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黒いタマ

 見る間に石室内の風は勢いを増し、渦を巻き、こぶし大の石までが宙に浮いて黒い球に吸い込まれ始めた。


 「テイラー、手を離すなよ!」


 「う、うん!」


 テイラーの体が浮き上がりかけている。手を離せば渦に巻き込まれてしまいそうだ。テイラーを一段と強く抱き寄せた。くそっ、このままではハーディーを助けに行けない。自分とテイラーを守るだけで精一杯だ。


 「ハーディー!」


 大声で名前を呼ぶことしかできないのが、もどかしかった。ハーディーの体は宙に浮き上がって、黒い球にグングン引き寄せられている。


 「もうダメだ、助からねえ!」


 エリックが悲鳴を上げた。


 「うるせえ! しっかり捕まってろ! 考えろ! 脱出する方法があるはずだ!」


 そうだ。考えるんだ。嵐はどんどん勢いを増している。このままでは俺たちもハーディーに続いて、あの黒い球に吸い込まれる。それは時間の問題に思われた。部屋を見回す。何もない。背後は俺たちが落ちてきた砂場。正面と左右、上下は石の壁。魔法はどうだ。さっき、ダンジョンの床を抜いたほど威力がある、テイラーの電撃。あれをここでぶっ放せば、何とかならないか。早く、早く。早く何とかしないと、ハーディーが吸い込まれてしまう。


 「ハーディー、頑張れ! いま、助けに行くからな!」


 叫んでみたが、手立てがない。自分の無力さが悔しい。もうダメだ。ハーディーが吸い込まれる。俺が覚悟した、その時だった。ハーディーの胸が、赤黒く光った。


 な、なんだ?!


 鈍い光を放つのと同時に、ハーディーの胸が風船のように膨らみ始めた。何だ、これは? 何がどうなっている? 魔法か? それとも病気か? このままでは、ハーディーが破裂してしまう。いや、そんなわけないだろう。人間が破裂するなんて。そんなこと、起きない。だが、見る見るうちにハーディーの胸はパンパンに膨らんで、こちらからは顔が見えないほどの大きさになった。


 「ハ、ハーディー!」


 呼びかけた瞬間、ハーディーの胸がボン!と音を立てて破裂した。血液か何か、黒っぽい液体が飛び散る。ああ、ダメだ。やられた。何にどう攻撃されたのか全くわからないが、ハーディーがやられた。


 出会って数日ほどしか経っていないが、走馬灯のように思い出した。橋の下で初めて会った日のこと。初めて一緒に芋を食べたこと。一緒に釣りをして、悪魔と戦って、温泉に入って。俺が初めて出会った、頼りになる仲間。リーダーの俺が、守ってやらないといけなかったのに。涙がにじむ。顔を伏せて、目の前にあったテイラーのローブで涙を拭いた。


 「ク、クリス! あれ!」


 テイラーが暴風の中で声を上げた。なんだよ。俺は顔を上げる。そこには、信じられない光景が広がっていた。


 ハーディーが吸い込まれる瞬間を見たくなくて、目を逸らしていた。目を閉じている時間を考えれば、すでに黒い球に飲み込まれているはずだった。だが、まだそこにいた。いや、これはハーディーなのか? 俺は自分の見ているものが信じられなかった。


 ハーディーは黒い球の前に立っていた。胸がパックリと割れて、そこから人間が生えている。そう、ハーディーの胸から、別の人間の腰から上が生えているのだ。白い肌。長い黒髪が、吹き荒れる嵐に巻き上げられている。そいつは細い腕を伸ばすと、黒い球に触れた。そっと捧げ持って、台から持ち上げる。ゴゴゴゴ……と何やら地鳴りが聞こえ始めた。


 「何だ、これ。ヤバい予感しかしねぇ」


 エリックが恐怖に目を見開いて、つぶやいた。つぶやきが終わらないうちに、床がグラグラと揺れ始める。背後の砂がザラザラと音を立てて落ちてきた。このままでは黒い球に吸い込まれる前に、生き埋めになってしまう。


 「エリック、移動するぞ! テイラー、俺から離れるな!」


 テイラーを抱えたまま、立ち上がった。グラグラと揺れて、真っ直ぐに立てない。壁に手をついて、何とか体を支える。1歩踏み出した途端、石室の床が崩れ始めた。


 「うおっ!」

 「うわぁ!」

 「きゃあ!」


 珍しくテイラーが女の子っぽい悲鳴を上げている。足が滑って、落下する。どこか、どこかつかむところは。このままだと落ちる! テイラーを抱えていない右手を伸ばす。指先は虚しく空をつかんだ。


 うわあ、もうダメだ! フワッと体が宙に浮いた。足場がなくなった、落ちる! 俺は両腕でテイラーを抱き締めると、落下に備えた。いくら〝底なし〟といえども、どこかに底があるはずだ。そこに到達した時に、せめてテイラーだけでも助けないと。


 耳元でガラガラと壁や天井が崩れていく音がする。もうダメだ。死ぬんだ。くそっ、初めての大仕事で命を落とすとは。クレア、すまねえ。兄ちゃん、お前の分までいっぱい生きるつもりだったけど、こんなに早くおしまいらしい。まだ何も成し遂げちゃいないのに。やりたいことがいっぱいあったのに。


 覚悟を決めて目を強く閉じたその時、体がガクンと何かに引っかかった。テイラーの体重がドシッと俺の両腕にかかる。ハッと我に返って、必死になって力を込めた。


 ガラガラ……。ガラガラガラ……。


 ダンジョンが崩れ落ちていく音は、しばらくやまなかった。目の前には真っ暗な穴が口を開けている。俺は顔を上げた。


 「んん……。た、大したものだ、人間の少年よ……」


 そこにいたのは、ベヒーモスだった。土の中から上半身をのぞかせて、俺の両脇を捕まえている。


 「あ、あんた……」


 「じ、じっと、していろ。い、今、ひ、引き上げて、やる……」


 ベヒーモスはテイラーごと俺を持ち上げると、半身をのぞかせていた横穴へと入っていく。俺は足元を見た。テイラーは気絶してしまったのか、静かだ。両腕を通じてぬくもりが伝わってくるので、死んではいない。石室は完全に床が抜けて、丸く大きな穴になっていた。底は暗くて見えない。急に怖くなって、全身に鳥肌が立つ。


 ベヒーモスは、ダンジョンとは別に穴を掘ってここまで来ていた。「こ、この穴を登っていけば、ち、地上に出る」と教えてくれた。


 「ハーディーとエリックは?」


 地面に足がつくと、急に生きている実感が沸いてきて、質問する余裕が出てきた。


 「んん……。い、今から……連れてくる……」


 ベヒーモスはそう言い残して、横穴から出ていった。この大穴をどうやって移動するのだろう。のぞき込むと、壁面に蜘蛛のように張り付いていた。カサカサと長い手足を使って移動している。普段のスローな動きからは、想像できない素早さだった。


 しばらくすると気絶したエリックを抱えて戻ってきた。テイラーとエリックが目覚めた頃に、ハーディーを担いで戻ってきた。ハーディーはまだ胸が裂けたままだ。胸から生えているのは、若い女だった。ヴァネッサとはタイプが違う美人だ。スッと通った鼻筋、細いあご。ものすごく整った顔立ちをしている。黒いロングヘアがよく似合っていた。痩せているというか、こういうスリムな体型なのだろう。目を閉じて、胸の前で腕を組んで、例の黒い球体を抱えている。胸のあたりから、体にピタリと張り付いた、薄い紫色の服を着ていた。ハーディーと接触している部分は、暗くてよく見えない。


 「も、戻ろう」


 ベヒーモスはハーディーを抱えたまま、先頭に立って歩き出した。俺たちも後に続く。つい数分前まで命を落としかけていた恐怖と、命拾いした安心感で、何も話す気になれなかった。俺たち3人は黙々と歩いた。


   ◇


 地上に出ると、そこは俺たちがダンジョンに入った窪地の底ではなかった。かなり離れた斜面だった。


 「え、何だ、これ……」


 目の前の光景を見て、絶句した。窪地の底が抜けている。俺たちが入る前より倍くらい、深くなっていた。俺たちがダンジョンに潜ったあたり、中央部分は真っ暗だ。周辺は木々が倒れ、土がむき出しになっている。いや、考えてみればこうなるのは当たり前なのだ。あの下にあったダンジョンが崩れ落ちたのだから。


 夕陽が山の向こうに沈みかけていた。ダンジョンに入ってから、どれくらい時間が経ったのだろう。1日か、2日か。安心したら、急に腹が減ってきた。ハーディーが意識を取り戻さないこともあって、俺たちはその場で野営することにした。


 「助けてくれて、ありがとう。これからメシにするけど、一緒に食べないか? せめてものお礼だ」


 ベヒーモスに声をかけた。土の精霊は一つだけの瞳で俺をじっと見つめると、沈みかけている太陽に目を向けた。


 「んん……。も、申し出は、ありがたいが……。こ、これから……忙しい……」


 そして2歩、3歩と後退りする。


 「んん……。あ、あれを手にできたのは、お、お前たちが……は、初めて……だ。んん……。ゆ、勇者たちよ……。あ、あと、どうするかは……お、お前たちが……決めるが、よ、よかろう……」


 ベヒーモスはそう言って、背を向けて歩き出した。


 「あ……」


 呼び止めようとして手を上げかけて、俺はやめた。聞きたいことはいろいろあったが、なぜか今はそうするべきではないと思ったからだ。少し自分たちで考える時間が必要なように思えた。地面に横たわっているハーディーに目を向ける。そばにテイラーが座っていた。胸がバックリと避けて、赤い肉がのぞいている。そこから女が生えている。何だこれ。意味がわからねえ。ベヒーモスからいろいろ聞く前に、これを何とかしないと。


 俺はハーディーのそばに行った。


 「おい、エリック」


 ハーディーの裂けた胸を調べながら、エリックに声をかけた。血はもう出ていない。そして、女もハーディーも生きている。息をしていた。女の腰が、ハーディーの胸の内部から生えている。繋ぎ目はなにやらジュクジュクとした、赤い肉が露出していた。


 「何だよ」


 膝を抱えて座り込んでいたエリックは、疲れた顔を俺に向けた。


 「これはなんだ? 見たことあるか?」


 人間から人間が生えているなんて、見たことがない。ハーディーは一度死んで、別の人間の心臓を入れられたと言っていた。この女が、その心臓なのだろうか。


 「見たことねえよ。気持ち悪いものを、何でもかんでも魔族の範疇にするんじゃねえよ」


 エリックは忌々しそうに吐き捨てると、またガックリと膝の間に顔を埋めた。


 「クリス、ハーディーは助かるよね?」


 テイラーが泣きそうな顔で聞いてくる。


 「当たり前だ。俺が助けて見せる」


 と言ったものの、どうすればいいのか、皆目見当がつかなかった。女のほほに軽く触れてみる。そういえばこいつ、大事にあの黒い球を抱えていたな。途中で落としたりしていないだろうな。そう思って腕の間をのぞいた、その時だった。


 「あれ、ない!」


 黒い球がなかった。


 落としたのか? あれはおそらく、ものすごく大事なものだぞ。ハーディーが命懸けで取りに行ったくらいだから、たぶんあれが万物の源なのだろう。せっかく回収したのに。そのへんに落ちていないか、顔を上げて周囲を見回した。


 「おいおい、探しているのは、俺か?」


 ふいに頭上から声をかけられて、ビクッとする。声のする方を見て、目を疑った。


 そこにいたのは、全裸の男だった。


 まず目に飛び込んできたのは、筋肉隆々の見事な体だ。レベルの高い剣士でもないと、こんなに立派な体格のやつはいない。イケメンというか、イケオジだ。黒い髪を短く刈り込んで、口髭を生やしている。服を着ていれば、立派な人物に見えるだろう。だが、全裸。黒々とした陰毛の間に、体格にしては太くて長いアレがぶら下がっていた。


 「ヒエッ」


 テイラーが小さな叫び声を上げた。両手で顔を覆っているが、指の間からしっかりと男を見ている。


 「誰だ、貴様!」


 エリックが腰を浮かせた。俺も短剣に手をかけて臨戦態勢を取る。


 「おお、待て待て。俺は敵じゃない。一緒に上がってきた仲じゃないか」


 男はニッコリと人懐っこい笑みを浮かべると両手を上げて、敵意のないことを示した。そして、股間のイチモツをぶらぶらさせながら、斜面を降りて近寄ってくる。


 「てめえ、誰だ」


 敵意はなさそうだ。それに何より丸腰だ。そう、まさしく丸腰。だが、俺の勘が油断するなと言っていた。なにせこいつ、俺に全く気付かれずに、こんなに近くに突然、現れたのだ。只者ではない。しかも、重ねて言うが、裸だ。


 「とりあえず、服を貸してほしいなあ」


 男はそういうと、ハーディーのそばにしゃがみ込んで、胸から生えた女のほほに手を添えた。


 「お目覚めの時間ですよ、お姫さま」


 男がそういうと、女がパチリと目を覚ました。引き込まれそうな真っ黒の瞳が俺、そして男を見た。


 「ここは、どこですか?」


 きれいな、よく通る声だった。小鳥のさえずりのようだった。 

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