25. 自分の耳を疑った。
なんとまぁ。
自分が思ったのは、正直それだけだった。
ボケッとした感想だ。
ハルトマンは、実際、優秀なのだろう。
天幕の空気が硬質になった瞬間、クッションで眠っていた子供は部下がそっと抱き上げ保護している。見事な連携だ。
だが。
コレは悪手だ。
虐待をしている親の目の前から、子供を取り上げる事は非常に危険だ。
それを知っているようでイリイチは黙ったまま裸足の子の傍らに立っている。ちびっ子への気遣いハンパないな。
それに、地下室で子供の痣を確認した自分は知っていた。
この母親はクソ女だが、子供への加害者ではない。
「ふざけないで」
案の定、母親は敵意をハルトマンに向けた。
フードを背に落としたその姿は、気を失っていた時の儚げな印象は無く、子供を取り戻す意志を幾らも抑えていない。
新緑の瞳が疑心に満ちていた。
「その子が攫われた時は話も聞いてくれなかったのに。わたくしの瞳の色から、血筋を調べたんでしょう。それで<神降ろし>の依り代に成り得る器だと解った。けれど、結局、貴方達は間に合わなかったのよ。捜索で素人のわたくしより後れを取ったクセに、偉そうにしないで」
<神降ろし>?
母親の言葉に、自分の耳を疑った。
<降臨>ではない?
では、似ていたと感じたあの陣を、そもそも自分が間違って認識していた事になる。
神降ろし。神降ろし……。
記憶を辿ってみるが、徹底的に無視を貫いた古文書の内容は中々出てこない。
眉をひそめている自分をチラと見たハルトマンは、イリイチを見た。
イリイチは目顔で頷き、そっと腕を解く。自分はおぶわれた背中から静かに滑り降りた。
殆ど無意識の動きだったが、自分がイリイチから手を放した途端、母親が蒼白になった。
「なぜ<禍神>がここにいるの!?」
今まで見えていなかったのは自分を背負っていたからか。
彼女は絶叫し、真っ直ぐにイリイチを見、神殿で唱えた祝詞ーー呪文を口走った。
ゾッとした。
次の瞬間には、動いていた。
ハルトマンの剣を逆手で抜き、大きく踏み込もうとして脚が利かずにイリイチと母親の間にまろび出た。引き攣る身体を叱咤し両刃の剣を床土に突立てたところで、――母親が放った雷が、避雷針となった自分に直撃した。