大虐殺
穴の中は真っ暗だった。周囲はすべすべしている。石ではなく、木材に何かを塗ってあるようだ。その証拠に、めちゃくちゃ滑る。そこを滑り台を降りる要領で、落ちていく。これ、大丈夫かな? ハーディーは入れるだろうか? 思った以上に狭いぞ。俺が入った直後にライラが入ってきた気配があった。ドスン!とお尻が落ちた音がする。穴はほぼ真っ直ぐだった。神殿から崖の下の集落まで続いているのだろう。
出口が見えてきた。穴の上側が開いて、明かりが差し込んでいる。手足を穴の周囲に当てて、スピードを殺そうとした。
「危ない! 止まらないで!」
〝止ま〟まで聞こえたところで、背中にライラが衝突した。「うおぉ!」。止まろうとしていた瞬間だったので、驚いて思わず声が出る。だが、ここで止まらないと穴の底に激突してしまうぞ! 俺は手足を突っ張った。
「ぐぐぐぐ!」
歯を食いしばって、なんとか止まることができた。背中にライラの太ももか何か、とにかく柔らかくて弾力があって温かい肉体が接触している。「ご、ごめん」。耳元で声が聞こえた。
「いいよ。大丈夫か?」
ライラを受け止めたのなら、痛いだなんて言っていられない。お安い御用だ。
「うん。大丈夫。先に出るね」
ライラは出口に手をかけて、先に出て行った。ん、何だ? 焦げ臭いぞ。ライラの大きなお尻を見ながら、ついていく。穴を出たところは、建物の中だった。石造りの平家建てだ。住居にしては広く、集会場か何かに思える。狼族に宗教があるのかどうか知らないが、もし崇拝するものがあるとすれば、ここは教会だ。たぶん。
正面に大きな扉があって、開けっぱなしになっていた。すぐ外側にエドワードの背中が見える。さらにその向こうで「ぎゃーっ!」「うわーっ!」と悲鳴が上がっていた。何か燃えている。黒い煙とともに、パチパチと木が爆ぜる音が聞こえてきた。
「エドワード、大丈夫か?」
ライラと一緒に駆け寄って、息を飲んだ。明るい日差しがあふれる、のどかな集落が崩れ落ちかけていた。燃えている。目に入るものが、あちらこちらで燃えていた。家、畑、狼族。すでに焼けこげた死体が、道のあちこちに転がっている。少し離れたところで、テイラー……いや、アフリートが、指先から炎を吹き出して、次々に家を焼いていた。逃げて飛び出してきた狼族も、片っ端から焼いていく。やつらは毛皮で覆われているので、あっという間に燃え上がった。火だるまになって、苦しげな悲鳴を上げてゴロゴロと地面を転がる。
「ほらほらぁ、逃げろ逃げろ! もっと必死に逃げないと焼いちまうよぉ! あっはっは!」
アフリートはゲラゲラ笑いながら、肩をいからせてのっしのっしと歩いていく。
「あれ、本当にテイラーなの……?」
ライラがごくりと唾を飲んだ音が聞こえた。
「追いかけよう」
角を曲がって姿が見えなくなりそうだったので、後を追おうとした。と、エドワードがスッと腕を差し出して、俺を制した。
「いや、クリスとライラは牢屋の人を助け出してきて。このままだと、彼女らもアフリートに焼かれてしまうよ」
いつも冷静なエドワードが、切羽詰まった顔をしている。確かに言われてみればその通りだ。
「わかった」
ライラを連れて、牢屋のあった建物へ向かった。途中で何匹かの狼族とすれ違ったが、やつらは逃げ惑っていて、俺たちのことなど眼中にない。到着すると、ドアが開いている。そっとのぞき込む。入ったところで倒れていた狼族は、いなかった。騒ぎを聞きつけて、出て行ったのだろう。
「キリコさん」
建物に入って呼びかけると、牢屋の奥の物陰からキリコが悲壮な顔で飛び出してきた。
「ああ、よかった! 見捨てられたかと思った!」
鉄格子にしがみつく。この人、初めて会った時から嫌な感じがしたけど、ものの言い方が何となく癪に障るんだよな。なぜ素直に「ありがとう」と言えないんだろう。
「開けるから、ちょっと下がってて」
解錠キットを取り出して、鍵を開けた。キリコが出てくる。もう一人いた子供は、牢屋の奥から俺たちのことを昨夜と同じように見つめていた。
「お前も行くぞ。さあ、来い」
手招きした。だが、動こうとしない。
「放っておいた方がいいよ。その子、混血だから。忌まわしいったらありゃしない」
牢屋から出たキリコは服をパンパンとはたくと、急にぞんざいな口の利き方をした。
「混血?」
ライラが聞く。
「そう。たぶん、狼族とだろうね。その毛色だと」
俺は改めて子供をよく見た。灰色の髪に茶色い瞳。言われてみれば、狼族の毛、瞳の色と同じだ。聞いたことがある。人間と魔族の混血がいると。キリコが言う通り、それは忌まわしい存在だ。何しろ、本来は人間の敵である魔族とまぐわってできた子供なのだから。父親と母親のどちらが魔族だったかとか、そんなの関係ない。人間と魔族で子供を作ったということ事態がおぞましく、忌まわしいのだ。
「えっ、本当なの?」
ライラは子供を見つめた。だが、子供は答えない。キリコはふんと鼻を鳴らすと「その子、耳の形がおかしいし、尻尾もついてるし。間違いないよ」と吐き捨てた。ライラはジロリとキリコを一瞥すると、牢屋に入って行った。
「大丈夫。怖くないよ」
腰を落として、ジリジリと近づいていく。子供は眉毛をピクッと動かすと、1、2歩と後ずさりした。
「大丈夫。ほら、こっちにおいで」
ライラは手を出しだしながら、さらに近づいていく。キリコが「マジで連れていくのかい? 馬鹿じゃないの?」とつぶやいたのが聞こえた。
「おい、キリコさんよ」
立ち上がってすごんだ。聞き捨てならないな。俺の大事なライラを「馬鹿」なんていうやつは、たとえ女でも許さねえ。キリコは急に俺が態度を変えたことに驚いて、ギョッとした顔をした。
「この後、俺たちの馬車に乗せてほしいか?」
あまり豊かではない胸元に指を突きつけて、尋ねた。
「えっ、馬車で来ているのか? それならもちろん、乗せてほしいけど……」
キリコは愛想笑いを浮かべた。
「そうか。じゃあ、口は慎むこった。俺の仲間を馬鹿にしたら、ここに一人で残していくからな」
「うっ……」
キリコはようやく自分がとんでもないミスを犯したことに気がついたのか、言葉に詰まって表情を歪めた。
「クリス、行こう!」
振り返ると、ライラが子供を抱きかかえて牢屋から出てくるところだった。おお、さすがはライラ。あんなに警戒心たっぷりだった子供の手を引くどころか、抱っこするとは。
「よし、行くぞ!」
3人で外に出た。エドワードと合流しないと。それに、ハーディーはどこに行った? あの滑り台を通じて俺たちを追いかけてきていないのか? コンティニュアスもだ。姿が見えない。家という家から火の手が上がっている。道端には黒焦げの死体があちこちに転がり、火がついたまま「ぎゃああああ!」と断末魔の叫び声を上げながらのたうち回っている者もいる。キリコは「うわぁ、何だ、これ……」と言葉を失った。
エドワードとテイラー……いや、アフリートはどこだ? 探し回っていると、少し離れたところから『おーい!』と聞き慣れた声が聞こえた。ハーディーだ。右手を見ると、向こうの角を曲がってこっちに走ってくるところだった。
「おお、ハーディー。無事だったか?」
『穴に体が入らなくて、蟹を倒して来た道を引き返してきたでござる』
見れば、ズボンの膝から下が濡れている。またあの蟹だらけの広間を突っ切ってきたのか。それはご苦労だったな。
「コンティニュアスは?」
『背嚢に入っているでござるよ』
それはよかった。エドワードとアフリートを探して、集落のなかを右往左往する。悲鳴の聞こえる方にいるのではないかと思って、狼族の声を頼りに移動しているのだが、あちこちで叫び声が上がるので、的が絞りきれない。
『ひどいものでござる。いくら獣人が相手とはいえ、ここまでやらなくても……』
ハーディーが周囲を見回しながら言った。狼族は俺たちの姿を見ると、あたふたと逃げて行く。俺たちは普段はやつらのエサなのだが、今はそれどころではないのだろう。ぐるぐる集落内を歩いていると、先ほどの教会と思しき建物の前に出た。エドワードとアフリートが立っていて、その前に数人の狼族がひざまずいている。
「も、もうやめてください! 俺たちは先祖から役割を引き継いだだけで、言われた通りにやってきただけなんです!」
狼族たちは土下座をして、泣きながらアフリートに訴えていた。
「生贄も、きちんと毎月、届けたじゃないですか!」
口々に助けてくれるように訴えている。アフリートはそれを冷たい目で見ていた。やはり、違う。テイラーはあんな目をするやつじゃない。あれは、テイラーではない。
「先祖がーとか、役割がーとか、わからない話ではないねぇ」
アフリートは冷笑を浮かべながら言った。一転、ガラリと冷酷な目をする。
「だけど、お前たちがあたしを閉じ込めていた事実は、何一つ変わりゃしないんだよ」
サッと手を挙げたところに、ハーディーが飛び込んだ。狼族を背に、アフリートの前に立ち塞がる。
『テイラー殿、やめるでござる』
アフリートはキョトンとした。
『テイラー殿ではなく、アフリート殿でござるかな。どっちでも構い申さぬ。とにかく、もうやめるでござる。彼らに罪はないのでござる。無用に命を奪うのは、よくないのでござる』
アフリートは呆気に取られた顔をしていた。狼族の一人が「こんなことして、ダッチさんが黙っていないぞ!」と半狂乱になって叫んだ。アフリートはそれを聞くと、表情を全く変えずにパチンを指を鳴らした。
「うわああ!」「ぎゃあ!」
ハーディーの背後の狼族たちが燃え上がった。そう、突然、火がついて燃えたのだ。立ち上がろうとして、ガクガクと全身を痙攣させて、その場に次々に倒れる。背後でキリコが「ヒイッ」と小さな悲鳴を上げた。
『テイラー殿……』
狼族たちが焼け死ぬ姿を、ハーディーは頭を抱えて見ていることしかできなかった。
「バケモノ、ごちゃごちゃ吐かすと、お前も一緒に燃やしてしまうぞえ?」
アフリートは指先に小さな炎を乗せ、ゾッとする冷たい目でハーディーを見つめた。
「いやぁ、待って! ちょっと待って!」
俺はあわててアフリートとハーディーの間に割って入った。
「よく言って聞かせるから! だから、こいつは殺さないで!」
必死だった。テイラー……いや、アフリートは指パッチン一発で、4匹の狼族を瞬時に焼き殺した。さすがのハーディーもひとたまりもないだろう。それより、さっき狼族たちが口にした「ダッチさん」って誰だ。黙っていないということは、復讐をしにやってくるということか?
「何だ、お前は?」
アフリートは訝しげな顔をした。俺が例によって自己紹介しようとすると、手を上げて「ああ、いや。知っている。クリストファー。クリスだな」と言った。
「そうだ。このパーティーのリーダーだ」
なぜ知っているのだろう。だが、今はそれよりも、ハーディーに対する怒りを収めてもらわなければ。
「パーティー? リーダー?」
アフリートは俺たちをジロジロと見回して、あごをボリボリとかいた。エドワードも身を乗り出しているが、言葉を挟みかねている。しばらくして、アフリートは俺の方を向いた。
「まあ、どうでもいいわねぇ」
何がどうでもいいのか、さっぱりわからない。だけど、ハーディーから興味を外らせることができたようなので、とりあえずよしとしよう。
「それで、あんたはアフリートということでいいのかい?」
俺は尋ねた。エドワードは何やら恭しく接していたが、テイラーの体をぶん取ったようなやつに、必要以上に低姿勢で臨むつもりはなかった。
「そうだよ。炎の女王、アフリートだ」
アフリートは胸を張ってふふんと鼻を鳴らすと、腕をブンブンと振って、何やら決めポーズを取った。
……。いや、まあいい。
「その、俺たちの仲間のテイラーは、生きているんだろうな?」
そう。そこだ。アフリートが寄生して、脳みそを食い散らかしたりしてないだろうな。俺はそれが一番、気になっていた。
「そりゃあ、生きているともさ。この子が生きていないと、あたしも生きていけないからねえ。あんたの名前も、この子に教えてもらったのさ」
アフリートは得意げに言った。そうか。そりゃあ、よかった。
「ちょっとテイラーと話せる?」
そう聞くと、アフリートは少し嫌そうな顔をした。
「どうしてだい?」
「だって、無事を確認したいから」
アフリートは視線を斜め下に落とすと、「ふーん」と面倒臭そうにため息をついた。そして、目を閉じる。目を開けると、ガラリと表情が変わった。あどけない顔。いつものテイラーだ。
「テイラー!」
思わず肩に手を置く。
「あっちい!」
あまりの熱さに、びっくりして飛び上がった。まるで料理中の鍋に触ったみたいだ。テイラーの体は、燃えるように熱かった。
「クリス、大丈夫か?!」
テイラーは目を丸くする。
「いや、テイラーこそ大丈夫か? 今、アフリートに寄生されているんだろ?」
俺は手をさすりながら聞いた。
「そうそう。寄生ってどんな感じ? どんなふうに見えたり聞こえたりしているの?」
エドワードが割って入ってくる。テイラーはエドワードを無視した。
「うん。自分の思い通りに体が動かないことを除けば、テイラーは全然、大丈夫だ。見えているし、聞こえている」
俺たちを安心させようとしたのか、ニコッと顔を歪めて微笑んだ。少しホッとする。
「お腹すいた」
テイラーがそう言った瞬間、フッと表情が変わった。大人っぽい、冷徹な顔になる。アフリートが戻ってきたのだ。
「とりあえず人間ども、あたしをあそこから出してくれた礼と言っては何だけど、少しだけ付き合ってやってもいいぞ」
俺を見て、エドワードを見る。
「そ、それはありがたい!」
エドワードが声を上げた。
「イース王国を挙げて、おもてなしをさせていただきたい。さあ、では参りましょう。われらが女王が、待っています」
エドワードはアフリートを誘うと、歩き出した。俺はハーディーとライラに目配せをする。とりあえずテイラーが無事なことはわかった。だが、このままでは良くない。本来、アフリートはエドワードが引き受けるはずだったのだ。テイラーの体がどこまでアフリートに耐えられるのか、これから何をさせられるのか、さっぱりわからない。
『とんでもないことになったのでござる』
ハーディーがつぶやいた。全くその通りだ。




