80. 室内は暗い。
中は部屋というより、書庫として使われていた。収蔵された標本や蔵書は気になるが、壁一面に備え付けられた書棚や幾つもの棚が部屋の大部分を占めていて、その分だけ室内は暗い。
正直、仕立て物の作業するのに向いている場所とは言えなかったが、本や標本の臭いが全くしないのは空気の流れを考えて書架が配置されているからか家の造りか。
不思議に思って少し奥に踏み入ってみると、剥製だと思った標本は木彫りだった。その水準は囮に使われる鳥の彫刻に近く、薄暗い書庫の中で浮かび上がる動植物の数はハンパない。
棚と骨格標本の隙間を縫うように置かれた端麗なデザインの長机に、自分は場違いな印象を持った。
「……すごいな」
背後で琥珀色の瞳の主が呟いた。
本の量を指しているのか標本の質を指しているのか。あるいは部屋の工夫を指しているのか判別が付かない。
曖昧に笑って、天板に上着を置き、机を持ち上げた。思ったよりも重くなくて内心ホッとする。
適当なスペースに置いたところで、木と木がぶつかる音がした。目をやるとイリイチが奥から同じデザインの長机を運んで来る所だった。
「どっかぶつけたのか?」
壁際に置かれた丸イスを持ち上げて訊く。
机を合わせる様に置いた琥珀色の瞳の主は、それとなく目を逸らした。自分の動きが止まる。
まじまじとイリイチを見た。バツの悪そうな表情を初めて見たからだ。
「……後でイーラに謝っとく」
わぁ。
ちょっと気になったが、そういえば羊小屋の屋根は、土の神に吹っ飛ばされて応急処置をしただけだ。あと、……何だっけ? もう一つ何かあった気がしたが今は思い出せない。
イーラに伝える事がどんどん増えているから縫っている最中にでも頭の中で整理しとこう。
イスを運んだところで、廊下側から書庫のドアがノックされた。少し乱暴な音は床に近い場所から聞こえて、イリイチと顔を見合わせた。
自分がドアを開くと、反物と折り畳まれた布、それらの上に木の小箱をのせて抱え持ち、指に明かりを燈したランタンを引っ掛けた医師が蹌踉ついて立っていた。
手が塞がっているから、足の先でノックしたようだ。
琥珀色の瞳の主は、落っこちそうな小箱と布を取り上げた。ホッとした表情を浮かべた医師は目顔で笑んで入室し、長机に明かりと反物を置く。
ドアを閉めた自分は、ゴロゴロ転がった反物の下敷きになった上着をそっと引き抜いた。
「……ありがとうイリイチさん。スマンがナナシノさんへ確認したい事がある。何て答えているかを教えて貰いたいんだが、良いかね?」
物を机に置いたイリイチは、チラリと自分を見てから頷いた。
医師はこちらの方に身体を向けて、どっかを見る目をした。
あ。ゴメン。
母親の時と違うから、そのままで。
姿を現さない自分は、せめてもと思い姿勢を正した。
性別や体格、病歴等で処方が決まる。尋ねられる質問について、笑い上戸の琥珀色の瞳の主に示唆する事を忘れていたのは迂闊だったかも知れない。
真面目な顔をして医師は唇を開いた。
「ナナシノさん、アンタ出産経験はあるかい?」