悪魔の屋敷に泊まるってマジ?
その夜、テイラーはアンがハーディーの中に戻るのを嫌がって、随分と長いこと2人で話していた。話の内容はたわいのないものだ。好きな食べ物は何?とか髪の手入れはどうしているの?とか。いわゆる女子トークってやつ。テイラーはアンにとても懐いて、最後までハーディーに戻るのを渋っていた。だが、アンに「ァギャハッティに会えなくてもいいの?」と諭されて、ようやく諦めた。
「どうだ、俺があのお姫さまのものになりたいという気持ちが、ちょっとわかっただろう?」
コンティニュアスが聞いてくる。
「ああ。なんというか、助けてあげたいという気持ちにさせる人だな」
うなずかずにはいられなかった。コンティニュアスは腰をずらして近づいてくると、俺に顔を寄せた。
「クリス、これだけは忘れないでくれ。俺は道具ではあるが、意志がある。俺の意志で誰かのものになる。俺は今、あのお姫さまのものだ。だから、それ以外の誰のものでもない。あのおっさんには絶対に渡すな。渡したら、えらいことになるぞ」
コンティニュアスの顔を見る。いつも軽薄そうに笑っているが、初めて見る真剣な顔をしていた。
「えらいことって、どういうこと?」
何か背筋に冷たいものを感じる。
「えらいことは、えらいことだよ。俺はこの世界の循環のバランスを司っている。それが崩れるということだ」
コンティニュアスは真面目な顔をして、小難しいことを言った。「よくわからないな」と言うと「簡単に言うと、世界がめちゃくちゃになるということだ」と言って、俺の肩をポンポンと叩いた。
夜中になってテイラーが話し疲れて眠ってしまって、アンはようやくハーディーの中に戻っていった。
「それでは、また会いましょう」
小さく手を振ると、ハーディーの胸の奥へと身を縮める。それを合図に、花びらのように開いていたハーディーの胸が、静かに閉じていく。閉じた部分から赤黒い液体がじわじわと湧き出してきて、かさぶたになった。なるほど。こうやって閉じるのか。ハーディーの胸に大きな傷跡があるのは、アンを入れた跡だったんだな。
ハーディーは静かに横になっていた。胸が上下している。まだ眠っているのだろう。
「で、これからどうするんだよ」
コンティニュアスが俺に聞いた。
「そうだな、まずは一度、撤退だ」
そういうと、コンティニュアスは反論せずに静かにうなずいた。その向こうでエリックもうなずいている。
「パンゲアに行くには、俺たちはあまりにも準備不足だ。仲間も装備も足りない。だから、一度、撤収する。ヘイシュリグという街に、俺が頼りにしている仲間がいる。まずはそいつのところに行って、相談する」
ヘイシュリグはイースの東の方、クーメンもフェンネルも通り越したところにある。少しどころではなく正直、遠い。どこかで馬車を調達しなければいけない。だが、大丈夫だ。タイタンからもらった袋には、結構な額の金が入っていた。
「え、それ、俺も行かないとダメ?」
エリックが目を丸くして聞いた。
「いや、エリックはもういい。だって、ヴァネッサを迎えに行かないといけないだろ」
俺がそういうと、エリックはホッとした表情を見せた。タイタンからもらった金を貸してやってもいいが、もう俺たちがパンゲアに行かないとなったのであれば、自分でなんとか調達してもらおう。一度、帰るという手もあるんだから。おお、そうだ。
「エリック、こっちに来い」
俺はエリックを呼び寄せる。リュックの中から、いろいろなものを補修するために持ち歩いている接着剤を取り出した。これも樹液から作った、俺のお手製だ。主に皮や木に使うのだが、かなりしっかりとくっつく。
「そのままでは、格好がつかないだろう。ちょっとじっとしてろよ」
俺は折れた角をくっつけてやった。このままではひと目見ただけで、角が折れているとわかってしまう。見た目が悪い。強くぶつければまたポロリと落ちてしまうだろうが、普通に生活している分には、そう簡単に落ちないはずだ。
◇
翌朝、俺たちはパンゲアを離れた。エリックはやはり一度、金を取りに屋敷に戻るという。ぜひ立ち寄ってくれというので、行くことにした。エリックの屋敷は俺たちが初めて遭遇したところから、そう遠くないところにあった。
帰り道、オークの集落に立ち寄った。俺たちがエリックの持ち物を売り払った場所だ。剣とか服とか、買い戻したいものがあるらしい。ずっとエリックのそばにいるのも罰が悪いので、テイラーと一緒に市場をうろうろしていると、ブーツを買った靴屋の前に出た。
「おお、お嬢ちゃん。また会うとは奇遇だな」
靴屋の主人が、声をかけてきた。確かイーダという名前だったはずだ。
「こんにちは」
テイラーは、はにかみながらあいさつした。
「お嬢ちゃん、ちょっとこっちにおいで。そこのお兄さんも」
手招きするので、テントの中に入る。イーダは積み上げた靴の山から、一足のブーツを取り上げた。小さい。子供用かな?
「あ、それ!」
テイラーは目を見張る。
「そう。お嬢ちゃんのブーツだ」
「えっ?!」
信じられなかった。先端が割れて、足先が見えていたボロボロのブーツが、これ? きちんと縫い直されて、程度のいい中古くらいの状態に修理されている。
「いやぁ、よくよく見れば、なかなかいいものだったんで、捨てちまうのが惜しくてなあ。修理しちゃったよ。誰かに売ろうと思っていたんだが、その矢先にお嬢ちゃんがまた現れてな。どうだ、買わないか? あんたは元の持ち主だ。安くしとくよ?」
テイラーはブーツを受け取ると、目を輝かせた。「すごい! 新品みたい!」とフンスカと鼻息を荒くしている。
「新品はねえわ。でも、きちんと手入れすれば、まだまだ履けるぜ。何しろ、このイーダさまが直したんだからなあ」
イーダは胸を張った。テイラーに聞くまでもなく、俺はそのブーツを買った。テイラーが師匠からもらったものだ。そういうものは大切にしないといけない。一度、手放したのに、こうやって手元に戻ってきたのは奇跡に近い。買わないという選択肢はなかった。
「ありがとう、クリス!」
テイラーはブーツを愛しげに撫でて、リュックにしまった。「履かないのか?」と聞くと「だって、今、履いているやつの方が歩きやすいんだもの」という。
「俺にも何か買ってくれよ。新しい服がほしい」
コンティニュアスが俺の背中をつついているが、無視した。その服で十分だろう。ややダブついて見えるが、そういうデザインだと思えば、悪くない。
集落を出て川をさかのぼり、エリックの屋敷に着いた。小高い山の上に洒落た石造りの洋館が立っている。壁には一面に蔦が生えていて、歴史ある建物であることがわかる。
「入ってくれ」
エリックは自分で玄関を開けた。なんとか卿というくらいだから「おい、帰ったぞ」と言えば召使いが開けてくれるのではないか?と思っていたのだが、そうではないらしい。と思ったら、奥からこれまた頭に角が生えた中年の女性っぽい悪魔が飛び出してきた。
「あらまあ、坊ちゃん! お帰りならお帰りだとおっしゃってくだされば迎えに出ましたのに!」
思わず笑ってしまう。やはりエリックは、いいところのボンボンだった。
「プッ。坊ちゃんだって」
テイラーも同じことを思ったのだろう。コンティニュアスと一緒に、俺の隣でニヤニヤしている。エリックは「笑うな!」と割と真剣に怒った。
屋敷には3人の召使いがいた。さっき玄関に出てきた中年の女性、もう一人、中年の女性、それから年老いた男性。いずれも悪魔だ。頭に角がある。エリックは3人を集めると「彼らは人間だが、客人だ。丁重に扱ってくれ」と言い聞かせた。3人は最初は怪訝な顔をしていたが、エリックが真剣なことを知ると「わかりました、坊ちゃん」とうなずいた。
俺たちはひと晩、屋敷で世話になった。エリックは「俺は明日の朝、金を持ってパンゲアに行くけど、ゆっくりしていってくれ」と言ってくれたが、悪魔の屋敷に何泊もするほど肝が据わっていなかった。だって、やつらは人間を食うんだぜ? 夕食は、塩をきかせて調理した肉を挟んだサンドウィッチだった。「急なもので、こんなものしかありませんが……」と召使いが恐縮しながら持ってきたのだが、思わず「これはなんの肉だ? まさか人間じゃないだろうな」と聞いてしまった。
「いえ、そんなとんでもない!」
召使いは冷や汗をかいている。
「クリス、悪魔でもなけりゃ、そんな極悪非道なことはしないぞ」
食卓は円卓だった。斜め向かいに据わっていたエリックは、憮然とした顔をした。
「いや、お前、悪魔じゃん」
「だから、悪魔でもって言ってるじゃん!」
エリックは俺たちにめちゃくちゃ振り回されて、パンゲアの目の前まで行ったのに連れ戻されて、さぞかし恨みに思っているんだろうなと思ったら、全くそんなことはなかった。むしろ、ベヒーモスに会えたことや〝底なし〟に潜ったこと、そしてアレに会えたこととか、貴重な体験ができたと言って喜んでいた。
「しかも、折れた角までくっつけてくれて、全くクリスには頭が上がらない。困ったことがあったら、なんでも言ってきてくれ。いつでも力になるから」
「いいからさっさとヴァネッサを迎えに行け。それから、今度、ヴァネッサを借金のカタにしたら、俺が許さん。その時は俺がヴァネッサをいただく」
「え、ひどい! 悪魔!」
俺の隣で、テイラーがサンドウィッチにかぶりついている。「美味い! これ、めちゃくちゃ美味いぞ、クリス!」。食べながらしゃべるのはやめなさい。いろいろ口から飛び散っている。
その夜は風呂にゆっくり入って、何年かぶり……というか、生まれて初めてといっていいほどフカフカのベッドで寝た。一瞬、テイラーとハーディーとコンティニュアスを呼び寄せて、4人で寝ようかと思った。だって、悪魔の屋敷だぞ? だが、「こっちはクリスの部屋な。で、あっちがテイラー」とご機嫌で案内してくれているエリックを見ていると、その好意をはねつけるのはいかがなものかと思って、それぞれの部屋で寝た。
エリックは翌朝、馬車まで手配してくれた。しかも無料で。そして別れ際、自分がはめていた指輪を一つ外すと、差し出した。
「この指輪もやるよ」
「いやいや、こんなにいろいろよくしてもらって、さらに何かもらうなんて……。何か裏があるとしか思えない」
「裏なんてねーよ! 安心しろ。呪いの指輪じゃないから。これは幸運の指輪だ。俺の魔法ほど強力ではないが、同じ効果がある」
指輪を受け取った。金色の輪に緑色の宝石がついている。俺の指についていたら、ものすごく場違いな感じがするデザインだ。
「なんか、申し訳ないな」
「そんなことはないさ。あんたはそれだけのものを俺にくれた」
エリックは手を差し出した。何? 握手しようというのか? 悪魔が人間と? 顔を上げると、エリックはニッと笑った。
「また一緒に冒険しようぜ、クリス」
よく晴れていた。少し風が温かい。真冬が終わり、春の訪れを告げているようだった。俺はエリックの手を握り返した。
「ヴァネッサを大切にしろよ、エリック」
俺たちの馬車が見えなくなるまで、エリックは3人の召使いとずっと手を振っていた。そんな暇があれば、早くヴァネッサを迎えに行ってやれよ。そういえば、もうこれでヴァネッサの顔は見られなくなってしまうんだな。そう思うと、なんとなく寂しくなった。




