55. 残念な事実。
今度は自分に視線が向けられたのを感じた。誰にも見えない腕の中でため息が出そうにる。
ニガテなんだよ。こういうの。慣れてないから。
自分は端的に答えた。
「……全部切り替えると、危ないから」
ああ、と納得したような二神の声が重なって聞こえた。
幽霊の今なら、五感の全部、あるいは幾つかを完璧に遮断することもできる。ただ、感覚がないということは痛覚も無くなることになる。それでは傷を負っても自己認識が出来ず、最悪バラバラになっても解らない。
<部位>が存在するのは、そういう理由もあるからだ。
「五感を切り替えるということは、……どういうことでしょう?」
自分ではなく、神に尋ねる戸惑ったイーラの声は、多分、ハルトマンとイリイチの疑問も代弁している。
トタトタと近寄ってくる足音から、水の神が傍に来たのがわかった。
『ナナシノ。答えよ。そなたは……ソレを一度目の経験で得たのだな?』
イーラの問いには答えていないが、この場合、疑問を解消する一番の近道は、自分に確認することで。
残念な事実を頷くことで白状した。
『ばかものが』
水の神が、ぺしりと自分の頭を叩いた。
痛みは無いがビミョーな気分になる。はっちゃけた挙句に心霊現象に遭遇しまくったのは自己責任だが、風邪で死にかけたのは自分の所為じゃないと言いたい。
『イリイチは……もう知っておるな?』
水の神の憤懣とした声に、イリイチは何の事か悟ったようだ。
タシタシと足裏で台を叩く火の神の気配は、苛立っている。……わかりやすい。
『そンじゃ、イーラとハルにも知っていて貰いたい。コイツ、死ぬの二度目なんだ』
……。
プンプンしながら、あっさり個人情報暴露するのヤめてくれませんか。
しん、とした空気を読んだのか気付いていないのか、火の神は話し始めた。
『ナナシノが書庫の官吏、ってのは憶えているな? コイツは前に、俺らが編纂した<本>に触れて病で死に掛けた。今回暴かれた<禁書>とは別物だが、封印できずに異界へと処分したソレが、朽ちずに保管されていた。ナナシノんトコの書庫でな』
イーラとハルトマンが息を呑んだのが聞こえた。
そして何故か。水の神の動揺を感じた気がした。視界を広げようと試みたが、まだ腕が利かない
火の神が憤然と息を吐いて口を開く。
『イリイチと違って、ひょろいナナシノを<禍神>が滅ぼせなかったのは、その所為だ。一度死に掛けて五感を切り替えられるようになったヤツに痛苦が効くはずかない。耐性もある。生半可なヤツじゃ、太刀打ちすらできねーよ』
自分はため息を吐きたくなった。
私事権ってなんだろう。腕の中で遠い目になった。
『そーゆー理由だから、亡霊に襲われても平気なンだ。切り替えちまえば痛みなんて無いし、そもそも死への恐怖も無い。二度目だからな』
その言葉に自分は目を見開いた。
火の神は後者だった。気付いていない方だった。マズイと思ったが、遅かった。
「火の」
「火の様」
イリイチとイーラの声が重なった。
声に抑揚が無い。笑いのツボが同じ二人は、感情の沸点が同じだったらしい。
自分は思わず目を閉じた。