56. 零れて落ちて消えていった。
琥珀色の瞳の主の、厳しい視線を後ろ頭に感じた。
静かに怒った美人の迫力は尋常じゃない。部屋の温度がグンと下ったのがわかって、自分は動揺と緊張のあまりグビリと唾を飲み込んだ。
「……ナナシノの何にキレてんのか知らないが、オレもコイツも好きで死んだんじゃない」
イリイチの声は、低いが良く通る。耳に心地よいのは抑揚があるからだ。
だが感情のこもらない平淡な声音は、神殿で母親の雷について話していた時と同じで。
余計に怒りの度合いが察せられた。
「……ナナシノ。後で話すと言っていた、イドでの何かはこの事か?」
自分の表情が誰にも読まれない腕の中で良かったと心底思った。
多分、今すげぇビビった顔をしている。
イリイチ。お前一体何なんだ。マジで怖ぇよ。その直感力。
向けられている視線がイタい。
だらだらと冷や汗をかいている自分は、恐る恐る頷いて返答した。
狭い視野の中でイーラが柳眉を逆立てるのと、すぐ傍でイリイチのため息が聞こえたのは同時だった。
「火の様」
イーラから見つめられた火の神は蛇に睨まれたカエル状態だ。
小柄でたおやかな外見の彼女から、全力で逃げ出したいのにソレが叶わない居た堪れなさは第三者なりに経験済だったから、それはもう。
……ご愁傷様としか言いようがない。
不意にイーラが息を詰めた。
あまりに唐突で、ハッと我に返った。
「どうして……」
弱々しい声調に、不安を掻き立てられる。
引き攣る腕を無理に動かし、視界を広げた。
彼女は強い感情に震えていた。それが悔恨だと気付いた時には遅かった。
二神に再会した嬉しさからも崩れなかった青い瞳から、雫が溢れてオレンジの明かりを反射する。零れて落ちて消えていった光に、一瞬どうしていいか分からなくなった。
「……何故ですか? ナナシノが触れて死に掛けたというその<本>は――」
イーラはこちらへと視線を向ける。
「――昔わたくしが異界に送るお手伝いした<降臨>のことですか? 水の様」