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お前はギャンブル禁止だ

 エリックは鏡を手に、テントの外に出ていく。ぞろぞろと後に続いた。鏡を細い月にかざす。「こうやって月明かりに当てると、起動するんだ」。エリックが言い終わらないうちに、不意に鏡から声が聞こえた。透き通るような、それでいてうっとりするほど優しい女の声だ。


 「エリック?」


 「ヴァネッサ!」


 エリックは鏡に向かって呼びかけた。


 「ああ、ヴァネッサ! 昨夜は連絡できなくてすまなかった。大丈夫か? 不自由はないか? 酷いことはされていないか?」


 テイラーと額を寄せて、エリックの脇から鏡をのぞき込んだ。ハーディーも興味があるようで、身を屈めて近づいてくる。


 「大丈夫よ、あなた。きちんと3食、食べさせてもらえているし、お風呂も使わせてもらっているわ。極めて平穏よ」


 鏡に映っているのは、エリックと俺たちではなかった。若い女性だ。それもとびきりの美女。黒いカールした髪が、真っ白なふっくらとしたほほにかかっている。少し垂れた、憂いをたたえた瞳。スッと通った鼻筋、ふっくらとした唇。薄化粧をして、微笑んでいる。かわいいじゃないか。これがエリックの嫁さんか? うらやましい。


 「ああ、なんて酷い!」


 エリックは鏡を持っていない方の手で、大袈裟に頭を抱えた。何が酷いのだろう。3食、食わせてもらって風呂にも入れるなら上等ではないか。俺はエリックの手から鏡をひったくった。


 「こんばんは、お嬢さん」


 「あら、どなたかしら?」


 エリックが小声で「返せ」と俺の肩をつかんで揺さぶっているが、気にしない。


 「あなたがエリックの奥さん?」


 「はい。ヴァネッサ・エメリッヒと申します。初めまして」


 どうやらこの鏡は、遠く離れたエリックの嫁、ヴァネッサと繋がっているらしい。こんな魔法道具があるんだ。初めて見た。鏡の向こうでヴァネッサは軽く会釈した。少し頭を下げたので、角があるのが見えた。嫁も悪魔だ。当たり前か。


 「俺、クリスと言います。今、ちょっといろいろあって、あんたの旦那さんと旅をしています」


 「あらまあ。それはそれは、うちのエリックがお世話になりまして」


 ヴァネッサはにっこりと微笑むと、また会釈した。その勢いで胸元の谷間が見えた。すげえ巨乳だ。思わずもっとよく見ようと、鏡に顔を近づける。肌も透き通るくらい真っ白。きっとそばに行けば、めちゃくちゃいい匂いがするに違いない。畜生、美人なだけじゃねえ。スーパー完璧じゃねえか。エリックの野郎、絶対許さねえ。


 「これからあんたの旦那と一緒に、あなたを迎えに行くので、よろしくお願いしますね」


 引きつりそうになる顔に精一杯、笑みを浮かべた。テイラーがそばで「何言ってるんだ。気が狂ったのか」と小さな声で言っているが、気にしない。


 「まあ、本当ですか? それはありがとうございます。パンゲアでお待ちしています」


 ヴァネッサはニコニコと笑いながら、また頭を下げた。鏡を傾けてみるが、今度は角度が悪くて巨乳が見えない。クソッ! だが、改めてパンゲアにいるということがわかって、ウキウキしてきた。鏡をエリックに返してやる。それからしばらく、エリックはヴァネッサとたわいのない話をしていた。ヴァネッサは自分のいない屋敷がきちんと維持されているのかどうか、とても心配していた。


 「あんなきれいな奥さんを借金のカタで置いてきたなんて、お前は人でなしのクズだ」


 テントに戻ると、エリックを責めた。


 「人でなしって、俺は人じゃなくて悪魔なので……」


 エリックは口ごたえをする。


 「そんなことよりクリス、こいつと一緒に行くってマジか? 悪魔だぞ? 人間を食べるんだぞ? 正気か?」


 テイラーはエリックを指差して、眉を吊り上げた。


 「俺は正気だぜ。だってな」


 テイラーに説明した。パンゲアは宙に浮いている陸地であること。そこに行くには飛ぶ魔法か、気球やグライダーのように空を飛ぶ乗り物が必要なこと。だが、エリックと一緒なら、そういうものがなくても行ける可能性があるということ。


 「エリック、魔族はどうやってあそこまで上がっているんだ?」


 エリックに聞いた。


 「ああ、定期便があるんだよ。フライングリザードって言って、空を飛ぶ魔物がいてだな。そいつが朝晩と、地上と上空を行き来しているんだ」


 「ほら」


 俺はテイラーの方を向いた。


 「エリックの仲間のふりをして、それに乗せてもらえばいいだろう」


 テイラーはしばらく考えてから「ああ、なるほど」と言った。その向こうでハーディーもうなずいている。エリックは目を丸くして「そんなこと、できるわけないだろう!」と声を上げた。


 「なんでさ」


 「だって、人間を連れて行ったら、出禁になるんだぞ?! あそこは人間禁止なんだ。魔族の聖地だからな!」


 ハァと小さくため息をついた。エリックは何もわかっていない。


 「いいじゃないか、出禁になれば」


 「何で!」


 エリックは理解不能に陥って、パニック寸前だ。


 「だって、パンゲアのカジノで大負けしたんだろ? じゃあ、もう二度とパンゲアに行かなきゃいいじゃないか。そうすればギャンブルで大負けすることもないし、あのかわいらしい奥さんを借金のカタに取られることもない。出禁になれば、二度と行けない。それでいいじゃないか」


 エリックの肩に手を置いて、静かに語りかけた。エリックは「ああ、そうか。そうだな……」とうなずきながら聞いていたが、しばらくして「いや、違う!」と目をむいた。


 「違うもクソもねえ! お前はもうギャンブル禁止!」


 エリックの黒い鼻面に指を突きつけて、ピシャリと言った。エリックは泣きそうな顔になって「ギャンブル卿からギャンブルを取り上げたら、何も残らないじゃないか!」と拳を握って反論する。


 「じゃあ、別の生き方を探せ! いいか、今、ヴァネッサはきちんと食べさせてもらって、風呂にも入れてもらって、平穏無事な生活をさせてもらえているんだ。ありがたいと思わないのか? 次、やらかしたら、今度は裸にひんむかれたり、コンパニオンとしてカジノの客を接待しなきゃいけなくなるかもしれないんだぞ!」


 うん、いい説得だ。われながらうまく言えたぞ。そう思っていると、エリックは不思議そうな顔をした。


 「えっ、何を言っているんだ? 平穏な生活より、そっちの方がよっぽどマシだろう」


 わけのわからないことを言い始めた。戸惑っていると、勝手に続けた。


 「いいか、人間。悪魔にとって平穏な生活ほど酷なことはないんだ。生きるか死ぬかの瀬戸際で震えていたり、恐怖に慄いていたりする方が、悪魔は幸せなんだ」


 なるほど、それでさっき、ヴァネッサが何一つ不自由のない生活をしているのに「ああ、酷い」と頭を抱えていたんだな。悪魔の価値観を知って、感心した。そして、ふと思い当たった。


 「じゃあもしかして今、エリックはすごく幸せなのか?」


 角を折られ、人間の俺に服従し、不自由な生活を強制されている。人間ならばすぐにでも抜け出したい状況だが、さっきの説明通りなら、悪魔は喜びを感じるのではないのか。


 「そんなわけないだろう!」


 エリックは目を三角にして怒り出した。


 「角を折られ、人間の下僕となり、名誉と誇りを失って恥辱にまみれたこの状態が、幸せなわけがないだろう! 馬鹿なのか!!」


 いや、どっちやねん。悪魔というものがよくわからなくなってくる。


 「とりあえず、お前は俺たちと一緒にパンゲアに行く。で、あの上まで案内する。無事に嫁さんを取り戻せたら、もういい。俺たちは万物の源を回収して、帰る」


 一度、気持ちを落ち着けて、これからやるべきことを整理してエリックに言った。


 「えっ、ちょっと待て。お前たち、何を回収するって言った?」


 テントの床にペタンと座り込んでいたエリックは、顔を上げた。目を見開いて、俺を見ている。


 「ん? 万物の源だけど?」


 「わあああああああ!!」


 エリックは突然、大声を上げて飛び上がると、俺の口を押さえた。ハーディーが弾かれたように立ち上がり、エリックを力ずくで引き離す。


 「お、お前! その名前を口にするな!」


 ハーディーに羽交い締めにされながら、俺のことを指差す。指先がブルブル震えていた。何だよ、びっくりしたな。用心していたつもりだったが、想定外のタイミングで飛び掛かられて、まだ胸がドキドキしていた。


 「何だ、万物の源がなんなんだよ」


 「わあああああああ!!」


 エリックは、俺の声をかき消すほどの大声を出して「だから、その名前を呼ぶなあ!」と言って泣き出した。その姿を、テイラーが呆れて見つめている。


 「何だ何だ。魔族たちにとっては、あれはそんなにヤバいものなのか? 名前を口にするのもはばかられるくらい?」


 エリックに飛びつかれて乱れたシャツの襟元を直しながら、聞いた。


 「そりゃそうだろ! 知らないのか? あれはもともと魔王様の持ち物なんだ。あれを動かしたりしてみろ。魔王様が復活して、世界がめちゃくちゃになるぞ!」


 エリックはベソをかきながら、半ばヤケ気味にまくし立てた。


 「めちゃくちゃな世界って、悪魔的には歓迎なんじゃないの?」


 素朴な疑問を口にした。


 「確かにそうだけど! 悪魔は混沌が好きだけど! だけど、それにも程度ってものがあるの!」


 ふうん。悪魔でも勘弁してほしいくらい、めちゃくちゃになるってわけなのね。でも、万物の源って、魔力が泉のように沸き出すアイテムじゃないのか? それを動かしただけで、魔王が復活してしまうのか? 


 「あれって魔力がどんどん吹き出すんだろ?」


 顔を寄せて聞くと、エリックも顔を上げた。顔一面に獣のような茶色の毛が生えているのだが、ほほのあたりが涙で黒くなっている。


 「まあ、そうだけど……。でも、それはあれの一面だ。それだけじゃない。人間が扱える代物じゃない」


 エリックは首を横に振りながら力なく言って、うつむいた。なるほど。万物の源に関しては何か、まだ俺たちの知らないことが、いろいろとあるみたいだ。まあ、それもパンゲアへの道中で聞こうじゃないか。せっかく悪魔をしもべにできたのだ。知っていることは全部、教えてもらうぞ。そう、俺が書く本のネタにするためにな。


 その夜、俺はエリックを見張りに立てた。


 「一晩中、ずっと見張りな」


 「えっ、嘘だろ?」


 「当たり前じゃないか。お前は俺の召使いなんだから、それくらいやれよ」


 「クソッ、この人でなし! 鬼、悪魔!」


 「嘘だよ」


 さすがに翌日から移動するのに、パーティーのリーダーとして一睡もさせないわけにはいかない。それが悪魔でも、だ。前半は俺とエリック、後半はハーディーとエリックにして、エリックは俺たちのそばで仮眠させた。エリックに聞いたところ、万物の源は魔力を無限に供給する、打出の小槌のような便利な道具ではないらしい。簡単に言うと、魔力を吸ったり吐いたりして循環させるものなのだそうだ。その〝吸ったり吐いたり〟の規模がめちゃくちゃ大きくて、それこそこの大陸を包み込むほどのものだという。


 「だから、そっと置いておくのが一番、いいんだよ。あれを不用意に思い通りに使おうとしたら、えらいことが起きる。火の雨が降ったり、大地が割れたりするんだ。人間は知らないのか? 昔、魔王様がどれだけこの世界をめちゃくちゃにしたのか」


 エリックは起きている間、俺に力説した。


 「エリックはあれを使ったことあるのか?」


 「あるわけないだろう! そもそも実物を見たことがないわ!」


 鼻の穴を膨らませて憤慨する。


 「じゃあ、実際に使ったらどうなるか、知らないんだな」


 「ないけど、知っているの! 魔族は子供でも知っている話なんだから! みんな小さい頃から、昔話で聞いているの! だから、常識なの! あれをそっとしておかないといけないというのは!」


 ふーん。だから、パンゲアに上がると、魔族がみんな必死になって万物の源を守ろうとして、人間を追い出しにかかるんだ。なるほど。それはますます一度、見てみたいものだ。エリックから情報を引き出しながら、さらにワクワクしてきた。

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