42. 自分がいないこと。
『ナナシノ?』
不意に届いたイリイチの思念に、伏せていた目を上げた。
自分がいないことに、気付かれた。
一瞬どうして良いかわからなくなる。呼ばれて戸惑った自分を、神々が見た。
『ではナナシノ。のちほど。ビックリしないでくれると幻は喜ぶよ?』
『……岳人と世捨て人は酒が好きだ。準備しておいてやってくれ。とても喜ぶから』
風の神と土の神はそれぞれ言い置くと、次の瞬間にはかき消すように居なくなった。
胸の内の衝撃が無ければ、それこそ幻を見ていたと錯覚してしまいそうだ。そのくらい現実味が無かった。
頭を振って、立ち去った彼らの居た方に向かって一礼した。
二神の視線を感じた。
水の神と火の神に向き直った。
水の神がほのかに笑って首を傾げ、火の神が頷くと、ーー庭に戻っていた。
夜を背景にし、火が焚かれた庭の片隅で、朽ちた井戸は黒々と存在していた。思わず瞬いて自分は周囲を見回す。
火の神は、ニカッと笑った。
『ナナシノんトコは魔法ないから驚くだろ?』
アタマがイカレそうです。
とは言えず、曖昧に笑って二神に掌を差し出した。
水の神はもにょもにょとしたが、火の神はぴょんと乗った。火の神が差し出した手を取って、水の神はおずおずと乗った。
そっと立ち上がる。
背にイリイチの視線を感じていた。一呼吸してから平屋に向かう。近づくにつれ、段々と自分を取り戻してきた。
玄関の前で双子を抱いたままイリイチは待っていた。
多分ドアを開けられずに自分を振り返って、側にいないことに気付いたのだろう。
ふと、眉をひそめられた。
「ナナシノ……? 何かあったのか?」
訝しげにきいてきた。
自分の眉が上がった。
イリイチには掌の神が見えていない?
さっと二神を見た。
水の神は驚いた顔をしていたが、火の神はニヤニヤしている。
面白そうに自分を見上げ、人差し指を唇にあてて「しー」とサインを出した。
水の神がパッと睨んだ。
それでわかった。土の神の結界と同じだ。
何か言おうとした水の神の口を、火の神は鷹揚に塞ぐ。カッと目を見開いた水の神は、塞ぐ手を捻り上げ火の神の背後をとった。腕を固められる前に火の神は水の神に頭突こうとし、ーーあっという間に自分の掌で取っ組み合いが始まった。
無音で。
……まじで?