大魔道士タイタンの憂鬱
例の客間にいる。俺がマリシャ姫から直々にレベル20認定をいただいた部屋だ。イースに戻ってきたのは夕刻で、見慣れた室内は暗くなりかけていた。俺たちが入るのと同時くらいに中年のメイドが2人やってきて、燭台に明かりを灯し、紅茶を淹れてくれた。
「では、ごゆっくり」
メイドたちは手際よくお茶を出すと、一礼して去って行った。ローテーブルには香り高い紅茶とともにクッキーが並んでいる。ソファに腰掛けると、とりあえず一つ口に放り込んだ。バターがたっぷりと使われているようで、しっとりとしていて実に美味い。
ふかふかのソファに腰掛けると、ものすごく疲れていることに気がついた。目を閉じれば、泥のように眠ってしまいそうだ。思い返せば、ここを出発して炎の神殿に行って帰ってくるまで、ずっと気を張りっぱなしだった。いやいや、クリス、しっかりしろ。エドワードもきっとヘトヘトのはずなのに、今頃、王様や女王様の前でアフリートを回収したことを報告し、クーメン陥落についてどう対処すべきか話し合っているのだ。まだパーティーのメンバーが活動しているのに、リーダーの俺が眠りこけるわけにはいかない。
『クーメンが陥落したとは……』
ハーディーがティーカップを手にしたまま、つぶやいた。クーメンは俺とハーディー、そして俺とテイラーが初めて出会った街だ。あそこを拠点としていた頃、周辺の街から難民が流入して、治安にも防衛にも問題が出始めていた。教会は増え続ける難民への対応に一杯で、周辺の巡視や防衛態勢の構築まで手が回っていなかった。そこを攻められては、ひとたまりもないだろう。
クーメンが陥落したというのは、聞き捨てならない。クーメンが落ちれば、次はフェンネルだ。フェンネルも落ちれば、その次はもう首都だ。フェンネルと首都の間には、防衛機能を果たすような街はない。
「軍隊は何をしているのかしら。まだ東部から戻ってきていないのかな……」
ライラがつぶやいた。目がトロンとして、今にも眠ってしまいそうだ。俺と同じく、疲れているのだろう。
軍隊は数カ月前から、イースの東南にあるヴァジリという街の防衛戦に出ていた。悪魔が率いる魔族の集団が、攻めてきていたからだ。ヴァジリが落ちればヘイシュリグまでは一直線。そして、学研都市であるヘイシュリグには高度な要塞機能はない。ヴァジリ防衛はイースにとっては目下の最大の課題で、イースは持てる軍勢のほとんどを、そこに割いていた。
ちなみにさっきから軍隊、軍隊と言っているが、そんなに巨大な組織ではない。構成員は非戦闘員も含めてせいぜい200人程度だ。こんなに寒くて水も食料も不足しがち、そもそも人口がそれほど多くないイースでは、職業軍人を養える国力がないのだ。
キャルダモナの魔術師たちが軍隊に合流すればものすごく頼もしいのだが、魔術師たちは好んで戦闘はしたがらない。彼らにとって最も大切なことは自身の魔法を向上させることであって、軍隊を支援しようとはしなかった。ロリアンドーロが陥落した時も、何度も救援要請を受けながらも、なかなか動こうとはしなかったと聞いた。
不意にキイと音がして、テラスに続く大きなガラス戸が開いた。燭台のロウソクの炎がふわりと揺れる。顔を上げると、見たことがあるシルエットが「よっこらしょ」と言いながら部屋に上がってくるところだった。
タイタンだった。相変わらず豪華なローブを着ている。きょうは深い青の生地に銀の刺繍だ。三角帽を脱いでガラス戸のそばにある帽子掛けに引っ掛けると、まるで自分の部屋かのようにズカズカと歩いてきて、俺の隣にドスン!と腰掛けた。ライラが口をつけていなかったティーカップを取り上げると、ごくごくと一息で飲み干した。あまりにも傍若無人すぎて、言葉を失う。
「ブハァ! くそッ、忙しい時間に出てきてしまったわい」
ティーカップを乱暴にローテーブルに置くと、手の甲で口元を拭って毒づいた。ハーディーが少し体を起こす。ニーナを隠すように、少し腰をずらした。タイタンは俺をギョロッと大きな目でにらんだ。
「しかし、あんな使い方があるとは、思いもよらなかったな。魔力を吸い取るものなんて、魔術師には一切、使い道がないと思っていた。いやはや、ワシも焼きが回ったな」
ニヤリと笑って、頭をボリボリとかく。スティーブンさんの仲間だったというのだから中年というより、高齢者と言っていいくらいの年齢のはずだ。だが、頭髪は黒々としてフサフサしていた。
突然、現れて一方的に話すので、なんのことだか一瞬、わからなかった。タイタンがチラリとライラの向こうですでに眠りこけているコンティニュアスを見たので、意味がわかった。ああ、なるほど。俺たちがアフリートを回収してきた話をしているんだな。ちなみにキリコはもういない。馬車を降りたところで別れた。
「で、アフリートは今、どこだ?」
俺の肩をポンと叩いて聞いてくる。目を細めて、口元を歪めて、愛想よく笑っているつもりなのかもしれない。だが、エロじじいが息子の嫁にいやらしく迫っている時の表情にしか見えない。えっ? なぜそんなレアケースの表情を知っているのかって? まあ、そんなのどうだっていいじゃないか。
「今、たぶん会議中ですよ。上の部屋で」
俺は天井を指差した。タイタンは天井をチラッと見て、ふーんとうなって腕組みした。
「鉄をも溶かす悪魔の炎、アフリートか。で、どんなのだった? 本当に炎そのものなのか? 誰に寄生したんだ? あのエドワードとかいう小僧か?」
脂ぎった顔を寄せて、矢継ぎ早に聞いてくる。うっ、なんか口臭がニンニク臭い。こいつ、昼飯にニンニク入りの料理を食ったな。俺は顔を背けて、少し後退りした。
「なんか、普通に火でしたよ。拳大くらいの」
「ほうほう。それで?」
「うちのパーティーにいた、テイラーって魔法使いが、寄生されちゃって」
「ほうほう。どうやって寄生するんだ? やはり口から入るのか? それとも皮膚を突き破るのか?」
「いや、なんかシュッと体の中に溶け込むみたいな感じでした。よく見てないんだけど……」
「ほうほう。って、見てないんかい!」
タイタンは怖い顔をしながら、俺の肩をピシャリと平手で叩いた。大して痛くない。怒っているような顔をしているが、どうやらこれが普段の顔つきのようだ。
「それで、その寄生されたのは、どうなったのだ?」
改めてグイと顔を近づけてくる。だから、やめてくれって。俺はまた顔を背けた。
「えーっと……。体が熱くなりましたね。ちょっと触れないくらい。あと、なんだか、ぼんやりと光っています。オレンジ色に。肌が」
「ふーん、なるほど! 意識はあるのか? その、寄生される前の人間の、意識は残っているのか?」
「ああ、それはあります。アフリートに『テイラーと話したい』と頼んだら、話せましたから」
「ほうほう、ふんふん!」
タイタンは俺から少し離れると、鼻息を荒くして何度もうなずいた。
「よく観察していたな、ええっと、そう、〝角折り〟!」
名前ではなく二つ名が先に出てくるって、どういうことなんだよ。ちょっとムッとしている俺をほったらかしにして、タイタンは興奮気味にしゃべりまくった。
「アフリートは、この大陸でほぼ最強の兵器だ! 手に入れることができれば、あらゆるものを焼き尽くすことができる。それこそ魔族も人間もな! その意味がわかるか?」
タイタンは俺の鼻先に指を突きつけた。返事をする前に、勝手に話し続ける。
「あらゆる者を従えることができるということだ! しかも、意識があるのだろう? ならば、手に入れた者が王ではないか!」
両腕を宙に差し上げて、天井を仰ぐ。確かにアフリートは、あっという間に獣人の集落を焼き尽くしてしまったし、彼女がその気になれば魔族、人間と分け隔てることなく、あらゆる種族を抑えつけることができるだろう。その気があれば。それに、タイタンは少し勘違いをしているような気がする。
「意識があるといっても、普段はアフリートなんですよ。テイラーは、俺たちが頼まないと出てくることができないんです」
俺がもう一度、説明し直すと、タイタンは目をしばたたかせた。
「何? では、たとえばワシがアフリートに寄生されたとして、ワシがアフリートを自由に使うことはできんのか?」
「いや、タイタンさんならどうかはわかりませんけど、少なくともテイラーは自分の意志では動けません。アフリートに心身ともに乗っ取られているみたいな感じです」
「なんだと、それを先に言え!」
タイタンは立ち上がると、ドンドンと駄々っ子のように足を踏み鳴らした。そして、独り言を言いながら、俺たちが座っているソファの周囲をグルグルと歩き始めた。
「とはいえ、まだコントロールできるかできないかは、わからないではないか。とりあえず少し観察してみるか……。すぐにでも手に入れたいのは山々だが……」
ニーナの背後も歩いているのだが、全く気がついていないようだ。さっき、ライラがそっとニーナの頭にマントをかぶせたせいもあるのかもしれないが。
「で、タイタンさん」
今後の相談をしたいと思って、呼びかけた。タイタンは「なんだ」と言って立ち止まる。
「その……。エドワードがアフリートを使って魔族を懲らしめに行くそうなんですけど、万物の源を取りに行く前に、そっちにちょっとついて行っていいですか? そんなに時間はかからないと思うのですが……」
パンゲアまで万物の源を取りに行くクエストを一時、置いておいて、炎の神殿に行った。すぐに改めてパンゲアに向けて出発するべきなのだろうけど、テイラーを置いて行くのは心配だった。せめて、魔族を懲らしめるところを確認してから出発したかった。
「ダメだ! ダメ!」
タイタンは大きな声を出してから「ああ、いや、ちょっと待て」とまた腕組みをして、グルグルと歩き始めた。また、キイとガラス戸が開く音がする。見ると、また魔術師が1人、入ってくるところだった。若い女だ。肩のあたりで切りそろえた黒い髪が、夜風にフワッと揺れる。整った顔立ちをしてはいるが、なんだか冷たい印象を受けた。鼻筋が低く、唇の薄い東方人っぽい顔立ちのせいかもしれない。
どうして魔術師はみんな玄関から入ってこずに、テラスからやってくるのだろう? 深い紫色のスーツに黒っぽいローブを羽織った魔術師はツカツカと近寄ってきて、「総帥、総帥!」と乱暴にタイタンの肩をつかんだ。
「うおぉ! メイヘム!」
考え事をしていたタイタンは突然、呼びかけられてわかりやすく飛び上がって驚いた。
「総帥! また会議を抜け出してどこへ行ったのかと思いきや、こんなところで油を売っていたのですね! さあ、帰りますよ!」
怖い顔をして、首根っこをつかんで引っ張って行こうとする。タイタンは「痛い、痛い! ちょっと待ってくれ! ワシは忙しい!」と抵抗した。
「忙しいのは知っています。だから、私たちがしっかりスケジュール管理しているんじゃありませんか。さあ、早く戻りますよ!」
メイヘムと呼ばれた女魔術師は、強引にタイタンを引っ張っていく。どうも、秘書のような存在らしい。タイタンは両腕を振り回して、やっとメイヘムの手から逃れた。
「ちょっと待てというとるだろうが!」
「いいえ、待てません! 今は本来、アルバートン司教と会食している時間なのです!」
メイヘムは一歩も引かない。タイタンはそれを無視して、俺の方を向いた。
「ああ、わかった。しばらくアフリートを監視というか、観察しておいてくれ。ワシの代わりにな。万物の源はそれからでいい」
俺を指差しながら、近寄ってくる。
「というか、パンゲアの方は、お前らの代わりをもう雇った。やつらにできるとは思わないが、お前たちが追いつくまでの時間稼ぎくらいはしてくれるだろう」
懐をゴソゴソすると、いつかもらったのと同じ黒い袋を取り出して「当座の軍資金だ」と言いながら俺の手のひらに乗せた。えっ? パンゲアの方は代わりを雇った? 俺たち以外のパーティーが、万物の源を取りに行くのか?
「総帥、行きますよ!」
メイヘムがガラス戸を開けて、苛立たしげに足を踏み鳴らしている。タイタンは「はいはい」と言いながら、走って行った。金はもらった。本当はレベルを上げてほしいのだが、それはまた姫様にやってもらおう。
「お、そうだ」
タイタンはガラス戸で立ち止まって、振り返った。俺を指差して、聞いてきた。
「角折りよ、お前はどっちの味方だ? ワシか? イースか?」
一瞬、言葉に詰まった。俺はイースの国民なので、イースの味方だ。だが、タイタンは自分の子飼いである魔術師ギルドをキャルダモナに移転して、そこをイースをしのぐ勢力に育て上げようとしている。冒険者が次々にキャルダモナに拠点を移しているのも、そのせいだ。返事を迷っていると、タイタンが続けた。
「イースには、もう先はないぞ」
ニヤリと笑う。テラスでメイヘムが「総帥!」と呼んでいるのが聞こえた。
「どういう意味だ?」
何を言っているのかわからなかった。イースに先がない? 人間の最後の国だぞ。さすがにここが滅びることはないだろう。俺には何もできないかもしれないが、教会や軍隊や、それこそエドワードやシャインのような優秀な人たちが、なんとかしてくれるはずだ。
「どうもこうも、イースは近いうちに滅びる。魔法が使えない人間どもは、魔族に食い尽くされて死に絶える。魔族と対等に戦えるのは、やつらと同じく魔力を有し、魔法を使える魔術師だけだ。魔術師の国キャルダモナだけが生き残る。お前はどうするんだ、角折りよ。魔力を持っていなくとも、役に立つ者ならば、ワシが助けてやってもよいぞ」
タイタンは目をギョロリとむいて、ニヤッと笑った。また外で「総帥!」と呼んでいる声がする。なるほど、そういうことか。だが、本当にそんなことになるのか? 信じられない。
「まあ、考えておけ。イースとともに死ぬか、キャルダモナの手足となって働くか。いずれにせよ、魔力を持たない者には、イバラの道よ」
タイタンはそう言い残すと、夜の闇が深くなってきた庭へと出ていった。開けっぱなしのガラス戸の向こうから、冷たい夜風が流れ込んでくる。枯れた草の匂いがした。




