あんた、ハーディーっていうのか
街を出て山に入り、とりあえず適当な窪地に身を隠した。治安担当の連中も、魔族と遭遇しかねないこんな場所までは、リスクを冒して出張って来ないだろう。すっかり日は落ちていたが、月明かりで周囲はぼんやりと明るかった。
「ああ、びっくりした……」
俺はその場にへたり込んだ。パーティーを追放されて、殺しに巻き込まれて、本当にいろいろなことが立て続けに起きた一日だった。仕事を失ったその日に投獄なんてされたら、本当に洒落にならない。いや、それ以前にこの大男を放置して、逃げ出せばよかったような気がする。俺だってあの場の状況を考えれば、被害者なんだから。だけど、俺の勘が「こいつを助けてやらないと」と言っていた。
必死になって走ってきて、息も絶え絶えだった。だが、大男はへっちゃらのようだ。多少、肩で息をしているが、疲れているようには見えない。周囲を見回して安心したのか、俺のそばに戻ってくると、膝をついて座った。
「うがっ。あごぉっ」
何やら身振り手振りを交えて話しかけてくるが、何を言っているのかわからない。言葉が話せなのだろうか?
「ああ、すまねえ。何言ってるのか、わかんねえや。あんた、しゃべれないのか?」
そう言うと、大男はしばらく黙り込んでから、大きく口を開けて中を指差した。〝口の中を見ろ〟ということだろうか。顔を近づけて、黄色い歯が並んでいる口の中をのぞき込む。うっ、臭い。体も臭いが、口の中も臭い。だが、歯並びは意外にきれいだった。太い歯が生えそろっていて、磨けば健康な見た目になりそうだ。だが、何かおかしい。すぐに違和感がなんなのか、わかった。
「うっ、おっ」
大男がうめく。舌がなかった。何かで切り取られたのだろう、舌があった部分に断面だけが残っている。こういう刑罰があると聞いたことがあるが、罪人なのだろうか。
「ああ、舌がないんだな。それでしゃべることができないのか……。わかったよ」
うなずくと、大男もうなずいた。どうやら俺の言っていることは通じているようだ。
「うおっ、おおっ」
大男は、また身振り手振りを交えて何か話し始めた。残念ながら、何を言っているのかさっぱりわからない。だが、まもなく、どうも違うということに気がついた。
「おおっ、ううっ」
声の間に、何やらシュッシュッと空気の漏れる音がする。それが絶え間なく続いている。
「あ、それ、もしかして魔法言葉か?」
俺が聞くと、大男は大きくうなずいた。
魔法言葉は、魔法使いが使う言語だ。魔法語とか、そのまんま魔法言語とか呼ばれることもある。魔法は、魔力を持っていて、それを外部に向けて何らかの形で放出することができる人間にしか使えない。先天的に使える人間もいれば、後天的に身につける人間もいる。だが、多くの人間はできない。そもそも人間には、俺のように魔力を持っていない者が圧倒的に多い。それゆえ、魔法使いは同じ能力を持った者同士で集まり、彼らの間でしか通用しない言葉を作った。それが魔法言葉というわけだ。
こいつ、魔法言葉を話せるということは、魔法使いなのか? どう見ても魔法使いっぽくないが……。いやいや、そんなことより。俺は魔法言葉がわからない。全くわからないわけではない。昔、スティーブンさんのところで少し習ったことがある。だが、簡単な単語がわかるくらいで、会話はできない。大男は俺が魔法言葉がわかると思ったのかヒューヒュー、シュッシュッと話しかけてくる。
「いや、ちょっと待って。申し訳ないけど、俺、魔法言葉はよくわからないんだ」
少し焦る。これは困ったぞ。今、厄介なことに巻き込まれているのに、当事者と会話ができないとは。俺の話は通じているけど、この大男の言っていることはわからない。どこの誰なのか、なぜあそこで倒れていたのか。野盗を殺したのは、ものの勢いかもしれない。だけど、あまりにも事情がわからなすぎる。
大男はまた少し黙り込んで、やおら這いつくばると、太い指で地面に何か書き出した。月明かりの下で目を凝らす。
〝ありがとう〟
土の上に意外にきれいな文字で、そう書いた。なるほど。筆談という方法があるな。ただ、何か書くものや場所がないと、これはできない。それに、時間がかかる。今も感謝してくれているのはわかったが、何に対して〝ありがとう〟なのか、わからない。逃走を手助けしてくれてありがとうなのか、飴をくれてありがとうなのか。
「ああ……。いや、どういたしまして」
頭をかきながら、とりあえず返事をした。どうしよう。そうだ、とりあえずお互いに名乗らないとな。まずはそこからだ。
「俺はクリスだ。本当はクリストファーって言うんだけど、みんなクリスと呼ぶから、そう呼んでくれ。って、しゃべれないか」
苦笑いしながら手を差し出す。大男は一瞬、ためらってから、俺の手を握り返した。デカいな。手がデカすぎて、俺の手が大男の手の平のなかに隠れてしまった。
「あ、はっ、でぃー。あはっ、でぃー」
大男は自分を指差しながら、そう言った。
「アハディー? ハッディー?」
よくわからないので聞き返す。
「は、ハ、ディー。は、でぃー」
「ハーディー。ハーディーっていう名前なのか?」
大男はうんうんとうなずいた。なるほど。ハーディーか。とりあえず名前はわかった。
「ハーディーさんよ、何となく逃げてきちまったけど、まずいよ、これは。相手が野盗とはいえ、殺しは殺しだ。治安担当に捕まったら、ただでは済まないし、そうなれば俺も冒険者として終了だ」
今更、言っても仕方がないとは思いつつ、俺はハーディーに愚痴り始めた。
「あ〜あ。世界のあちこちを冒険して、スティーブンさんみたいな立派な盗賊になるのが夢だったのになぁ。まだどこへも行けてないぜ。知ってる? 盗賊王スティーブンを。俺、あの人の弟子なんだ」
愚痴っているうちに、何かいいアイデアが浮かぶかもしれない。リュックを下ろすと、一冊の本を取り出した。
「これ、『世界の歩き方』。冒険者必携の超有名なベストセラー。俺のはスティーブンさんのお屋敷にあったものの、写本なんだけど。俺もこんな本を書くのが、夢なんだよ」
スティーブンさんは若い頃、のちにザ・レジェンズと呼ばれるパーティーに参加して、大陸のあちこちを旅した。数多くのダンションをはじめ空に浮かぶ島、果てしなき砂漠、炎の神殿、南方の大海など数多くの神秘に満ちた場所に足を運び、その冒険を本にまとめた。それがこの『世界の歩き方』。今やパーティーを組めばそのなかの誰かが必ず持っているといわれている、冒険マニュアルだ。
「だけど、そんな冒険者になる前に、お尋ね者になっちまった。全く、どうすればいいんだよ……」
『世界の歩き方』をパラパラとめくってみるが、人を殺してしまった後にどうすればいいかなんて、書いてあった記憶はない。この本をもう何十回、何百回と読み込んでいるが、そんな記述はない。だから、困っている。
ハァ〜とため息をついてみた。本を閉じて目を上げると、ハーディーは腕を組んで虚空をにらんで、何か考えているようだった。いや、にらんでいるというのはおかしいな。仮面のせいで、目が見えているのかどうかすら怪しいんだし。ハーディーの腰には、さっき振り回した柄がぶら下がっていた。毛皮のマントの下は同じく毛皮の上着に半ズボンという出立ちだった。寒くないのだろうか。特に上は胸がはだけて、分厚い胸板がのぞいている。意外に毛深くない。腰のところにベルト代わりの細い革紐が巻いてあって、そこに柄を差し込んでいた。
「それ、刀身がないのに切れるんだな」
自分でも、何を言っているのかよくわからない。だけど、そう表現するより他にないのだから、仕方がない。ハーディーは柄を腰紐から抜いて、軽くうなずいてから空中でヒュンと振ってみせた。
「あがっは、はがっは」
相変わらず魔法言葉で何か話しかけてくるのだが、何を言っているのかわからない。だけど、何となく言わんとすることがわかった。見えないが、刀身があるのだ。その証拠にハーディーが振るたびに、ヒュンと風を切る音がする。地面に向かって突き込むと、何もないところの地面がえぐれた。魔法のアイテムか。本人が魔法言葉を操っているので、その可能性が高い。見えない剣。インビジブルソード。初めて相対する者は間合いがわからなくて、気がつけば切られているという厄介な魔剣だ。そういうものがあると、スティーブンさんから聞いた記憶がある。
不思議なヤツだなぁ。だが、何だか面白くなってきた。お尋ね者になってしまったが、ハーディーと一緒なら、何か楽しい未来が待っていそうな気がする。ちょっとワクワクしかけた時に、何か妙な音が聞こえた。
なんだ、これ? キーンというおかしな音がする。
「ああっあ!」
ハーディーが立ち上がって、空を指差した。キーンという音は、どんどん近づいてくる。何だ? 何かが来るぞ? だが、どこから? 俺も立ち上がった。空だ。この音、空から聞こえる。月明かりで青く染まる夜空を見上げていると、ポツンと黒い点が現れて、それがどんどんこちらに近づいてきた。
「何だ、あれ?!」
「あぃああっ!」
ハーディーも声を上げている。それは見る見るうちに大きくなって、俺たちが潜んでいた窪地に目がけて急降下してきた。突風が巻き起こり、思わず腕で顔を覆う。それは地上に近づくにつれてスピードを落とし、やがてフワッと着地した。
月明かりに浮かび上がったのは、人間だ。残念ながら、美しい天使や女神ではなかった。中年のオッサン。大きな丸い鼻に太い眉毛、ギョロリとした目。ボコボコのあばたにタラコ唇、ピンと跳ね上がった趣味の悪い口髭。背が低く、太鼓腹のゴロンとした体型。どう見ても悪そうな人にしか見えないが、着ているものは俺でもわかるくらい豪華だった。魔術師だ。ローブに金の刺繍が施してある。とんがり帽子には、嫌味にならない程度に宝石が散りばめられていた。
人が空を飛んできた! これが噂に聞く飛行魔法ってやつか! 初めて見た! 興奮する俺をよそに、男はローブの裾をバサバサとはたいて、服装を整えた。
「チッ!」
地面に降り立つなり、男は顔を歪め、いかにも忌々しそうな顔をして、舌打ちした。
「アハガティ、いつまで油を売っているつもりだ! ワシが持ってこいと命じたものを、いつになったら持ってくるつもりだ! お前の国がこのまま消えてなくなってもいいのか? おおん?!」
男はハーディーを短い指で指差すと、唾を飛ばしながらわめいた。




