52. 指揮官の内面。
元の調子に戻ったイリイチに、自分はひっそり安堵していた。ほんの数時間の付き合いだが、意外としか言いようがない。
その時、顎に指をあてた思案顔のまま、イーラが呟いた。
「……イリイチとナナシノは、魔法はどうなの?」
小さな声だったが、問いの言葉に二神が「あっ」という顔をする。
……。
……え。何ですか、そのリアクション。無意味に不安になるんですが。
ハルトマンは二神を見ている。
質問には、キョトンとした顔のイリイチが答えた。
「どう、とは? そもそもオレもナナシノも魔法の無い世界から来たので、わかりません」
言葉そのものは堅いが、イリイチの穏和な表情と低い声は柔らかく優しい。だが、ハルトマンとイーラはその返答に息を呑んだ。
……やっぱり想像できないか。
科学の無い現代日本を夢想しろと言われたのと同じだしなぁ。ボケッとした自分ですら、魔法現象には衝撃を受けたし。その逆パターンのショックはどれ程だろうか。
さっと考え込んだ二人へ、自分は唇を開いた。
「ない、というのは実際に魔法を目にした事が無かったからです。具体的に挙げれば……ケガを治したり、雷を出したり、明かりを点けたりするソレらは、自分達が知るかぎり御伽噺……子供向けの作り話の中だけです」
喋りながらも、観察する。
仕事で身についた癖だが、考え込んだままの二人に心がざわめく。
言葉が届いていなさそうな感じがした。
同じく様子を見ていたイリイチは「御伽噺」と聞いたところで、ふ、と笑って、あらぬ方を見た。片手で口元を隠している。
多分、自分の「すげぇ変な顔」を思い出したのだろう。
つか、笑うなよ。出来れば忘れて欲しいくらいなのに。ホント。
自分の醜態が頭を過ぎって、ハタと気付いた。恥を曝す事になるが、そのまま話した。
「……正直に言います。魔法を見た時、自分は気が狂うかと思いました。死んでいるのに妙な話かも知れませんが、受け入れられないと思ったからです」
二神がハッと自分を見た。
一瞬だけ浮かんだ表情から、想像もしていなかったとわかった。
ハルトマンの伏せられていた青い瞳が、上げられた。
理知的な光は、オレンジの明かりを反射して透明だった。真面目な顔でイリイチと自分を見ていたが、仄かに笑っているようで驚く。
彼は指揮官の顔をしていた。
「俺が任されている部隊は……」
その薄い唇を開いて、話し始めた。
「魔法が当たり前のこの世界で、魔法を使えない連中を集めて出来た部隊だ。二人なら、むしろ馴染みやすいだろう」
至極当たり前のように言われて、先程の「戦力」発言を思い出す。
イーラとハルトマンが考え込んでいたのは、魔法の無い世界を想像するとかではなく、全く別のことを思慮していたのではないかという気がしてきた。
ふと、ハルトマンの笑みに既視感を覚える。唐突に、神殿の地下室で見た瞳と同じだと気付いた。
何事にも動じない指揮官の内面は、何事をも面白がるタイプだ。
イヤな予感がした。
自分を見るハルトマンの雰囲気は変わらない。
変わらない。のが、不吉だった。
まさか……、ボッチの事務屋に格闘技しろとか言わないよな?
「イリイチ殿はともかく、ナナシノ殿は戦闘訓練を受けた方が良い」
ビシリと自分の顔が引き攣ったのがわかった。
どこまでも真剣な面持ちなのに、目が笑っている。彼がこの状況を楽しんでいるのが窺えた。ちょっと待て、という自分の心を読んだのか、ハルトマンはあっさりと理由を口にする。
「幽霊とは言え、作戦中にパニックをおこされては堪らない。少なくとも、イリイチ殿と連携が取れるくらいの練度があれば<禍神>に対抗できる」
断ろうとした気勢をガッツリ削がれた。どうしてだか為て遣られた感がハンパない。
ぱん、と肩を叩かれた。
振り返ったら、イリイチが晴れやかな笑みを浮かべていた。
「大丈夫。オレが鍛えてやる」
自分は思わず蹌踉めいた。
条件が合えば「万事従う」と決めたのは自分自身だが、ボッチな分だけショックは大きい。ほとんど無意識に眼鏡をはずして、顔に手をやる。ゴシゴシ擦ってから眼鏡をかけた。
うあー。マジかー。
頭を抱えたくなった。
自分の弱気がポソポソとした言葉で零れ出た。
「……わかった。イリイチの世話になる。手間かけさせて悪い。もう死んでるけど、死なない程度に頼む」
「任せろ」
ゴツイ拳が出された。
笑んだ琥珀色の瞳を見て、自分も拳を出した。ひょろい拳に、ゴツ、とイリイチが当てた。
痛かった。
やってのける自信なんて元から無かったが、何かが粉微塵に吹っ飛んだ。