エリック〝ギャンブル卿〟エリック
悪魔が温泉を襲撃した原因は、俺たちだ。俺たちがエリックの仲間を殺して金を奪ったから、やつらはそれを取り戻しにやってきた。だから、温泉がめちゃくちゃになった責任の一端は、俺たちにもある。
そう思ってどう責められるかヒヤヒヤしていたのだが、温泉を管理しているオークたちはそうではなかった。「人間が乱暴な悪魔を追い払ってくれた」と、責任を追求するどころか褒めたたえてくれた。騒動が片付いた後、「もう夜も遅いから」と温泉に併設した宿泊所を無料で貸してくれた。大きなテントで、中央には簡易の暖炉があって暖かい。なんと毛布まで用意されていた。さらに簡単ではあったが、食事までサービスしてくれた。
風呂に入って、それから移動して野営地を確保してとなると、夕食を作っている時間がないなと思っていたので、非常にありがたかった。温泉で蒸した芋と、山豚の煮付けだった。何やら甘辛い味付けで、とても美味しい。俺に二つ名をつけてくれたオークはここの責任者で、名前をロウグと言った。親しみを覚える名前だ。そのロウグが「特別な食い物じゃねえ。俺たちが普段、食べいているものだ。すまんな」と言っていたが、普段からこんなに美味いものを食べているオークがうらやましいと思った。
「美味い、美味い! 特にこのタレがたまらない!」
テイラーは皿の底に残った豚の煮汁を、ベロベロと舐めている。口の周りが煮汁でベトベトだ。
「テイラー、行儀が悪いからやめろ」
俺は芋を割って、テイラーに差し出した。
「こうやって芋ですくって食べるんだよ」
芋を皿に残った煮汁につけて、差し出す。手を出さずに雛鳥のように口を開けたので、入れてやった。テイラーはフガフガと鼻息を荒くして「う、美味い!」と目を輝かせている。
「フン、人間め。なんと浅ましい……」
俺の隣に座っていたエリックが、いかにも軽蔑していますという感じで顔をゆがめた。エリックには食事はない。当たり前だ。ここを襲撃した主犯なんだから。さっきからふてくされて座り込んでいる。必死になって気配を押し殺しているが、空腹なのだろう、腹がぐうぐう鳴っている。
「うるさいぞ、悪魔のくせに!」
テイラーは唾と食いかけの芋を口から飛ばして、言い返した。
「やめろ、テイラー。行儀悪いぞ」
テイラーをたしなめる。
「だって、クリス! おかしいじゃん! なんでこいつがここにいるんだ? さっき、テイラーたちを殺そうとしたやつだぞ。さっきだけじゃないぞ。この前もだ!」
そうだ。なぜエリックがここにいるのだろう。俺もどうしてこうなったのか、よくわからない。ハーディーをチラッと見る。相変わらず大きな図体の癖に、芋を小さくちぎってちまちまと上品に食べている。仮面からは何の感情も読み取れない。だが、殺そうとしないところを見ると、ハーディーもエリックを生かしておいて構わないと思っているのだろう。
角を折られるのは、悪魔にとって最大の屈辱なのだそうだ。そして、戦いの最中に折られたら、その時点で敗北が決定するらしい。それだけではない。角を折られた悪魔は、角を折った相手に終生、服従しなければならないのだそうだ。悪魔にとって角を折られるというのは、大変なことなのだ。ロウグが教えてくれた。
「くっ、人間ごときに角を折られるとは、一生の不覚……!!」
女風呂の床にひざまずいて、エリックは屈辱で歯噛みした。歯噛みしすぎて歯茎から血が出たほどだった。口の端から血を垂らしながら、俺をにらみつけた。
「格好悪いなあ、悪魔さんよ。でも、仕方ないよなあ。折られちゃったんだから」
ロウグは実に楽しそうにニヤニヤしながら、エリックを見下ろした。ちなみにこの温泉の敷地内は、やはり魔法が使えないらしい。悪用してのぞきをはじめとする破廉恥行為(魔族にもそんなものあるんだ)をさせないように、強力な結界石で囲んであるのだそうだ。
そんなことより、いつまでも女風呂でうろうろしていないで、さっさと立ち去った方が良くないか? さっきからオークのお嬢さんたちが、俺たちのことをすごい目つきでにらんでいるのだが。
で、エリックは俺に絶対服従なので、扱いをどうするか一任されたのだ。悪魔は人間を食うし、魔法も使うし、厄介な敵だ。即座に殺してしまうのがベストと思ったが、そうしなかった。なぜ、日中にあんなところをうろうろしていたのか? どうして魔法が使えない温泉で強襲したのか? 金を取り戻しにきた理由は? テイラーが持っている鏡に執着したのはなぜだ? 聞きたいことが山ほどあった。
ハーディーをチラッと見ると、意向を汲み取ってくれたのか、ウンウンとうなずいている。俺は自分たちのテントにエリックを連れて行くことにした。
「エリック〝ギャンブル卿〟エメリッヒだ。爵位持ちだ。敬意を払え」
名前を聞くと、胸を張ってそう言った。
「うるせえ。生意気言うと、もう片一方の角もへし折るぞ!」
拳を振り上げると、エリックはビクッとして腕で顔を覆った。魔法は使えない。剣も取り上げられて丸腰。部下は逃げ出して、一人。圧倒的に不利な立場なのだから、仕方あるまい。
「もう一方の角もへし折るだなんて、お前たちは鬼か、悪魔か!」
歯軋りをして、にらむ。悪魔に悪魔って言われたくない。
金は持ち去られていた。俺のリュックだけではなく、テイラーのリュックにも小分けにして入れておいたので、根こそぎ持っていかれたわけではない。だが、もともとエリックたちの持ち物だった大きな銀の粒が入った袋は、なかった。
「あれは返す金なんだ。金が払えなくて、嫁を人質に取られている。あの金がないと、嫁を返してもらえない」
エリックは、とても爵位持ちとは思えない荒んだ話をし始めた。
「え? あんた、爵位持ちなんだろ? 金なんか、唸るほど持っているんじゃないのか?」
「いや、それが……。ちょっとカジノで大きく負け越してしまって……。手持ちがなくて……」
エリックは頭をかきながら、罰の悪そうな顔をした。ん、ちょっと待てよ。こいつ確か……。
「あんた、さっき自分のことギャンブル卿って言ったよな? ギャンブル卿がカジノで大負けして、借金作ったってわけ? で、嫁さんを借金のカタに取られてるの?」
笑い出しそうになるのを我慢して、聞いた。
「そんな身も蓋もない言い方をするな!」
エリックはガバッと顔を上げると、涙を浮かべた。
「で、早く嫁さんを取り戻したくて、あんな日中にうろうろしてたってわけなんだ」
「うう……そうだ……。カジノから飲まず食わずで屋敷まで戻ったので、あまりにも腹が減りすぎて、お前たちを襲ったのが運の尽きだった……」
エリックはうなだれて、ポロポロと涙をこぼしている。全く同情できない。身から出た錆だ。
「魔法が使えるところで、襲ってきたらよかったのに。わざわざこんな温泉で殴り込まなくても」
敵ながら、呆れてしまう。
「いや、だって!」
エリックはまたガバッと顔を上げた。
「その化け物は魔法の塊じゃないか! あんなのと魔法で戦って、勝てるわけないだろう! 実際に俺の部下があっという間に3人も殺されたんだから!」
ハーディーを指差してまくし立てる。ふーん、そうなんだ。要するにハーディーが怖くて、温泉で襲ってきたんだな。もしかして、ロクな魔法が使えないのか?
「お前、どんな魔法が使えるんだ?」
エリックの顔をのぞき込んだ。
「え……。それ、言わなきゃいけないのか?」
「角をへし折る」
「わかった、わかったよ!」
エリックはまた半泣きになって「くそっ、この鬼、悪魔め」と毒づいた。そして俺を見上げると、急に恐ろしく真面目な顔をした。
「俺は運が良くなる魔法の使い手なんだ。ギャンブル卿に上り詰めたのも、その魔法のおかげだ」
言った端から、テイラーがプッと吹き出した。
「笑うな!」
エリックが怒る。
「グフェス! だって、運がいい魔法の使い手が……ウヒャヒャ、カジノで負けてって……!」
テイラーは腹を抱えて笑っている。エリックはまたギリギリと悔しがって歯噛みした。
「あそこには俺の幸運の魔法を打ち消すくらい、すごいギャンブラーがいるんだよ! そいつと勝負しに行ったの! ギャンブラーなら自分より上手いやつと勝負するだろ、普通?! え? 人間にはわからんか?!」
わからない。スティーブンさんは「ギャンブルとは距離を置け」と口を酸っぱくして言っていた。やってもいいが、絶対にハマるなと。「確実に勝つ勝負しかしない」がスティーブンさんのポリシーなのだ。だが、そんなすごいカジノがあるんだな。おそらく人間は出入り禁止なんだろうけど。幸運の悪魔が嫁を借金のカタに取られるようなところなんだ。さぞかし魔法が渦巻く場所なのだろう。
「カジノって、どこにあるの?」
俺は何気なく聞いた。
「パンゲアだよ」
エリックはそっぽを向いて、チェッと舌打ちしながら言った。え、今、なんて言った?
「何? どこだって?」
「だから、パンゲアだよ!」
エリックは目をむいて、声を上げた。
脳内で、ピカッと明かりが灯った。万物の源はパンゲアにある。だが、パンゲアは空中に浮かんでいる。どうやってあそこまで行くか、ここまでの道中、ずっと考えていた。スティーブンさんは「空を飛ぶ魔法で行った」と話していたが、俺のパーティーにはそんなものを使えるやつがいない。こいつと一緒に行けば、パンゲアに行けるんじゃないか? 心の中で、小さく拍手した。
「あと、鏡ってこれのことか?」
テイラーのリュックに入れていた、例の鏡を取り出して見せた。
「そ、それだ! それ!」
エリックは手を伸ばして奪い返そうとする。目を大きく見開いて、鬼気迫る表情だ。俺を腕を上げて、エリックから鏡を遠ざけた。
「返してくれ……! それは本当に大事なものなんだ……!」
エリックはまた泣きながら、俺の足元で土下座した。なんか、悪魔って大仰だなあ。
「これは何なんだよ」
エリックを見下ろす。エリックは顔を上げると「何だ、知らないのか」と馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「そんなこと言うなら、この鏡、割っちまうぞ」
「ウソウソ! ウソです! やめて!」
エリックは手を振って、必死に謝る。そして「使い方を教えるから、貸してくれ」と手を差し出した。
「ちょっとでもおかしな真似をしてみろ。残った角もへし折るぞ」
俺は鏡を渡す。エリックは「人間、怖すぎだろ」と言いながら、鏡を受け取った。




