66. 彼は立ち止まった。
内心で突っ込んだが、家主は自分じゃない。
けれども、馬と荷物の落下地点から離れた場所にいる鶏と羊がパニックを起こした理由が解った気がした。
ただでさえ夜中に発生した騒動に加え、屋根が破壊された衝撃は凄まじかっただろう。臆病な鳥が怯えるのは当然だし、モコモコの体毛で土の神を受け止めた羊の恐慌は察するに余りある。
彼らにしてみれば、文字通り「寝込みを襲われた」のだ。
よくもまあこの程度の混乱で済んで幸運だったとしか言いようがない。
餌を食べ終わった羊は、二頭並んでモソモソと蹲った。
季節的にはまだ平気かも知れないが、このままでは夜露に濡れる。
気付けば土の神はヒョイと飛び上がり、天井の穴から外に飛び出した。暗い中、素早い動きに度肝を抜かれたが、自分も外に出る。
戸を閉めると小屋の周囲をぐるっと回り、吹っ飛ばされたと思わしき木っ端や板が、あちこちに散らばっているのを見つけた。スラックスのポケットに手袋を挟み込んで、素手で集め穴が塞がるように順に重ねていく。
その端から神が板に魔法をかけていっているようだが、何の魔法かは解らない。
作業が終わったらしい土の神は空を見上げた。遠くを見るような立ち振る舞いは、天体観測をする学者に似ていた。
とりあえずの処置を済ませた自分は手袋をはめた。
あとは現況をイーラに伝えて、判断を仰ぐしかない。
納屋の穀物箱の側に囲いつきのスペースがあった。出来れば今晩は仮に入れておいて明日の朝に屋根の修理をするのがベターだが、勝手にすることはできない。
ため息が出そうだ。
土の神に、手の平を差し出した。
神が乗ったところで、二頭分の蹄の音が聞こえた。
振り返ると、山岳馬を引いて庭からハルトマンとイリイチが近づいて来た。先ほど手綱を渡していた飼い主が見当たらない。慎重に動くイリイチの様子に、何かあったと推測した。
ハルトマンが何か言いたげな顔したが、目顔で小屋の屋根を指すと彼は立ち止まった。馬も止まった。……スゴイな。調教師か。
まじまじと惨状を見る指揮官は何も言わない。イーラによく似た青い瞳を閉じてから、ゆっくりと目を開けた。
自分を見て唇を開く。平淡な声だった。
「これは……ナナシノ殿が穴を開けたのか」
なんでやねん。
関西人ではないが、即座に突っ込んだ。口に出す事はしなかったがムッとしたのが自分でも解った。
ハルトマンは笑った。
「……すまない。冗談だ。大方、ここにも荷物が落ちたんだろう」
笑えねーよ。
内心で愚痴り、気を取り直して手を差し上げた。手の平の上で、土の神がハルトマンに言った。
『……すまん。原因はオレだ。岳人と世捨て人の転移にしくじったんだ』
ハルトマンの引く馬が、ぬうっと鼻を寄せ慰める様に喉の奥を震わせる。首を伸ばして静かに前脚をかく仕種は優しく、土の神は少し躊躇った後、小さな手で柔らかく鼻を撫でた。
それから、峻厳な顔をハルトマンとイリイチに向けた。
『はじめまして。オレは“土の”という。火のと水のの仲間だ』