84. 軋む表情を変え。
自分は溜め息を吐きそうになる。誤魔化すのは苦手だが、上手くやれ自分。
後ろ首を撫でつつ向き直った。
「イーラ」
青い瞳が自分を見た。意識して口角を上げた。
「……ありがとう。イリイチも自分も素人だから、お手本があるのは助かる。ホントに。完成時の参考にしたいから、バラすのは別のにしたいんだけど、……セト医師にきいて貰えないだろうか? できれば男物の方が、自分達には縫い易いんだ」
「そうなの? わかったわ。……イーシャ、ナナシノが」
イーラの声を聞きながら、少しネクタイを緩めた。
出任せに心臓が軋む。表情を変えず、呼吸を止めたまま待った。
彼女の浴衣は使えない。
ヘコんだ医師を見ていられなかったのもあるが、微かに匂う樟脳が病体に障るからだ。
申し出を聞いた医師は驚いたように顔を上げた。
さっと喜色が浮かぶのを見て、ホッとする。良かった。伝わった。
彼は慌てた様子で反物の下敷きになっていた布ーー光沢のある黒の薄物を引っ張り出して言った。
「今手元にある単衣の男物はコレだけなんだ。使えそうかい?」
……なんでこうなる?
涼しげな絽の着物を見て、自分は真顔になった。
間違えた畳まれ方もアレだが、それ家紋入りのヤツじゃないか。
もうこれで解った。長く住んでいると言っていた医師は、恐らくイリイチくらいの年齢でこっちに来たのだろう。和服に馴染みのない人が数年かけて揃いの着物をちぐはぐに保管するのは、ある話だ。
つか、浴衣は無いのか浴衣は。礼装バラして元に戻せなかったらどうするんだ。この際普段着であるなら、袷でもいい気がしてきた。
もだもだ考え始めた自分を見たイリイチが口を開くより先に、ほとほと、とノックの音がした。返事の前にガチャリと書庫のドアが開き、ハルトマンが顔を覗かせる。特に意識していなかった濃紺の衣が視界に入った瞬間、カッと目が見開いたのが自分でも解った。
「伯母上、幻と森人のサムが風の様とともに着きました」
急いで談話室へ、と続けたハルトマンに近付いてガッシと腕を掴んだ。
医師以外の全員からギョッと見られたが、夏物の正装を分解するかしないかの瀬戸際だ。構っていられない。
「部隊長。すまないが仕立て物の素人の幽霊が、親子の寝巻きを縫い上げるのに裁断参考用にバラす着物を探しているんだ」
一気に説明した後、自分は慎重に息を吸った。
青い瞳から目を逸らさずにいられたのは、苦手な針仕事のプレッシャーが要因だろう。
腕というより、衣の袖を指し示す。
「この装束は筒袖だが、コレが良い。貸してくれれば非常に助かるし縫い終わったら復元するから、四の五の言わずに協力してくれ下さい頼むから」
ストレスのあまり変な言葉遣いをした自分に眉を顰めたハルトマンは、目線を動かして医師の絽とイーラの浴衣を見る。
そして、何かを察したように溜め息を吐くと「予備がある」と言った。