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ヴァンパイアは暁に夢む:短編集  作者: 静杜原 愁


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噤めなかった過ち

言わずにいれば――何も感じないふりをしていれば、よかった。

それでも「愛してる」と零れた瞬間に。

何かが、取り返しのつかない形に変わった。

「約束してください。その、使い魔になった後も――今まで通り、接してくれるってことを」


 それは二人がまだ、魔女と使い魔になる前の“契約”だった。

 見下ろせば、ヴァレリアが困ったような顔でそう微笑みかけた。


「ああ、約束する」


 今まで通り。


 俺は、その約束をほんの小さなものと捉えていた。

 けれど彼女にとってそれがどれだけ大切なものだったのか。

 兄と妹のままを維持することがどれだけ難しいことだったかを、知ることになる。


 変わらないと思っていた。けれど、実際にはそうではなかった。


 彼女は震えていた。


「……怖いか?」


 問えば、言葉にしないまま頷いてみせた。

 それを口に出さないのは、ヴァレリアなりの強がりだというのが分かっていた。


 俺は安心させようとその髪を撫でてやる。幼い頃、泣きじゃくる彼女を慰めるようにした、あの時と同じように。


 その瞳に映るのは、彼女と似た特徴を持った自分の姿。

 濃藍の髪をした、未熟という言葉をそっくりそのまま固めたような、若い男の姿だった。


 いくら人の姿を真似ようとて。

 このひどく乱れた呼吸の音が、どこまで行っても自分が獣でしかないことを突きつけるようだった。


 理性的でありたかった。

 触れる手つきはひたすら優しくと、意識して。彼女の息が乱れれば、進めることすら躊躇して。


 大切だった。

 だから傷つけず、傷つかない――そんな距離で、淡々とこの行いをただ「必要なこと」だと受け止めて。


 過ちを犯した。

 この姿を取るべきでなかったということ。

 何を感じるでもなく、ただ時間が過ぎるのに身を任せていればよかったものを。


「愛してる」


 それは感情の昂りだったのか。

 それとも、彼女を気遣う為の言葉なのか、ずっとひた隠しにしてきた自分の本音だったのか。


 ただ、そう口にしてしまった瞬間の彼女の顔が忘れられなかった。


 痛みに耐えることよりも、よっぽど辛そうにしていた。

 泣き出しそうで、見たこともないくらい――複雑、としか言いようのない表情だった。

 ただそれが間違いで、言うべきでなかった言葉だというのは瞬時に理解出来たことだった。




 ……今になってあの夜を思い出すのは、久しぶりにあの姿を取ってしまったからだろう。


 無意識の恐ろしさ。

 それを感じるなら、自分を律することの重要性というものが、痛いほどに身に沁みる。


 一度だけの過ち。二度とは繰り返さないこと。

 深くに沈めた感情。


 ただ、使い魔として彼女に尽くすことでその気持ちを否定しないで居られる。

 大切だからこそ役に立ちたく、守ろうとも思える。

 例えそれが、無駄に思えることであろうと。

 彼女が望むなら、望んだ通りにするのが忠誠というものだろう。


 記憶の中の父の動きを、そっくりそのままなぞるように。

 蝶番を外し、木枠を削る。調整して、また取り付けて。


 父はいつもこうしていた。それを幼いヴァレリアと一緒に、遠くから見ていて。

 次第に見ているだけでは満足出来ず。

 退屈だった。だから二人で邪魔するように、父に構って欲しくて悪戯をした。

 それをへレグリナに咎められる。


「おまえたち、ちゃんと分かってることだと思うけど」


 ひとしきり叱りつけた後。いつもそういう切り出し方だった。

 幼いヴァレリアと、俺と。二人並んでへレグリナの前に立たされて。


「ヴァレリアは何になりたいんだった?」


「おばあちゃんみたいな、りっぱな魔女さま!」


 問われれば、無邪気にそう答えたヴァレリアだった。

 祖母に向けた尊敬の念、その夢を一時足りとも疑わないような、純粋な瞳だった。


 どこか満足そうに頷いたへレグリナは、次いで俺に目を向けた。

「ゲルドリヒは。……ちゃんと、覚えているかい?」


「父さんのような、立派な使い魔。ヴァレリアを守る、強い使い魔になるんだ」


 それは本心だったのか、求められた答えだったのかは分からない。

 ただ、あの頃のヴァレリアのように。

 俺もその決められた将来っていうものに、なんの疑いも抱きはしなかった。


 今――どうだろうか。

 再び取り付けた扉は軋まず、開閉こそ滑らかになった。


 けれど。

 何度も補修を重ねた跡を見てしまえば。

 また直ぐに悪くなってしまうことは、俺の目にも明らかだった。


 彼女は知らなくて良い。

 直すのはいつだって俺の役目だ。


 上手くやれているはずだ。

 魔女と使い魔として、かつて目指した形が今のこの関係なのだろう。

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