名無しの幽霊が 5.
神殿 突入後その2。
残酷な描写があります。苦手な方はスルーをお願いします。
ナナシノはフツーと違う。
突っついてみて解ったが、ヤツは前に避ける習性がある。後ろへ跳び退いた方がラクだろうに、わけわからん。
飛び上がって驚くが反撃する様子もない。そのくせ力いっぱい逃げるから、オレだってつい追っ掛けてしまう。あ、も一回。
ヒョイッと突っつけば、ナナシノは進行方向へ跳び――うお。柱にぶつかった。痛そう。と、思った。ら、そのままコアラみたいにしがみついた。
……。
マジか。
ナナシノは備え付けの燭台を足掛かりに、柱を攀じ登り始めた。
え、ちょ、ビジネスシューズで器用だなオイ。
何もそんな本気で逃げる事ぁないだろう。
あっという間に大概なトコまで上がると、漸く止まった。
オレの手の届かない範囲から見下ろす黒い瞳が光って見える。高い所で身じろく姿が、木の上に逃げた猫みたいで「シャー」という威嚇音が聞こえてきそうだ。
めっちゃ警戒してる。
ああ、こりゃ一旦小休止だな。
ナナシノから意識を外さずに、周囲を見回した。
幽霊であるオレ達に注意を払う生者はいない。
ホッとするような、残念なような。
まぁ母親のように出会い頭で攻撃されるよりマシだが、双子の保護をちゃんと頼めないのは正直辛い。
それも仕方ないか、と思った時、大扉付近の一団体に気付いた。
様々な器具を運び込んでいる。真っ暗だった礼拝堂に多少なりとも明かりが燈されたのも、彼等の働きか。
何となく目をやった瞬間、矢継ぎ早に指示を出していた部隊長と思わしき生者と視線がかち合った。
初めての事態に思わず固まる。
湖水を思わせる青い瞳が印象的な男だ。
紺の装備が闇に溶け込みそうなのに、持って生まれた資質と思わしき雰囲気が、嘘を吐けそうにないナナシノとは真逆の気がした。
っていうか、オレんトコのボスと同類じゃねーか?
いくら一般的でないナナシノでも、民間人に特殊人の応対は無理だ。
オレは、観察で得たコチラのハンドシグナルを出した。
『コイツには接触不可』
その途端、パッと頭巾の奥の青い瞳が面白そうに歪んだ。
さっと後悔が過ったが遅かった。笑った目で誰にも気付かれない速度で返された信号は。
『了解――』
思わずホッとする。
しかし、直後に追加された返信にギョッとした。
『――は、しない。俺も後でやる』
は?
と思った時には、男は既に地下へと向かって行った。
呆気にとられて見ていたら、ナナシノがそろそろと降りてきた。
ぴょい、と飛んで無造作に着地する。音がしねえ。ホントに猫みたいだ。
用心深く距離を置いたナナシノは、やや憮然とした口調で言った。
「……イリイチ。お前、もう突くなよ?」
それを聞いたオレは、反射的に突いてしまった。
飛び上がって驚いたナナシノは、鳥肌と青筋を立てて怒鳴った。
「おま! 言ったそばからやるなよ!」
あ。
コイツはノーが言える日本人だ。珍しいな。
お、隙あり。
「ィだ!?」
背中を突かれたナナシノは、跳ね上がって柱にぶち当たった。今度は、しがみ付かずに手をついて、その場で振り返った。
物凄い鳥肌だ。ナナシノは歯を食い縛ったまま息だけで言った。
「突くなよ?」
語尾は疑問系だがキレる一歩手前だ。しまった、やり過ぎた。これで遊びも終わりか。
ヒョイと肩を竦めて頷いた。
再び階段の方へと向かう。
あー。けど、すっげ楽しかった。
あれ? おいナナシノ? お前、絶妙な間合いで歩くなよ。とりあえず今はやらないけど、これじゃ突けないじゃないか。
「そんなキレんなよナナシノ」
ぶすくれたナナシノは、ふい、と目を逸らしコートの上から腕を擦った。
そして、唐突にその動きを止めた。
俯けていた顔をあげ、何かを探すように緊張している。歩みまで止めたナナシノに「どうした?」と訊こうとして、微かな違和感に気付いた。
立ち止まって、その正体を探る。
オレ達は階段の側まで来ていた。
ゾワリとした悍ましい空気に、生者は気付いていないようだ。
親子の傍らには、気遣わしげな老女が一人と長い木の棒を持った男が一人。
他の人間は地下と外を往復していて忙しないが、あの母子は神殿の外へ連れ出されるようだ。裸足の子の傷が跡形も無いのに驚いたが、慎重に立ち上がろうとしている彼を双子のもう一人と母親は心配そうに見守っていた。
突然、ナナシノがスタスタと歩き出した。
黒い瞳が真っ直ぐ見据えるその先に目線をやって、オレは凍りついた。
明かりの外れ。
暗闇と影の間で、浮かび上がった青白い手が指を使って這っていた。
獣に裂かれた手首が血の道を敷く。その後を、似たような傷の腕や手が何本も湧き出て続いた。血塗れた床に割れた爪を立て、ズリ、ズリ、と少しずつ。ゆっくりと、着実に親子へ近付いていく。
地下にある死体と同じ傷だと気付いたが、子供の頃に見たジャパニーズ・ホラーそのままの光景に身体が硬直した。
皮膚が氷に貼り付いたように、動けなくなる。
最初の手が母親のマントに指をかけようとした瞬間、間に合ったナナシノが躊躇いも無く蹴り飛ばした。血を撒き散らしながら不規則にバウンドした手を追って踏みつける。
ナナシノの足元で蠢く指にゾッとした。
「イリイチ、ちょっと下に行ってみようと思うんだが。……イリイチ?」
喋っていたナナシノがコチラに顔を向け、固まった。
オレは返事どころではなかった。
喉が窄まって声が出せない。上手く息が出来ない。
「おい、大丈夫か? イリイチ? おーい、返事できるかー?」
そんな両腕を大きく振っても返事ムリっていうか床に犇くソレ等は何だそもそも映画はフィクションじゃないのか大体ナナシノお前どうしてケロッとした顔で踏ん付けて神経ちょっとオカシイーー
パニクる寸前、煌く光がオレに向かって飛んできた。腕が勝手に動く。
反射だった。
パン、と音がして光をキャッチしたのがわかった。
凍った喉が息を取り戻し瞬きができる。手には時を刻む微かな機械音。
ブラブラ揺れる特徴的な鎖から、懐中時計を投げられたんだと気付いた。
投げた本人はホッとしたように息を吐いて言った。
「なんで死体と魔法は平気なのに、部位がダメなんだよ」
お ま え に だ け は、 言われたくねーよ逸般人!
どこか呆れたようなナナシノのセリフに、身体の強張りが解けた。
ついでに、スルー出来ない単語があった。確か……
「部位? その手のことか? 何なんだそれ?」
「幽霊だよ」
ナナシノは事も無げに返し、サラっと続けた。
「こんなもん生物でいてたまるか」
そらそーだな!?
けどフツーは卒倒するか一目散に逃げてイイとオレ思うけどな!?
ナナシノは階段を見た後、親子を目顔で指した。
「下に行って見てくるから、あと頼む」
は!?
オレは今度こそ絶句した。
機械的に部位を階下へ蹴り飛ばし、蠢く幽霊を次々に蹴り落とす、自称ただの民間人に〝容赦〟の二文字は無い。ちょ、おま、
「……大丈夫なのか?」
ドン引いたオレを、黒い瞳が無感情に見た。
歩きながら部位を蹴落としつつ、唇を開く。
「この母子に執着しているから、さっさとココから連れ出したほうがいい。近づいて来たら今みたいに蹴り飛ばせ。触れさせるな」
指示を残してアッサリ階段を降りていく日本人を、茫然と見送ってオレは思った。
ナナシノはフツーと違う。
イリイチ補足 「友人の話」2
畳化した自覚の無い友人は、話し始めた。
「アンケート回答に〝はい〟か〝いいえ〟ではなく〝どちらでもない〟を選ぶ人が大多数を占める」
「イエス/ノーを表明しない曖昧さが通常運転。喜怒哀楽の表現が〝半笑い〟だからキレてても判らない」
「それ等がフツーであるよう完璧に装う。またちょっとした地震程度なら動揺もせずに仕事している」
慣れるまでそーゆーのが分からなくて、たまに地雷踏んでエライ目にあったと、遠い目をして語られた内容に大いに盛り上がった。酔ってないヤツも含めて全員で大笑いしたし抱腹絶倒してたヤツも居たが、今なら突っ込める。
ちょっとした地震って、何だ。
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地震がない国の人には、国土が揺れるというのが想像がつかないそうです。