魔族と取引する
翌日の朝、俺たちはモッセ川を渡った。水量が多い時は大変だったらしい。船が必要で、橋を渡ろうとすれば魔族が待ち構えていたそうだ。しかし今は水量が少ないため、川幅の狭いところを選んで歩いて渡れた。なんだ、思った以上にあっけないな。前回はもっと水量の多いところを、肩まで水に浸かって渡った記憶があるが。
向こう岸は険しい崖になっていて、足の不自由なテイラーは大変そうだった。俺が引っ張って、ハーディーが押し上げて、なんとか登り切った。
「おっ、見ろ!」
テイラーを引っ張り上げて、南西方向を見る。木々の間から、頂上が平らな大きな山が見える。
「ほら見ろ、テイラー! パンゲアだ!」
興奮して声を上げた。思わず小躍りしてしまう。息を切らせながら崖を上がってきたテイラーは「はぁ?」と面倒臭そうな返事をした。
「あれは山に見えるけど、山じゃないんだぞ。近くまで寄ればわかるんだが、宙に浮いているんだ。すごくない?」
テイラーに手を貸しながら、パンゲアから目が離せない。こんなによく見える場所に来たのは、久しぶりだ。駆け出しの頃、ポポナという辺境の街にいたことがある。パンゲアが見える街として知られていて、観光客がひっきりなしに訪れていた。金のなかった俺は、その街で展望台を補修するアルバイトをして日銭を稼いでいた。懐かしい思い出だ。
今、ポポナはもうない。数年前に魔族に乗っ取られて、人間が住めない街になってしまった。突然、魔族の一団がやってきて、街の一角を不法占拠した。その後は力任せだった。家に押し入り、人間を追い出し、自分たちの住処にする。小さな観光都市に、魔族と戦える軍事力はなかった。辺境の小さな街の奪還に、イース王国が本腰を入れることもなく、いつしかポポナから人間はいなくなった。俺がポポナを離れてクーメンに退却したのも、そのタイミングだ。
太いスポンサーがいれば、ポポナ奪還のクエストが発生していただろうになあ。でも、あの街を取り戻すのに、大金を注ぎ込む物好きなんて、いないか。よほど毎日、飽きずにパンゲアを見たいという奇特な人がいれば、話は別だが。
先頭に立って歩きながら、数年前のことを思い出していた。ポポナでは何度かパーティーを組んだ。いずれも俺と同じく、駆け出しのルーキーばかり。みんな早く成り上がりたくて、でもその方法がわからなくて、闇雲にクエストをもらってきては失敗を繰り返していた。よく誰も死ななかったものだ。失敗するたびに責任をなすりつけあい、喧嘩をして、お前なんかこっちから願い下げだと言い合って解散した。今にして思えば、同じことを繰り返していたのは毎回、ろくでもないリーダーにぶち当たっていたせいだ。
パーティーのリーダーは責任重大だ。仲間の力量を把握し、それに見合ったクエストをギルドからもらってくる。旅に出ればメンバーの体調を管理し、食事を分配する。メンバー間の潤滑油となり、危険だと判断すれば引き返す決断もしなければいけない。最終的にクエストを達成して、報酬を分け与えるまでがリーダーの務めだ。これまで出会ったリーダーで、そういうことをしっかりとできたのは、イアソンだけだった。途中で死んだけど。
現在のパーティーのリーダーは、俺だ。盗賊がリーダーだなんて聞いたことがないが、話せない剣士と冒険者ではない魔法使いがメンバーなのだから、俺がやらざるを得ない。
俺は、リーダーをやってみたかった。これまで在籍したパーティーで、何度もどうしようもないリーダーを見てきたからだ。なんなんだ、この自分勝手さは。なんなんだ、この危機感のなさは。俺がやった方が、ずっとうまくできる。何度そう思ったことか。
だけど、リーダーをやるのは、もっとキャリアを積んでからだと思っていた。盗賊は所詮、パーティーでは裏方だ。高い戦闘力があるわけでもなく、ピンチを一発で回避する魔法が使えるわけでもない。罠を発見するとか、敵の接近をいち早く感知するとか、冒険に欠かせないスキルの持ち主ではあるが、役割的にパーティーを指揮するほどの説得力がない。だから、もっと経験を積んで、誰も意見できないくらいにいろいろなことを知ってから、リーダーをやろうと思っていた。ところが、だ。なりゆきとはいえ、レベル6程度でリーダーをやることになるとは。
まあ、仕方ない。これも運命だ。
目を上げると、相変わらずそびえ立つ木々の間から、パンゲアが見えている。頂上のあたりには雲がうっすらとかかっている。あそこまで行けば、どんな景色が見られるのだろう。大陸が一望できるのではないか。想像すると、早くも胸がドキドキした。
お、いかん。誰か来るぞ。
俺はチラッと振り返って、テイラーとハーディーに目配せした。右手は斜面で、上の方に道がありそうだ。「上ろう。誰か来る」。俺はそういって、またテイラーを引っ張って斜面の上へと一旦、避難した。
木陰に身を潜めていると、やってきたのは1人の若いオークだった。薄緑色の肌に、筋骨隆々のたくましい肉体。毛皮で作った服を着て、大きなリュックを背負っている。斜面の上は茂みがあって、俺とテイラーは全身を隠せているのだが、ハーディーは大きすぎて一生懸命屈んでいるものの、背中が丸見えだった。目を上げれば、すぐに気付かれてしまう。しかも、さっきから仮面に太陽光が反射して、キラキラ輝いているのだ。案の定、オークは俺たちに気付いてしまった。
「ぅおーいぃ」
オークは斜面の下で足を止めると、呼びかけてきた。ちぇっ、見逃してくれなかったか。だけど、声のトーンからして敵意はなさそうだ。腹を決めて、茂みから顔を出した。
「なんだよ」
「あ、なんだ。人間なのか」
オークはその場にリュックを下ろした。口を開けて、中身をゴソゴソと取り出す。両手に持って、俺たちに掲げて見せた。
「何か買ってくれよ。昨日から全然、売れなくて困っているんだ」
人間の言葉で語りかけてくる。どうやら薬草のようだ。薬草売りか。
魔族は全てが全て、人間の敵というわけではない。こんな感じで友好的に接してくるやつもいる。ただ、基本的に魔族は人間よりも体が大きく力も強いので、人間を〝下等な種族〟と見ている。基本的に雑食のオークでも人間を殺して食うやつもいるし、油断はできない。だが、俺はこのオークと接触してみることにした。知りたいことがあったからだ。
ハーディーと斜面を降りて、オークに近寄る。少し遅れて、テイラーも降りてきた。
「同類かと思ったよ。いやあ、怖がらないでくれ。俺は人間は食わない」
オークは目を丸くした。ハーディーをオークだと思ったのだろう。大きいからな。
「薬草屋? 解毒剤って持ってる?」
「解毒剤ね。もちろんあるとも」
オークはしゃがみ込むと、リュックの中をゴソゴソと探し始めた。しばらくして、細い紐でまとめた紫色の草を取り出す。
「これでどれくらい買える?」
俺は悪魔から奪った銀の粒を見せた。知りたかったことその1。この銀の粒が、魔族の間でどれくらい価値があるか。魔族と接触したのは初めてではない。これまでも冒険の途中に出くわして「よう、人間」とか「人間、食べ物、持ってないか」とか言葉をかけられたことはある。だが、魔族と取り引きするのは初めてだ。
「うおっ、旦那。そんなに出されたら、俺のバッグの中身が半分、買えちまうよ」
オークはまた目を丸くした。ほほう、思った以上に価値があるらしい。人間の世界では、これを平らにしたくらいの大きさの硬貨で、宿に1泊できるくらいなんだけど。小袋の中には、これが30粒ほど入っていた。随分と裕福な悪魔たちだったようだ。
「ふうん。じゃあ、これ2粒で、バッグごと買い取っていいか?」
俺はオークに聞いた。
「えっ、バッグごと? バッグは困る。俺の商売道具だから」
オークは手を振って、首も横に振った。
「いいじゃないか。銀2粒だぞ。これで新しいバッグを買えばいいだろう」
バッグはかなり大ぶりで、しっかりしていた。ハーディーが背負うのに、ちょうど良さそうな大きさだ。
「いや、それだけは勘弁してくれ」
オークは渋った。だが、バッグごと買わないと入れるところがない。悪魔から奪ったリュックには、悪魔の服や小物が入っている。それは今、テイラーが使っていた。ハーディーは、俺が作った背負子に干し魚を積んでいる。仕方なく、銀1粒でバッグ半分の薬草を買った。
「ありがてえ、旦那」
オークは俺たちを〝旦那〟と読んで、いい気分になっている。俺は、知りたかったことその2を聞いた。
「ところで、この近くにブーツを直してくれるところはないか? もちろん、俺たち人間が出入りできるところだ」
オークは「ああ、あるとも」とうなずくと、しゃがみ込んで地面に指で簡単な地図を書いた。
「ここが、今いる場所。この道をずっと行くと分かれ道があって、細い方の道を行くと集落がある。人間もウエルカムなところだ。たまに冒険者も来る。そこに靴屋もある」
オークは俺を見上げると「銀1粒あれば、新調してもらえるんじゃないか」と言ってニヤリと笑った。なるほど。銀1粒にはそれくらいの価値があるんだな。魔族の貨幣価値が次第にわかってきたぞ。
俺たちはオークと別れると、教えてもらった集落を目指した。クーメンを飛び出した時には食糧とかテイラーのブーツとか、不安材料がいっぱいあった。だけど、なんとかなるもんだな。魔族も恐ろしいものとばかり思っていたが、こんな有益な情報もくれるんだ。
「えっ、クリス。テイラーのブーツを新しく買ってくれるのか?」
テイラーが隣にやってきた。リュックは薬草でパンパンだ。解毒剤だけではなく、麻痺を治す薬なんかも買えてしまった。
「そうだな。修理するのと、どっちがいい?」
なんだか自信が湧いてきたぞ。




