名無しの幽霊が 3.
神殿 突入前 イリイチ視点の話。
残念な描写があります。苦手という方はスルーをお願いします。
抱いた双子を階段からも大扉からも死角になる柱の陰に寝かせたあと、オレは外の気配に気付いた。密やかな緊張には覚えがある。
窓の陰に潜んで、そっと外を窺う。建物が包囲されているのが解った。
内心、舌打ちしたくなった。
――次から次へと。
親子の安全を優先したいが、相手の出方次第ではそれも難しい。
最悪戦闘になるとして、母親を運んでいるあの男がどれだけ使えるか解らない。鍛えてはいるようだが、今はスポーツの公式戦とは違う。
窓から離れて階段へと移動する。
ちょうど男が匍匐前進で上がってくるところだった。
母親をおぶったまま石段を這って来る。通常なら不安定な背中から落ちるが、そんな様子もない母親を見て、オレはコイツが訓練経験者である所感を持った。
「すまない。ちょっと来てくれないか」
男の動きが一瞬止まりそうになって、そのまま前進を続けた。殆ど無音に近いオレの声が聴こえているようで、驚くと同時に感心する。確かアジアにも国民に兵役を課している国があったはずだ。もし違っても、コイツは戦力になる。
階段を上がりきった男はチラリとオレを見上げると、慎重に母親を下ろした。
気絶した母親の外見は儚気だ。
だが、この女からオレは魔法を食らい、危うく双子の片割れを巻き込みそうになった。子供は無事でオレの肝が冷えただけだが、雷の衝撃は気持ちの良いモノではない。
母親を睨んでいたら、男が立ち上がった。
そして言った。密やかな声で。
「何があった?」
オレはバッと振り返って男を見た。
黒い瞳は相変わらず何を考えているかわからなかったが、キョトンとした無防備な表情から、悪意も敵意も無いのだけは解った。
ついでに、今まで喋らなかった事に対する反省が無いのも。
呆然としていたら、男はもう一度唇を開いた。
「何があった?」
他意の無い黒い瞳を見て、オレは頭を抱えたくなった。
男の性格が天然である事が解ったからだ。
どうりで何を考えているか分からなかったはずだ。コイツは何も考えちゃいない。オレや双子に対する気遣いや触れない母親を運ぶ工夫を惜しまないとか、素でやっている。
なんて事だ。
信じられない。
尋常じゃない「お人好し」だ。
もう確信を持って言える。
アンタ自分の国から出ちゃダメだ。
もし出るならヤられる覚悟で出ろ。自己責任だ。
口を開くと、とんでもない事を言いそうになるから、目顔で窓を指した。
男はそれで察したようだ。窓を見て、眉をひそめる。隠密包囲に気付いたのか、不安そうな表情を浮かべた。
何故だ。玄人の気配が察知できるのに天然だと? ワケ解らん。
ふと、男の目の下に皺が刻まれるのを見て、オレは地下室での様子を思い出した。
何かしら不快に思ったときに、コイツはそういう表情を浮かべる。
特に、鉄枷の血糊を見たときの貌は筆舌に尽くし難かった。男が打ん投げた二つの枷のうち、一つは壁にめり込んでいる。
それとなく深呼吸した男に、そっと尋ねた。
「軍隊経験はあるか?」
男は寸秒、妙な顔をした。
何かを反射で思ったようでオレは眉をひそめる。男は頭を振って、小さな声で告げた。
「自分は事務屋で食ってきた、ただの民間じ――」
「――すまないが」
じりじりと狭まる包囲網を感じて、オレは言葉を遮った。
死体の山から平然と鍵を探し出し、気絶した人間を背負って匍匐前進ーーそんな民間人が居てたまるか。
眼鏡の奥の黒い瞳を見据えて突きつけた。
「……死体に慣れていたようだが?」
ストレートな指摘に、男は返答に困ったようだった。
逡巡する様子を見せたが、黒い瞳が真正面からオレを見る。
男は、ぽつりと言った。
「死ぬの二回目だから」
……。
……え?
じっ、とこちらを見る黒い瞳に、嘘も冗談もごまかしも感じられない。
だが、余りの事にオレは思考停止した。
脳が男の声で「死ぬの二回目」とリフレインする。
やがて言葉の内容がオレを融解し、内容の意味が理解に浸透すると、斜め上の返答に愕然とした。
いやいやいやいや何だソレ無いだろフツーにアンタ年齢いくつだオレより上でもまだ若いだろ大体アンタの言う只の民間人が死ぬの二回目ってソレ死に過ぎイヤ好きで死んだんじゃないだろうけどーー
アレ!? オレ訊いちゃイケナイコト尋ねちゃった!?
オロついていたら、男はオレから視線を外し、床を見て天井を見上げて、溜息を吐いた。
何だか言いにくそうな顔をしている。
「一回目は風邪で死にかけて、二回目の今は交通事故。自分のスプラッタを見たら……、後はもう怖いモンなんてないだろ。これも寿命だ」
オレは絶句した。
そして恐る恐る唇を開いた。
「それは……、ご、ご愁傷様でした? で、合っている? のか?」
言った瞬間、オレは失敗に気付き、男はすぐさま「違う」と言いたげな表情を顔に浮かべた。
焦ったが出た言葉は引っ込められない。
男は何も言わなかった。
けれど半笑いでオレを見る、眼鏡の奥の黒い瞳がビミョーに虚ろで居た堪れない。
思わず目を逸らして、唇を指で抑えた。
……すまん。
後でいくらでも謝るから、そんな目で見ないでくれ。
ナナシノ補足
子供時代、歴代のALTから
「文通やメル友はともかく、大人になるまで渡航はちょっと」と
神妙な面持ちで止められた事があるのは、自分だけじゃ無い。
……と、思いたい。