名無しの幽霊が 2.
地下室 イリイチ視点の話。
残酷な描写があります。苦手な方は、スルーをお願い致します。
腕が解放されない事に、男はうっそりと落ち込んだ。あさっての方を向いている視線が不憫だが、……悪い。ホントに逃げられたくないんだ。
カモられそうでも何でも今のところ話を聞いてくれそうなのが、お前だけだ。
「このままで、すまない」
謝罪した。
次いで自己紹介しようとして躊躇いが出た。魔法というワケの解らない現象のあるこの世界で、名乗るのに抵抗がある。ネットで個人情報を公開しないのと同じ理屈だ。
仕方ない。
「オレは、ピョートル・イリイチという」
昨日まで練習していた曲の作家の名前を使わせてもらう。
男は特に疑問も持たずに受け入れたようだが……、えー。そんなアッサリ。
アンタ本当に大丈夫か?
それともチャイコフスキーの名前って、メジャーじゃないのか?
……まさかオレの本名だと思ってないよな?
他人事ながら心配になっていたら、男はココの状態に気付いた。
さっと目を走らせた後の反応が、民間人にしてはおかしい。惨状から顔を背けるでもなく、興味を持つでもなく、かと言って無関心でもない。
あくまで淡々と現状を把握しようとしている。
……アンタ今ちょっと眉ひそめているけれど、目だけで死体が何人分か数えてやしないか?
チラリとこちらを見て目顔で説明を促される。
オレだって詳しくはわからない。だから首を横に振った。
男は一つ深呼吸をすると、階段のほうに向かって歩き出した。
オレは慌てた。
男の腕を引く。黒い瞳が無感情に振り返って、一瞬息が詰まったが目を逸らさないで言った。
「……すまない。あの子達を助けてくれ」
途端に男の目が驚きに見開かれた。中性的な顔に「子供が居るのか?」と疑問が浮かんで、次の瞬間には見てもいない子供の安否を気遣う表情になる。
オレは唐突に理解した。
芝居でも何でもない。
コイツは、ポーカーフェイスができないタイプだ。
「あっちに」
ぐっと引っ張って双子の所に連れて行く。
大人しく引かれるままに歩く男の歩幅は一定だ。オレより小柄なのにブレもしない。
そして双子の前に着いた男が、子供の拘束具を見た瞬間。
ソイツからゾワリと強い気配が立ちのぼった。さっと男に視線を走らせる。
怒気を含んだ黒い瞳が、鉄枷を睨みつけていた。
顰め面で、何かを一心に考えている。腕を放すと頓着無くその場に座り込んだ。
服を探ってクリップを取り出し、あっという間に鍵穴を弄り始める。
……。
……ちょっと待て。アンタ何フツーにピッキングなんてやっているんだ?
オレは呆気にとられた。
しかも何度か錠を掠める音がする。開きそうで開かない金属音。クリップ一つで、……なんて事だ。腕は悪くないだと?
……まさかプロじゃないよな?
暫くカチャつかせていたが、やがて男は悔しそうに枷から手を離した。
俯いて、何か考え込んでいる。解錠できなかった男に、何故だかオレはちょっと安心した。
そして。
ひどく緊張した様子で子供に触れようとした男の指が、すり抜けたのを見た。
――コイツはオレと逆なのか。
何も考えずに男の肩を引く。
黒い瞳がイラついて見返した。オレは尋ねた。
「枷を外せないかだろうか?」
男は胡乱気な顔をした。ピッキングが上手くいかなかったのを見てなかったのか? と言いたげだ。
しまった。
オレは慎重に続けた。
「枷の鍵は死んだ連中の誰かが持っている。オレは物に触れないが、子供になら触れる」
男の表情がパッと晴れた。
ピン、と手のクリップを指で弾いてオレに寄越すと、サッと立ち上がる。逃げられるというのと、クリップを受け取るのとで、一瞬慌てた。
クリップが、広げた掌にポトリと落ちて、驚いた。
地下室で物に触れたのは初めてだった。それに持ってみて解った。
クリップから持ち主と同じ波長がした。波長があれば、男が逃げても追える。
呆然として顔を上げたら、男は一瞬だけ口角を上げ、死体のほうへ歩いて行った。
ナナシノ補足
手遊びが ものっそ流行った 子供時代
あやとり おはじき 輪ゴム銃
見て見てセンセーすごいでしょ
昼休み 夢中になった子供たち
南京錠も開けてみた
見て見てセンセーすごいでしょ
その翌週 全校集会はじまって
手遊び禁止 意味不明
今なら解る その危機感
小学生 クリップ使って ピッキング
何に使う いつ使う
ガチで要らねぇ そのスキル
良い子も悪い子もフツーの子も、ピッキング何てヤっちゃいけません。
社会人は普通にマズイと思います。
やっぱ平穏がイチバン。(遠い目)