82. 一つ思い出す。
指先で錠剤を突いて、ひっくり返す。医師は顔を上げて、どっかを見た。
「薬は、呪いに浸かったかい?」
「浸かる?」
自分は鸚鵡返しに呟いて、イリイチがそのまま言葉にした。謹聴している医師を横目に、こちらに来てからの魔法現象を一つ一つ思い出す。
が、「浸かる」基準がよく解らなかった。
「どうだろう……イーラがケガを治した時に傍に居たけれど、時計はベストのポケットに入れていて剥き出しじゃなかった。母親の雷の直撃を自分は食らったが、その時にはイリイチが持っていたし」
自分は途方に暮れ、医師を見てイリイチへ言った。
「……わからない。そもそも自分は幽霊で、その私物が生者にとって安全かどうかなんて自信がない」
だから出来れば手帳も早めに返して欲しい。
琥珀色の瞳の主の声で告げられた言葉を聞いて、医師は目を閉じて息を吐いた。
「スマンがナナシノさん。……錠剤も借りて良いかい?」
幽霊二人で、同時に生者を見た。
注視された医師は、目を伏せたまま唇を開いた。その半眼が、何を写しているのかよくわからない。声音は平淡だった。
「……精霊共の協力がある今なら、何年もかかる薬種探しが容易い。コレがあれば、探すアテが定まって時短が可能なんだ」
パタパタと廊下の奥から足音が聞こえてきた。この軽さは、イーラだ。
生者は、ふ、と力を抜いて幽霊を見た。
「……ワシは、<降臨>と入れかわりでココに来た」
小さな声で医師は言った。
「精霊共の所為で長く住んでいるが、元はアンタらと同じ世界で生まれて育ったんだ。呪いは使えん。使いたくも無い」
言葉を紡ぐ医師の指が、新しい手帳の頁を辿って止まる。
彼は、つ、と目を上げた。
「はっきり言って<降臨>や<禁書>の呪いなんぞ知らん。知らなくていいと言われたし、ワシもそう思う。だが、それでは間に合わん。あの親子の今後に関わる」
書庫の暗がりに診療衣がぼんやりと浮かび上がる。
ランタンの明かりが、黒い瞳の知性を反射した。
「薬を探したいのは……ナナシノさん。アンタが<降臨>に呪われたまま、死んだからだ」