86. 自分達みたいな幽霊は。
皮手袋に包まれた手が、机の上の懐中時計の鎖を引き寄せた。
黙ったまま蓋を閉じてポケットの中に入れる様子は暗然としていて、どうしていいかわからなくなる。幽霊だけど、死んだような目になっているのは気のせいじゃない。
「いや、あの、なイリイチ。銃はダメだが、今の自分達なら神殿の時みたいに蹴飛ばしたりできるから。だからそんな落ち込まなくて良いぞ」
しどろもどろになって慰めるが、琥珀色の瞳の主はうっそりしたままだ。
いかん。
伝えたい事が上滑ってる感触しかしない。
オロオロした自分は、殆ど自棄になって言った。
「仕方ないって。今までの経験に影響されるんだ。自分だって勝手に触られるのがダメな以外に、子供の頃から金槌で音痴だし。この年齢で幽霊になっても直らないから結局そのまま放置している」
だから気にする事じゃない、と続けたかったが、本人の前では勢いも雲散霧消する。尻すぼみになって消えていく言葉に、イリイチは無反応だ。
あああ。どうすんだコレ。
必死のフォローをハルトマン伝に聞いた医師が、目を丸くした。
「死んでも金槌と音痴は直らないのかい?」
ほ っ と い て く れ な い か な ?
イラァっとしたから、半笑いでハルトマン見た。ふい、と目を逸らされる。
溜め息が出そうだ。
「……部隊長、ココでは自分達みたいな幽霊はどうなっているんだ?」
何故か唇を引き結んだハルトマンの代わりに、イーラが答えた。
「亡くなった直後ならともかく、貴方達みたいな人はいないわ」
幽霊二人でイーラを見た。
青い瞳が真っ直ぐ射ていた。
「魔法の中に、召霊術というのがあって死してなお利用されるの。魔術に則って死物を使役するから尊厳なんてないわ。人も動植物も亡霊になって、消滅するまで使われるの」
カンテラの明かりの外れで、は、と息を吐いたイリイチは呟いた。
「死霊術かよ」
「イリイチ」
静かに窘めた。
不満そうに見返す琥珀色の瞳に、覇気が戻っている。自分は安堵して、そっと深呼吸をした。
「それじゃイーラ、水が窪みへ流れるように死者が集まる現象は?」
「ないわ。少なくとも今までは。術に囚われる前に、居合わせた誰かが火を手向けて弔う決まりになっているから」
イリイチが目を見開き、自分の眉が上がる。
事情が事情だから仕方ないが、第三者の立会いを待たないのか。
それとなく医師を見た。彼は厳しい顔で口を閉ざしている。ああ、この人は納得なんてしていないのか。
「そういう事なら来ない公算が大きいけれど、やっぱり粗塩は欲しい。浅い川も深く渡るのが自分のクセなんだ」
「……なら、準備するわ。アラジオ? は地下から掘り出した岩塩でも大丈夫? 塊で買い付けてあるから、ハンマーで砕いた後に碾き臼か卸し金で粉にする時間が要るのだけれど」
岩塩か。
実験でしか使った事が無いが、多分いけそう。
イーラに了承したところで、イリイチが言った。
「力仕事なら、オレが卸し金で粉にしようか?」
え?
部屋の全員が注目した。