テイラーとはお別れだ
鍵は閉めてある。馬も庭の奥に繋いだ。今夜は珍しく、見張りに立たなくていい。いつでも眠っていいはずなのに、眠れない。ハーディーは長いことキュラの遺体に祈りを捧げていたが、今は足を崩して壁際にもたれかかって座っていた。俺は毛布にくるまってリビングの天井を見上げていた。天井も、もちろん白地にピンクの水玉模様だ。よほどこのデザインが好きだったんだな。
「クリス」
テイラーの小さな声で、ハッと我に返った。キュラの遺体のそばでペタンと座り込んでいる。珍しく食事を残した。リビングの右側の部屋はトイレと風呂だった。ありがたく使わせてもらったが、テイラーは風呂にも入らず、ずっと同じ姿勢で座っていた。俺は体を起こすと、テイラーの隣に座った。
「明日、キュラを埋めるのか?」
テイラーはキュラの遺体に目を落としたまま、かすれた声でそう尋ねた。
「うん。そうだ」
本当は、火葬した方が野生の動物に漁られたりしなくていいのだが、テイラーの目の前でそんなことをしたら、爆発しかねない。
「じゃあもう二度と、キュラの顔を見られなくなってしまうのか?」
テイラーの声が震える。身を乗り出すと、シーツをはいでミイラ化したキュラの顔を露出させた。
「テイラーは、そんなの嫌だ……!」
ポロポロと涙がシーツの上に落ちた。俺はしばらく、そのまま泣かせておいた。心配したハーディーがそばにやってきて、テイラーの背中に手を当てる。テイラーは振り向くと、ハーディーに抱きついた。
「なあ、テイラー。確かに顔は見られなくなるけど、お前の心の中には、まだ生きていた頃のキュラさんがいるだろう?」
死に別れるのは辛い。特に愛する人との死別は、他に例えるものがない辛さと言っていい。クレアが死んだ時、全くその実感がなかった。だけど、火葬してクレアが骨だけになってしまった時、強烈な喪失感でその場で吐いてしまった。それから脱するのに、かなり長い時間がかかった。
クレアの死とは、今もきちんと向き合えているかどうか、わからない。だけど、目を閉じれば元気だった頃のクレアを思い出すことができる。時々、思い出してやりながら、あの世にいるクレアの分まで精一杯生きることが、何よりの供養だと思っている。
テイラーはハーディーの胸から顔を上げて、俺を見た。そして、顔をぐしゃぐしゃにしながら、うなずいた。
「それを、忘れるんじゃねえぞ」
そういうと、またうなずいた。ロウソクが随分と短くなっている。夜明けまで保つだろうか。まあ、消えたらその時だ。火事だけは起こさないようにしないとな。
テイラーからキュラの埋葬を手伝ってほしいと頼まれた時から、ここでテイラーはひと区切りとなるのではないかという予感があった。俺ならここに残って、キュラの供養をする。テイラーは冒険者ではない。朝からステーキを食えるような生活をするという夢はあるが、それは別に冒険者をやっていなくても、かなえられるものだ。
テイラーとは、ここでお別れかもしれないな。
心配だった。テイラーはまだ幼い。ここに一人で置いて行って大丈夫だろうか。いや、ここにいた方が命を落とす危険は少ない。少なくとも、帰る方法を持たずにダンジョンに飛び込むような、無謀なリーダーが率いるパーティーにいるよりは、ずっとマシだ。手を伸ばして、テイラーの髪に触れた。モシャモシャの赤い巻き毛。俺が時間をかけて手入れしてやったおかげで、ロウソクの明かりを受けてツヤツヤと輝いている。
正直、テイラーに愛着があった。クレアを重ねて見てはいけないと思いつつ、どうしても重ねて見てしまう。心配で仕方がない。転んでけがをしないだろうか。悪いやつに騙されて酷い目に遭わないだろうか。そばで見ていてやらないと、いけないんじゃないか。だけど、俺のそばにいると、テイラーを常に危険に晒すことになる。
「なあ、クリス……」
ハーディーの懐から、テイラーが声をかけてきた。寝てしまったと思っていたが、まだ起きていたようだ。
「なんだい」
俺は少しハーディーに近寄った。
「キュラはさ、初めてテイラーに優しくしてくれた人だったんだ」
テイラーはハーディーの胸に顔を埋めている。視線を落とし、こちらは見ていない。話はそれで終わりではないだろう。俺はテイラーが続けるのを待った。
「キュラと初めて会ったのは、フェンネルの孤児院にいた時だった。街では〝人喰い魔女〟と恐れられていて、孤児院では悪さをすれば『キュラ婆さんのところへ連れて行っちまうぞ』というのが脅し文句だったんだ」
小さな声でポツリ、ポツリと話し始めた。
「あの日、初めて本物が孤児院に現れて……。子供たちは泣き叫んで逃げ惑ったよ。テイラーはこんな顔だから、避けられていて。みんな戸棚に逃げ込んだんだけど、一緒に入れてもらえなかった。椅子の下で震えているところを、見つかったんだ」
ふうん。やはり、キュラは避けられている人だったんだな。死後、2年も経っているのに誰も家を訪れていないところを見ると、そうなんだろうなと思ってはいたが。
「キュラは、家事をする子供を探していて。テイラーを見るなり『お前がいい』と言って、ここへ連れて来られた」
テイラーは寝返りを打って、天井を向いた。さっきまで泣いていたが、今は穏やかな表情に変わっていた。
「キュラはどんな人だったの? 〝人喰い魔女〟のあだ名通り、怖い人だった?」
合いの手を入れた。テイラーは軽く微笑むと、首を横に振った。
「厳しい先生だったけど、優しかった。何も知らなかったテイラーにお皿の洗い方から糸や針の使い方、料理の仕方、文字の読み書き、それに何より、魔法を教えてくれた」
テイラーはまた寝返りを打って、俺の方を向いた。目が笑っている。
「よく『なんべん教えたら、わかるんだい!』って叱られた。でも、キュラは一度もテイラーをぶたなかった。だから、テイラーはキュラのことが好きだ」
やっぱりな。テイラーはキュラのことが大好きなんだろうと思っていたよ。俺も軽く微笑み返した。
「テイラーは、キュラのことを忘れない」
テイラーは天井を向いてしまった。長い前髪に隠れて、表情はうかがえない。
「テイラー」
俺は声をかけた。返事はない。
「テイラー、ここに残ってもいいんだぞ。お前が大好きなキュラさんと過ごした家だ。思い出がいっぱいあるだろう。何より、キュラさんのお墓のそばにいられる」
ハーディーがスッと俺の方に向いた気配があった。顔は向けていない。だが、俺の方に気持ちが向いている。テイラーは相変わらず天井を向いたまま、黙っていた。
「寂しくなれば、いつでも会いに来てやるよ。だから、テイラー。考えておいてくれ。ここに残っても、俺は全然構わない。冒険は危ない。〝底なし〟みたいに、死ぬ一歩手前まで行くことがたびたびある。下手をすれば死ぬ。マジだ」
もし今、テイラーがすでに眠っているのであれば、明日また同じ話をしなきゃいけないな。返事がないのでそんなことを考えていたら、不意に「わかった」とテイラーが小さな声で言った。
しばらくすると、すうすうと聞き慣れたテイラーの寝息が聞こえてきた。
ハーディーはまだ起きている。気配が俺に向いている。何か言いたそうだ。俺が目を上げると、ハーディーは仮面の顔をこちらに向けた。
「うあっ、うっは?」
意味はわからない。だが、言わんとするところはなんとなくわかった。テイラーを置いて行くなんて、本気で言っているのか。そう聞いているのだろう。
「本気だよ、ハーディー」
俺は膝を抱えた。
「だって、そうだろう? テイラーは冒険者じゃない。まだこんなに小さい。冒険に連れて行っていいのか? 死ぬんだぞ」
ハーディーはしばらく黙っていたが、また「はがっは、がはっは」と言った。よくわからないが、なんとなく「お前はそれでいいのか?」と聞かれているような気がする。
ああ、ハーディーと普通に話せればいいのに。こんな時に相談に乗ってくれる人間がいないのは、辛い。あとはコニーの野郎しかいない。コニーの糞野郎に比べれば、エリックはどれだけまともだったか。今になってやつのありがたさを身にしみて感じる。
「ハーディー、俺には妹がいてな。いてというか、いたんだよ。もう死んじまってな」
ハーディーが息を呑む気配があった。
「だから、テイラーには長生きしてほしいんだ。こんな顔だから、なかなか旦那は見つからないかもしれねえ。だけど、そんなのわかんないじゃないか。もしかしたらテイラーも幸せな結婚をして、たくさん子供に恵まれるかもしれない。そのためには、まず長生きしなきゃ、お話にならないだろ?」
このパーティーのリーダーは俺だ。メンバーの命を握っている。彼らが長生きできるかどうかは、俺の決断にかかっている。テイラーをここでリリースすれば、少なくとも俺のパーティーで死ぬリスクはゼロになる。
ハーディーはもう何も言わなかった。シンと静かになったリビングに、ロウソクが燃えるジジジ……という小さな音が響いている。テイラーは強力な魔法を使えるが、これまでのことを思い返せば、いなくても支障はない。新しく魔法使いを雇えばいい。
俺は何を考えているんだ?




