60. 呟くような声が。
「……それは、どういう?」
ハルトマンは静かに尋ねたが、自分の言葉の意味を二神は理解したようだ。すぐさまベッドに飛び乗り、親子を見て絶句する。
『……なんと。<禍神>でも<神降ろし>でもない。火の、これはーー』
水の神が感情を剥き出して呟いた。
火の神は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。憎々し気に息を吐いた。
『……<禁書>の呪いだ。どうやったか知らねーが、アレを暴いた連中は自分達で呪いを被らずに、この親子にツケやがった』
自分はイリイチに目配せをした。
直に触れない自分では、体温を計れない。察した琥珀色の瞳の主は、親子の額に手をやり首に指を置き、そして眉間に皺を寄せた。
「まだ熱は出ていないが……時間の問題だ。脈が早い。リンパ節が硬い。到着まで時間がかかるなら、悪い事は言わない。ドクターの手配をした方がいい」
硬い表情をしたハルトマンは唇を開いた。
「……ここは、再開発が始まったばかりだ。まだ医家はいない。必要なら片道一刻かけて連れて行くか呼びに行くしかな――」
「――わかった。ありがとう部隊長。夜に動かすのはマズイから、念のために呼びに行く支度を。それとイーラを連れてきて欲しい」
途中でぶった切って頼んだ。一瞬ハルトマンは面食らったが、自分の目を見てすぐに部屋から出て行く。
イリイチが不思議そうに自分を見たが半笑いでゴマカシた。
動じない男があんな表情をする時は、――本当にどうしようもない時だ。
応接テーブルの毛布を手に取り、広げる。
大きさの割に軽く柔らかい。しかもカビの臭いが全然しない。というか、三日の昼夜干しより清潔な匂いがした。
自分の眉が上がる。枕元に移動した二神がチラリとこちらを見た。
「……イリイチそっち持ってくれ。毛布を掛けてしまおう」
「ナナシノ、……コートはどうする?」
動きが一瞬止まった。
毛布代わりのコートは襟や袖、ループが親子によって握り締められている。
自分は肩をすくめて、そのままイリイチと二人で毛布を被せた。
その時、パタパタと空気が動き、イーラが駆け込んできた。
後ろから洗面器と布を持ったハルトマンがそっと入ってくる。イリイチがサイドテーブルの水差しを取り上げ、応接テーブルに移した。
イーラは枕元に跪き親子に触れた。
探るような緊張の後、詰めていた息を吐いた。
「……まだ熱は出ていないけれど。……今朝までイーシャが居たのに」
下唇を噛む表情は悔しそうだ。
自分は筆記机のイスを運ぶ足が止まりそうになった。琥珀色の瞳の主はドクターの当てがあるのかと、期待を込めてイーラを見ている。
親子を動かせない以上、時間を短縮出来るならそれに越した事は無い。
サイドテーブルの空いた場所に洗面器を置いたハルトマンが、さっとイーラを見た。
心なしか目が据わっている。
「あの人がここに居たんですか」
呟くような声が低かった。
知り合いか。
しかも何で若干キレ気味なんだ。まるで親から家出された子供みたいだ。
イーラはハルトマンに頷く。
布を洗面器の水にひたして搾り、母親の顔を拭いながら唇を開いた。
「……黙っていて、ごめんなさい。技術提供で再開発に関わっていたギルに付いて来ていたの。最初に見たときは驚いたわ。楽しそうで。神殿が完成して、山に帰る前に足りない物を買いに行くと言って二人で町まで。……あ、ギルは岳人で、イーシャは岳人を追い掛けて世捨て人になった医家なの」
言葉の最後は幽霊に向けられていた。
枕元の二神は何故だか微妙な顔になっている。自分はボケッと思った。
……それ「駆け落ち」って言わないか?
世捨て人のイメージが変わりそうだ。
イリイチを見たらひょいと肩をすくめられた。