイド長ちゃんに今日の一日のことを報告する仕事があり、後で来る予定。紅葉先生はそもそも温泉に興味がなく、「清潔魔法」で身を清めるつもりだ。
俺はあの時、一緒に入るよう、しつこく二人を誘わなかったが、今はちょっと後悔している。
...後悔と言えば、あき君はまだ俺と上手く口を利いてくれない。静かな食事が終わり、ようやく俺から解放されて仕事に戻れたヒスイちゃんが去った後、あき君もさっさと一人で温泉に入った。「お陰で」、俺はそれから、またあき君とぎくしゃくした感じに戻った。
...もしかして、ぎくしゃくと感じているのは、俺だけなのか。あき君はあれで普通なのか。
悲しい哉、俺はあき君じゃないから、彼の心の内が分からない。
まあ、今はそれを置いといて、まず目の前にある露天温泉を楽しむとしよう。
万歳、女の子!万歳、公共施設!
俺は思い切り手をドアノブに添えて、ゆっくりドアを開いた。
し~ん
誰もいなかった...
......
まぁ...予想していたことだし、そんなにショックを受けていないよ。
脱衣場に俺一人だけだったから、「もしかして?」と思った。それで一応心の準備をしたが、真実を知った時、やはりショックを「少し」受けてしまった。
でも、ここはまだ大浴場だ。露天風呂がまだ残ってる。
もしかして、みんなが露天風呂に入っているかもしれない!まだ希望を捨てではいけない!
俺は震えている手をゆっくり露天風呂行きのドアのドアノブに添えて、力強くそれを回した。
皆さんはお気づきでしょうか、この二つのドアは全く違う開け方であることに。
恐らく冬になると、ここが極めて寒くなり、室外と室内とはかなりの温度差になるから、こういう風に別々なタイプのドアにしたのだろう。
また、このドアを開ければ、あの断崖を目にすることとなり、わざと人を焦らすようなドアにしたのだろう。
でも、そうして断崖を目にした時、人はきっと想像を絶するほどの感動を受けるだろう。だから、敢えて「一度手を回す」ようなちょっと手間を取るドアにしたんだろう。
間違いない!
......
俺は誰に対して説明しているのだろう...
でも、こうして気を逸らしておかないと、また「ショック」を受けたら、俺はきっと...泣いてしまう。
裏切られた瞬間、人は最悪、絶望してしまうのだよ。
そして意を決して、俺はドアを引いた。
最初に目に映ったのは満天に広がる星々の光、次に目にしたのは断崖にある発光する特殊な岩。この二つの景色を見た瞬間、俺はこの世界に来てよかったと思った。
人工的な光で、都会ではなかなか目にできない「満天の星々」、水晶でもないのに、ただの岩でも発光できること不思議な世界。久しく忘れていたが、ここが異世界であることを思い出させる。
そうか...
ここが元の世界と違っているのは、魔法があること、人が獣耳などを生やしていることだけじゃない。環境も、景色も違うんだ。
俺はこの幻想的な風景に魅せられて、少しの間ぼーっとしていた。そしてようやく我に返ったのは、「うぇ!」という素っ頓狂な声を耳にしてからだ。
「ごめなさい!俺、間違って女風呂に入ってしまった!すぐに出ます!」
そう言って、お湯に浸かっていたたった一人の男性客が立ち上がって、タオルで下を隠して出ようとした。
俺は目を凝らして相手を見ると、予想外の人が目に入った。
「あき君?」
俺の声を聞いて、その男性が足を止めて、俺の顔を見つめては逸らし、また見つめてから目を逸らした。
「ななちゃん、なのか。」
「そうだよ。わからないの?」
「いや...。何故、黒髪なのだ?」
黒髪?
結んでない自分の髪に手を伸ばして、少し掴んで自分の目の前に持ってきた。
黒い。
これが普通なんじゃないの?
いや、違う。普段は白髪だ。正確にいうと艶のある銀髪で、黒ではない。
そう言えば、「私」は朝銀髪・夜黒髪という設定だったな。
普段、俺もメイド達もこの特徴に慣れてて、話題にすらしなくなったから、つい忘れてしまった。
「あぁ、これはね...。『カメレオン』は昔、姿を消すことに特化した種族じゃない?進化の過程で、髪の色だけが変わる種族になった時期があった。だから、カメレオンである私の髪が変色するのは、おかしなことではないよ」
「そうなんだ...」
お父様はずっと銀髪のままだけど、その気になれば魔法を使って簡単に髪の色を変える。自分の意志で髪の色をコントロールできないのは、恐らく全カメレオンでも俺だけだろう。
「あれ?でもななちゃんは魔法を使えないじゃ...」
「自分の意志じゃないんだ」
「『自分の意志じゃない』...それは、つまり?」
「『先祖返り』」
この世界では「先祖返り」は決していいことではない。進化の過程に生み出されてはいけない「失敗作」。
人に近づこうとした動物が何代も重ねて、多くの他種族の血を混ぜてまでようやく捨てた「動物っぽさ」...。その捨てたはずのモノが自分達の子孫の体に現れた時、その子孫が全種族の人間に嫌われるもおかしくはない。
俺の知らない「私」の過去に「いじめ問題」というものがある。その理由は先祖返りであるかどうかわからないが、可能性は「大」でしょう。
お父様が「私」を受け入れたけど、他の人間が「私」を受け入れられない。俺にお守りをくれたお母様も、離婚した時は妹を連れて行った。
ここまで言えば、「私」がどれだけ可哀想な人間なのもよく分かるな。
まあ、俺にとっては馬鹿らしい話だけど...
「ごめん...」
「いいよ、気にしないで。それより、どうしてここにいるの?」
俺の言葉を聞いて、再び慌て始めるあき君。
「本当にごめん!男の方に入ったと思ったのに、間違えたみたい」
間違えた?あき君がそんな初歩的なミスを犯すのか。
待て...
...俺はどっちの方に入ったっけ?
久しぶりに温泉に入るから、ちょっとテンションが高くなって、うっかり「青」の方に入ったんじゃないのか。
......
「ごめん、ななちゃん!本当にごめん!すぐ出るね」
「いや、待て、あき君。多分、私が間違えた」
自分のミスに気づき、俺は岩盤浴を止めようとしたあき君を止めた。
俺は温泉を特に好んでいる訳じゃないが、この世界に来てから約6か月。その間、一度も温泉に入ったことがない。ここまでになると、温泉を恋しくなるのも無理はない。「慣れ」で「青」の方に入っちまってもおかしくはない。
やっちまった...また「うっかり」した...
自分のミスに気付いた今、段々と恥ずかしくなった俺だが、それを気づかれないように極めて冷静な顔を作った。
「ごめんね、あき君。私は...」
何で言い訳しよう?
元は男だからうっかり...と言っても、信じて貰えない上に、逆に心配される。紅葉先生の言葉を借りると、「頭大丈夫?」って。
そもそも、偶然にも男子脱衣場に誰もいないのが悪い!一人でも居たら、俺は入ったすぐに自分のミスに気づけたのに...こんな全裸な状態になる前に気づけたのに...
今の自分が女の子であることをしっかり覚えていれば...それこそ自分が男であったことを忘れるくらいに、完全に女性に慣れれば、こんなアホみたいなことも起らなかったのに...
そう言えば、俺は「女性」だったな。
「あ、はは。
もう役得だと思って、このことを『なかったこと』にしましょう?
明日ダンジョン探検開始だし、覚えていたら、お互い顔合わせ辛いし...ね?」
何の「役得」だろうな。言ってて自分もわからないや...
自分が女性だと思い出した今、裸であることも思い出してしまって、胸を晒していることも気づいてしまった。
青少年健全な育成の為、小さなタオルを上に持ち上げて、重要な部位を優先的に隠した。
旅館にはバスタオルも用意してくれたのに、俺はこの34×85センチのタオルを持ってきてしまった。男にとってバスタオルは基本邪魔なんだよ。隠す場所そんなにないのに、持って温泉に入りたくない。
けど、その所為で俺は今、上を隠せば下を隠せない、前を隠せば後ろを隠せない。
「あはははははぁ、あはははははぁ...」
乾いた笑みを見せて、俺は前を隠して、お尻を見られないように後退して出ようとした。
早くここを出よう。ここ以外のどこかに行こう。
例えば女風呂。仮に女風呂の方も誰も居ないとしても、安心して温泉だけでも楽しめる。それに、少なくともシイちゃんは温泉に入る予定だし、メイド隊の一員でも、俺はまだ彼女の裸体を見たことがない。
よし、少し力が湧いた。恥ずかしくて穴を掘って入りたいが、俺にはまだシイちゃんの裸を鑑賞する義務がある!恥ずかしがっている場合じゃない!
「いやあ、温泉なんて久しぶりだな」
「ここの温泉、結構評判だって?」
「疲労解消と魔力アップの効果があるらしい」
「俺が聞いたのは『美肌効果とバストアップ効果』だけど?」
「それ間違って女性向けの雑誌を見たんじゃね?」
「立地は最高だぜ!天馬の断崖を真っ正面だぞ」
「ぃや、それより女風呂を覗こうぜ!何でも超美少女がこの旅館に入ったという噂だよ!」
「俺、見たぜ!銀髪で、巨乳!」
「マジか!もしかして外国人?」
「わかんない。でも可能性はあるよ!雪の国の観光者とか」
「この時期に?ありえん!俺は私立一研学園のお嬢様だと思う」
「それ、王女様でも可能性があるじゃない?」
「もしくは...あの守澄のお嬢様かもしれないぜ!」
「ひゅ~、それ夢見すぎ!」
「や、でも銀髪だぜ!仕入れた情報によると、メイドさんも入ってるらしい」
「今時メイドを雇う家なんて、そんなに居ないだろう」
「マジで...かもしれない」
「夢が広がるぅ」
好いことなかなか来ないのに、悪いことは重なって来る。
よりによって、このタイミングで男性客がぞろぞろと入ってきた。
ドアは一つしかないから、男性がいると女性は外に出られない。まだ脱衣場でおしゃべりしているが、そのうち、こっちに来るでしょう。
はぁ、面倒くさい...まさかのピンチだよ。
目の前のあき君を見て、俺は一つ決意をした。何をすることもなく、ただ慌てているだけのあき君に近づき、小さな声で話しかけた。
「ごめん、あき君。ちょっと隠れさせて」
あき君の手を引っ張って、都合のいい大きな岩の影に隠れた。隠しきれない方向にあき君を置いて、いざという時に誤魔化してもらおう。
「絶対に誰にも、私を見つけさせるなよ」
そう言って、俺は不本意ながら、男の方の露天風呂を楽しむことになった。
......
...
はぁ、馬刺し食べたい...
呆然と崖を見つめて、俺はしょうもないことを考えた。
急に露天風呂に入ってきた団体客はとある高校の生徒達。ぞろぞろ入ってきてから暫く、いつの間にか「覗き穴」を探し出して、出て行こうとする気配がない。
「ダメだ。どこにもない」
「やっぱ上から覗くしかねぇな」
「俺、ちょっと飛行魔法を使ってみるよ」
「馬鹿ッ、やめろ!飛行魔法なんか使ったら、一瞬で警報が鳴り、捕まれるよ」
「マジかよ...。じゃあ、どうすればいいの?」
「肩車して、一番上の人に見せればいい。順番に」
「よし、それでいこう。お前ちょっと下になれ」
「何でだよ!俺だって一番見たい!」
「後で見せてやるから、先に俺に見せろ」
「喧嘩を止せ!一人五分ずつならみんな見れる。とりあえず三人重なって、俺が証明してやる」
「何でお前が一番上という流れになってんの?証明なら俺だってできる」
「苗字順で行こうぜ。一番前の人が最初で」
「それ、お前だろ!何で一番後ろからにしない?」
「もうジャンケンで決めよう!このままじゃ埒が明かない」
「一回勝負で。負けだ奴が下ね」
「それで行こう。はい、ジャンケン...」
思春期男子の醜い争いが始まった...
俺もああいう時期があったな。
クラスメイトの少しの変化が気になったり、身体検査の日にわくわくしたり、意味もなく女子更衣室の位置を覚えたりしていたな。
気持ちは分かるけど、今は正直「うぜぇ」と思う。
こいつらが出て行かないと、俺が外に出られない。外に出られないから、女子風呂に行けない。女子風呂に行けないなら、女子の裸を堂々と見れない!
ようやく堂々と女の子の裸を見れるのに、何でむさい男の園に閉じ込める羽目になってるの?
これが運命なら、その運命を作った神様は俺の敵だね。
あき君も、やはり気になるよな。
隣にいるあき君に顔を向けると、あき君の頭が凄まじい速度で俺の真逆の方向に向けた。
ふむ。これはどういうことでしょうね?
その顔を見たくて、少し位置をずらしたら、ずらした分あき君の顔も逸らしていく。
ただ、彼の耳元が段々と赤くなっていった。
予想通りだな。
「見た?」
小声で聞いた。
あき君から何の返事も来ないけど、寧ろそれが返事になっている。
俺としては別に見られても恥ずかしくはない。あくまで「青少年健全な育成の為」、自分の裸を隠しているだけ、見られても減るものじゃない。
「いいよ。少しだけなら、助けてくれた礼として、見られても平気」
そう言って、胸を隠すタオルの位置をちょっとずらした。
...下の方は流石に勘弁してほしい。
男の時期でも露出癖はない。同性でも異性でも、下を見られた時はいい気分じゃない。
しかしあき君は意外に紳士。「見ていいよ」と言っても、こっちに顔を向けてこない。
今の歳の男の子は貧乳だろうと巨乳だろうと、女の子の裸に興味がある筈。それなのに見ないなら、紳士か、ムッツリスケベかのどっちかだ。
あき君には「紳士」の方であってほしいが、まさか「ムッツリ」じゃないだろうな。
...熱い...
頭がぼーっとしてきた。
気を逸らす為に深呼吸を繰り返して、お湯から多めに体を外に出してみたが、隠れている岩の場所は丁度源泉の噴出口で、一番熱い場所。
そのお陰で、ここが女子風呂に一番遠い場所となり、あまり男子から注目されない。偶にここに気づく人もいるが、あき君に軽い挨拶程度で、こっちには来ない。
女子風呂は男子風呂とは写し鏡のような作りらしいから、貧乳の女の子達はきっと巨乳達と比べられないよう、俺と同じ目立たない場所に身を潜んでいるに違いない。
つまり、俺から一番遠い場所にいるでしょう。シイちゃん別に貧乳じゃないから、そっちに行かないだろうけど、もし星がここに来たら、絶対噴出口を独り占めに違いない。
......
ダメだ...
考えている事が訳の分からないものになり、頭も痛くなってきた...
このままでは、自分が気絶するざまが容易に想像できる。
と言っても、今出れば、間違いなく男子生徒に裸を見られる。
あき君に裸を見られるのは仕方ないとしても、他の人にまで見られたくない。
俺は露出狂じゃないから、心が男だとしても、ホイホイと人に裸体を見せるつもりはない。
けど...
流石にもう限界が来ているようで、物事を上手く考えられない。
人の喋る声も段々と聞こえなくなり、目の前の物が霞んで見える。
もう、いい加減、覚悟を決めよう。
隣のあき君を強く掴んで、彼に少し近づいた。
肌綺麗...柔らかくてすべすべ...女の子みたいな肌だ...
「あき君...私、気絶するので、後はよろしく...」
「え?ちょっと...!」
「あき君以外の人に、決して私の裸を見せないでね」
そう言い終わって、俺は意識を手放した。
完全に気を失う前に、俺が最後に聞こえたあき君の声は...
「あそこに穴がある!」
...だった。
その意味を上手く理解できないけど、きっとあき君ならこの状況を何とかしてくれる。
そう信じている。
......
...
目が覚めた時、俺は見知らぬ天井を見た。
その天井をぼーっと見つめていたら、あき君の顔がひょいと出てきて、俺の顔を覗き込んだ。
「もう大丈夫か、ななちゃん。」
その言葉を吟味しながら、俺は周りを確認した。
ここは俺達の借りた部屋だ。
俺の悪戯で、男のあき君を美女三人と一緒に住まわせた部屋だ。
...自分のことを「美女」と呼ぶのはどうかと思うが、俺は未だに自分が女になったことに慣れていない。
今、部屋にいるのはあき君だけ、紅葉先生もシイちゃんもいない。
シイちゃんは恐らくお風呂で俺を待っているが、探しに行く元気がない。
紅葉先生はどこに行ったのだろうな。
胸の大きさでシイちゃんに負けてることに気づいて、「パストアップ」効果を狙って、温泉に入ったかもしれないが、そういうタイプの人じゃないでしょう。「ギャップ」なら「萌える」けど...
最後にあき君。何時からかはわからないが、俺の傍で団扇を振っている。
涼しい...
頭がまだちょっとボーっとしてるか。
そうか。俺は「湯あたり」になったのか。
......
「膝」
「え、なに?」
全くあき君は気が利かないな。
こういう時は「膝枕」でしょうに...
俺は寝そべったまま体を横にずるずると、頭をあき君の膝に乗せた、問答無用で。
「ちょ、ちょっとななちゃん」
「このまま扇いで」
「でも...」
「お願い」
「...はぁ、しょうがないな...」
あき君は俺の我儘に逆らわず、やり難そうに団扇を握る手を動かした。
はぁ、おかしいなぁ...
気のせいか、今日の俺は少しずつ女の子化している。
自分では上手く心をコントロールできない。少しずつ、女の子より男の子を気になり始める。
極めつけに、露天温泉に入っている時、俺は何を考えていたが、あき君を誘惑するようなことをした。
頭がぼーっとしている最中、目の前にいるのはあき君だと分かってるのに、何故か色んな種類のショートケーキが回っている幻覚を見た。そんなにショートケーキが好きじゃないのに、あの時は無性に食べたくなって、舌を伸ばそうとした。
いつも噛んで食べるのに、あの時は舐めようとした。もしそのまま舐めたら、俺はあき君の胸板を舐めてしまったんだろう。
先に意識を失ったのが幸いだった。でないと、痴女になって、あき君を求めていたかもしれない。
ゾッとする光景だな、俺にとって...媚薬を飲んだ女性はこんな感覚なのだろうか?
「ななちゃんが初めての温泉で『湯疲れ』になった。今は気分はどうですか。」
「よくわからない...多分、よくなっている」
「それならよかった」
「心配してた?」
「...少し」
「そうか...」
違う!
今の場合は「ごめん、心配掛けた」と謝罪するべきだ。
だというのに、喋る気力がない。
「暑い...」
扇がれて涼しいのに、熱は下がらない。あき君と接触しているから、彼の魔力に影響されているのかな。
でも、なんかもういいや...今はあき君から離れたくないから、なるように成れ...
「ななちゃん?まだ気分悪いのか。」
「Perhaps.」
「え?ごめん、ななちゃん。なんて言った?」
「あき君好き」
「!!!」
意識が朦朧となる中でも、人をからかうことをやめない。それは俺のポリシー。
真っ赤になっているあき君を見て、力もう出せないのに、少し笑ってしまった。
今まで「嫌」と言わず俺に合わせてくれたあき君に、今になって感謝の気持ちが沸いてきた。
悪戯にあき君を俺達と一緒の部屋にしたことが申し訳なく感じで、俺は彼に謝った。
「ごめん、あき君。もし、私と一緒にいるのが嫌なら、離れてもいいよ」
「どうしていきなりそんなことを言うのだ?」
心なしか、あき君は少し怒ったようだ。
「私の出来心で部屋一つだけを予約した。男のあき君を女三人と一緒の部屋に住まわせて、反応を楽しもうとした。それを嫌じゃないの?」
「そのことか」
あき君の声がいつものような穏やかな音に戻った。
「実は入浴前に、一度女将に『空き部屋はないか』って確認したんだ。偶々入ってきた団体客に、残りの部屋全てを貸し出したそうだ。今から別の部屋を借りようとも、もう部屋はない」
そうか。
出来心の悪戯が取り返しのつかない結果を引き出した。
明日からダンジョン探検を本格的に始まるというのに、あき君はちゃんと寝れるの?美人三人と?無理でしょう。
シイちゃんは「男装麗人」だから、男と思えば我慢できる。
紅葉先生は化粧すれば美人なのに、あまり風呂を入っていなさそうし、目の下クマが酷い。女失格だから、これも我慢できるでしょう。
なら「私」は?
俺の好みじゃないのに、それでも可愛いと思ってしまうほどの美少女。自分を褒めるのは本当にどうかと思うが、「私」は本当に可愛い。
寝ている「私」の傍で、あき君は寝れるの?言っとくけど、俺は無理、絶対手を出す。
「女将さんに頼んで、俺は今夜倉庫で寝るから、ななちゃんは心配しなくていい」
「そんなことさせないよ!」
俺の悪戯で、何も悪くないあき君に倉庫暮らし?俺はそこまで酷いことはできない!
...あき君限定...
あまり自分の首を絞めすぎないように...酷いことをできなくなるぞ。
「ごめん!あき君、本当にごめん!」
謝った、土下座する勢いで。
「お願い!私達と一緒の部屋に寝て!嫌なら私が倉庫で寝る!」
俺は体を起こして、倉庫に行こうとするフリをした。
あ、やべぇ...頭痛い...
「倉庫に行こうとするフリ」だけのつもりだが、力を入れすぎて、眩暈を起こした。
温泉に入っている時間が長すぎで、熱を出していることを忘れた。
俺の力が一気に抜けて、折角上半身を起こしたが、そのまま後ろに倒れた。
しかし、俺の体が畳に接触することなく、あき君の手が俺の背中を支えた。
「分かった、ななちゃん。ここで寝るから、ななちゃんももう寝てください」
至近距離で、俺とあき君と見つめ合った。
このままキスしてしまいそうだが、生憎中身の俺は男だ。
女なら、雰囲気に流されてキスするでしょうけど、実際今頭がぼーっとなってキスされても気にしない状態だけど、俺は男とキスするつもりはない。
「あき君。どさくさに紛れて変なことを...」
するなよ!と言おうとしたが、一瞬で気が変わった。
「...してもいいけど、私が寝ている時に終わらせてね」
「...しないよ」
呆れたのか、あき君はため息交じりで拒否した。
俺も懲りないな。
明日から本番だというのに、こんな状態で、まだあき君をからかおうとした。
でも、ここで限界が来たみたいで、俺の意識が...
...途切れた。
「おやすみ、ななちゃん」
注意:「雪の国」という名の国はありません。