88. 誰かが何かを言う前に。
誰かが何かを言う前に、ドアを開けてハルトマンを押し出し、閉める。直ぐにノブがカチリと鳴って、内心でホッとした。
自分からはハルトマンの背中しか見えないが、纏う雰囲気が突き放すような頑なさだ。
廊下に出た途端、彼は大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
余裕が出るのを待とうとドアを背にしてボケッと突っ立っていたが、間をおかず鎮まった気配に眉が上がる。
すげぇ。
一呼吸で持ち直すとか、自分じゃムリだ。
「……部隊長、予備はどこに?」
慎重に話しかけたが、思ったよりもフツーの声が出て安心する。チラと自分を見たハルトマンは目顔で廊下の奥を指すと、先に歩き出した。
音も無い足運びに流石プロと感心してしまう。
途中、部屋の壁を打ち抜いて作ったようなスペースに置かれた背嚢の山から、指揮官はワン・ショルダーバッグを引っ張り出した。手に持った大きさは小振りだったが、必要なものが詰まってそうな質量がある。
自分は、掻き立てられた不安をスルーした。
背嚢とハルトマンの鞄から受ける印象は、独特だ。
見慣れない揃いの装備一式は、戦闘集団が持つ雰囲気がある。仕事の資料にあった物々しさに通じていて、どうしても馴染めそうにない。
そう言えば、飄然とした医師と指揮官のハルトマンは、どういった経緯で出会い物別れたのだろうと、ぼんやり思った。
廊下の突き当たりの出窓から、月が見える。
淡く美しい光で夜を照らして、紗のカーテンの影を薄墨色に染めていた。
ハルトマンは子供部屋と思わしきドアの前で立ち止まると、ポケットから出した鍵で開錠し、扉を大きく開けて中に入るように促した。
小さめの部屋は、少々埃っぽかった。
乾燥した木の匂いが懐かしい。匂いの元は、埃避けの布を被せられた家具だ。低めの設えが子供用であることを窺わせたが、頑丈と言うよりは重厚な脚のデザインに、自分は違和感を持った。
窓には厚いカーテンがかかり、壁紙は年月の所為か変色している。
意匠化された動物が醸し出す躍動感は、古びた壁紙の中で明るく息づいていた。
唐突に肌が粟立った。
思わず振り返ったところで、ハルトマンが魔法で明かりを灯している姿が目に入る。
壁の照明器具が、闇を追いやって白い布の部屋を照らした。
正直言って、驚いた。
そして、思い込みで判断していたと自分のボケっぷりに溜め息を吐きそうになる。
ハルトマンが任されている部隊は、魔法が使えない人を集めて作られたと聞いたが指揮官も使えないとは聞いていない。
ドアが閉められ、何気ない動作で鍵をかけられた。カチリと錠か噛み合った音が、何かの宣告に聞こえた。