勇者になるといって村を出た幼馴染はもう帰ってこない
短編です。後半力尽きました、悪しからず。
荷物を背負い込んだアランがふっと息を吐いて私の方へ向き直った。
「ミリア、じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい、アラン」
彼の真っ赤なボサボサ頭もこれで見納めになるかもしれない。
私はうまく笑えているだろうか。心臓から絞り出されるような感情を喉の奥に押し返そうとしばし息を止める。
「立派な、勇者になってね」
生暖かく湿った声。
泣いては駄目。
泣けば後ろにいる他の村人たちに後で揶揄われてしまう。
もう、庇ってくれる青年は去ってしまうのだから。
アランが一歩私に近づいた。
「いつか帰ってくる」
まずい、と思って私は人差し指を口に当てた。
「その時になったら、その…」と続けかけたアランが止まる。
以前読んだ物語でその約束をして故郷を去った登場人物は旅先で命を落としていた。
アランにも同じことが起こってしまいそうで、彼に今その先を言わせたくなかった
怪訝な表情を浮かべる彼に努めて笑い返す。
「なら、それはアランが帰ってきた時に言って。私、待ってるから」
諦めたアランはうん、と頷いた。
剣の練習で手元が狂った際にできた右頬の傷跡を気恥ずかしそうに掻く。
「では、そろそろ参りましょうか」
それまでアランが村人達との別れを惜しむ様子を見ていた聖女が声をかけてきた。
まだ若い、きれいな人だ。
「アランのこと、よろしくお願いいたします」
アランの両親が、聖女とその背後に控える教会の関係者一同に頭を下げる。
「お任せ下さい。アラン様が勇者となった暁には共に世界を救うため私も力を尽くす所存です」
聖女の発言を合図に、村の盛り上げ役が「アラン、頑張れよー」と威勢の良い声を上げた。他の者達もつられて激励を送る。
アランは今一度「じゃあ」と言って踵を返すと、そのまま歩き始めた。
少なくとも村が見えなくなるまでは徒歩で行くと言っていた。
聖女は一礼すると教会の者に導かれて馬車に乗り込んだ。
一瞬、彼女と目があった気がした。
聖女に伴われて幼馴染の姿が段々小さくなっていく。
そのことが悲しくて、止めたかったが、私にはそれができない。
勇者になりたいという彼を止めることなどできなかった。
*****
幼馴染のアランはずっと勇者に憧れていた。
今はもういない先生が置いていってくれた本に登場する英雄。
結局、文字を習得できたのは私だけなのでアランは毎日その物語を読んでくれるよう私のところにやってきた。
「ミリア、今日も勇者の話を聞かせてくれよ!」
彼は私より一歳年上なのだが、私の朗読する声に耳を傾けながら瞳を爛々と輝かせるその姿は当時五歳だった私の目から見ても可愛らしかった。
村を偶然訪れていた冒険者にせがんで剣の稽古を始めた彼は、その人が去った後も練習を続けた。
朝と夕に千回ずつの素振り。
私の役割は日課を終えた彼に手ぬぐいと一杯の水を渡すこと。
それで良かった。
彼の隣にいられればそれで。
聖女と称する女が王都からやってきたのは、アランが十四の時だ。
王都はここから馬車でも半月ほどかかる場所に位置する。
そんな場所から、まして教会の象徴である聖女が、こんな場所へはるばるやってきた理由とは。
訝しむ村人たちを前に聖女は述べた。
曰く、勇者の兆しが現れたので確認に来たという。
勇者、という言葉を耳にしてアランの目がぎらりと光るのがわかった。
私はといえば、薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
恐れていた通り、選ばれたのはアランだった。
当然だ。
日頃から勇者を目指していることを公言して憚らず剣を振り続け、今では村一番の遣い手だ。
教会もどう調べたのか、彼が勇者の候補であると認めた。
「現時点ではあくまで候補ですが」と聖女は言う。
「実は勇者の候補として挙げられる方は他にもいらっしゃいます。なのでアラン様には一度私と王都へ来て頂き、教会の総本山である大教会で改めて調べて頂く必要があるのです」
アランも彼の両親も他の村人も皆喜んだ。
幼馴染の夢が叶うのだ。
私も喜んであげないと。
なのにアランが村を去るとわかった日、私は涙で枕を濡らすことを免れなかった。
勇者になるということは旅に出るということなのだろう。
命を落とすかも知れない。
そうでなくとも確実に傷を負うことになる。
帰ってきてくれるのだろうか。
そもそも一体何と戦わなければならないというのだろうか。
旅立ちの日、他の村人たちが日常に戻っていくのを背にしながら、私は彼の姿を一生分目に焼き付けようとその姿が消えるまで見送り続けた。
*****
その年、村で飢饉が起こった。
原因は外からやって来た魔物の群れに畑の半分以上を荒らされたためだ。
狩人である父を中心に討伐隊が結成されたが返り討ちに遭い、大切な収穫の時期に負傷者を大量に出した。
結局、外から冒険者を呼んできてようやく魔物は退治できたものの、その報酬もまた村の財政を圧迫した。
去年の今頃は収穫祭で祭りを開いていたというのに、今年は食うに困る家が大量に出た。
他所から食料を買い付けようにも資金がない。
飢えに苦しむ村に対して、助けを差し伸べた教会だった。
「勇者になるかもしれない方の故郷が飢えている時に何もしなかったとあれば教会の面子が立ちません。幸い、王都の方に働き口の伝手があります。向こうも我々の紹介であれば無碍に扱うようなこともしないでしょう」
外へ仕事を求めに行くということに村の者達は必ずしも良い顔はしなかったが、背に腹は変えられない。
試しにとりわけ大きな被害に遭った家の子供を中心に十人ほどが教会と繋がりのある貴族のもとへ奉公に出されることになった。
しばらくすると子供を送り出した家には仕送りが送られてくるようになり、村はその額に驚かされた。
一時は糊口をしのいでいた家族がたちまち裕福になった。
村の大人たちはこぞって教会を頼り、女子供を王都へ送り出すようになった。
私も行く必要があるかと両親に尋ねたこともある。
王都へ奉公に出れば、アランと再会できるかもしれないという期待もあった。
しかし、両親はその必要はないと答えた。
「ウチには蓄えがあるからな。ミリアが行く必要はない」
翌年、村はすっかり豊かさを取り戻していたが、私は往来を歩く子どもの数がめっきり減ってしまったことに寂しさを覚えずにはいられなかった。
どうして誰も帰ってこないのだろうか。
*****
ある日、狩りに出かけた父が帰ってこなかった。
探しに行った仲間は、何かが滑り落ちたような跡がついた斜面の近くに父の愛用していたポケットナイフを見つけた。
この時期は雨が大量に降るため川の勢いは速い。
母も私も互いを励まし合ったものの、どちらも父の帰還が絶望的であることは理解していた。
だが一月ほどして父は帰ってきた。
崖から川に落ちて流されたものの、下流の村で助けられ今までそこで療養していたのだという。
支木をあてがった左足を引き摺り、解けかけた包帯を巻いた頭には未だ血が滲む大きな傷跡が窺えたが、それでも帰ってきた。
母も私も嬉し涙で父を出迎えた。
父も私達との再会を喜んだものの、怪我も疲れも著しく人相がすっかり変わってしまったようだった。
落ち着きを取り戻した頃にこれまでの経緯をぽつぽつと話してくれるようになったが、時折ひどく顔を強張らせ、そのところどころを端折った。
何か、話したくないことがあるらしかった。
家族三人揃うことができたのは幸いだったものの、怪我で未だ安静を強いられた父を介護しながら生活するのは簡単ではなかった。母は父と畑の両方の面倒を見なければならず、私も他の家の畑を手伝って金を稼いだが大した額にはならない。
以前聞かされた”蓄え”のおかげですぐに飢えるようなことはなかったが、生活ぶりは徐々に落ちぶれていった。
ある日、我が家を訪ねてきた父の友人が私を奉公に出してはどうかと提案した。
私もそろそろ言い出すべきではないかと時期を窺っていたところだった。
「ふざけるな!ミリアは絶対に奉公になど出さん!」
父は烈火の如く怒った。
その晩、私が床に就いた後、両親が声を潜めて何事か話し合う声が聞こえた。
「ミリアも奉公に………きっと……」
「でも他の………限界……」
「近い内に………」
「…んな……」
「ここに置いておくわけには……」
それからさらに半月ほど経ち、父の体力が回復してきた。
「狩りを再開しようと思うんだが、武具屋で弓矢を新調しなければならない。遠出をするからミリアもついてきなさい」
まだ本調子でない父に万が一が起きないように供をさせるということだったが、私の脳裏には少し前に聞いた両親の会話が思い出された。
私の疑念を裏付けるように、見送る母は涙を流して私を見つめた。
「体に気をつけてね」
「すぐ帰ってくるよ」
私が既に何かを察していることには両親も気付いていただろう。
母は何度も私の顔や頭を撫でた。
やがて引き剥がすように父が出発を告げた。
旅路で交わす言葉は少なかった。
「武具屋ってどこにあるの?」
「だいぶ先だ」
隣の村を通り過ぎ、その先の町を横目に街道を通り、やがてそれなりに大きな街にやってきた。
「私は弓矢を調達してくるから、ミリアはここで荷物の番をしていてくれ」
そう言って宿を立ち去った父は、それから二度と戻ってこなかった。
翌朝になり、近所にある武具屋をいくつか巡ったが、そのどこにも父は訪れていなかった。
宿に戻って荷物を漁ると底の方に金貨が五枚ほど入った袋と父のポケットナイフ、それに手紙が一通見つかった。
『すまない。これしか方法が見つからなかった。袋に入っている金貨で当面は何とかなる筈だ。達者で暮らせ。村には帰って来るな。愛している』
文字が書けない父に代わり母が書いたのだろう。『愛している』の文字は滲んでうまく読み取れなかった。
*****
とりあえず金を節約するため宿を引き払ったものの、今後どうすれば良いのかわからなかった。
途方に暮れて道端に座り込んでしまう。
私は両親に捨てられた。
心は痛むが、致し方ない部分もあると納得するしかなかった。
ただ、疑問もないではない。
何故、両親は私を教会に紹介してくれなかったのだろう。
教会を通して王都へ行けば仕送りできるくらいの金が入るのではなかったか。
「…そうか、王都に行けばいいんだ」
王都で教会を訪ねて仕事を紹介してもらおう。
聖女様に会うのは難しくても、村を訪れた付き添いくらいなら会えるかもしれないし、その中には私の顔を覚えている人もいるかもしれない。
勇者候補アランの故郷からやって来たと言えばわかるだろうか。
アランが今どこで何をしているか教えてくれるだろうか。
アランに会うことはできるだろうか。
父のナイフを懐深くに忍ばせ、私は王都へ向けて足を踏み出した。
*****
「ここが王都…?」
門を通る際、門番に尋ねたから間違いないのだろう。
それにしても。
話に聞いていた王都からはきらびやかで洗練されている印象を抱いていたが、いざ目の当たりにするとそれがいかに嘘っぱちであるかが身に沁みた。
道端にはゴミが散らばり、あちこちで腐臭が漂う。
行き交う人々は一様にくたびれた表情を浮かべており、衣服は乱れてところどころによくわからない染みをつけていた。
浮浪者の数も多い。
片付けるのを忘れて何ヶ月も放置された祭りの亡骸みたいだ。
こんな場所でアランは、今までここに送られた子供達は何をしているというのか。
前日までは王都に着いたらその日の内に教会を訪ねようと思っていたが、考えを改めてこの場所に心身を馴染ませてから動くことにした。
取り敢えず今日の宿を探そう。
ここまでの道中では道端で寝ることもあったが、ここでそうする気は起きない。
影に入り込んだら、そのまま引きずり込まれて二度と出られなさそうな気がした。
宿を探しながら街の中心を目指して道を進んでいると声をかけられた。
「ミリア?」
振り返ると、煙草を口にし派手な格好をした丸顔の女がこちらを驚いた顔で見ていた。
「…シンディ?」
村から奉公に出される時はやせていたので、今の肥えた姿から彼女と認識するのにしばし間を要した。
ミリアの八つ年上のシンディは村で一番の美人と言われていた女だった。
「あんたこんなとこで何してるのさ?」
その美しさは何か下品なものに取って代わられていた。道行く村の男を一斉に振り向かせると言われていた清らかな笑顔は厚化粧に埋もれ、歌自慢だった声も掠れてしまっている。
「まあいいや、積もる話もあるだろうし。ご飯食べに行こうよ」
そう言って肩に腕を回されると、思わず顔をしかめてしまうほどきつい香水の臭いがした。
*****
「奉公なんて嘘っぱちだよ」
飯屋で出てきた食事を頬張りながらシンディは言った。
「私達は親と教会に売られたんだ。男は炭鉱とかダンジョンとかで労役用奴隷として。女は変態貴族とか娼館とかにね」
この国は今やすっかり腐敗しており、人身売買が普通に横行していた。
そして教会はその調達役として一役買っていた。
最初は困窮している村を訪問し使命感に満ちた若者を集めたり、貧困にあえぐ家庭に貴族の勤め先を紹介してやると言って近づいていたようだ。
だが規模が大きくなるにつれて噂を耳にして警戒する村々が出てきた。
あまり派手にやると勘付かれると思い直した教会は、仕入先を厳選することにした。
女子供の多い村を選んで親に少し多目に金を渡してやると、裕福になったその家を見て他の親達も続々と子供を差し出してくるようになる。
そうして若者をしゃぶり尽くして年寄りばかりになると次の村を選んだ。
しかしそのやり方も次第に「何故あの村ばかり」と周辺の村から疑問の目を向けられるようになった。
「勇者を輩出した村に報いるための救済」という方便を使った手法が確立したのはこの頃のことだ。
まず適当な若者を勇者候補として1人連れていき、それから魔物をけしかけて村が貧困に陥ったタイミングで救済の手を差し伸べるというものだった。
「村長とか子供を売った親は気付いてたけど隠してたみたい」
硬いパンを酒で流し込んでシンディは言った。
酒は既に五杯目に及んでいた。
私は最初に出されたスープさえまだ半分以上残っていた。
「ミリアの両親は何かの拍子でそのことを知って、ミリアを奴隷にしないために村から出すことにしたんじゃない?あのまま村に入れば遅かれ早かれ私みたいになるか、そうでなくとも女子供がいなくなったらあんな村あっという間に滅んじゃうだろうしね」
貴族に売られたシンディは屋敷に監禁され主人に慰み者にされたという。その後、逃げ出して今は娼館で働いているらしい。
彼女の両親がそんな目に遭うことを承知でシンディを売ったのだとすれば、のほほんと暮らしていたミリアに良からぬ感情を抱いたとしても不思議ではない。
同じような親が増えれば増えるほど、ミリアも同じ目に遭うべく売りに出すべきだと両親に圧力をかけ出すだろう。
田舎の同調圧力とはそういうものだ。
「じゃあ、アランは…?」
シンディはアランの名を聞くと憎々しげな表情を浮かべた。
彼女にとって彼は村に不幸をもたらした象徴みたいのものなのだから当然だ。
「さあね。剣の腕が立つ奴だったから賭博用の剣闘奴隷として地下アリーナに送られたか、あるいは東で蜂起したっていう反乱軍の鎮圧に駆り出されたか……まあ、生きちゃいないだろうね」
*****
悔しい。
悔しい。
悔しい。
王都に着いてどれくらい経っただろう。
シンディと別れて何とか安宿に辿り着いた私は、しかしそこからどうして良いかわからず一歩も動けなくなってしまった。
アランは死んでしまった。
勇者になれないまま死んでしまった。
騙されて死んでしまった。
彼は最後まで勇者になる希望を持ち続けただろうか。
それとも全てを諦め、生き残ることだけに力を尽くしただろうか。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
どうして彼がそんな目に遭わなければならなかったのか。
ただ勇者となって世界を救うことを夢見ただけなのに。
善良でちょっと抜けていて、でも勇敢な彼が。
ベッドの上で毛布にくるまり、枕に顔を埋めて嗚咽を漏らした。
でもいくら嘆いたところでアランはもう帰ってこない。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
こんなことならあの別れの日に彼が言いかけた言葉をちゃんと聞いてあげればよかった。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
悔しくて、悔しくて、悔しくて。
「……全部、あの聖女のせいだ」
ふと、父のポケットナイフのことを思い出した。
****
ややあって私は王都を去ることにした。
というか、いられなくなった。
王に反旗を翻した者達が、聖女の死をきっかけに王都に攻め込んできたのだ。
私が宿を引き払った時、既に通りは兵士民間人問わず死体だらけになっていた。
反乱軍などと名乗っているが、傍目からは暴徒の集団にしか見えない。
貴族は金目の物を奪われた上で丸裸にされて首を落とされた。
女は文字通り引っ張りだこにされて兵士の相手をさせられた。
闇夜に紛れて王都を抜け出すべく走った。
途中、シンディと思しき女の死体を見たがどうすることもできなかった。
村に帰ってくると、家も両親も失われていた。
私を逃がした後、どこかに逃げたのか、それとも自分達の娘だけ売らなかったことを逆恨みされて村人に殺されたのか、骨組みさえ残らず焼け落ちてしまった家からは何もわからない。
私は父が森の奥に立てた納屋のことを思い出し、そこへ足を運んだ。
私が迂闊に手を出さぬようにと家から離れた場所に建てたのだ。
当時は深く考えなかったが、今ならその理由もわかる。
簡素な納屋に入るとスペースを確保し、私はそこで寝泊まりするようになった。
生活に必要なものを調達するため店に顔を出すと見知った顔の店主から大層驚いた顔を向けられた。
だがこちらが他人行儀で接していると、何か納得したらしく向こうも同様の態度でやり取りを終えた。
他の村人も私が積極的な関わりを持つつもりもなければ、まして復讐の意志など微塵もないとわかると、ひとまず私の滞在を容認したようだった。
尤も、何かしら思うところはあってもそれどころではないというのは実際のところだろう。
何しろ国が崩壊したのだ。
反乱軍は今や新政府軍を名乗り、旧体制に従う貴族や軍を各地で制圧していた。
都では現在、王を廃した新たな体制のもと、新政府が急ピッチで国家を再建しているという。
何はともあれ、そんなわけで村人は最早私一人に構っている余裕などなかった。
ある日、新政府の指示で村に住む者の戸籍を整えることになったとかで、私のもとに村長がやって来た。
どうせ以前の自分と別人のように振る舞うならいっそ徹底してしまおうと、私は名を変えることにした。
ルナ、と名乗った。
あの日の月を思い出していた。
村長は新たな名を口にした私に何か言いかけたが、結局何も言わず帰っていった。
*****
月明かりがひどく明るい深夜だった。
まん丸な月を見上げていた私は、聖女が身じろぐ音に気付いて振り返った。
「やっぱりあなたなのね」
ベッドから起き上がった聖女は窓際に立つ私を目にしても驚かなかった。
「どうやって…」と問いかけたが、私の手に握られた血塗れのハンドナイフを見てやめた。
「あなたには武具を握らせないよう、両親に金も渡したんだけど」
「魔物が畑を荒らした際に農具で殺す必要があったので」
「あわよくば死んでもらえないかと強めの魔物を送り込んだのが却ってよくなかったというわけね」
徒労に終わると分かっていた、とばかりに溜め息を吐いた。
「結局、予言には逆らえないのね」
「本当はアランでなく私が勇者だったの?」
私が問いかけると聖女は一瞬呆気にとられたように口を半開きにし、それから苦笑した。
「まさか。聖女がわざわざ勇者の、それも候補をいちいち迎えに行くと思う?」
伏せていた目を上げ、私を見つめた。
「私は敵情視察のつもりであなたを訪ねたのよ。あなたはこの世界で最大の脅威。勇者が必要になる理由。人類の敵にして我が国を滅亡に追いやる存在。あなたこそが…」
もういい。
世迷言は聞きたくない。
「まお…」
彼女が言い終えるより早く、私は聖女の首を刎ねた。
*****
新しい役人がやって来たという噂はやがて私の耳にも届いた。
旧体制のもと遣わせれた人物よりマシなのを期待していた村人は早々に裏切られることになった。
国の立て直しのために重税が課せられ、土地の大半は取り上げられ、働き盛りの男には年の半分を都で過ごし労働に従事する義務が課せられた。
女は夕方になるとどこかへ連れて行かれ、早朝になるまで戻ってこなかった。
中には税や労役を逃れるため、自ら積極的に妻や娘を差し出す者も出てきた。
ややあって、村外れに小さな畑をこさえて細々と暮らしていた私のもとにも新政府の人間がやってきた。
新しい役人の部下ということだが、とてもそうとは思えない野卑な男ばかり五人も。
「魔女って言うからババアを想像してたのにまだ若えじゃねえか」
舌なめずりする男。
その舌を懐に隠していた父のハンドナイフで落としてやった。
呻いて転がる男を見て、残りの四人が一斉に剣を引き抜いた。
舌を失った一人を残して全員殺し、首を槍に突き立てて家の周りに並べてやった。
翌日、上司である役人が私の納屋を尋ねてきた。
「魔女がいるというのはここか!出てこい!」
誰がそう言い出したのか、いつしか私は”深き森の魔女ルナ”と呼ばれるようになっていた。
私は扉に手をかけた。
「ルナという女はお前……」
私が納屋から姿を現すと、馬上の役人が息を呑むのがわかった。
まだ若い青年だ。
年齢も私とほとんど変わらないだろう。
一歳年下。
相変わらずの真っ赤なボサボサ頭。
右の頬にはまだ薄っすらと傷跡が窺える。
「ミリ…」
「私がルナです」
彼の言葉を遮って私は名乗る。
「何か用ですか」
「…………」
もう勇者を夢見た幼馴染はどこにもいない。
私の勇者は死んだ。
私を殺してくれる勇者は。
「お帰り下さい」
役人はしばらく私を睨みつけた後、馬を引いてもと来た道を帰っていった。
私は彼の姿が見えなくなるまでその背中を見送ると、納屋に戻り村を去るべく荷物をまとめた。
重いし暗くて最後の方は無理やり締めたところがあります。でもちらほら気に入ったアイデアはあるのでそのうち形を変えてリベンジしたいです。




