ザンの記憶編その4「ザンの記憶」
宝珠に触れてから、いつ眠りについたのかはわからなかった。
まるで空から見下ろしているかのように、ザンはその光景を眺めていた。
そこにいたのはまぎれもなくザンだった。――ザンではあるのだが、見るからに歳が違っていた。
本来ならば、九歳の頃のザンがそこにいるはずなのだが、そこにいたザンの歳は明らかに二十歳以上の外見だった。
そして、そのザンがいる場所は山の中腹にあったあの遺跡のような建物。――いや、造りは似ているが、山の遺跡とは違う場所のようだ。
「くっ、ここでもない。――どこにあるんだ、この島の『バニッシャー』は?」
記憶の中のザンは、何かを探しているようだ。遺跡を出ると、ザンは背中に固定されている剣を抜いた。
「『時空法封呪』よ、次の遺跡に俺を飛ばせ」
そう言うと、剣が光り出しザンを包み込む。その直後、ザンの姿が消えた。
場面が切り替わる。――いや、場面が切り替わったのではなく、記憶の中のザンが別の場所に移動したみたいだ。そこにはまた別の遺跡が建っていた。
入り口付近の煉瓦を押し、入り口を開ける。中に入って遺跡の内部を確認するが――
「ここにもないのかっ!」 遺跡の壁を叩きつける。探し物が見つからない憤りか。
ザンがこの遺跡を後にしようとしたときだった。
突然、ザンが激しく咳き込みだし、口を手で押さえる。
押さえた手の指の間から血が垂れる。……真っ黒な血。そんな色の血がザンの口から吐き出されていた。
「もう呪いが進行してきたのか……。だが、まだ俺は死ぬわけにはいかないんだ。バニッシャーを止めなければ、この島は消え去ってしまう」
再び、時空法封呪と呼んでいた剣を手に取る。――時空法封呪に次の願いを言おうとした時、ザンはなにかに気づく。
「? ここは、山の頂上付近なのか?」
遺跡から少し山道を登ってみる。
出た場所は、この辺りを一望できる山の頂上だった。
海に囲まれた小さな島。そして、その先にうっすらともう一つの大きな島が見えている。
「この島にはもう一つ小さな島があったのか……」 言っている意味がよくわからない。
遠くに見えているのはあきらかにここより大きな島なのだが、記憶の中のザンは小さな島があったと言っている。
「! ここなら、時空法封呪を隠しても、誰にも見つからない?」
そう言うと、時空法封呪と呼ばれる剣を鞘ごと地面に突き刺した。
「ちょうどいい、時空法封呪はここに隠して、また呪いの進行をゼロに戻そう。――時空法封呪、しばらくは自分の身は自分で守れよ」 一瞬、剣が光る。
「よしっ。――じゃあ、俺の最後の願いだ。俺の時を戻してくれ」
時空法封呪の光がザンを包み込んだ。――光が消えた後、ザンは九歳くらいの子供の姿になっていた。
「……これでまた元の歳に戻るまでは呪いが進行しない。だが、これで時空法封呪を使うわけにはいかなくなった」
ザンが剣を置いて、山を下りはじめる。
「これから徐々に記憶を失っていくだろうな? ……また前のようにうまく思い出せるのか? いや、いまはこうするしか呪いの進行を止められない。信じよう、数年後の俺を」
ザンは自然と目を覚ました。――知らない部屋の知らない寝床。枕元には再生の宝珠。
「あれが、俺の過去? 時空法封呪? バニッシャー? いったい、なんのことを言っていたんだ?」
扉が叩かれる。
「お目覚めですか?」 賢者が朝食らしきものを持って部屋に入ってくる。
「あ、はい」 ザンは上体を起こし、賢者の方を見る。
寝床の脇に朝食を置いた。
「それで、記憶の断片は見られましたか?」
「見るには見られたんですが……、まったく意味が理解できませんでした」
賢者の問いに、ザンは戸惑いながらそう答えた。
「……失っている記憶というものはそういうものです。――記憶の断片の中で思い当たる場所とかはありませんでしたか? あいまいな記憶より、たしかな場所の方が手がかりになりますよ?」
「場所?」 ザンは先ほどまで見ていた光景を思い出してみる。
遺跡は似ているだけで、この山で見た遺跡とは違っていた。あと記憶に残っているのは――
「あれ? ちょっと待て。あの山の頂上から見えていた景色――」
海に囲まれたあの景色。……さらに細かく思い描いてみる。うっすらと見えた遠くの島影――そして、麓に小さな村。
「! あれは、トゥルーク島か!」
しばらくしてリュセイアとカノンが賢者の小屋にやってくる。
ザンは二人に記憶の手がかりがトゥルーク島の山の山頂にあると告げる。
カノンはグレイドに連絡を取り、今すぐに島に戻る手配をした。
――時間は午後三時半といったところか。試験会場に向かった時よりも半分くらいの時間で三人はトゥルーク島に戻ってきた。
そして、村に戻ることなく、三人は島唯一の山を登り始める。
山道を上りながら、リュセイアが話を切り出した。
「でも、ザンが記憶の映像の中で剣を隠していたって言いうのは、もう五年も前の事なんだろ? まだその剣がその場所に残っているとは思えんが?」
「いや、それはわからんぞリュウ。正直、この山は村の人間でもめったに登らないからな」
「危険な場所なんですか?」 ザンがカノンに尋ねる。
「危険というよりは、わざわざ登る理由がないんだよ。――必要なモノは全部麓付近で入手出来るからな。――で、ザン。頂上に向かうにしても、他になにか目印になるようなモノはないのか? やみくもに登っていては、すぐに日が暮れる」
「近くに遺跡のような建物があるはずです。――ほら、あの賢者に会いに行く途中で見つけたのと似たような建物です」
「よし。じゃあ。とりあえずはそれを目印に探そう。いいな、リュウ」
「あいよ」
リュセイアが茂みをかきわける。と、視界の先に見えたものは――
「! あったぞ。あの遺跡だ」
茂みを突き抜けて、リュセイアは遺跡のそばに移動する。
「ザン、おやっさん、来てくれ。遺跡を見つけた」 大声を上げて二人を呼ぶ。
しばらくして、茂みの中からカノンとザンが姿を現す。
「――ザン、ここに見覚えはあるか?」
カノンの問いには答えず、ザンは無言で遺跡に近づく。――遺跡の先に、かすかに見えるは本土の島影。
「……あの宝珠で見た夢と同じ光景だ」 ザンはそう呟くと、遺跡を素通りして先に進んでいった。
「お、おい、待て」 一人先を行くザンをリュセイアは呼び止めようとするが、そんなリュセイアをカノンが止める。
「ついていくぞリュウ。……この先にあるんだ、ザンの記憶の手がかりになるモノが」
山の頂上。突き出た崖の先端近くにそれは立ててあった。鞘のついた剣。記憶の中のザンが『時空法封呪』と呼んでいた、あの剣だ。
ザンが無言のままで剣に近づいていく。
「?」 ザンの様子がおかしい。それに気づいたのはカノンだけだった。
その間にも、ザンは剣との距離を詰めていく。
「! リュウっ。ザンを取り押さえろ」
「え?」 突然声をあげたカノンに一瞬戸惑うが、リュセイアはすぐに動き出す。
だが、すでに遅かった。――ザンが剣に手を伸ばすと、黒い風がザンを包み込み始める。
「くっ」 カノンが飛び出した。
ザンが虚ろな目で剣を――時空法封呪を鞘から抜いた。
「何人も、時空法封呪には触れさせない」 少年であるザンが、まるで子供とは思えないような声でそう口にした。
その光景を目に、リュセイアは動くことが出来なかった。
――目の前の光景が、まるでスローモーションのように流れていく。
時空法封呪の刃が、カノンの胸元を貫いた。
カノンは、その状態でザンの首元に手刀を打つ。ザンは意識を奪われ、時空法封呪からその手を離した。
――が、その直後カノンも崩れるようにその場に倒れ込んでしまった。
時空法封呪を、胸に刺したままで。
「おやっさんっ」 金縛りが解けたかのように、リュセイアが動き出す。
リュセイアはカノンに駆け寄り、時空法封呪に手を伸ばす。
「……リュウ、お前に、頼みが、ある」
「おやっさん、今は喋らないでくれ。こいつを抜いて、すぐに手当てを――」
「いいから、聞けっ。……俺が、ザンに、刺された、ことは、誰にも、い、言わないで、くれ」
「……そんなのは、自分の口で言ってくれ。おやっさんの口で、ザンは悪くないって」
「ああ。ザンは、何も、悪くない。多分、この剣の、せい、だろう」
「待ってろ、いまこの剣を――」
「いいか? 俺は、うかつに、この剣の、逆鱗に、触れて、――死んだ、と……」 それ以上、カノンの言葉が続かなかった。
「おやっさん?」
時空法封呪を、カノンの胸から引き抜く。――だが、カノンは何も反応しない。
「おい、嘘だろ? なぁ。冗談だって言ってくれよ?」
いつの間にか薄暗くなった空から、雨が降り出し始めた。
「こんなのって、ありかよ? 俺たちはただ、ザンの記憶のために――」
その手に持つ、時空法封呪を睨みつける。――そして、その剣を地面に叩きつけた。刃を折る勢いで。
時空法封呪は激しく金属音を響かせたが、刃が折れるということはなかった。
リュセイアは空に向かって声にならない声を上げた。
――頬を流れたのは、涙か雨水か? ……ただ、雨音が全てをかき消していた。
その後、どうやって村に戻ったのかも、なにを村の皆に話したのかも、覚えてはいなかった。
ただ、カノンを殺した剣――時空法封呪は、今はリュセイアの背中で静かに眠っている。