正体
嗤われた。暴かれた。崩れた。
偽りが揺らぎ、獣の声が漏れる。
理想の使い魔など、どこにも居やしない。
無為な時間だった。
暇を持て余したナザヘルが魔女たちに色目を使っている。
余計な気を持たせるべきでないと咎めても、返ってくるのは呆れるような理屈だった。
そして、極めつけにこう言うのだ。
「俺は彼女たちの夢そのもの、であるからな。少しくらいは応えてやらんでどうする」
沈黙。
言い返す言葉がない。
夢魔の王という存在はそういうものだ。
だが、それを認めることは、彼の振る舞いを肯定することに繋がる。
俺は黙ったまま視線を逸らした。
ただ、黙ってもいられなくなったのは、その退屈の矛先がミハイルに向いたこと。
あまりにも下世話な奴の好奇心に、ほとほと呆れ果てた頃合いだった。
「ナザヘル。あまりにも下劣だ」
「下劣?」
ナザヘルは肩を竦め、笑った。
「じゃあ訊くが、お前はどうだった? 忠誠を誓う時、祈るだけで済んだのか?」
その言葉が胸の奥で鈍く鳴る。
ヴァレリアとの契約。あの夜のこと。……触れられたくない記憶だった。
だが、ナザヘルだけでなくミハイルも同じ疑問を投げてくる。
彼の場合は欠片の悪意も無さそうなのがまた、余計に質が悪い。
俺は視線を落とす。
答えられない。答えるつもりもない。
二対一という構図が出来上がりつつある。
ミハイルが味方についたと踏んだのか、ナザヘルは口角を吊り上げ嗤う。
「坊や、実にいい質問だ。犬よ、聖女様とどんな契約を交わした?」
怒りが喉の奥で燃える。
「……下衆な王だな」
低く言い放った。
「誇り、か。お前も知っているだろう? 忠誠も愛も、結局は欲の言い換えに過ぎないことを」
違うと叫びたいのに、喉の奥で言葉が詰まってしまう。
その否定が果たして自分の為なのか、彼女の為なのか――曖昧になってしまっていた。
奴の無遠慮な視線が向いた時、ヴァレリアは俺の尊厳を守ろうとしてくれた。
それなのに黙ることしか出来ない自分がもどかしく、それこそが彼女への裏切りにも感じられ……苛立ちが募っていく。
何故強く否定出来ないのか? その答えを俺は知っている。
奴の言葉があまりにも正確に急所を射抜いていたからだ。
……だからこそ、認めたくはなかった。
ナザヘルは尚も畳み掛けるよう続ける。
「お前のそれは信仰という名の自慰に過ぎない」
頭の中が真っ白になった。
自分の中の何かが壊されたような感覚。抑制が外れる。
喉から漏れた声は、取り繕うことすら忘れた獣のそれだった。
「……もう一度言ってみろよ」
低く唸るような音。
それが自分のものだと気づくまで、一瞬の遅れがあった。
父の姿が揺らぐ。獣の気配が滲む。
ナザヘルの喉を噛み千切ってやりたかった。
だが――
「……やめてください。もう、聞いていられない」
微かに引き攣ったミハイルの声が張り詰めた空気を割った。
俺は動けなくなった。
彼は言う。ここで争うことに意味などないと。
……その通りだと感じた。同時に、情けなく思えた。
さっきまで何も言えなくなっていたミハイルが場を宥めようとした。
彼の声は震えていた。だが、それでも言葉を発した。
それはまるでナザヘルだけでなく、俺をも咎めるように聞こえた。
つまり、俺がナザヘルと同じ土俵に立っていたということだ。
獣の声で唸り、今にも飛びかかろうとしていた。それを彼は止めたのだ。
そして何より――彼に見せてしまったのではないか。
俺の正体を。
借り物の姿が揺らぎ、獣の気配が滲んだ瞬間を。
憧憬の眼差しを向けてくる彼に見苦しい姿を晒してしまった。
理想の使い魔なんてものは、どこにも居やしない。
ここに在るのはただ、偽りの姿に縋りつく惨めな獣だけだ。
形だけなぞれば理想に近づけると信じ切っている、愚かしい獣。
「悪かった、ミハイル。君に見せるようなものじゃなかった」
そう告げて、俺は背を向けた。
これ以上、彼の視線を受け止めることが出来なかった。




