8. 悪気は無い。反省はしない。けどゴメン。
「すまない。ちょっと来てくれないか」
イリイチは、えっちらおっちら階段を這い上がっている最中に声をかけてきた。
待て。今かなりムリ。
本気でそう思った。
体幹を鍛えていたからそれ程でもないが、人をおぶって匍匐前進なんて経験はないから、集中しないと落っことしそうでバランスがヤバい。
石段に脚をかけ、腕をかけ、身体を引き上げ、ようやく辿り着いて、やっと自分はイリイチを見上げた。
彼は緊張していた。
ああ、クソ。緊急だ。
正直、次から次へと、と思わなくも無かったが、仕方ない。
自分の首から母親の腕をはずして、眠った赤ん坊を寝かせるようにそっと横たえる。
地下室とは違った冷たい空気と暗闇が、今が夜であることを思わせた。
周囲は暗いが、夜目がきかないわけではない。石の床、太い柱、高い天井。
離れた壁にはタペストリーと真っ暗の窓。背後を振り仰ぎ、視界に入ったステンドグラスの荘厳な意匠に感心した。
神殿のような建物か?
母親のケガは気になるが、地下にいたときより悪化しているようにはみえなかった。
立ち上がって、そして尋ねた。
「何があった?」
バッと振り返ったイリイチの顔は見物だった。
不愉快そうに母親を見ていたことなんか、ぶっ飛んでいる。有り体にいって、驚いていた。
うん。自分、喋んなかったからな。
悪気は無い。
反省はしない。
けどゴメン。
「何があった?」
もう一度、同じ質問をすると、イリイチは正気に返った。さっと目顔で窓を指す。
それが答えだった。
自分も外に意識を向ける。ガラス越しに感知したのは、今いる建物が包囲されている事だった。
制圧しに来たのか?
不安になった。多分、自分がいる建物を包囲された経験が無かったからだと思う。
まぁ、儀式が失敗して人死にが出た神殿なんざ、目ぇ付けられて当然だが。
連鎖で裸足の子の傷を思い出し、目の下に皺が寄ったのがわかった。ムカついたときの、自分の癖だ。
イリイチがそっときいてきた。
「軍隊経験はあるか?」
ねーよ。
反射で思って、首を振った。
「自分は事務屋で食ってきた、ただの民間じーー」
「ーーすまないが」
イリイチは途中で遮った。
意外に思えて目を見た。だが、琥珀色の瞳は何を考えているのかよく解らない。
「……死体に慣れていたようだが?」
残念な説明になるので、返答に困った。
言いたくない。死体検分も匍匐前進も人生初だ。
けれど、初対面の霊に嘘を吐くのも違うから、真っ正直に話すことにした。
「死ぬの二回目だから」