第七節 予定変更 Another View — 猫屋敷 正守
姉貴は失踪した。
昔から、よく行方をくらます姉貴だが、いつも次の日に連絡してくる。だが、今回はもう三か月も音信不通だった。
子供の頃の姉貴はこの地域の喧嘩番長だった。
気が短く、売られた喧嘩は必ず買う、それでいて負け知らず。誰も姉貴に逆らえる事は出来ない。
言葉より拳を先に出る姉貴は、親父すら殴ったことがある。
だけど、弱い者を助けるのが好きだったらしく、いつもいじめられた人の味方をする。
嫌なことに、俺はもっとも姉貴に助けられている人の中の一人だった。
そんな姉貴は、俺のヒーローだったが、大人になるに連れて、それが段々と嫌になってきた。
助けられっぱなしは嫌いだし、年上の女の後ろに隠れるのがとても恥かしい。
姉貴を超えようと腕っぷしを鍛える為、よく人に喧嘩を売ったけど、結局負けた時、必ず姉貴に助けられていた。
姉貴にいなくなってほしいと思う時すらあった。
なのに...
俺は姉貴から離れたいと思うのに、姉貴はブラコンらしくて、いつも俺に付き纏う。
俺が10歳の頃でも、姉貴は俺と一緒にシャワーを浴びようとする。
だらしなくて怠け者なので、家ではブラも付けずに、パンツ一丁でうろつく時もあった。
他の家族の前ではそれなりにちゃんとした格好をするのに、俺にだけそのだらしない姿を見せる。そのことを嬉しく思うが、やはり恥ずかしいので、何度も姉貴に怒った。
そんな姉貴が家計の為に、大富豪の家のメイドになるのを聞いた時、俺はショックを禁じ得なかった。
ずっと俺の側にいて、俺を守り続ける姉貴。そんな姉貴を守れるまで、俺は頑張っていたのに、お金の為という理由で離ればなれになった。それを受け止められずに、俺はわがままを言ったけど、勿論それが叶うことがなく、一日一回念話ということで、俺は諦めた。
見送りの時、俺は初めて、姉貴の涙を見た。親父は最後まで来なかったけど、そっち方がよかったのかもしれない。
そして、初日の念話、姉貴は泣きながらこんなことを言った。
「先輩に喧嘩を売られた」
まさか初日に、姉貴が「喧嘩売られ番長」のカリスマを発揮することになるのは、誰も予想できないでしょう。
「大丈夫か、姉貴」
「大丈夫じゃない...」
「もしかして、怪我したのか」
「してない...」
「じゃあ、どうなったの?」
「先輩を泣かした...」
一瞬、俺は返事を遅らせた。
よく考えれば、あの姉貴が普通の人に負けるはずがない。
俺はそれが一番よく知っているのに、聞きなれない姉貴の泣き声に混乱させられた。
「じゃあ、何で泣いてる」
「私、クビにされるかも...」
意外にも、姉貴はそんなことを心配して、泣いていた。
...いや、意外なことでもなかった。
姉貴は家族思いなんだ...
「そんなことでクビになるわけないだろう?それに、『先輩』が喧嘩を売った、だろう?姉貴は何も悪くない」
「でも、『初日に喧嘩』は不味いじゃぁ...」
「それでクビになったら、姉貴がそもそもメイド業に向いてないんだよ」
「正ちゃんのいじわる...」
「正ちゃん」は姉貴が作った俺のあだ名。「正守」と呼ぶのは好きじゃないらしい。
「大丈夫だ、姉貴。きっと何とかなる」
「本当?大丈夫?」
「あぁ。明日のことは明日で考えればいい。今日はもう寝よう」
「うぅ...」
「姉貴は考え事が苦手だろう?もう寝よう」
「うん、寝る。おやすみ」
「おやすみ」
その日の念話は、そこで終わった。
二日目、姉貴はまた泣きながら念話してきた。
「先輩に舌で舐められた...」
見た目だけなら、家族贔屓抜きで、姉貴はかなりの美人だと思う。
だからか、親父は最後まで、姉貴がメイドになることを反対していた。
思春期を迎えたばかりの俺は、それなりに姉貴の「そっち方面」の事も心配していたが、まさか二日目で手を出されたとは、予想できなかった。
「大丈夫なの!姉貴」
「大丈夫じゃない...」
「どんなことされた?」
「舐められた...」
「それから?」
「先輩を殴り飛ばした...」
俺は安心感と共に、またも返事を一瞬遅らせた。
「はぁ...びっくりさせるなよ」
「でも、クビにされるかもしれない...」
「またそれか...昨日の件はどうしたの?」
「昨日?」
「先輩を泣かした話」
「あぁ、それなら...その先輩、誰に対してもああなるだそうよ」
「どういう意味?」
「新人にとりあえず威嚇し、上下関係はっきりする行動らしい...」
変な人だ。
「つまり、昨日の事でクビになることはない、ということだな」
「でも、今日はまたやっちゃったよ...」
「あれはあの先輩が姉貴にセクハラしたのが悪いでしょう?それを訴えればいい」
「それが...その先輩、誰に対してもそういうことをするらしい...」
変な人だ!
「で、でも!セクハラはセクハラだ!それで姉貴をクビにしたら、あの男を訴えればいい!賠償金をたっぷり貰えて、姉貴がメイドを止めてもいいくらいに」
「その先輩、女の人だよ...」
女!?
何で女なのに、姉貴をセクハラするのだ?
「...姉貴、もううちに帰ってくれ。守澄家おかしいよ!」
どうやら、富豪の家のメイドになる人はおかしくなるらしい。
このまま、姉貴までおかしくなるのは嫌なので、俺は姉貴に帰ってくれとお願いした。
...おかしな人達が集まるという可能性は考えたくないが...
「いいえ、帰らない」
「何で?」
「もうちょっと頑張りたい」
「でも、先輩を殴り飛ばしたろ?クビにされるかも」
「明日、謝りに行く」
姉貴が、謝る?
親父を殴った時でも謝らなかった姉貴が、「謝る」!
「ごめん、正ちゃん、愚痴を聞いてくれて。もう寝る」
「大丈夫なの、姉貴?」
「うん。もう大丈夫。おやすみ」
「...おやすみ」
その日も、俺は姉貴の悩みに何の力にもなれず、念話が終わった。
それから毎日、俺は姉貴の愚痴を聞き続けた。
「皿割った」とか、「敬語使えない」とか、「メイド長が怖い」とか、凡そ姉貴らしくない言動ばかりだ。
「姉貴はいつからこんなに弱くなった」と驚いたと同時に、自分が姉貴の心の支えになっている感じがして、嬉しくもあった。
けど、そんな愚痴を聞く日々も、愚痴の内容が少しずつ変わっていた。
同僚から仕事ぶりへ、仕事ぶりから雇い主へと変っていた。
「贅沢『看護院通い』のお嬢様」の話を聞いて、俺は初めて「守澄奈苗」という人を知った。
屋敷の主である守澄当主はあまり屋敷に住まない代わりに、その娘さんは屋敷から出られない。体調良く屋敷を出る時があっても、基本病気になって、すぐに近くの看護院に入るだけ。
俺は話を聞いているだけで、すぐにななえという人が、とても不自由な生活をしていることに気がついた。
そして、少し時間が掛かったが、姉貴もそのことに気がついた。
「ななえお嬢様を支えたい」
弱者を助けるのが趣味の姉貴が、俺の予想通りにそんなことを言った。
それからの姉貴の愚痴は、自分の失敗談ばかりだった。
頑張れば、そのお嬢様の世話を任せられると思ったが、姉貴は一所懸命になった。
けれど頑張れば頑張るほど、姉貴の失敗も多くなった。
昔から、バカで不器用な姉貴が、ただ頑張ったくらいで、メイドを勤まる筈がないと思っているけど、この時の俺は姉貴を応援したくなっていた。
だから、姉貴が守澄のお嬢様の専属メイドになったことを知った時、寂しさと同時に嬉しくもあった。
それから聞いた「守澄奈苗」という女の子は、意外にお茶目な可愛い子だった。頑張り屋さんで負けず嫌い、人にあだ名をつける癖がある。よく姉貴をからかうけど、少し人見知りなところもある。
一体どんな人だろう?と、その同い年の女の子に興味が湧いた。
それも、姉貴の失踪によって一度は冷めた。
親父は「守澄の陰謀だ」と騒いでいたが、姉貴から聞いた「守澄奈苗」はとてもそんなことをするような女の子じゃない。
それでも、俺達は「守澄」にすべてを任せず、自分達なりに姉貴を探していた。
けれど、姉貴の仕送りが途絶えた今、俺達はすぐに金銭難に悩むことになった。
結局、家の生活を維持する為に、両親は姉貴の捜索を諦めた。
俺は諦めきれずに、一人で各区に聞き込みをした。
その最中、俺は意外なことを聞いた。
俺と同じように、姉貴らしき人物を探している人がいる。
その人はメイド服を着ていることを知り、俺はすぐに「奈苗」という名前を頭に浮かんだ。
もしかしたら、あのお嬢様も俺と同じように、姉貴を探しているかもしれないと...
そして今日、「守澄奈苗」はうちに訪ねてきた。
姉貴に喧嘩早い性格を遺伝した親父は、すぐに殴りかかっていたが、守澄のお供に難なく防がれた。
お世辞でも腕っぷし強いと言えない親父だが、それでも一般家庭の子供に負ける訳がない。あのお供もかなりの腕を持っている。
けれど、訪ねてきた女の子を見た瞬間、これらの全ての事がどうでもよく感じるほど、綺麗な女の子だった。
銀色の髪に真っ白な肌。血の色が全くしないその女の子が、まるで絶滅した雪山の「貴族」:「雪女」のような儚さを持っている。それでいて、魔力どころが、気配すら感じないこの少女は、本当に生きているのかと疑いたくなる。
極めつけに、その歳ではありえない大きさの胸。身長はそれほどでもないのに、どうしておっぱいだけは大きいだろう。
しかし、見た目と違って、その少女は意外と気が強い。
お供に守られているとはいえ、親父のような大男に攻められているのに、全く気後れをしない。寧ろ親父を怒らす言葉ばかり口にする。
親父に怯えるのではなく、逆に怒っているっぽい。
かと思えば、姉貴の為に頭を下げた。
あの土下座の姿に、俺達家族全員が驚かされた。
彼女は姉貴の言ってた通りの、優しい女の子なのかもしれない。
「正守、です」
彼女を目の前にして、俺は恥かしくなって、それしか言えなかった。
もっと彼女の事を知りたいのに、彼女は俺にそこまでの興味がないらしい。
親父が去って、お袋も厨房に入った後、彼女はお供の人を残して、一人で親父を探しに行った。
さっきの事があったばかりなのに...不思議な勇気のある女の子だ。
彼女のお供を務めているこの「白川」という男、彼女の彼氏なのだろうか。
「彼女に振られて、落ち込んでんの?」
挑発的に言ってみた。
しかし帰ってきた反応は、意外と平静だった。
「ななちゃんにとって、俺はただの部活メンバーだ。彼氏なんかではない」
「彼氏でもない癖に、一緒にここへ来たんだ。姉貴の知り合い?」
「...いいえ。猫屋敷玉藻さんには、まだ会ったこともない」
「完全に部外者だな。何で来たの?」
「都合がいいから、かもしれない...」
何だ?この人は何で彼女の傍にいるんだ?
何の見返りもないじゃない。
「お前はそれでいいのか。」
「別に、ななちゃんの望みを叶えられれば、俺はこれでもいい」
あ、そ。
こういうお人よし、あまり好きになれない。
何の見返りもなく、人を助ける人の気持ちはよく分からない。
「あのお嬢様は、どういう人なんだ?」
俺は話題を変えてみた。
「『どう』、とは?」
「姉貴はいつもあのお嬢様の事を話すが、あのお嬢様にとって、姉貴はただのメイド。何でたかがメイド一人の為にうちに来た?」
「お嬢様」なら、付き人の一人や二人、いなくなったくらいでなんとも思わないでしょう。
「ななちゃんの真意は俺もよくわからない。俺はずっとただの合宿だと思っていたから」
「合宿?」
「この区に来た理由は『合宿』。折角活動再開した『考古学部』 の実績を作るために、ななちゃんはダンジョン探検を企画したんだ」
「ほかのメンバーを差し置いて、二人で『合宿』をさぼったってことか。」
「いいえ、今日は初日だ。それに、同じ『考古学部』の部員で一緒に来たのは俺だけだ」
「部活メンバー二人だけ?」
「もう一人いたのだが、都合がつかず、『合宿』に来ていない」
それでも三人だけか。
「よくそれで『合宿』を行う気になったな」
「俺も驚いている。三人だけだし、一人来れないのに、それでも合宿を実行した。ずっと変と思っていたが、今ならその理由も分かる」
姉貴の為、か...
「ななちゃんは昔から体が弱くて、ちょっと家から離れただけでも、高熱を出してしまうほど、病弱な子なのに...今では自分から外出を決めるほど、元気になっている。俺はもういらないかも...」
「子供の頃からの知り合い?」
「短い間だけど、子供の時の友達だ。高校再会した時、まだ俺を覚えているのは、奇跡だとすら感じる」
幼馴染というやつだな...
少しモヤモヤする。
「それで、お前が部長?」
「いいえ。ななちゃんが部長だ」
「なら、部長が企画した活動に、たった三人だけなのに一人が抜けた。あのお嬢様、部長にふさわしくなくない?」
「そんなことない。あの二人は親友同士だし、本当に都合がつかなかっただけだと聞いている」
「親友?」
「あぁ。とても仲のいい二人で、喧嘩してもお互い気にしないような、俺では分からない仲良しさだ」
よくわからないが...
「喧嘩するのに仲がいいのか。」
「俺も不思議なんだけど...二人はすぐ口喧嘩するのに、その後すぐ仲直りする。女の子の友情はああいうものなのだろうか。」
違うと思う...
でも、楽しそうな部活だな。
「羨ましい」
「え?」
「なんでもない」
うっかり言葉にしてしまった。
「私立一研学園って、世界一の学園だろ?『がり勉の巣』によく合格したな」
「高等部にはもう一つ合格条件があるから、何とかそれに合格した」
「あの『一つでも...』というふざけたものだろう?」
それでまた何人も夢見して、破れていた。
「評価する先生の感覚で決めるものだから、運がよかったら、俺のように入ることがある。編入も可能なので、猫屋敷さんも目指してみたら?」
「俺に?」
「そう。なにか得意すること、ある?」
確かに、あのお嬢様の部活に興味はあるが、俺のような普通の人間じゃあ、無理でしょう。
「お前は何で入れた?」
「俺は剣の腕を見込まれて、入学できた」
あの学園に入学できる剣の腕、どのくらいのものだろう。
「お手合わせ願います」
いい機会だ。少しその「階段の高さ」を試してみよう。
俺の頼みを聞いて、白川という野郎が俺と試合することになった。しかし、剣を取った彼は先ほどと全く違い気迫を放っている。
直感で分かる。
俺では彼に勝てない。
相手にすらならない。
そして、予想通り、俺はたったの一回の攻撃もできず、あっさりと彼に負けてしまった。
「ごめん!あまりにもスキがなかったから、つい本気を出してしまった...」
この野郎なりの慰め言葉だろうけど、むかつく以外何も感じない...
でも、これで諦めもできた...
やはり俺は、姉貴のような特別な人達と違い、凡人なんだ。
「お前、すげぇな...今日から俺の兄貴になってくれ」
「ぇ...ええぇ!どうしてそんなことになった?」
「負けた方が舎弟になる。そんなの当たり前だろう?」
「そうなのか。聞いたことがないんだが...」
「お前が嫌がっても、今後『兄貴』で呼ぶよ。兄貴」
「えぇぇ~」
白川輝明さんを兄貴と呼ぶ事は、俺なりのけじめ。
俺はもう姉貴の後を追うような小僧じゃない。一研学園に合格できず、いじけている小僧でもない。
見たこともない人に幻想を持つ小僧でもない...
凡人は、凡人らしく生きよう...




