檻を隔てⅢ
救いでも、計算でもない。
ただ振り向いてほしくて、口から零れ落ちた言葉があった。
幾度となく繰り返される、選ばれない日々。
次第に、感情というものがぐちゃぐちゃになっていく。
周りの俺を見る目は完全に……異常者を見る時のそれだった。
「お前が選ばれたらいいのに」
そこまで言われる始末。
他の連中は、出来れば選ばれたくなどないだろうから。
俺だって代わってやりたい。……許されるなら。
何故見てくれない。
何故指差してくれない。
何故、振り向いてくれない。
何故――
問うても答えはなかった。
俺という存在が、まるでその視界に入ってすらいないかのように。
選ばれる奴らの、その瞬間の様子。絶望し、怖がることすら辞めた無抵抗。
それであるなら、血を吸われるのを望む俺は……無気力な彼らよりよっぽど従順で、扱い易いはずだった。
手を借りるまでもなく、自分の足で歩けるのだから。
それなのに何故、選ばれないのか。
恐怖というものが存在しなかったわけじゃない。
ただ、俺が他の奴らと違うのは――血を吸われることが、快楽と結びついてしまっていたこと。
あの瞬間のことを思い出すと、食事に選ばれることなくずっと押し込められていることが、ひどく苦痛に感じるのだ。
考えていた。
どんな言葉でなら、彼女の目に留まれるのかと。
助けて、ここから出して欲しい? ……それではただの命乞いだ。
俺を選んでくれ? ……これでは駄目だった。
思えば、前の飼い主にも捨てられた俺なのだから――
もしかしたら、ここに入れられているのも選ばれたからでなく、多ければ多いほど良いただの在庫でしかないのかも知れない。
食料庫を空にしない為だけの、賑やかしのように。
かつての飼い主のところでは、順番が決まっていた。
人間たちは機械的に管理され、等しく選ばれていく。
俺もまた、その中の一人として血を吸われていた。
少なくとも無視されるということはなかった。
だが、ここでは違う。
彼女は俺を見ない。選ばない。
……それだからか、思い出してしまう。
前の飼い主のもとで食事として扱われた、ある夜のことを。
吸われている最中のことだった。身体が明らかに場違いな反応を返した。
恐怖よりも先に。
生き延びたいという願いよりも先に。
身体だけが、肯定の形を取った。
それに気づいた瞬間、俺は目を閉じた。
自分でも信じられない思いだった。それを恥とも思った。
恐怖を感じるべき場面で、身体に裏切られた気持ちだった。
けれど、何度繰り返しても感じるのは別の感覚。
不可抗力のそれを悟られた瞬間の、あの視線。
あれは食い物を見る目ではなかった。もっと、穢れたものを見る目だった。
だから俺は、市場へと返された。
皮肉だと思う。本来なら人間の側が、彼らをそういう目で見るべきだ。
吸血鬼こそが穢れた存在のはずだ。
けれど俺は、逆にそう見られた。気味悪がられた。
その事実がどこか可笑しくて、笑えてくる。
そして今。
俺は彼女のことを考えている。
かつての飼い主のことを思い出す時とは、明らかに違う感情。
恐怖ではない。
渇望――いや、それもあるが、それだけではない。
彼女が来る夜を待っている。
彼女の姿を見たいと思っている。
彼女に選ばれたいと、心の底から願っている。
この感情は何だ?
もしかして愛、なのか?
自分でも馬鹿げていると思う。檻の中の人間が、吸血鬼を愛するなんて。
けれどそれ以外に、説明がつかなかった。
そしてまた、彼女が来た。
いつものように誰かを選ぶ。
いつものように、俺ではない誰かを。
その瞬間、何かが喉の奥から溢れた。
抑えられなかった。
止められなかった。
「愛してる」
その言葉は計算でも策略でもなかった。
ただ――何を言えば彼女が振り向くのか、分からなくて。
苦し紛れに口から転がり出た言葉。
この場にはあまりにも似つかわしくないそれ。
自分でも驚いた。
何を言ったんだ、俺は。




