クライミングするぜ
空の色が濃いブルーになってきた。夜明けが近い。神殿へと至る崖に触れると、ひんやりとした岩の感触が伝わってくる。これにしがみついて登るのか。指先が冷えて麻痺しないように気を付けなければ。
「生贄を捧げるのは、どこだ?」
エドワードはさっきから、崖に沿って行ったり来たりしている。生贄がそんなに気になるのだろうか。
作戦はこうだ。まず俺とライラが、コンティニュアスを持って神殿に登る。神殿をガードしている魔力を、コンティニュアスに吸い取ってもらう。それからハーディーがテイラーを背負って登ってくる。全員そろったところで神殿に進入する。エドワード? あいつは飛ぶ魔法が使えるので、飛んで行く。
スティーブンさんたちは飛ぶ魔法で全員、一気に上がったと聞いた。俺のパーティーもエドワードが飛ぶ魔法を使えるのだが、〝自分以外の飛べない人を連れて飛ぶ〟ことはできないのだ。
「本当にごめん。僕、土の魔法使いだから、飛ぶ魔法はまだ上手じゃないんだ。次回までには、みんな一緒に飛べるようにしておくから」
エドワードは苦笑いしながら手を合わせて、頭を下げた。飛ぶ魔法は本来、風の魔法だ。エドワードの魔法属性は土なので、本質的に空を飛ぶという行為とは相性が良くない。仕方ない。崖を見上げる。思っていた以上に高い。上の方に行くに従って、反り返っている。あの上にどうやってあんなに大きな神殿を建てたのだろう。侵入者を拒む、自然の要塞だ。俺は大丈夫。身軽なので登れる。だが、ライラやハーディーはどうか。
集落の獣人たちが神殿に登るために使っている階段やはしごがあるのではないかと思って探してみたが、ない。ハーディーがリュックからハンマーやロープ、ペグを取り出して、崖を登る準備を始めた。
「ライラ、一度、リセットして。目の前のことに集中して」
俺は、さっきから虚空をにらみつけているライラに声をかけた。聞いていないようなので、ポンと肩を叩く。ライラはハッとして振り返った。
「何?」
イラッとした表情だ。
「キリコたちのことは一度、忘れて。これからやることに集中して」
心の中でため息をつきながら、もう一度、同じ内容を言い直した。何か反論してくるかと思っていたが、ライラは引き続き怒りをにじませた表情をしながらも「ああ、うん。わかってる」と言った。その後、「あとでここのやつら、みんなブッ殺す」と物騒なことをつぶやいたのを、聞き逃さなかった。
「エドワード! そろそろ行くぞ!」
まだうろうろしているエドワードを呼ぶ。これまた聞こえていないようなので、走って行って「エド!」と少し声を上げた。
「うん?」
腕を組みつつあごを触りながら、明らかに考えごとをやめていない顔をして、生返事をした。
「『うん?』じゃねえよ。そろそろ行くぞって言ってるの」
5人いるメンバーのうち、2人が気もそぞろだなんて空恐ろしい。これから、落ちたらただでは済まない崖を登るんだぞ。もっと集中しろよ。
「クリス、生贄はどこで捧げたんだろうな? それらしき場所が見つからない」
エドワードは、まだキョロキョロと周囲を見回している。
「もういいじゃないか。生贄をどこで捧げようが、俺たちには関係ないだろ」
「いや、そうでもないよ……」
またどこかへ行こうとするので、腕を捕まえた。強引にハーディーが準備を進めている場所まで引っ張っていく。
「だって、生贄を捧げたということは、生贄のエネルギーが、アフリートのいるところまで流れていたわけじゃない? それを伝っていけば、崖を登らなくてもアフリートのところまで行けるんじゃないの?」
エドワードはぶつぶつと独り言を言いながら、俺に引きずられている。なるほど。そんなことを考えていたのか。確かに生贄を捧げた場所から何らかの経路が神殿まで続いていて、それが俺たちが通れるくらい大きければ、崖を登らなくても済む。しかし、それを探している時間はない。眠りの魔法は永遠に続くわけではないし、とっととアフリートを回収しないと狼族たちが目覚めてしまう。
「じゃあ、行こう。ハーディー、テイラー、頼んだぞ」
『ご注意なされよ』
「了解!」
2人に手を振って、俺はライラに先立って崖を登り始めた。わずかな出っ張りに指を引っ掛けて、体を持ち上げていく。先に魔法で飛んでいったエドワードが下ろしてくれたロープを頼りに、ある程度、進んだらペグを打ち、ロープを結んでいく。ライラはそれを伝って、後をついてくる。
最初、俺はライラが先に登るプランを提案した。万が一、ライラが滑って落ちたら、俺が受け止められるからだ。
「嫌! そんなの絶対に嫌! そういうこと言うから、クリスはテイラーにエッチだって言われるのよ?! わかってる?!」
なぜかライラは顔を真っ赤にして反対した。
「なぜ? もしライラが落ちてきたら、俺が受け止められるじゃないか。でも、逆の場合はどう? 先頭の俺が落ちたら、ライラは俺を受け止められる? ライラにそれくらいのクライミングのスキルはあるの?」
俺はスティーブンさんの下で、ほぼ手掛かりのない垂直の壁をよじ登る訓練もした。天然の崖は意外に指を引っ掛けるところがたくさんある。壁に比べれば朝飯前だ。
「そんなのは、ないけど! でも、私が落ちるということは、そういうことでしょ?」
ライラは手を振り回して何かを訴えようとしていたが、何が「そういうこと」なんだか、さっぱりわからない。
「要するに、クリスの顔面にお尻から突っ込むのが嫌だってことだろう?」
何かを悟ったような顔をしたテイラーが、説明してくれた。なるほど! 確かにそれはライラにとっては恥ずかしいかもな。俺は役得だけど。
「ライラ。俺の顔面にお尻から突っ込むのと、はるか下の地面にお尻から叩きつけられるのと、どっちがマシだ?」
「どっちも嫌!」
というやりとりがあって、ハーディーが『もしライラ殿が手を滑らせるようなことがあれば、拙者が下で受け止めるでござるよ』と言い出して、俺が1番手、ライラが2番手ということになったのだ。ああ、もしかしたらライラのお尻の割れ目に、思い切り顔面を埋められたかもしれないのに。本当に惜しい……。チラッと下を見る。ライラが歯を食いしばってついてきている。クライミングは指先とつま先を引っ掛けるだけで、あとはバランスで登るのがコツだ。腕の力に頼って登るのは無理。腕2本で体重を支えるなんて、身軽な俺でも到底できない。
「ライラ、無理すんな。疲れたらそこで止まってて。あとで引っ張り上げるから」
声をかけたが、返事がない。真剣な顔をして、崖に張り付いている。もうしゃべっている余裕がないのかもしれない。これはさっさと上がって、引っ張ってやった方がいいかもしれない。俺は登るスピードを上げた。吐く息が白い。背中を伝う汗が冷えて、どんどん体の熱を奪っていく。オーバーハングしているところを攻略している最中に、夜が明けた。日が差してきて、ようやく気温が上がり始める。
「クリス、あと少しだ」
息を切らせながら上を見ると、エドワードが身を乗り出して手を差し出していた。体を引き上げて、それをつかむ。「よいしょ!」。かけ声とともに崖を登り切った。
おお、すごい。これはすごいぞ。
下からは青っぽく見えた神殿は、白い石で作られていた。見上げるほどの高さがある。後ろの方はここからは見えないが、ほぼ正方形のようだ。ひと抱え以上ありそうな円柱が等間隔に並んでいて、その上に細かい彫刻が施された天井が乗っている。朝日が当たって鮮やかなオレンジ色に染まっていて、思わず膝をつきたくなるような神々しさがあった。わかりやすく言えば、パルテノン神殿だ。わかるよな?
「ねえ、早く引き上げて!」
崖の下からライラの悲鳴に近い声が聞こえる。おお、そうだ。よく考えたらわざわざ登らせずに、俺がルートを作った後にゆっくり引き上げてやればよかった。崖の途中で岩に張り付いて立ち往生しているライラを見て、申し訳なく思った。
ライラを引き上げて、エドワードと3人で神殿の周囲をぐるりと回る。切り立った崖の上はものすごく展望がよくて、遠くパンゲアまで見渡せた。いやいや、景色を楽しんでいる場合ではない。神殿を調べないと。思った通り、神殿はほぼ正方形だった。天井と床の間には円柱しかないので、向こう側が見える。その向こう側の景色が、陽炎のようにゆらゆらと揺らいでいる。内部は広間のようだ。床面もゆらゆらと揺れて見えるのは、何なのだろう。広間の真ん中あたりに、四角く出っ張った構造物がある。
「これが噂に聞く〝炎のカーテン〟だ」
エドワードはポケットから紙屑を取り出すと、神殿に向かって放り投げた。円柱を越えて神殿内に入ったと思った瞬間、紙屑はゆらゆらと揺れる陽炎に接触して、ジュッと音を立てて真っ黒な灰になった。
「この通り、神殿の外側に高熱の空気の層がある。普通なら入れない。だが、コニーなら、これを吸い込めるはずだ」
エドワードは俺の背後に回ると、リュックから球体のコンティニュアスを取り出した。
「コニー、人間に戻る?」
言い終わらないうちに、素っ裸のコンティニュアスが現れた。ライラが「きゃっ」と小さな悲鳴を上げて顔を覆う。指の間からしっかりと筋肉質な裸体を見ているのを、俺は見逃さなかった。なんだよ。男の裸が見たいのなら、俺も脱いでやろうか? ライラのためなら、いくらでも脱ぐぞ。
「よし、じゃあ、コニー、お願いね」
エドワードはニコニコ笑いながら、コンティニュアスの尻をピシャピシャ叩いた。
「いや、その前に」
コンティニュアスは妙に深刻な顔をしている。どうしたんだ。何か問題でも?
「どうしたの、コニー?」
エドワードが顔をのぞき込む。
「服を、着させてくれ」
コンティニュアスは恥ずかしそうに、ほほを赤くしてうつむいた。




