名無しの幽霊が 4.
神殿 突入後その1。イリイチ視点の話。
ナナシノの弱点がイリイチにバレる話です。
岩壁から出てきた、ヒョロイ男は天然だ。
どこの出身か知らないが、お人好しな性格に加えポーカーフェイスが出来ない。思った事や考えた事が概ね顔色に表れるから、……多分コイツは嘘も吐けないんじゃないか。
だからオレは、男の地雷がどこにあるか等、考えもしなかった。
「何で、ここには魔法があるんだろう」
無音に近い呟きが、激烈な反応を引き起こすとは誰が予測できるだろうか。
掠れた男の声が聴こえた。
「なんだって?」
オレは声に引かれて男を見て、目を疑う。
アジア人はその中性的な顔立ちを、スポンジのアニメキャラみたいに崩壊させていた。
うわ。
リアルで見ると、すげぇ迫力だ。
失言が口から飛び出した。
「ちょ、アンタ……、今すげぇ変な顔になっている」
しまったと思ったがもう遅い。「ご愁傷様」以来の暴言に、オレは覚悟した。
だが次の瞬間、度肝を抜かれた。
あの時と違って男の顔が見る間に真っ青になっていく。
え!? アンタ大丈夫か!?
思わず眉をひそめた。
やがて男は、ゆるゆるとオレを見て呆然と呟いた。
「……御伽噺の中だけだと思っていた」
聞いちゃいねぇ!? 本当にだいじょうぶか!?
内心ビビる。
男の顔色は真っ青なままだ。
真っ直ぐ立っているのにフラついて見えるのは、オレの気のせいじゃない!
えええ!? 死体は平気なのに魔法はアウト!?
思わずコートの裾を引っ張った。
「だいじょうぶか? アンタ真っ青だ。ちょっと座った方が良くないか?」
黒い瞳がオレを見た。
ふ、
と、張り詰めた空気が緩む。
ドサリと男が座り込んで、オレはギョッとした。
おいおいおいおいおい! だいじょうぶか!?
男が両の掌をコチラに向けた。
ホールドアップの様に見えて、オレは内心の煩憂を捻じ伏せる。
男は深呼吸した後、掌でゴシゴシと顔を擦り、そのまま埋めて呟いた。
「あー。二度目の超常現象も真っ青だ。なんだよ魔法って。わけわかんねー」
……。
……二度の<死>を超常現象扱いかよ。
もぅ、このアジア人に、どう突っ込んでイイのか解らない。
確かにコイツは民間人だろうが、一般的じゃない。
っていうか、こんな「一般的」何かヤだ。
取り繕うのを止めて、オレは言った。
「オレにはアンタの動揺っぷりが、わけわかんねーよ」
男は禅を思わせる姿勢で顔を埋めたまま、じっとしていた。
無視したと言うより、いっぱいいっぱい過ぎての無反応っぽい。
……この辺はフツーなんだ。
遠くのざわめきが、これまでの緊張を嘘の様に思わせた。棍を持った男達のハンドサインに固有名詞を見つけ、ぼうっと彼等を見ていたオレは、ふと気付いた。
「……そういえばオレ、アンタの名前知らない」
男は身じろいた。
掌の中で瞬いたようだった。器用だなオイ。
「じゃあ、“名無しの権兵衛” のナナシノって呼んでくれ」
くぐもった声で告げられた、あからさまにテキトーな偽名に不快になる。
イヤ、オレもヒトのコト言えないけどサ。
お前なら男性名どころか女性名でも通じそうだけど?
面白くないオレは、ムッとしたまま言った。
「じゃあって何だ。じゃあって」
男は掌から顔を上げる。
黒い瞳は無感情で、声音は平淡だった。
「親愛なるピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。自分の事はナナシノと呼んでくれ」
オレは毒気を抜かれた。
本名を名乗っていない事を解って協力していた事に、素直に感嘆する。
「知っていたのか」
気負い無く言葉にすることが出来た。
男は、――ナナシノは、笑った。冬が綻んだような笑顔だった。
「作曲家と同じ名か、と思ったよ。イリイチ」
コチラの方が照れてしまうような真っ直ぐな笑みに狼狽する。――前に、ナナシノが目を伏せた。
……えー? 内気だなオイ。アンタ本当に年齢いくつだ。
ふと、途切れたざわめきが戻り、生者の声が混ざった。
目線を向けると、子供達が母親に抱きつくところだった。
……良かった。
地下室の出来事がウソみたいだ。
「……もう大丈夫そうだな」
ナナシノがホッとしたように呟いた。
立ち上がって、オレに手を差し出した。華奢な身体には不似合いの厳つい手だった。掴んで立ち上がる。思っていたより自分の身体が動いて安堵した。
ぼんやりと階段へ歩いている途中で、ナナシノの声が聞こえた。
――今度こそ平穏に逝こう――
……。
……は?
オレは思わず訊いた。
「何だソレ?」
唐突なオレの質問に、ナナシノは微苦笑した。
痛ましい表情に怯みそうになるが――
「いや、前に死にかけた時に反省して。次に死ぬときはフツーに平和にひっそり逝こうと決めていたんだ」
「バカだろアンタ。何やってンだこんなところで」
余りの内容に、取り繕うの止めていたオレは突っ込んだ。
ナナシノが固まった。その黒い瞳が「お前にだけは言われたくねぇ」と語り、中性的な顔に半笑いが浮かぶ。
「忠告痛み入る」
……。
……なんだ?
出会ってから、ずっと疑問に思っていた。
解りやすいが感情と表情が一致しないコイツの習慣に既視感がある。不思議に思ったが、とりあえず宥めることにした。
「キレんなよナナシノ」
オレはナナシノに掌を向けてーー、唐突に友人の話を思い出した。
まさかと思う。試しに、人差し指で男の脇腹を突っついてみた。
ナナシノは。
どっかにカっ飛んでいくロケットみたいに跳ね上がった。
不時着した場所から更に飛び退ってオレから距離を置き、ヤツは怒鳴った。
「いいいいきなり何すんだ!」
めっちゃ噛んだ。
顔を真っ赤にして脇腹を隠している。ネズミ用の鳥黐を踏ん付けた犬のような物凄い反応に面食らったが、オレはニヤつく口元を隠さずに言った。
「いやぁ、ナナシノやっぱ日本人? ずっと前に、日本人って大震災でも冷静で我慢強いが、日常生活では困った時と喜怒哀楽の表情が半笑いの国民で脇腹や背中を突っつかれると飛び上がって驚く、って聞いててサ。一部は事実だろうけれども、都市伝説だと思っていたから、まさか全部ホントだったなんてオレ知らなかった」
喋りながら、少しずつ間合いを詰めた。
込み上がる笑みを止められない。
ヤバイ。
実際に目の当たりにすると、すげぇ楽しい。
じりじりと追い詰められたナナシノは、猫みたいに全身の毛を逆立てて怒鳴った。
「何でそんな楽しそうなんだよ!」
あ、やっぱバレた?
柱にあたって退路が断たれたナナシノの注意がオレから逸れた瞬間、一息で懐に入った。
視線を戻した黒い瞳の主が、真っ青になって喚いた。
「ちょ、寄るな!」
え?
ムリムリ。だって面白そうだもん。
オレは唇を開いた。
「まあまあまあ。そんな怒ンなよ、な?」
一目散に逃げるナナシノの背中を、思いっきりツンした。
イリイチ補足 「友人の話」
友人の帰国を祝う酒の席。
「赴任先で財布を落としたが中身が抜かれずに届けられていた」を皮切りに、信じられない土産話で大いに盛り上がった。一緒に聞いていた友人達と大笑いしたのを覚えている。どんな国だよ、ンなワケあるか、オカシイ、作り話だ、気苦労乙とか、飛び交う感想が斜め上なくらい酔っ払った頭でもインパクトは絶大で。
だがそういえば、いつもドヤ顔で話を盛るヤツが「信じて貰えない」と珍しくヘコんでいた。
日本に来た外国の人の、諦観に至るスピードは「あっぱれ」としか言いようがありません。
そんでもって日本人より、日本と地元住人に馴染んでる。
すごいや。