お前、ただものではないな
近寄ってみると、それは人間の形をしていた。腰あたりまである毛皮のマントを羽織って、うつ伏せに倒れている。生きているのだろうか。俺は足音を忍ばせながら、頭の方へと回り込んだ。
改めて、デカい。いや、俺がチビなのでほとんどの人間は大きく見えるんだけど、それを差し引いてもデカい。ハンセンもドアの欄間に頭をぶつけるくらいデカかったが、さらに頭2つほど大きいように見える。魔族だろうか。人型の魔族はたくさんいる。大型となるとオークやデーモンがそうだ。オークはともかく、デーモンだと厄介だぞ。魔法を使うからな。俺は慎重に近づいた。
足も太かったが、マントからのぞく腕も太かった。垢で黒く汚れているものの、魔族かと思うほど筋肉がモリモリとついている。どんなツラをしているんだろう……。頭が見える位置まで行って、ギョッとした。
そいつは仮面をかぶっていた。口元だけ露出して、鼻から上、頭頂部まで頭全体を覆うような鉄の仮面だ。汚れて煤けているけど、磨けばピカピカになりそうな銀色をしていた。こめかみのあたりには飾りだろうか、小さな角がついている。目のあるはずの部分に、細いスリットが入っていた。これで前が見えるのだろうか? 後頭部からは、首の下まで覆う黒い巻き毛がはみ出している。フケだらけだった。
なんだろう。人間に見えなくもない。
生きているようだ。微かながら、呼吸音がする。立ち上がって襲ってくればこの巨体だ、ひとたまりもないだろう。だが、恐怖よりも好奇心が勝った。人間とすれば、ただ者ではない。魔族ならば、なぜこんなところで意識を失って転がっているのか。用心深くもう一度、そいつの周囲を回る。あの仮面、はがして磨いて道具屋に持っていけば、そこそこいい値段で買い取ってもらえるんじゃないか? マントもこうして見るとしっかり分厚くて、洗ってきれいにすれば高く売れそうだった。
そんなことを考えていると、不意に大男が「う、うごっ……」とうめいた。一瞬、ビクッとする。だけど、起きて動き出す気配はない。俺はもう少し、近寄ってみた。
臭え。さっきの異臭は間違いなくこいつだ。長いこと風呂に入っていないのだろう。職業柄、自分の匂いを消すために、どんなに寒くても水浴びを欠かさない俺からすれば、信じられないことだ。体そのものはもちろん、この毛皮のマントも臭い。近寄ってみてわかったのだが、大男はやつれていた。腕や脚は太いが、仮面からのぞくほおやあごはげっそりとしている。もしかして、腹が減っているのか? 空腹で動けなくなって、倒れているのだろうか。ベストの胸ポケットから飴を取り出した。飴なんて言っているけど、森に生えている木の樹液を練って作った、ただの甘い保存食だ。俺は貧乏冒険者なので、こういうのを時間がある時に作って、常に持ち歩いている。
「腹が減っているのか? 食うか?」
飴を大男の鼻先に持って行った。口元がモゾモゾと動き始めたので、唇の間に押し込んでやる。大男はしばらく口の中で、モゴモゴと飴を転がしていた。やはり腹が減っているようだ。もっとしっかりしたものを食わせてやりたいところだが、あいにく今は金を持っていないし、金を持っていたところで、こんなに不潔で臭い異形の大男を食堂には連れて行けない。
さて、どうしたものか……。
そんなことを考えていると、足音が近づいてくるのに気づいた。複数の……男だろう。このドカドカと乱暴な足音は、女じゃない。そして、不用心に近づいてくるところをみると、この集団に盗賊はいない。やがて、彼らが視界に入ってきた。橋の上から、さっき俺がやったようにのぞき込んでいる。荒くれものっぽい男が1、2、3、4人。いずれも顔に傷があったり、イキった髪型をしたりと、悪そうな顔をしている。
「おお、あれだ、あれ!」
一人の男の声を合図に、彼らはぞろぞろと橋の下に降りてきた。全員、長短こそバラバラながら剣を腰に差している。まるで俺がいないかのように大男に近寄ると、いきなり仮面に手をかけた。だが、簡単には外れない。他の男は毛皮のマントを引き剥がそうと、首元に手を突っ込んだ。
なんだ、野盗か。
最近、こういうヤツらが多いのだ。冒険者では食っていけないので、浮浪者や難民を襲ってなけなしの金品を巻き上げたり、押し込み強盗をしたりするのだ。食っていけないのなら別の真っ当な職業に鞍替えすればいいと思うのだが、野盗になって追い剥ぎをしている方が楽なので、そういうまともな生き方は選ばない。ある意味、捕食するために人間を襲う魔族よりも、タチが悪い。
「なんだ、てめえ! ボケッと見てるんじゃねえよ。こいつぁ、俺たちが先に見つけたんだ。とっとと失せやがれ!」
俺が見ていることに気がついた一人が、近寄ってきて唾を飛ばして恫喝する。さっさと逃げた方がいい。そう思いながらも、俺は大男が気になって、素直に立ち去れなかった。
「おい、見ろ!」
マントをはがそうと、大男の背中に乗っていた男が叫んだ。その手に棒状のものを持っている。よく見ると、剣の柄だった。鍔もついている。だが、刀身がない。
「これは、売り物になるんじゃねえか? なんだかよくわからないけど、彫り物がしてあって、立派なものだぞ!」
野盗たちは集まって、柄をしげしげとのぞき込んだ。俺も少し離れたところからのぞき込むが、よく見えない。刀身がないのに、なぜ鍔がついているのか? そもそも、なぜ柄だけ持っている?
「てめえ、ジロジロ見てんじゃねえよ! さっさとあっち行けって言っただろうが!」
俺がいつまでも立ち去らないので、野盗の一人が青筋を立てて大声を出した。おお、怖っ。この大男が何者なのか気になるところだけど、そろそろおさらばした方がよさそうだ。あまり神経を逆撫ですると、こっちに危害が及びかねない。と思った時には、すでに時遅しだった。
「おい、ちょっと待て。こいつ、何か持っているぞ」
野盗の一人が剣を抜いた。そして、剣先を俺の方に向けて言った。
「おい、その背負い袋を置いていけ」
いやいや、ちょっとそれは無理。このリュックはスティーブンさんにもらった、大切なものなのだ。なかに入っているものも小刀やヘラ、針の一つまで、消耗品を除けば全てスティーブンさんからもらった、俺を盗賊たらしめている大切なアイテムなのだ。
「い、嫌だ」
俺が言葉を絞り出すと、野盗たちの顔色が変わった。これはまずい。逃げないと。だが、いつの間にか取り囲まれていた。4人とも剣を抜いて、身構えている。先に俺を始末して、意識のない大男は後でゆっくり料理しようってことか。
「素直に荷物を置いていけば、命までは取らないぜ、兄ちゃんよぉ」
野盗の一人が、剣の刀身をベロリと舐めながら凶悪な笑みを浮かべる。いやいや、そんなわけないだろう。荷物を手放した瞬間、始末される。だって、俺がここから逃げ延びて教会に駆け込めば、ただでは済まないからだ。人相は覚えたし、俺が治安担当の修道士たちに報告すれば、彼らは逮捕されて罰を受けることになる。
まずい。絶体絶命じゃないか。パーティーを追放されたその日に命を落とすなんて、なんてツイてないんだ。正面にいた野盗がジリジリと近づいてくる。俺もジリジリと下がる。このままでは後ろにいる野盗の間合いに入ってしまう。
と、その時。大男がムクリと起き上がった。背筋を伸ばし、分厚い胸を膨らませて、息をついた。「むふぅん」とひときわ大きな呼吸音が橋の下でこだまする。同時にムワッと異臭が周囲に広がった。臭え! そして、デカいっ! 倒れている時もデカいと思ったが、こうして立ち上がってみると、改めてデカい。両腕を伸ばせば、橋桁に手が届きそうだ。
「あっ!」「なん!」
野盗たちは驚いて、声にならない声を上げた。大男は先ほど、野盗たちが興味を示していた柄を地面から取り上げた。そして、まるで刀身がある剣のように、振りかぶった。
あっ!
俺は見逃さなかった。何かが橋桁にぶつかって、ジャリンと音を立てるのを。これはヤバい。何かヤバいぞ!
「なんだぁ、そりゃあ? そんな刀身のない剣で、切れるわけが……」
野盗の馬鹿にしたような言葉は、途中で途切れた。俺が頭を抱えて伏せるのと同時に、何かがヒュンと風を切って、頭上を通過した。同時に、ドサドサと何かが地面に落ちる、重たい音がした。
「う、うわぁ……!」
顔を上げると、俺を取り囲んでいた野盗3人の首が、地面に落ちていた。頭部を失った体が、ゆっくりと崩れ落ちる。生き残ったもう一人の野盗は目玉が飛び出るのではないかと思うほど目をむいてブルブルと震えていたが、急に「ひ、人殺しだぁ!」と叫んで、逃げ出した。
人殺しって、お前たちにもついさっきまで俺を殺そうとしていたじゃないか。いやいや、呑気にそんなことを考えている場合じゃない。一転、今度はこっちの立場がまずくなった。俺は柄を手に呆然と立っている大男の手を引くと「おい、逃げるぞ!」と声をかけて走り出した。大男の手はゴツゴツとしていて、冷たかった。死体のような冷たさだ。俺が手を引っ張ると、大男はよろめきながら俺と一緒に走り出した。




