序章.すべての始まり
ここに名も無い小さな島国がある。大きな島と小さな島があり、大きな島は『本土』、そして小さな島はそこにある村の名前から『トゥルーク』と呼ばれている。
本土から、一隻の小型船がトゥルーク島に向かって進んでいた。
「空が怪しいな?」
船から空を眺める男が一人。歳は三十歳くらいだろうか? 早く言ってしまえば少しおっさんである。
「……おっさんはないだろ、おっさんは」
「おーい、『カノン』。なにを一人で騒いでいる?」
船の操舵室からもう一人の男が顔を出した。
「あ、ああ。なんか、空が怪しいって思っててな、『グレイド』」
「ま、雨季が近いからな。降り出す前に島に着けばいいが」
心配をよそに、船はトゥルーク島の船着場に到着する。
「世話をかけたな、グレイド?」
「何、いつもの事だ気にするな、カノン。――で、次に本土に渡るのはいつだ?」
「雨季の間は休むつもりさ。雨季が明けたら、また世話をかける」
「そうか。ま、しばらくは家族サービスにでも徹するんだな? 娘さんもそろそろ難しい年頃になるんじゃないのか?」
「いや、多分娘達より、『リュウ』につきっきりになるな」
「リュウ――『リュセイア』くんのことか。……たしか、今年で九歳になるんだったか?」
「いや、もうすぐ十歳だ。うちの上の娘と同じ歳だからな」
「まぁしかし、そんな歳なのに村の長を勤めなくてはならないなんて……、カノンが心配するのも無理はないか」
「――正直、そっちはあまり心配はないんだ。リュウは歳のわりに村長の役割をしっかりと果たしている」
「? 村長として問題ないのなら、なんでリュセイアくんにつきっきりになるんだ?」
「今、リュセイアに剣を教えているんだ。あいつも俺らと同じで『アドベントギルド』に登録するつもりらしい」
[*アドベントギルド:この世界の冒険者たちが登録し、仕事を斡旋してもらうギルド。登録した冒険者のことは『アドベント』と呼んでいる]
「アドベントになるってことか? ……でも、資格試験は十五歳にならないと受けられないぞ? いくらなんでも気が早いだろ?」
「かもな。けど、純粋に楽しいんだよ。リュウに剣を教えるのが。――俺には息子はいないからよくわからんが、きっと男親の習性みたいなもんだろうな。リュウの剣の腕の上達を見るのが、嬉くて楽しいんだよ。それに、上達の早さにも驚かされる」
「やれやれ。ま、年頃の娘さんよりは付き合いやすいんだろうが、娘さんをないがしろにすると、後々困ったことになるぞ?」
「それは経験からのアドバイスか、グレイド?」
「なに、世間一般の意見さ。――じゃあ、俺はこれで本土に戻るが、なにかあったらまた連絡を入れてくれ」
「ああ。俺も雨に打たれる前に村に戻らんとな」
グレイドはカノンを船から船着場に降ろすと、船を旋回させ、本土へと引き返していった。
カノンは船着場から村の方へと歩き始めた。
それはカノンが島の山の麓の差し掛かった時だった。
村は山の麓沿いにあるので、山に登る必要はないのだが、そこの登山口で鳥のテットが群がっているのが気になっていた。
[*テット:人以外の生物の総称]
「あそこになにかあるのか?」
カノンは群がるテットに近づいていく。テットの隙間から見えたモノがなにかを把握した瞬間、カノンは剣を抜き、鳥テットの群れを散らした。
テットが散った後に残ったのは、ボロボロの布が被さった何か大きな物体だった。
カノンが被さっている布を剥ぎ捨てる。そこに現れたのは、倒れている男の子の姿だった。
(! リュウや『ホノカ』と同じくらいの歳の子だな)
カノンはその子を抱きかかえ、息を確かめる。……息はあった。
(よかった、どうやら気を失っているだけのようだな)
カノンが安堵の息をつく。……と、少年が口を開いた。
「早く、……時空法封呪、を探し出して、……止めないと。この島が、消えてしまう、前に……」
少年はその言葉を最後に完全に気を失った。
目を覚ました少年の目に、人工的な光が照らす天井が映し出される。――壁には、水の入ったガラスの筒が取り付けられ、その中に入っている石のようなものが光を放っていた。
と、次の瞬間、突然視界が暗くなる。――少年を覗き込む少女と目が合った。
「……キミは?」
少年が声をかけると、少女は驚きの表情を見せた後、慌ててこの部屋を出て行った。
少女が廊下を走る音が聞こえた後、少女の声が聞こえてくる。
「おとーさん、あの子、目を覚ましたよー」
少しして、少年のいる部屋に、カノンと先ほどの少女とあともう一人、助けられたこの少年と同じくらいの歳の少年がやってきた。
助けられた少年は上体を起こし、カノンに視線を向ける。――視線の高さから、どうやら彼はベッドに寝ていたようだ。
「……目を覚ましたばかりで悪いが、君にいくつか聞くことがある」
少年に詰め寄るカノンを、もう一人の少年が止める。
「おやっさん。順序が違うだろ、順序が。まずは俺たちが名乗るべきじゃないのか?」
不思議な光景だった。自分と同じくらいの歳の少年が、父親ほど歳の離れている男性にタメ口――いや、上からものを言っているようにも見えるのだから。
「……そうだったな、リュウ。俺はカノン。――で、こっちのちっこいのが俺の娘の『アイカ』だ」
「やれやれ。俺は自分で名乗れってことか? ――俺は『リュセイア』。皆はリュウという愛称で呼んでくれている」
「るーくんはこの村で一番えらい人なんだよ?」 アイカという少女はリュセイアのことを変な愛称で呼んだ。
「るー、くん?」
「そう呼ぶのはこいつだけだ。お前は真似すんなよ?」
「あ、ああ。……でも、キミがここでは一番えらいっていうのはどういう意味?」
「リュウはこの村の村長を務めている」 カノンがリュセイアについて説明する。
「村長? 彼みたいな少年が?」
「じいさんが前の村長だったってだけで、たんなる世襲だよ、こんなのは」
「だが、魅力の無い者に人は惹かれない。リュウを歳相応の少年とは思わない方がいいぞ」
「大袈裟に言わんでいいだろ、おやっさん。――さて、こっちは名乗ったぞ? じゃあ、まずはお前の名を聞こうか?」
「名、前?」 ここで少年が言葉に詰まる。
「おやっさんが何か質問したくて待っているみたいだぞ? あまり世話をかけさせないでくれ」
「……」 何故か少年は口ごもってしまった。
「? どうしたの? 自分の名前だよ?」 アイカのいうことはもっともだ。
――と、部屋のドアが叩かれる。
「お父さん、その子の食事を持ってきたよ?」 扉の外から少女の声が聞こえてくる。
「『ホノカ』か。入れ」
入ってきたのは、アイカより少しだけ年上に見える少女だった。
「この子は俺のもう一人の娘で、アイカの姉のホノカだ」
「よろしくね。――とりあえず、簡単なモノだけど、口に入れておいた方がいいよ」
少年のベッドの脇の机に盆を置く。盆の上には粥のようなモノの入った器があった。
「……話は少し落ち着いてからにしよう。いいだろ、おやっさん?」
「そうだな。今、彼は少し混乱しているようだしな」
「じゃあ、少ししたら後で食器を下げに来るから」 そう言ってホノカは先に部屋から退室する。
「じゃあ、るーくん。私たちも戻ろうよ」
「じゃあ、また後でな。今はウチの奴が作った飯でも食って、気持ちを落ちつかせてくれ」
カノンがそう言うと、残りの三人も部屋から退室する。――部屋は、少年一人となった。
「……名前? 僕の、名前?」
少年は困惑していた。リュセイアやカノンに問い詰められたからではない。――自分の名前が出てこないからだ。
「! ――とりあえず、いただこう。これに手をつけないと、また心配をかける」
少年は粥を口に運んだ。……なんとも言えぬ、やさしい味が口に広がった。
しばらくしてカノンたちが少年の部屋に戻ってきた。――来たのはカノンとリュセイア、それとホノカの三人だ。
が、ホノカは食器を下げるとすぐに部屋から出て行った。用があるのはカノンとリュセイアだけのようだ。
「さて。再開していいかな?」 カノンが話を切り出す。
「……はい。――でも、その前に、言っておかないといけないことがあります」
少年の言っておきたいこと、それはある程度予想していたことだった。少年の口から自分の名前が出てこなかった地点で。
そして、少年は二人に告げる。自分の記憶がないことを。
「……すみませんが、何故僕がここにいるかすら思い出せませんでした」
「やはり、そうだったか。――しかし、そうなると、俺の聞きたい事に答えるのも無理だな」
「? おやっさんが聞きたいことって、なんだったんだ?」
「俺はキミを助けた時にキミが呟いた言葉の意味が知りたかった」
「僕は、なにか言っていたんですか?」
「ああ。『この島が消える』、とな」
「……島? ここは、島国なんですか?」
「ここは、島国の近くにある小さな島だよ。――少なくとも、おやっさんと会った時には記憶はあったんだな?」
「ああ。ここが島だと知ってる程度はな」 カノンはそれ以外の言葉を聞いていないので、それ以上の判断は出来なかった。
少年が、不安に押しつぶされそうな声でリュセイアとカノンに尋ねる。
「……僕は、これからどうなるんですか?」
「何も思い出せないってことは、帰るべき場所も、わからないんだよな?」 カノンが少年に確認をとる。
「……はい」
そんな少年に助け船を出したのは、リュセイアだった。
「俺の家に来るか?」
「キミの、家?」
「まぁ、家っつっても、ほとんど寝るだけの場所みたいなものだがな」
「食事とかはリュセイア同様、俺ん家で世話になることになる。……勝手に決めると、『ヨーコ』が怒るか?」
「大丈夫じゃない? おばさん、人が増えて怒るような人じゃないから」
「……おばさんはないだろ? むしろ、その言葉の方に怒るぞ、アイツは」
「……お世話になって、いいんですか?」
「遠慮することはないぞ? 俺の家の方は、どうせ俺一人しか住んでいないしな」
「キミ、一人?」
「……去年、一緒に住んでいたじいさんが逝っちまったな。それで俺が村長を引き継ぐことになった」
「キミの両親は?」
「物心ついたときにはいなかった。顔も覚えちゃいない」
「……ごめん」
「気にするな。――そうだ、ここで暮らすんだったら仮の名前でもないと不便だな?」
「仮の名前?」
「この村でのキミの名前だよ。なにか、心に残る言葉でもないか? あれば、そこからつけるが?」 カノンがそう尋ねるが――
「……すみません、なにも思いつきません」
少年がそういうと、リュセイアが急に思いついたかのように少年の名前を付ける。
「『ザン』。――お前は今日からザンって名だ」
「ザン? 僕が?」
「顔も知らない俺の親父の名前だ。この名前なら、俺が覚えやすい」
「リュウっ、お前の都合かよ! ――まったく。キミはそれでいいのかな?」
「……はい、よろしくお願いします」
「よーし、決まり。じゃあ、さっそくおば――っとヨーコさんに紹介しなくちゃな」
――そして、六年の月日が流れる。
リュセイア、ザン、ともに十五歳に成長し、物語はここから始まる。