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アンカウンタブル

 ライラがなかなか泣き止まず、ミランダさんたちにものすごく心配されながら、俺たちはスティーブンさんの屋敷を出た。名残惜しくなるからと、ニーナとはスティーブンさんの仕事部屋の前で別れた。ニーナは俺たちがすぐに戻ってくると思っているのか、それとも何も考えていないのか、いつもと変わらないポカンとした表情で俺たちを見ていた。


 次に会う時には、少し感情表現ができるようになっていればいいんだけど。そもそもニーナに感情があるのかどうかすら、わからないが。


 屋敷を出るときに、俺の後輩3人が見送りに来てくれた。ジョーイにウィリーにコユキだ。ジョーイとウィリーはすごく優秀で体格もいいので、戦える盗賊として活躍しそうだった。コユキは名前の通り、東方人の女の子だ。体が小さくてすばしっこく、俺と同じように偵察要員としての能力を伸ばした方が、持ち味が生きそうだった。


 「クリスさん、炎の神殿をクリアしてきたって、マジっすか?!」


 ウィリーが目を丸くしてグイグイ迫ってくる。


 「ああ、そうだよ。ついでに〝底なし〟もな」


 「すっげえ!」


 ジョーイも目を丸くする。


 「先輩、次は私も連れて行ってください!」


 コユキは目をキラキラと輝かせた。連れて行ってやっても構わないが、パーティーに2人も盗賊はいらない。剣士や魔法使いは2人いても構わないが、盗賊に2人目は必要ない。そんな余裕があれば、俺なら剣士をもう一人、雇う。


 「ああ、機会があればな」


 だけど、そんなことは正直には言わない。後輩たちの夢を潰してしまうからだ。行きたい、やりたいは何物にも勝るモチベーションなのだ。それを「無理」「不必要」で押し潰してしまうことは、できなかった。苦笑いをしながら答えると、足早にその場を立ち去った。


 ライラは屋敷を出た後も、ボロボロ泣いていた。時々「うえぇ〜ん」と声を上げるので、道行く人が振り返る。なんだか俺が泣かせているみたいで、申し訳なくて落ち着かない。いや、実際に俺が泣かせているんだけど。ニーナをスティーブンさんのところに預けるように提案したのは俺だし、それ以外にいい方法は思いつかなかった。つまり、ライラを泣かせているのは、俺だ。


 ワインを飲んで気持ち悪くなっていて、隣ではライラが泣いていて、もうどこかに消えてしまいたい気分だった。でも、ライラをヘイシュリグ行きの馬車に乗せるまでは、全てを投げ出してぶっ倒れるわけにはいかない。


 「ライラ、もう泣かないで……」


 馬車の待合所のベンチに腰掛けて、俺はライラの背中を撫でた。一緒に冒険し始めてから、もう何度、この背中を撫でただろう。


 「うう……わかってる……。わかってるけど、うう……。せめて私のことをママと呼んでくれるまで、一緒にいたかった……」


 何を言っているのか。それはともかく、こんな状態で修道院に帰って、仕事に復帰できるのだろうか。ニーナのことが気になって、何も手につかないのではないか。心配で仕方がない。


 「じゃあ、またな。また会いに行くよ」


 ライラが馬車に乗り込む前に、思い切ってハグした。引っ叩かれるかなと思ったが、意外なことにライラは俺のハグを受け入れた。


 「ごめん。ごめんね、クリス……」


 なぜ謝っているのか、よくわからない。ライラは馬車の窓から、いつまでも手を振っていた。


 さあ、では、フェンネルに行こう。すっかり時間を食ってしまった。気がつけばもう昼過ぎだ。曇り空の下、フェンネルから馬車が戻ってきた。ぞろぞろと降りてくる乗客の表情は、みんな一様に暗い。おそらく、首都に逃げてきたのだろう。そんなに状況は悪いのか? 入れ替わりに乗ろうとしたら、恰幅のいい中年の御者に止められた。


 「お客さん、今日の便はもう終了だよ」


 「えっ、これから出発しても、フェンネルには夜には着くだろう?」


 御者は露骨に呆れた顔をした。


 「あんた、知らないのか? フェンネル行きの便は、夜間は運行しなくなったんだよ。券売所に張り紙がしてあっただろ? 読んでないのか?」


 なるほど……。そうか。悪魔は夜に活動する。日が暮れてから首都からフェンネルに行けば、標的になる可能性がある。誰もそんな危ない真似をしてまで、最前線となった街に行きたくはない。


 「ああ、そうなんだ。知らなかった」


 俺がそういうと、御者はフンと鼻を鳴らした。立ち去ろうとするので呼び止めて「明日の始発は何時に出るの?」と聞くと「さあな。明日の状況次第なんじゃないの」と言った。くそっ、不覚だ。今日のうちにフェンネルに行ってハーディーたちと合流するはずだったのに、身動きできなくなってしまった。歩いて行くという手もある。だが、明日の朝一番に馬車が出るならば、それに乗った方が歩くよりはよほど早い。


 どうしよう。金はある。馬を借りるか。だけど、馬を借りるのはすごく高い。いくら金があるとはいえ、今後も使うことを考えれば散財するのは気が引けた。それに、俺はあまり乗馬に自信がなかった。スティーブンさんのところで習ったことがあるが、決して上手ではなかった。


 もう少し迅速に行動すべきだった。スティーブンさんのところでワインを飲んでいる場合ではなかった。ベンチに腰掛けて、頭を抱える。まだワインの抜け切っていない頭がガンガンと痛んだ。馬を借りたところで、こんな体調ではとてもフェンネルまで走らせられない。詰んだ。もうダメだ。1日半も遅れることになるが、明日の朝イチで馬車が出ると信じて、今夜は首都でもう1泊しよう。腹を決めて、とりあえずここでひと眠りしようと目を閉じた、その瞬間だった。


 「クリス! クリスく〜ん!」


 遠くから大声で呼ぶ声がする。誰だと思って見回すと、こちらに向かってやってくる馬車の窓から、金髪の女性が手を振っていた。あれ、シャインじゃないか。馬車は俺の目の前で止まった。


 「こんなところで何やってるの?」


 シャインは窓から首を突き出して聞いてくる。俺はのろのろと立ち上がって、馬車のそばまで行った。フェンネル行きの馬車に乗りそびれたこと、諦めて明朝の馬車に乗るつもりだということを手短に話した。


 「あ、そうなんだ。じゃあ、乗る? 私、これからフェンネルに行くんだけど」


 「えっ!」


 渡りに船とはこのことだ。俺は「マジでいいんですか? 助かります」と言って乗せてもらうことにした。黒い馬車には金の縁取りでイース王国の紋章が刻まれている。座席は深紅のベルベットで覆われていて、乗客はシャインだけだった。乗合馬車じゃない。王家のチャーター機だ。


 「いや、ありがとうございます。エドワードたちに『すぐに行くから』と言っていたのに、乗り過ごしちゃって」


 「急に減便が決まったからね。仕方ないよ。それにしてもクリスくん、君はツイてるね」


 シャインはわざとらしくウインクした。意外にお茶目な人なのかもしれない。運がいいのは当然だろう。だって、エリックからもらった指輪をはめているんだから。


 「シャインさんは、フェンネルに何をしに行くんですか?」


 目を閉じて少し眠りたかったが、乗せてもらった手前、それは失礼だろう。そう思って、俺はシャインと話すことにした。


 「視察だよ。他に行ける人がいないから」


 シャインはあっけらかんと言った。エドワードは、シャインがマリシャ姫の側近だと紹介してくれた。側近が何人いるのか知らないが、2人も首都を離れて大丈夫なのだろうか。


 「大丈夫なんですか? 姫は今頃、一人ぼっちなのでは……」


 素朴な疑問を口にした。シャインは少し目を丸くして、それからフフッと笑った。


 「クリスくんは、優しい人なんだね。マリシャのことを、気にかけてくれるなんて」


 クスクスと笑っている。そんなにおかしいことだろうか。身近な人のことを心配するのは当たり前のことだ。俺はイースの国民なので、姫の心配する権利がある。何より、俺のレベルを認定してくれた人なのだ。


 「まあ、よくそう言われますね」


 少し憮然としながら、返事をした。


 「大丈夫だよ。もう一人、側近はいるから。ちょうどヴァジリから帰ってきたので、私が入れ替わりにフェンネルに行くんだ」


 そう言って、隣の座席に置いてある自分の大荷物にポンと手を置く。そのなかに、立派な剣があるのを俺は見逃さなかった。というか、馬車に乗った時からすごい剣があることが気になって仕方がなかった。いわゆるブロードソードというタイプだ。鈍く光る金属製の鞘に、びっしりと細かい文様が彫られている。柄に巻いてある皮は、手垢で真っ黒になっていた。金色の鍔がついていて、とても高価なものに見える。この人、政治家だと思っていたけど、戦えるのか?


 「本当は4人いるんだけど、1人はずっとヴァジリに行きっぱなしだから。そんなのもう側近じゃないよね。まあ、エドワードもいつも首都にいないから、側近じゃないちゃ側近じゃないんだけど」


 黙っていると、シャインは一人で勝手にしゃべり続けた。


 「あの、シャインさんは剣士なんですか?」


 話の腰を折って申し訳ないが、俺だって情報がほしい。この人が戦えるのであれば、いざという時に頼れる。


 「ああ、そうだよ。私の本来の職業は騎士だ。もう少しでアンカウンタブルになる」


 「えっ!」


 驚いて思わず声を上げた。騎士は主に剣士から昇格する。剣士の剣技に加えて馬を自在に操るスキルを持ち、馬に乗ればその攻撃力は剣士の3倍とも4倍とも言われている。魔法が使える人も多い。


 しかも、アンカウンタブルだって?


 アンカウンタブルというのは、レベルがどんどん上がって、もういくつなのか数える必要がなくなった人のことを指す。だって、レベル1000とか2000とか、カウントしたところで意味はないだろう? 多くの人は100までは熱心にカウントする。だが、それ以上は110になろうが120になろうが、あまり関係ない。こうなった人をアンカウンタブルという。


 アンカウンタブルになるには承認委員会で認められる必要がある。承認委員会はアンカウンタブルの冒険者や王家、教会幹部、軍司令部の関係者で構成されていて、スティーブンさんもその委員の一人だ。もちろん、スティーブンさんもアンカウンタブルの一人である。


 「えっ、ということは、レベル99とか、そこらあたりなんですか?」


 「ピンポーン。そうだよ。レベル99。エヘッ!」


 シャインは両手でVサインを作った。


 ほわあぁ、すごい! こんなに若くてアンカウンタブル目前だって? 俺は今、すごい冒険者と一緒に馬車に乗っているんだ! その事実だけで、頭がクラクラした。


 「ちょっと待ってください。シャインさん、一体これまで、どんな冒険をしてきたんですか? 詳しく教えてください」


 俺は身を乗り出した。


 「いいよ。フェンネルまではまだまだ時間があるからね。そうだね、何の話からしようか……。うん、カインと初めて組んだ話からしよう」


 それから、シャインはフェンネルに到着するまでの間、自分が経験した冒険譚を語って聞かせてくれた。シャインは軍人の娘で、小さい頃からマリシャ姫の近習を務めていた。好奇心旺盛な姫に代わって、外の世界を探索してくるのが、彼女の主な冒険の目的だった。行き先は、ほとんどが北限を超えた氷雪の地だ。幽霊が住む洞窟、モッセ川の源流に住むドラゴン、氷山を馬よりも速く走る雪男……。どの物語も、最高だった。スティーブンさんから聞いた冒険譚に勝るとも劣らないくらい、面白かった。


 「えっ、それからどうなってんですか?」


 「え、まだ続きが聞きたいの?」


 街道沿いには、首都に向かって歩いている人が大勢いた。みんな大きな荷物を背負っている。馬車に乗ることができず、徒歩でフェンネルから首都へと逃げる人々だろう。彼らが首都に入れば、難民となる。シャインの話に胸を躍らせてつつ、窓の外の景色を見て、俺は暗澹たる気持ちにならざるを得なかった。

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