夜食はビーフスープ
フェンネルに到着したのは深夜だった。こんなに暗くなったら悪魔が出没するのではないかと思ってビクビクしていたのだが、シャインは平然と荷物の中から巨大なサンドウィッチを取り出した。「まあ、そんなにビクビクしなさんな。腹が減ってはなんとやらだよ」と半分にちぎって分けてくれた。
よくこんな時にメシを食っていられるな。サンドウィッチをほお張っているシャインを見て、感心する。これくらいの豪胆さがないと、アンカウンタブルにはなれないのかもしれない。覚悟を決めて、ひと口かじってみる。2種類のハムにチーズ、薄焼きにした卵が挟んであった。マヨネーズが効いていて、美味しい。しかし、胃に収まる気がしなかった。
フェンネルの街はあちこちに篝火が焚かれて、祭りの夜のように明るかった。家の窓やドアは木材で補修されていて、魔族の襲撃に備えていた。軍人がちらほらといる。要請を受けて駆けつけたのだろう。役場に馬車を止め、近くにいた修道士の案内で、街外れにある防衛本部へと向かった。
クーメンに続く街道にバリケードが築かれて、武装した修道士と軍人が詰めかけている。防衛本部と言っても簡易テントが建てられて、テーブル代わりに木箱が並べられているだけだった。テントの脇に大きな人影が立っていて、キラキラッと光っている。ハーディーの仮面だ。その隣にエドワードとアフリートがいた。暗いのでアフリートはぼんやりと光っている。
「エド!」
シャインの呼びかけに、エドワードは振り向いた。
「あれっ、シャイン?」
『クリス殿!』
ハーディーが俺に気づいて、声を上げた。小走りで駆け寄ると、がっちりとハグした。
「ハーディー、ニーナは安全なところに預けてきたぞ」
『ありがたい。待っていたのでござる』
やはり、ハーディーがそばにいるとホッとする。俺は体を離すと、ハーディーの分厚い胸をポンポンと叩いた。
「テイラーをありがとうな」
『お安い御用でござる』
「クリス、なんか、お腹が空いたよ」
俺とハーディーの会話に、アフリートが割り込んできた。真剣な顔をしているので、冗談ではなさそうだ。
「また? さっき食べたばかりじゃない」
エドワードが苦笑いする。
「人間の食べ物は、魔力が少ないんだよ。だから、たくさん食べないとすぐに腹が減ってしまう」
アフリートはクーメンの方を見て、小さなため息をついた。「せめて生き血でも、すすることができればねえ」と物騒なことを言う。
「そういえば、コンティニュアスは?」
さっきから姿が見えないので、聞いてみた。ハーディーは自分のリュックを指差して『物騒なところは嫌いだそうでござる』と言った。なるほど、球体のままなんだな。
「コンティニュアスを魔族軍のなかに放り込んで全部、吸い取ってもらえばどうだ」
エドワードに提案した。エドワードは薄笑いを浮かべながら篝火を見ていたが「あちこちに斥候がいるからね。彼らごと吸い取ってしまいかねないよ」とつぶやいた。
「それに、そんなことしたら、僕たちが何のためにアフリートを迎えに行ったのか、わからなくなっちゃうよ」
俺のことを冷たい目つきで見る。馬鹿なのか?と言われているような気がして、少しムッとした。
「ちょっと何か食べてくるよ」
アフリートはフラッとその場を離れた。エドワードがその背中に向かって「あまり遠くへは行かないでよ」と声をかけた。俺はアフリートを追った。
「今夜は出番はないかもしれないねえ」
アフリートはポツリとつぶやいた。
「えっ、どうして?」
「だって今、この街はどんどん人が減っているからねえ。そんな街を攻略したところで、魔族にとって何の得もなりゃしないだろう?」
よくわからないことを言った。いや、人がいない方が、戦力が少ないから簡単に攻略できるじゃないか。
「なぜ? 楽に街が手に入って、いいじゃないか」
俺が言うと、アフリートはフッと笑った。
「人が少ない街を手に入れても、食べるものがないじゃないか。人がたくさんいる街を手に入れた方が、食べるものがたくさんあるだろう? だから、魔族は今、街の外で人が増えるかどうかを観察しているのさ、きっと」
ハッとした。ここしばらく、アフリートを筆頭に友好的な魔族とばかり接触してきたせいで、基本的に魔族が人間を捕食するということを忘れていた。
「隣の街を攻略したんだろう? ならば今、魔族たちは、餌をたくさん手に入れて、無理をして進軍を続ける必要はないんだよ。そりゃあ、ちょっかいくらいはかけてくるかもしれないよ? でも、改めてこの街を本腰を入れて襲ってくるのは、隣の街の食糧が減り始めてからだろうねえ」
アフリートは、軍隊が開設した食糧スタンドへと向かっていた。このあたりで働いている軍人や修道士に食糧を配給しているのだ。テーブルのそばに大きな鍋があって、牛肉のスープの匂いがしていた。
「3杯くれ」
アフリートは鍋のそばに立っていた若い軍人に向かって、指を3本突き出した。
「3杯って、あんた、一気にそんなに食えないだろうがよ」
鍋をかき混ぜていた軍人は憎まれ口を叩いたが、顔を上げてギョッとした。そりゃそうだろう。肌がオレンジ色に光っている少女が現れたんだから。だが、どうやらこの若造が驚いた理由は、それだけではなさそうだった。
「お、おい!」
若い軍人は、そばにいた同じ年頃の軍人に声をかけた。明朝の仕込みだろうか、しゃがみ込んでジャガイモの皮を剥いていたその軍人も、顔を上げてギョッとした。
「お、お前……!」
テイラーの顔を見て、驚いている。それから、ニヤリと何やら意味ありげな、いやらしい笑みを浮かべた。
「お、お前、テイラーじゃないのか? テイラーだよな?」
ジャガイモを剥いていた軍人が、ナイフを手にしたまま聞く。鍋をかき混ぜていた軍人は、お玉を手にしたまま「いや、間違いなくテイラーだぜ。そのツラはよ……」と言った。
「あたしはアフリートだよ。まあ、この体は間違いなく、あんたたちが言うテイラーって女の子だけどねえ」
スッとスープをもらえなくて腹を立てたのか、アフリートはふんぞり返って言った。そして「いいからさっさとスープをよこしな。さもないと焼いちまうよ」と凄んだ。
「あ、ああ、わかったよ」
お玉の軍人は皿を2つ用意して、スープを注いだ。
「もう1皿だよ」
改めて凄む。髪からメラッと赤い炎が立ち上った。「やめろ、アフリート」と背後から声をかける。
「いや、だって。3皿も、持てないだろ。手は2本しかないんだから」
軍人はこともあろうか、反論した。アフリートは明らかにムッとすると、あごをしゃくって俺を指して「こいつが持って行くから、大丈夫なんだよ!」と怒鳴った。お玉の軍人は冷や汗をかきながらもう1皿、スープを用意すると、俺に手渡した。
スタンドを離れる時、「なんだよ、バケモノがよ……」と毒づく声が聞こえた。振り返ると、2人の軍人は敵意に満ちた目をこちらに向けていた。
アフリートを見ると、真顔のままハラハラと涙を流していた。
「テイラー……。泣いているのか?」
「うん? ん? 何のことだ?」
アフリートは、自分が泣いていることに気がついていない。俺が指差すと、スープ皿を持ったまま、袖口で自分の顔をこすって、初めて泣いていることに気がついた。「なんだ、これ?」と不思議そうな顔をしている。
やっぱり、泣いているのはアフリートではなく、テイラーなんだ。カチンと来た。俺はスタンドに引き返すと、スープをテーブルに置いて2人に近寄った。
「おい、ちょっとお前ら。今、なんて言ったよ」
2人ともさすが軍人らしく、背が高くてがっしりとした体格をしている。向かってきたのがアフリートではなくチビの俺だったせいか、彼らはあからさまにに馬鹿にした表情を浮かべた。
「お〜お〜。王様肝煎りの魔術師か何だか知らねえが、顔の溶けたバケモノじゃねえか。お前、あれの世話をしているのか?」
ジャガイモを剥いていた方が、ナイフをチラつかせなからニヤニヤ笑いを浮かべる。
「人喰い魔女に連れて行かれて、食われたと思っていたんだがなぁ。まだ生きていやがったのか。おお、気持ち悪っ」
お玉の方は、大袈裟にブルブルッと震えてみせた。そして、顔を見合わせて「ギャハハハ!」と下品に笑った。
そうか。ここはテイラーが住んでいた街だ。キュラに連れ出される前、テイラーはここの孤児院にいた。こいつらは、おそらくそこの出身だ。テイラーのことを知っているんだ。アフリートを振り返る。スープ皿を捧げ持ったまま、まだポロポロと涙をこぼしていた。カッと頭に血が上った。ジャガイモの方につかみかかった。
「てめえ! テイラーに謝れ!」
「おおっ、何だ、こいつ! やんのか!」
お玉も参戦する。俺より体の大きな軍人2人だ。かなうはずがない。お玉に羽交い締めにされて、ジャガイモから1発、2発と顔面を殴られた。目の前がバチッ、バチッと真っ白になる。これが目から火花が出るってやつか。あまり何度も食らっていると、意識が飛びそうだ。俺は足を振り回して、ジャガイモを蹴っ飛ばした。ジャガイモはもんどりうって倒れる。足を後ろに振り上げて、お玉の股間を蹴り上げた。「ぐえっ!」という嫌な悲鳴を上げて、お玉はうずくまる。
その頃になると、周囲に軍人が集まってきていた。やつらは「いいぞ、やれやれ!」「殺しちまえ!」と囃していたが、俺がお玉の金玉を蹴り上げると、空気が変わった。
「こいつ、やっちまえ!」
関係のない軍人まで飛びかかってくる。くそッ、こいつら一対一とか正々堂々とかいう言葉を知らないのか? 2、3人の軍人につかみかかられて身動きできなくなった。ボコボコにされるのを覚悟した時、近くで「司令長ッ! 失礼しますッ!」と声が上がった。
「何、司令長が来た?」
「こんなに早く? 本当か?」
「やべえ、逃げろ!」
軍人たちはあたふたと逃げていく。何だかよくわからないうちに、気がつけば俺の周囲から軍人がいなくなっていた。いや、正確には少し離れたところに一人いた。
ん……? そのシルエット、どこかで見たことがあるぞ。声を上げた軍人は、ゆっくり近づいてくる。背が高く、お玉やジャガイモよりも筋骨隆々としている。テイラーよりも明るい赤毛を、きれいに撫でつけていた。
「お、お前、もしかして……」
「クリス、クリスだろう?」
ギョロッと大きな瞳。太い鼻に太いあご。トレードマークだったもみあげを剃り落としているが、こいつは間違いない。何より、貫禄十分の体格に全くそぐわない、オドオドした態度が俺の予感を確信に変えた。
「ベン! ベンなのか!」
「やっぱり、クリスだ!」
ベンは駆け寄ってくると、満面の笑みで俺を抱きしめた。
「やめろ、ボケ! 離せよ!」
ベンの脛を蹴っ飛ばす。ベンは「あ、痛い!」と間抜けな悲鳴を上げて、俺を離した。
「ベン、なんでこんなところにいるんだ! いつの間に軍隊に入ったんだよ!」
こいつの名前はベン。本名はベンチュラという。俺の昔の仲間だ。




