第七節 予定変更⑤...探検ルール説明
...やはり待った。
今焦って飛び出しても、折角の策が台無しになる。
俺の話を聞くために、弟さんは頭の上の片耳をこっちに向けて、視線を俺から逸らした。
やはり本物だったのだな。
タマもそうだけど、この姉弟、耳のタイプが違うけど、どっちも本物だ。
その下に「人間の耳」を持たず、本物の猫の耳で、本物の彼女(彼)達の耳だ。
「あのね...」
俺は彼の耳にゆっくりに口を近づけて、びっくりさせないように、息を吐かないようにした。
「実は...」
そして、後少しでキスしてしまうほどに近づいた時...
「捕まえた!」
俺は彼の後ろから手を回して、逃げられないように全力で彼を懐に抱きしめた。
......
野良猫はとても警戒心の高い生き物であり、特に子猫は例え人に慣れていても、中々人に触らせてくれない。
そんな子猫を触ろうとしたら、毎日餌を与えて、少しずつ距離を縮ませても、頭を撫でようと手を伸ばした瞬間に逃げられる。
だから、子猫に触りたいのなら、策を講じなければならない。
まずは勿論、毎日餌で誘惑する。自分の手元まで近づいてきたら、その子に見られないように手を「中空」に置く。気づかれていなければ、その耳の動きに注目する。
ここが一番肝心!
子猫に限らず、猫は目より耳を頼る。その耳が向けた方向に大体は何かの音がした方向で、人がそれに聞こえなくても、猫には聞こえる。
だから、もし、子猫の耳が丁度自分の手のある方向なら、すぐに手の動きを止めて、その耳が別方向に向けるまで、辛抱強く待つ。
そうして、手が子猫の後ろまで回せば...耳の裏まで回せば、素早く・的確に子猫を捕まえて、懐に入れる。
「な、何すんの!この、放せ!」
しかし、「これで存分に子猫を撫でれる」と気を早まってはいけない。
いきなり抱きしめられたら、どんな生き物でも驚きをし、逃げようとする。
だから、捕まえた瞬間から、もう暫く力を緩めず、逃げられないようにしっかり抱き締める!
「や、やめっ...胸を、寄せるな!」
そして、動物には「学習性無力感」というものがあるらしいので、その「無力感」を「学習」してしまうまで抱き締め続けたら...
「うぅ、うぅぅぅぅぅ...」
逃げるのを諦めたら、もうどこを触っても、弟さんはもう反抗しない。
「はぁ、髪の毛柔らかい!耳、柔らかい!尻尾、サラサラしてる!」
「うぅぅぅぅぅ...」
時には「悲鳴」を上げることもあるが、同情して放してはいけない。
あれは仲間を呼ぶ「悲鳴」だから、「犠牲者」を増やすだけになるから、猫を求める俺が歓喜になるだけだ。
「いいねぇ、タマの弟さん。タマのいない間に、君を代わりにしようか。」
「するな!」
「あの、ななちゃん。聞きそびれたけど、紅葉先生が『ダンジョン探検』の手続きに手間取っているのは、なぜなのだ?」
助け船を出すあき君。
なぜ今更紅葉先生の話を出す?
っと、その理由は考えるまでもないでしょう。
無理やり話題を変えることで、俺に弟さんから興味を無くす算段だろう。
「あき君は『ダンジョン探検』の『人数制限』を知っているか。」
俺は弟さんを放せず、その頭を撫でながらあき君に聞いた。
意外なことに、あき君が返した答えは「知らない」だった。
「ダンジョンの『難易度』に限らず、降りる際、二人以上の団体と一人以上の道案内役の組み合わせが必須。
ダンジョンを探検する団体、その団体をダンジョン外でアドバイスし、時には危険告知や救援隊を呼ぶ道案内役、二つ同時にいなければ、ダンジョンに降りることが許されない」
腕が疲れたので、弟さんの頭を撫でる手を一旦降ろした。そのまま尻尾に手を伸ばしたが、上手く掴められずにイライラしてきた。
「道案内役には『未知区域の地図を書く』権利があり、団体メンバーが出会った魔物の強さを報告する義務がある。団体の方は各ダンジョンの『難易度』によって、最低限人数が設定され、時には『職業制限』が課せられる」
ようやく尻尾を掴めたが、想像したほど楽しいモノではなかったので、俺はすぐに飽きて、再び弟さんの耳に手を伸ばした。
「今では魔法や武術が一定の基準を達したら、学生の身でもダンジョンを降りられるようになったが、その『人数制限』だけは融通が利かない。必ずそのダンジョン難易度に合う人数でないと入らない」
弟さんは玩具なのに、全然楽しく撫でられない。その原因を考えて、俺は今一度現状認識をすることにした。
「私も最近知ったことだが、ここのダンジョン、『地下城廃墟』の最低限人数は団体四人、道案内役一人だそうだ。
今の私達は丁度一人足りないので、もう先生に頼んで、学生の研修の為、一時的に『ダンジョン難易度』を下げて貰えるように相手に交渉してもらっている...のだが、恐らく今でも、まだ許可を貰えていないでしょう」
偶々頭の固い人が当番だったのだろう。面倒いことだ。
そして弟さんは今の俺より体が大きい事は、今気づいた。撫でにくい原因はこれだとわかり、一気に彼のことを猫ではなく人間として認識してしまった。
「紅葉先生はその交渉の為に、一足先にこの区に転移したのか、ななちゃん。」
「えっ、あ、うん」
駄目だ。
弟さんを人間だと認識して、先ほどの自分の行為がとても恥かしく感じだ。
今も、頭を弟さんの肩に載せている自分はとても恥かしい姿だが、少し意地になって、敢えて恥かしさに耐えて、そのままの姿勢にした。
「ななちゃん...恥かしいなら、もう彼を放してあげて」
「恥かしくないもん...」
自分の言葉を証明する為に、俺は弟さんの手を掴んで、撫でて見せた。
...柔らかくない、ぷにぷにしてない、肉球じゃない...
...傷だらけの固い手だ...
「星が来てくれたら、丁度五人目になれるのに...許可を貰えないと、いつまでもダンジョンに潜れないんだ...いざとなれば、現地の人に頼んで、『幽霊メンバー』になってもらうのも、解決の一手だけどね」
俺の言葉を聞いて、何故かあき君が弟さんに合図を送ったような気がした。
「だったら、俺が『五人目』になってやろうか。」
耳元に声がした。
俺は自分が抱き締めている人に目を向けて、その顔を覗き込んだら、そこには顔を赤く染めた不良が居た。
「メンバーになってくれるの?」
「今回だけだからな!俺もこのダンジョンに一度潜りたいと思っているし、お前達を都合よく利用しているだけだからな!」
何だろう、この子。俺にとことん無愛想なのに、いきなり俺の助けになってくれた。
捨て猫に優しい不良みたいだ。
「ありがとう。」
自然と嬉しくなり、俺は作っていない笑顔を見せた。
恥かしそうに顔を逸らす弟さんが、今回愛おしく思えた。
「あき君、今すぐ紅葉先生に連絡して!『四人目が見つかった』と」
「四人目?」
「ええ、そうよ。弟さんには団体のメンバーになってもらう」
「正守、いいのか。」
「俺は別に、道案内役でも、潜る者でも、どっちでもいいけど」
「わかった。じゃあ、ちょっと先生に念話してくる」
そう言って、あき君は外に出た。
俺は弟さんと二人きりになった。
俺は彼を放して、彼の正面に回って、彼と向かい合った。
というか、彼が「タダモリ」さんだったのか。知らなかった。
「タダモリさん。まずはありがとうございます」
俺はまだ好きだった頃の母の真似をして、座って両手の指先を寄せて、お辞儀をした。
俺のお辞儀に慌ててしまっている彼を見て、楽しくなってうっかり笑ったが、いつもの自分に戻って、彼に話しかけた。
「で、弟さんはなにか得意?」
「拳法なら、それなりに...」
ケンポウ?拳のことか。
ってことは、「武道家」だな。
あき君が剣士、神月椎奈が銃士、紅葉先生はドラゴン(ドラゴンは職業?)、弟さんは武道家。
立派なパーティが成立したな。
では、俺は?
道案内役は嫌だな、俺もダンジョンに潜りたい。
道案内役は先生かシイちゃんに任せて、俺は団体の方に入ろう。
でも、それなら俺の「職業」は?
戦闘に役に立てないし、魔法も全く使えない。
昔のように体術も使えない...
珍しい?道具なら、いっぱい集めっているが、それなら俺の職業は「道具屋」?
それ、「武器屋」と同じ、地上に残る方じゃないのか。
だったら、「荷物持ち」?
でもこの世界の人間は大なり小なり、それなりの道具入りの魔法空間を持っているらしい。
「荷物持ち」いらないね。
それでもボクはダンジョンに潜りたい...
もういいよ。「お嬢様」として、無理矢理団体に入ろう。
「何だよ、変な顔して。俺は確か姉貴より弱ぇけど、其処らへんな奴らに負けねぇよ」
弟さんは何故か不機嫌になった。
怒った理由はよくわからないけど、俺は別に彼が弱いと思っていない。
「弟さん、『念話印』を見せてくれ。」
「『念話印』?...あぁ。」
だるそうな返事をして、弟さんは自分の「念話印」をどっかの紙に写して、俺に見せた。
「ありがとう。後で知らない女性の人から念話されるだろうけど、あれは私のメイドだから、出てくれよね」
「...何で自分で念話しない?」
「ん?あぁ、知らなかったっけ。私、魔法を使えないんだ」
「使えない?」
「えぇ。しかも『加護』も駄目なんだ。されたら熱が出るのだ」
加護。謂わば「治療魔法」や「清潔魔法」のような人体を強化や、復元などができる補助魔法の別称。
そういう「良い魔法」でも、俺にとって毒だ。
「...辛くないのか。」
「え?なにか。」
「魔法が使えない体で、辛くないのか。」
「...まぁ、偶に『不便だな』と思うことはあるが、別に辛くはないよ」
「でも、他の人間が当たり前に持っているモノがない。それを辛く感じたことはないのか。」
「?私には皆が持っていないものを持っている。それでチャラ、っていいんじゃない?」
弟さんは何が言いたいのだろう?
「そうじゃねぇよ!んな弱い体で生まれて、辛くねぇかって聞いてるんだ!」
は?なんでそんなことを聞くんだ?別に関係ないじゃん。
「不公平だと思ったことない?親を恨んだことない?神を呪ったことない?」
彼が言っていたことがよくわからないが、自分に分からないことがあるのが許せない。
故に、俺は彼の思考を読むことにした。
「不公平だと思ったらどうなります?親を恨んだらどうなります?神を呪ったらどうなります?」
「どう...もならないけど...でも嫌じゃない?自分だけこんな目に合うのが、嫌と思わない?」
「思ったらどうなります?」
「どうもならない...一度も思ったことない?皆が魔法を使えるのに、自分だけが魔法を使えない。しかも、加護も受けられない。そんなの不公平でしょ!どうして自分だけこんなに弱ぇんだって、みんなができることはどうして自分ができないんだって...親を恨んでもおかしくないのに」
「猫屋敷正守は、自分の親を恨んでいるのか。」
「お、俺?別に、恨んでいないけど...」
「不公平だと思ったことないのか。」
「...別に」
「姉貴のことが好きか。」
「関係ないでしょ!」
ふむ...
なんとなく、彼の心を読めたと思う。
断言していないのはあくまで俺は彼じゃないから、読みが外れたら恥ずかしいという理由で、恐らく彼の思考を俺は完全に読み切っている。
なにせ、最後に「姉貴のことが好きか」って聞いた時、彼が返した言葉が「好きじゃねぇよ」とかの言葉じゃないから、俺の読みの正しさをある程度証明できる。
だから、俺は彼の心を読めたと決めつけた。
要するに、彼は「不幸な奴に不公平さを恨む権利がある」と、そう思っていたいんだな。
は!
笑わせる!
その心の内に合わせて返答するのは簡単だけど、偶然にも彼の考えが俺の「主張」と真逆で、とても気に入らない。
だから、俺は思い切り反対することにした。
「弟さん。私は一度も『不公平』などの言葉を頭に浮かんだことはない。
確かに、他の人と比べて、私は体も弱く、魔法も使えない。面倒い体だと思う。
けど、それでも、私は親を恨んだことはないし、神に関しては、もう『呪ったところで何になる?』って思っている。
親も別に私を生んだだけで、私の全てに責任を取れない。寧ろよくできている方だと思っている。お父様は私にメイド九人もくれた。お母様も、お父様と離婚したけど、私に『お守り』をくれた。そんな両親を、恨むことができるのか?」
「そう、だけど...でも、カメレオンの一族は体が弱く、魔法力も低いとても弱い一族だぞ!そんな一族の一人として生まれるだけでも、十分不公平なのに、『魔法耐性』皆無なら、もっと不公平だと思わないのか。酷いと思わないのか。『こんな家に生まれなければよかった』と思ったことはないのか!」
「...まず、一つ間違いを訂正しよう。私は『魔法耐性皆無』ではなく、『魔力耐性』皆無なのだ。」
「...何が違う?」
「違うんだよね、これが。『魔法耐性』は魔法を使われた際、『防御魔法』とかを使ってないままその魔法を受けた時の『対魔力』。高ければ高いほど、『攻撃魔法』を受けた際の被害が少なく、『補助魔法』を自分の意志で拒否することもできる。」
「なら『魔力耐性』は?」
「魔力そのものに対する『耐性』だ。寒い熱いとか、呼吸が苦しいとか、そういった類の感覚は『魔力耐性』の高さによって変わるらしい、よくわからないけど...」
「何だよ、それ。そんな『感覚』なんて、誰だってあるものでしょ。」
「でも耐性の高い人は暑さとか寒さとかに耐えられる。低い人は倒れることもある。」
「それはそうだけど...」
「『魔力耐性』は持っていなければ、生きられない筈だ。」
「え、でも、お前は...皆無、だろう?」
「はい。奇跡的に生き残った『夭折子』。だが、やはり魔力耐性は皆無だ。
実際、魔力の高い人と長時間手を繋ぐだけでも、テンションがおかしくなったり、熱が出ったりするよ。」
「はあ!?さっき俺に抱き付いてんじゃん!大丈夫?」
「お母様の『お守り』が私を守ったよ」
俺は自分の左手にある指輪を見せた。
「この指輪は私の生命力が勝手に流れていくのを阻止する力があると同時に、一定量の魔力が私の体内に流れ込むのを阻止する力もある。お陰で、魔力の高い人でも、『長時間手を繋ぐ』ことをしても、熱が出るだけで、死ぬことはない。」
危なかった時はあるけど...
「私はそれでも、『自分が弱い』だと思ったことは一度もない。
体が弱いのは事実として認めるし、魔力がないのも人に劣っている部分としてわかっている。
それでも、私は弱くない。親を恨むとか、神を呪うとか、私はそんな弱い人間じゃない!」
「あんまり俺を、舐めるな!」
......
まーたうっかり、「俺」を使ってしまったか。
本音を言う時、偶に「本性」をばらしてしまうようだ。
今後はもうちょっと自分を隠そう。
だが、今の空気はちょっとまずい。
俺は思う存分喋ったが、弟さんの方は全く返事が来ない。
やっぱり、本音を言うのがまずかったのかな。
「ななちゃん、先生との念話が終わった...何があった?」
あき君はタイミングびったりに戻ってきた。
助かった...
「気にしなくていい、大したことじゃなかった。それより、紅葉先生の方はどうだった?」
「どうやら、先生は丁度さっき、三人団体でもダンジョンに降りられるように交渉できたらしい」
「あれ?弟さんもういらない?」
「あくまで『研修』として、『未知区域』に行かなければ、紅葉先生が道案内役としたのなら、二人以上なら入ってもいい。上限は決めていない」
「要求多いな。でも、人数の上限を制限していない。なら、いくら増やしても構わないでしょう?」
「えぇ、その通り」
だが、もう弟さんをいなくても入れるようになった所為で、逆に弟さんの方が拒むかもしれない。
どうしよう...弟さんとの空気を悪くしてしまって、彼が参加しない可能性が出てきた。
俺としては、「武道家」に是非参加してほしいところだが...
「弟さんは、来ます?」
丁寧語を使っちまった...
可愛い子をぶって、頭を傾けて笑って誘ったが、弟さんは全く反応しない。
無理なのかな...
「行く」
「え?」
「行くっつってんのよ!何が文句でも?」
来てくれるんだ...
よしゃ!猫屋敷正守は仲間に加わりました!
「ようこそ、『考古学部』へ!臨時の部員として歓迎する」
俺は精いっぱいの笑顔を見せた。