拙者、ハーディーでござる
エドワードが一刻も早く出発したがって、またライラが弁当を調達して馬車に乗った。アンには馬車の荷台でハーディーに戻らせた。前回と同じならば、しばらくハーディーは目を覚まさない。城内やホテルで眠ってしまわれては、馬車に乗せられない。ハーディーはパーティーで最も巨体だからだ。
「結局、一緒に来ちゃうんだ」
御者台の隣で憮然としているライラに声をかけた。思わず顔がニヤけてしまう。来るだろうなと思っていたけど、もしかしたら「仕事が忙しい」と言って、ヘイシュリグに一人で帰ってしまうのではないかと思っていた。エドワードは今、荷台だ。「こんなの初めて見た!」と興奮して、アンが戻った後のハーディーを観察している。
「だって、あそこで帰っちゃったら、なんだか見捨てたみたいで、嫌じゃない」
ライラは口を尖らせた。あ、いいねえ、そのちょっとすねた顔。かわいい、かわいい。
「いやぁ、助かるよ。だって、もし思いも寄らぬ場所でハーディーがアンになってしまったら、うちのパーティーには前衛がいないからね」
危惧していた。炎の神殿は、魔法で守られている。万が一、ハーディーが許容量以上の魔力に触れてしまったら。そして、アンが出てきてしまったら。その時、周囲にわんさか敵がいたら。アンに戦闘力はなさそうだし、俺たちが戦わないといけない。
「私、前衛じゃないんだけど」
ライラはジロッと俺をにらんだ。お城を出てから、修道女の頭巾を外している。ここからはもう冒険なので、堅苦しい服装をするつもりはないということなのだろう。襟足で切りそろえたショートヘアがよく似合う。
「うん。でも、ライラの強さはよく知っているつもりだから」
「何、それ」
ライラはプイと横を向いてしまった。周囲は針葉樹の森から少しずつ景色が変わって、広葉樹がちらほらと混じり始めた。遠くの山の上には、雪が残っている。このまま行けば、間もなくモッセ川に出る。馬車で渡る以上、橋を使わなければいけない。橋は格好の待ち伏せ場所だ。腹を空かせた魔族が潜んでいる可能性が十分にある。
「クリス、目が覚めたみたいだよ」
荷台のエドワードが呼ぶので、手綱を持ったまま振り返った。ハーディーには服を着せたので、胸の傷は見えない。仮面をかぶった顔を、少し動かしていた。
「大丈夫? ハーディー」
テイラーが仮面を撫でながら聞いている。しばらくしてゴホゴホと咳き込む音がして、聞き慣れない声がした。低い男の声だ。
『ここはどこでござるか?』
ん?
「馬車だよ。炎の神殿に向かう途中なんだ。まだイースを出たばかり」
これはテイラーの声だ。
『ああ、そうか……。姫は、姫はご健在であったか?』
「元気だったよ、ハーディー」
何ぃ? その古めかしい言い回しでしゃべっているのが、ハーディーなのか?
「おい、ハーディー!」
俺は御者台から声をかけた。ハーディーは荷台で起き上がる。「おがっが、おぐぁ」といういつもの意味不明の言葉と同時に、先ほどから聞こえている男の声がした。
『おお、クリス殿。いつもいつも手綱を任せて申し訳のうござる』
間違いない。これは、ハーディーの声だ。魔法語が聞こえているのだ。しかし、いつもこんな感じなのか? こんなに古めかしい話し方をしているのか?
「テイラー、今、ハーディーは『申し訳のうござる』って言ったのか?」
テイラーは急に話を振られて、目をパチクリとさせている。
「えっ、いや? 普通に『ごめんね』って言ったけど?」
「魔法語で『ごめんなさい』と言ったんだよ」
隣に座っているコンティニュアスが補足する。
『あれっ? もしかしてクリス殿は、拙者が話している言葉が、わかるようになったのでござるか?』
ハーディーは頭をかきながら聞いてきた。いや、わかるよ。でも、何かおかしい。この耳飾りの翻訳の仕方が悪いのだろうか。
「クリス殿はやめてくれよ」
俺がそう言うと、エドワードとライラがプッと吹き出した。
「『クリスさん』って言っているのに、そんなふうに聞こえているんだ!」
ライラが面白そうに笑っている。
「その耳飾り、たぶん古いものなんだろうな。その時代の言葉で翻訳してくれるんだ、たぶん。だから、そんなふうに聞こえるんじゃないの?」
エドワードが補足する。
『クリス殿と直接話せるとは、なんという暁光! 改めて、助けていただいた時のお礼を言わせていただきたい!』
ハーディーは起き上がると、正座の姿勢になって御者台の後方までにじり寄ってきた。
「だから、クリス殿はやめろって」
『命を助けていただいて、言葉に尽くせぬほどの感謝でござる。拙者が意地を張ったせいで、姫まで危機に晒してしまった。本当にありがたい。この通りでござる』
ハーディーは俺の背中に向かって、深々と頭を下げた。話せるようになったのはうれしいが、その言葉遣いはなんとかならないのか? どうやら耳飾りの仕様っぽいので、仕方がないのかな。
「ハーディー、やめてくれよ。俺こそ危ないところを助けてもらったんだから、お互い様じゃないか」
『いや、あれは勢いで。あの時、拙者も空腹で朦朧としていて、咄嗟に斬ってしまったので。迷惑をかけて申し訳ない』
「やっぱりそうだったんだ」
チラチラ振り返りながら話していたら、俺とライラの間にヌッと顔を出してきた。
『前を見て運転しないと、危のうござるよ』
真顔で言う。いや、ハーディーは仮面なので、いつも真顔なんだけど。
「ハーディーが背後から声をかけるから、振り返っているんじゃないか」
いつもの感じでツッコんでしまった。その瞬間、ハーディーがニコッと笑った気がした。目をパチパチさせて、ハーディーをよく見る。いや、いつもの仮面だ。口元も緩んでいない。
『今日もツッコミが冴え渡っておりますな』
お……。そうか。そうなのか。急にハーディーとの距離が縮まった気がした。今まで会話ができなくて、ずっと壁が一枚あるように感じていた。だけど、ハーディーはずっと俺と話していて、ツッコまれては苦笑いしていたのだ。きっと俺をイジったりもしていたのだろう。
「えっ、そうかな? エヘヘ」
ハーディーにほめられて、いつも以上にうれしくなる。尻がムズムズする。馬車の上でなければ、ハーディーの手を取って踊り出したい気分だ。
『これからはテイラー殿の通訳なしに、クリス殿と思う存分、話せますな。拙者もうれしゅうござる』
また笑っているように見える。普通に会話ができるだけで、こんなに違うんだ。そこに思い至った時、急にずっとハーディーに聞きたかったことが頭に浮かんできた。
「それはそうと、ハーディーの名前はハーディーでいいの? アンはァハ……ァハギャティとか、難しい発音をしていたんだけど」
そうだ。俺もテイラーも、ずっと「ハーディー」と呼んでいるが、それでいいのか。ちなみにコンティニュアスは「旦那」と呼んでいる。
『ああ、全然、構いませぬ。ロリアンドーロ人以外には難しい発音でござる』
ハーディーは仮面の前で手を振った。
「アンはこだわりがあるみたいだけど」
そう。アンの前で「ハーディー」と言うと、必ずァハギャ……なんだっけ。ァギャハティと訂正される。それも結構、真剣な顔で。ハーディーは少し体を揺すった。声は出ていないが、明らかに笑っている。
『申し訳ござらぬ。姫は拙者の名前を大切にしてくれているのでござる。しかし、拙者はハーディーで全然、構いませぬよ』
「そうなんだ」
変なの。本人以上に他人が名前にこだわるなんて。俺がクリスと呼んでくれと言っているのに、誰かが「クリストファー」と呼んだら、テイラーが怒り出すようなものだ。どういう心境なのか、よくわからない。
馬車の中で弁当を食べている間に、橋に到着した。ちなみに弁当の中身はハムとチーズのサンドウィッチだった。薄切りのハムがたくさん入っていて、食べ応えがある。だが、絶対的に野菜が足りない。料理担当としては新鮮な野菜を食べさせてやりたい。
橋の手前には、やはり魔族がいた。隠れようともしない。獣人だった。獣人はオークやゴブリンと並んで、あちこちにいる魔族だ。いろいろな種類がいるが、多くは人間と同じように2足歩行している。例えば犬の獣人であれば、巨大な犬が立っていると思ってもらえばいい。たまに服を着ているのもいるが、多くは裸だ。体につけているのは、帯刀用のベルトや荷物を持ち運ぶためのリュックくらい。毛皮があるので、必要ないのだろう。
橋の手前で待ち構えていたのは、狼の獣人だった。要するに狼男だ。6、7匹いる。いずれも凶暴な目つきをしたオスで、帯刀していた。すでに4人が抜いている。無視して通り過ぎてやろうか、それとも一時停止した方がいいかと思っていたら、先に「止まれ!」と声をかけられた。
「おい、人間。橋を通りたければ、誰か一人、ここに置いていけ。お前の隣にいる、そのメスがいい」
いきなり取り囲んで剣を突きつけてきた。2匹はペッパーとチョコに剣を向けている。強引に逃げようとすれば、馬を攻撃するつもりだ。ペッパーとチョコは危機を察知して、ブルブルと鼻を鳴らして落ち着きがない。
大丈夫だ、動くな。下手に動けば、けがをするぞ。俺は心の中で呼びかけた。
「いやぁ、勘弁してくださいよ、旦那。見ての通り、痩せっぽっちしかいやしません。食っても美味くないですよ」
俺は御者台の上で、心の底から申し訳なさそうな顔をした。そう、交渉はまず下手に、だ。相手を油断させて、隙をうかがう。横目でライラを見ると、怖い目で獣人たちをにらんでいた。ちょっと待って。そんなに強気に出ないで! もう少し弱そうにしといて!
「なぁにが痩せっぽっちだ。そんないいチチをしておいて、痩せているわけがないだろう。おい、降りろ。つべこべ言うな!」
ああ、今、ライラのスイッチを入れてしまいそうなことを言ったぞ、こいつ。それはともかく、素直に通してはくれなさそうだ。俺が覚悟を決めた時、先ほどからしゃべっている狼男が、剣先でライラの太ももを突いた。
瞬間、その狼男の頭が砕け散った。




